崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「種」の神秘力

2007年04月30日 06時18分45秒 | エッセイ
 昨日教会では「種」の神秘力が話題になった。中年の主婦のマリコ氏は聖書「マルコ」の種の話をもって子供向けのマリコ・メッセージを語った。彼女は花の咲いた鉢と種、花びらなどの実物を見せながら紙芝居をした。面白く、わかりやすく、しかも貴重なメッセージをキチンと伝えた。良い人材の揃った教会である。続いて説教と分級の時間に種の神秘について話し合った。マルコにはその種は神の御言葉とははっきり書いていないがペテロ1の4章には神の御言葉と書いてあり、それは神の力を意味すると私は関連性を指摘した。ほんとうにタバコやケシの種のような小さい種から生命力がでることは神秘的である。人間の種は子供。ある詩人は銭湯の中で親子が裸で並んで立っているのをみて親の種が落ちて種(子供)が立っているように観察し、松の種が落ちて、また小松が立っている自然現象にまで連想した。考えている人は神の存在を意識するようである。
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矢内原忠雄

2007年04月29日 06時01分22秒 | エッセイ
 もう一冊の近刊の編著『植民地における朝鮮・台湾』に矢内原忠雄について書いた。彼は「国家の理想」という文を雑誌に寄稿したことから戦前の名門である東京帝国大学を辞職せざる得なかった。そのときの文章を私は涙なくては読めないだろうと書いた。その校正文を読みながら、私自身がもう一度感動し涙ぐんだ。それは言論の自由がない時代の出来事であるが、それ自体に関するものではない。彼はキリスト信仰者として大学は世俗社会とは異なった象牙の塔だと思っていたのに、大学も世俗の標本のように感じ失望した。そんな彼が生存していたら今の大学をどのように見るだろうか。
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犬の遊びをみて

2007年04月28日 05時51分57秒 | エッセイ
 愛犬ミミはよく遊ぶ。遊び道具を咥えて走ったり、じゃれたりしているのを私はみて楽しむ。犬も年を取るとあまり遊ばず、それこそ「大人」しくなる。「遊び」は動物の楽しみの源元であると思われる。人間も同様である。スポーツは遊びを原動力としている。私は昔はスポーツを子供の遊びのように見ていた。それは偏見と無知であった。考えてみると仕事も遊びのように感ずるからである。私にとって研究は楽しい遊びのようなものでもある。スポーツが遊びと労働性を持っていることを理解するようになった。
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エレベーター鉄線破断

2007年04月27日 06時47分56秒 | エッセイ
 今朝の朝日新聞のトップの「エレベーター鉄線破断」という見出しが目を引く。私が韓国大邱に住んだとき市内のマンションのエレベーター鉄線破断によって子供がエレベーターの天頂に頭をぶつけて即死した事件があって驚いたことを思いだす。それ以来、日本でもエレベーターに乗ると手すりを握る。事件にはなっていないが、事故予防のために、このようにトップに出したということは新聞社の倫理観がしっかりしているということを意味する。ヨーロッパでは古いエスカレーターやエレベーターをよく使っている。新しく設置することより管理がしっかりしているということであり、日本でも管理により多くの努力をしてほしい。
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帝王学

2007年04月26日 06時00分26秒 | エッセイ
 先日ある人の息子のことでしばらく話をきいたことがある。そのこどもに私の意見を求めたので、親から見ると子供はいつになっても「こども」としか見えないかもしれないが、それではいけない。「リーダーシップを発揮させるために機会を与えないといつまでも子供で止まって成長しませんよ。と言い切った。彼は私の「帝王学」に賛成と頷いた。久しぶりに帝王学という言葉を聞いた。私は若い頃君主論(帝王学)のマキャベリズムに関心を持ったことがある。指導者はある程度独裁者になるべきだとも思ったことがあった。しかし今それを賛同するわけではない。ただなんでも上司だけを見て行動する人間を軽蔑する。イエス(yes)・マンはノ(no)ーである。
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私の講演録を読む

2007年04月25日 06時13分05秒 | エッセイ
 去年(2006)10月東京の法政大学で「韓国における親日・反日から考える」という題で講演したものを原稿用紙5枚分で要約したものが送られてきた。その講演録を読みながら講義をした。その内容は韓国の反日感情は戦後の作り物であるとして、その理由をあげて説明した。その三つの理由の一つを「日本の経済的繁栄が勧善懲悪という倫理観から見て容認しがたい」となっている。この文章では読者が理解しにくいと思う。それは日本が隣国を植民地化したのは悪いはずなのに、むしろ悪いほうが経済的に発展したことは韓国人の善=富の倫理観から日本の経済発展に対して矛盾を感ずるということを説明したものである。長い説明が必要な文章である。
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認知症者と電話

