崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

広島女学院大学で集中講義

2005年12月27日 11時25分03秒 | エッセイ
 人間は無法状況においてまったく自由となり、楽しい時間を持つという学生がいた。親が旅行中、留守番をしていて強く自由を感じたという。しかしそのような無法状況は同時に危険でもあることを、私はサハリンで戦争中の無法状態で日本人たちが朝鮮人を大量虐殺したことを例にして説明をした。自由は人に偉大な創作も可能にするし、英雄を作ることもあるが、人によっては自由によって怠け者になったり、自由を管理できず独裁国家を産出した南米諸国のようになったりする。韓国も学生デモで独裁政権を倒した後、無法状況になって自由を自己コントロールできず朴大統領の独裁政権を生み出した。そのような事情を教えてくれた本、20歳前後の私を感動させた本がErich Frommの Escape from Freedomである。それが若い時の私の精神的力になったことを思い出した。自由をコントロールできる市民を育成することこそ私の教育の原点であることを主張した。

指紋押捺反対運動者安商道氏

2005年12月21日 05時59分26秒 | エッセイ
 12月19日夜下関市に在住の指紋押捺反対運動者安商道氏宅を訪れた。彼は大正11年(1922)韓国慶尚南道咸安で生まれ、8歳の時小野田炭鉱で働くために父とともに来日したという方で、現在84歳大変お元気な方である。山口県在日朝鮮人の朝連、朝鮮人青年団、民団などの創立に力を入れてきた。1950年代には指紋反対運動を起こして懲役8ヶ月執行猶予2年を受け大坪刑務所にいた。それより彼は二回ほど危険なときがあったという。一つは原爆投下の直前に広島を離れたことと、もう一つは社会運動をする時共産主義者から殺される直前に弟に守られた。韓国で製紙用白土を発掘する仕事などをしたが成功しなかった。今は3人の息子家族と同じ建物の中で長男家族と生活する。彼は懐かしい写真を見せながら自分の波乱万丈の人生を語った。私は新年に出版する在日に関する著書に彼を紹介したいと思っている。

パチンコのギャンブル性

2005年12月19日 15時53分08秒 | エッセイ
 私が指導した学生が卒論で「パチンコのギャンブル性について」を書いた。私がパチンコのギャンブル性を否定的に指摘したら、彼が人生や結婚のギャンブル性について書いてきた。ギャンブルでほろびる人があるとしたら得する人もいる。
 先日、株事件で20億円も得した幸運な人がいる。つまり得した人がいれば、それで損をした人がいる。それが面白いということでギャンブルは存続する。
 実は私の人生もギャンブルであったかもしれない。若い時、私は定職をやめて日本に留学した。それで大きく損したことがあり、また大きく得した部分もある。人はそれを運命という。信仰を持っている人は神様によるものという。
 「損」と「得」についてどのように受け止めるか。「損」を「得」にすることが自分を磨くことであろう。

映画祭

2005年12月18日 08時10分42秒 | エッセイ
 昨夜下関海峡メッセで韓国映画祭の上映と上映を挟んで私が講演をさせていただいた。吹雪暴風の悪天候にもかかわらず100人近くの方々が集まった。今まで人口100万人都市でも4,50人の聴衆に講演したのが普通であったが、下関に来て文化行事に参加してみて人々が良く集まることに驚いている。これは歴史のある下関市に住んでいらっしゃる市民の方々の、文化に関する意識が高いことを意味するのであろう。
 私は冬のソナタが韓国・朝鮮文化へのイメージを変化させたことを前提にして、韓国の文化が古臭く感じられるが、チャングムの誓いにみられるような伝統文化に対する高い関心へとつながっている事を指摘した。日本の伝統文化が国際化していくことや、それぞれの文化が国際化する状況に関心を寄せるべきであろう。 
 講演後「恋する神父」を鑑賞した。日本人には韓国のキリスト教文化が異様に移ったであろう。韓国には伝統文化以外に西洋的な文化の要素を多く持っている。まだ残っている期間に韓国映画が多くの人に鑑賞されることを願っている。

キリスト教文化

2005年12月14日 06時52分26秒 | エッセイ
 先日ドイツオチリエンのカトリック教会に行って礼拝し、人々のキリスト教中心の生活をのぞいてみた。ほぼ家族ぐるみの200余人が礼拝し、教会の博物館、ギャラリーを観覧し、書店で聖書関係の本や聖具などを買い、食堂と喫茶店で昼をすませながら礼拝に参加した人々と付き合いもする。このようなキリスト教中心の信仰生活は日本に入っていない。
 日本では今、街道はクリスマス一色である。キリスト教の文化は流行っても教会には人が多く集まることはない。つまり表面的には西洋化されても、よりは本質的なキリスト教精神のうけいれはむずかしいようである。今の日本にはキリスト教的精神の西洋化が欲しいと思う。

4月の雪

2005年12月12日 07時54分29秒 | エッセイ
 韓国の映画「四月の雪」(原題:外出)を観覧した。不倫旅行中交通事故を起こした二人の配偶者たちの恋愛のストーリーである。テンポが遅いので、考えさせられる。この映画も冬のソナタと共通する点が多い。外出という題が「雪」、交通事故、ベヨンジュン出演、男の思いやりや優しさが一貫している。不倫からの夫婦喧嘩、秘密の発覚など緊張と喧嘩もなく、純粋にきれいに処理されているので美しく、綺麗に感ずる。ベッドシーンが2回あっても程度を守っている。韓国人と日本人の情緒は共通していると思った。人を泣かせることより、考えさせる映画であった。

