旧友の李相日氏がホテルに来て近いところでフユアオイ(冬葵)スープで朝食を共にした。この味で50年も遡って、私たちの話も古い話であった。若い世代への批判を含めて、長く人生放談をした。彼は大学を定年してからアートホールの理事長を7年も経て80歳を過ぎてようやく役職ゼロのフリーな人になった。彼は人生や学問の虚しさを語った。私は文化人類学を続けているのは学問を糧にするというより、人と会って話をして縁を作る楽しさを語り、対応した。昨日タイムキャプセル博物館について書いた本欄を読んだ女性から電話がかかってきた。そこで私が会った館長の呉氏と彼女の夫が友人、そして本人は啓明大学85学番という弟子であり、電話は長く楽しかった。
広大で博士号を取得した崔錫栄氏が博物館長をしている国立劇場へ初めて行った。彼の勤務する博物館は国立劇場の中にある。美しい自然の景観に感嘆した。劇場にはただただ人がおらず静かな公園のようであった。ここで勤務するだけで幸せではないか。劇場でありながら公演などが一切中止されているという。船の沈没事件で、特に予定している劇は笑いと海の場面があって自粛せざるを得なかった。韓国全体が悲痛、危機感などが混合している。
その中で朴裕河教授のグループの従軍慰安婦のシンポジウムがプレスセンターで開かれて1時から5時まで黒田勝弘氏、平井氏と同席して聴取した。朴氏と和田春樹氏の経緯説明が発表されてから休憩時間に朴氏とは初めて挨拶を交わした。互いにFBなどで知っており、親しさを感じた。第二部には釜山挺身隊問題対策協議会会長の高齢の女性の金文淑氏が韓国女性がそんな話を公に語るのは「恥ずかしい、韓国の女性はそんな話はしない。私が慰安婦だったら死ぬまで話さない」といい、私の後ろからヤジが聞こえた。しかし強い語調で社会運動家の若者たちが彼女たちに綺麗な服装や化粧させて「一日10人、20人も相手した」と話させるのだと言う。金氏自身は慰安婦を10人ほど連れて日本に行き、静かに裁判をさせたことはあるという。韓国日報の黄氏は日本は小さいものでも間違ったら全体が間違ったと否定する文化であり、「強制」というところの話が間違ったら聞く耳をもたず戦争責任さえ投げてしまうような思考構造の国であるという。韓国はアジア女性基金について寛容の心が足りなかったとも言った。。
質疑の時間にフロアーから「日本が謝罪したことがあるか」という質問に金氏は「見舞金」自体が謝罪になると答えた。謝罪する心がなかったらなぜ大きいお金を出すかと答えた。戦争を裁判で計るような法律が日本にはないかという質問には答えが足りなかった。私は発言したがったが抑制した。
戦争や植民地への賠償は65年条約で終結した。それは戦争を戦後裁判はしないということは基本的な法精神であることは明らかである。しかし人権問題は戦争とは関係なく問われるのである。そこで登場したのが慰安婦問題である。韓国人にセンシティブな性モラルを刺激するので運動家や政治家たちがクローズアップさせているのである。慰安婦問題はセックスという性倫理を強調するので韓国民に訴える影響力があるからである。しかし日本や西洋社会では売春自体はそれほど道徳倫理的な犯罪とは思われず、場合によっては職業として認めるようでありそれを問題にすること自体が職業差別にもなりかねない。ただ問題は拉致、強制、奴隷などである。それが人権犯しの核心である。韓国の運動団体や政治家が慰安婦を利用していることは金氏の言うとおりに明白なことであろう。
昨日のシンポが悲痛な状況でも行われたこと、金氏が発言したことも許される韓国社会に民主主義は健全だと強く感じた。
広大で博士号を取得した崔錫栄氏が博物館長をしている国立劇場へ初めて行った。彼の勤務する博物館は国立劇場の中にある。美しい自然の景観に感嘆した。劇場にはただただ人がおらず静かな公園のようであった。ここで勤務するだけで幸せではないか。劇場でありながら公演などが一切中止されているという。船の沈没事件で、特に予定している劇は笑いと海の場面があって自粛せざるを得なかった。韓国全体が悲痛、危機感などが混合している。
その中で朴裕河教授のグループの従軍慰安婦のシンポジウムがプレスセンターで開かれて1時から5時まで黒田勝弘氏、平井氏と同席して聴取した。朴氏と和田春樹氏の経緯説明が発表されてから休憩時間に朴氏とは初めて挨拶を交わした。互いにFBなどで知っており、親しさを感じた。第二部には釜山挺身隊問題対策協議会会長の高齢の女性の金文淑氏が韓国女性がそんな話を公に語るのは「恥ずかしい、韓国の女性はそんな話はしない。私が慰安婦だったら死ぬまで話さない」といい、私の後ろからヤジが聞こえた。しかし強い語調で社会運動家の若者たちが彼女たちに綺麗な服装や化粧させて「一日10人、20人も相手した」と話させるのだと言う。金氏自身は慰安婦を10人ほど連れて日本に行き、静かに裁判をさせたことはあるという。韓国日報の黄氏は日本は小さいものでも間違ったら全体が間違ったと否定する文化であり、「強制」というところの話が間違ったら聞く耳をもたず戦争責任さえ投げてしまうような思考構造の国であるという。韓国はアジア女性基金について寛容の心が足りなかったとも言った。。
質疑の時間にフロアーから「日本が謝罪したことがあるか」という質問に金氏は「見舞金」自体が謝罪になると答えた。謝罪する心がなかったらなぜ大きいお金を出すかと答えた。戦争を裁判で計るような法律が日本にはないかという質問には答えが足りなかった。私は発言したがったが抑制した。
戦争や植民地への賠償は65年条約で終結した。それは戦争を戦後裁判はしないということは基本的な法精神であることは明らかである。しかし人権問題は戦争とは関係なく問われるのである。そこで登場したのが慰安婦問題である。韓国人にセンシティブな性モラルを刺激するので運動家や政治家たちがクローズアップさせているのである。慰安婦問題はセックスという性倫理を強調するので韓国民に訴える影響力があるからである。しかし日本や西洋社会では売春自体はそれほど道徳倫理的な犯罪とは思われず、場合によっては職業として認めるようでありそれを問題にすること自体が職業差別にもなりかねない。ただ問題は拉致、強制、奴隷などである。それが人権犯しの核心である。韓国の運動団体や政治家が慰安婦を利用していることは金氏の言うとおりに明白なことであろう。
昨日のシンポが悲痛な状況でも行われたこと、金氏が発言したことも許される韓国社会に民主主義は健全だと強く感じた。