イエスの誕生

2005年12月11日 21時41分27秒 | エッセイ
 久しぶりに小倉の韓国教会に出席した。クリスマスを前週の説教として処女マリアが神の霊力によってイエスを身ごもるという聖句に関するものであった。この聖句は現代の知識では非科学的だといわれるものである。しかし考えると科学的あるいはそれを超える考え方であることがわかる。イギリスの人類学者のリーチはポリネシアで人間は性交によるものではないという神話をもって、人間的には性関係によって子供ができると思うが、実はそうではなく、人は神によらずに素晴らしい生命を作れるはずではないと次元高い解釈をした。人類学者のリーチはむしろ神学者よりも神学的に解釈したと思いながら説教を聴いた。韓国語では子供の誕生を神が授ける(ジョンジ)という表現をする。人間の誕生を神秘的に見ている伝統的な信仰である。韓国の信仰心がキリスト教とも通じる。

海女のリャンさん 

2005年12月10日 07時32分18秒 | エッセイ
下関韓国映画祭初日の「海女のリャンさん」を鑑賞した。朝鮮通信使研究家、故辛基秀氏が39年前に梁義憲さん(1916年生まれ)の海女さんの生活を撮影したものを基礎に、現在大阪で一人で暮らしをしている彼女の記録映像を交えて、夫を支え、7人の子供たちを育ててきたことを撮ったものである。済州島の海女として日本各地の海で働く様子や、帰国船で北朝鮮に子供達を送り出す姿が印象的である。88歳の彼女が「死ぬ前の旅」と思いながら北朝鮮を訪問し、子どもたちと再会し、また53年ぶりに故郷の韓国済州島へ訪問し、母の墓参りをした。そして日本に行くとき捨てて行った娘に会い、謝罪の言葉の代わりに彼女は「自分を恨まず時代を恨みなさい」いった。そして時代を生き抜いてきた悲劇を運命として受け入れながら生きてきたと説明した。しかし彼女は本当は謝罪の心で泣いてしまった。観客も共にもらい泣きをた。劇映画でもないドキュメンタリーがなぜこんなに人を感動させるのだろうか。そこには悲劇と喜劇の要素がある。実は観客たちもみな悲劇と喜劇の主人公になれる要素を持っているから感動するのである。


ヨーロッパ鉄道旅行

2005年12月08日 07時02分40秒 | エッセイ
 今度のヨーロッパ旅行では電車や鉄道を多く利用した。多くの人と談話が出来、いろいろと考えた。日本と違って三つの点が違う。1)ほぼ国鉄であり、社内広告がほぼない。2)ドアが大体半自動か手動であり、日本に比して不便を感ずる。3)市内電車はほぼノーチェックシステムである。いくつかを除いて切符を持たなくても乗れる。ちょっぴり共産主義のように感じられ、また自分が責任を持つようなシステムであると思われる。切符を持たない人が多くなると経営が上手くいかないはずである。しかし不定期的に厳しいチェックと罰金によって管理できるという。ヨーロッパの鉄道専門家に聞いたが鉄道の地震対策はないという。韓国ではフランスの鉄道を導入した。中国も導入を考えている。地震のある中国がもしヨーロッパ式の鉄道をそのまま導入したりするとかなり不便を感ずるか、あるいはおおいに異文化を体験するであろう。

日本人は人の失敗を許せない

2005年12月06日 22時01分53秒 | エッセイ
 パリでの朝食の時、法政大学の田中優子教授との対話の中で日本人の発言が話題になった。彼女は自分をはじめ普通の日本人は会議などで発言を控えるといい、発言するとしても間違いがないかどうかと心配をするし、自分が発言した後もその発言したことが気になって次の人の話も聞けないという心理的な複雑さを語ってくれた。私はそれを聞いて私自身も発言の後、その内容などが気になることもあるが、その時、もっと発言したらよかったのにというチャンスをのがしてしまったことに気がとられるときが多いと話した。それを聞いた彼女は今度のパリ学会でもアメリカから来たBEFU先生と私崔が主導的に発言したのも、日本人とは違う実例であるといった。二人の対話をそばで聞いたアメリカ・サンフランシスコに40年以上住みながらコンサルタント業をしているというある紳士がアメリカや韓国では失敗を許すが日本人はなかなか人の失敗を許せないところがあるという話をされ、このテーマが文化論にまで拡張した。この話が無限に広がることを期待しながら残念ながら私は帰国のため空港へ向かった。

日本人の国際化

2005年12月05日 21時45分02秒 | エッセイ
 ドイツとフランスを回って帰ってきた。ドイツミュンヘンで韓国人の集まりがあってそこで聞いた話である。ドイツ人が世界で一番好きな民族は日本人であるという。それは日本人の非国際的ところにあるという。日本人はホテルに来ても静かに横見もせず、人に話を掛けることなく、静かに消えていく。それは確かに国際性が乏しいことに間違いない。しかしそのような日本人の性格のために日本人が好かれることは皮肉な感じさえある。それに比して韓国人は多少積極性がある。
日本人がより好かれることによって日本文化への関心が高まり、日本との友好関係や商売が盛んになるので日本人がより国際性があるといえる。非国際性が国際性に通じることであろう。