2007年04月24日 06時38分51秒 | エッセイ
戦前朝鮮半島の麗水に住んで引き上げてから横浜に住んでいるあるインフォーマントに電話をした。彼は長く付き合って引揚者に関する資料を多く送ってくれた私にとっていいインフォーマントである。丁度去年下関であった時は80歳を超えた高齢にしても元気であった。彼がまず私を覚えてくれない。前の住所は覚えているが私を認識してもらうために広島大学などを言って話ができても途中でまた「誰ですか」と4回言われた。そのたびそばで奥さんが言ってあげる声が聞こえてくる。私はショックと悲しさが追われてきた。誰も年をとる。私の先を見ている。若い人よ。あなたの将来を見てね。
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植民地期朝鮮半島への移住漁村に関する研究

2007年04月23日 05時10分17秒 | エッセイ
 日韓合併前後に日本から朝鮮半島へ移住し「広島村」「岡山村」「入佐村」など日本村を多く作った。1980年代末巨文島を中心に研究して以来、今年度から3年間文部科学省の助成費をいただいて再び調査研究することになった。題目は「朝鮮半島南部への移住漁村に関する研究」(代表崔吉城分担者8人)である。丁度同期間中「日本人の植民地研究」(代表山路勝彦)と重なって大変忙しくなる。それらをこなしていくことが楽しみでもある。
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下関韓国教育院長李永松氏の講演

2007年04月22日 06時24分12秒 | エッセイ
 昨日東亜大学の「下関学」の第一回講演が下関韓国教育院長李永松氏を迎えて行われた。演題は「下関における韓国語」で私が司会を務めた。彼は「冬のソナタ」以来の日本での韓国語ブーム、経済的な効果と影響、下関を中心とした人の往来、民族学校の経済的困難さ、日韓関係に下関発信への提言などがわかりやすく、実に面白く語った。質問の中にはアメリカにおける韓国人の銃殺事件をどう受け止めるかということもあって心痛かった。
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印刷ハプニング

2007年04月21日 05時51分44秒 | エッセイ
 近刊として毎日新聞に広告も出た拙著『樺太朝鮮人の悲劇』の印刷中に写真が間違ったことを出版社の村口社長が見つけて連絡があった。大変な印刷ハプニングであった。チェーホフの写真に魯迅の肖像画が入っていた。私が自分のファイルに間違って入れたことからの誤りである。緊急に入れ替えて作業が進むようになった。大きいな誤りがそのまま残ることを想像するとぞっとする。社長に感謝したい。
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銃撲滅運動

2007年04月20日 06時22分09秒 | エッセイ
銃撲滅運動をする人がいる。私は子供の時朝鮮戦争で捨てられた銃を拾って防空壕を乱射した子供の遊びをしたし、軍人の時には射撃訓練はもちろん実弾のあるピストルも所持したこともある。その時、不思議にも銃が私に非常に安心感を与えてくれた覚えがある。社会から銃を無くすだけではなく、世界的に武器をなくす運動も必要でろう。しかしそれは意味がない。実現することが出来ないからである。銃撲滅運動は偉いが、社会によっては銃を社会構造や慣習から完全になくすことはできない。それより銃を管理することが大事ではないか。今度の事件でアメリカは好戦的であって、銃を管理する能力が弱いことを意味する。早く管理体制を確立して欲しい。
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米銃乱射事件

2007年04月19日 06時15分21秒 | エッセイ
米バージニア工科大学で銃乱射事件をおこし、自殺した人はアメリカの永住権を持って韓国の国籍をもったチョ・スンヒ(23)と判明された。アメリカ社会の問題点が二つ浮上した。一つは銃を持つ問題である。国民が銃を持たないと暴力者だけが銃を持って個人や集団の防衛が出来ないという歴史的背景がある。しかし遊牧民族も銃を持つが、それほど治安の問題になっていない。アメリカ社会の問題として自覚しなければならない。ヨーロッパに比べてアメリカは能力主義は良いが治安が不安で、決して良い社会とは思えない。
 もう一つは韓国社会の問題である。韓国では英語志向、兵役逃れのために子供を早くからアメリカなど英語圏で教育させるために外国行きがブームにもなっている。子供と母は外国にいて父は単身赴任のように韓国に残っている状況を自慢する人があまりにも多い。英語が出来れば出世するという親心が問題児を作り出す。この事件はその面からもいろいろと考えさせられる。
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「寒春」

2007年04月18日 05時23分07秒 | エッセイ
 日本に来て春が短いと感ずる。冬から夏に、暖房から冷房に変わるのが毎年である。日本は四季の国としては春があまりにも短い。韓国は日本より春がはっきりしている。しかしこの春は長い。今日も下関で12度位だという。春というより暖冬(?)の続きといえる。気象に異変を感ずる。しかし、それよりはイラク、アメリカで自爆、銃殺事件、長崎では市長が殺される事件が起きた。社会が異変を起こしている。人間性には平和と戦争のアンビバレント(両性)が存在するという。平和への心の教育が強められることを願っている。
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2007年04月17日 06時15分38秒 | エッセイ
 大学4年生になった学生のメールで「暇が多くなった」と書いてあった。それは低学年の時と比べて受講すべき講義が少なったことである。仕事に追われている人にとって暇は楽しい時間である。しかしすることのないような人に暇は寂しいものである。時には時間があり過ぎて人生が空しく感ずる時もある。それを克服するような契機に新しく何かをしようとする意欲が蘇ってくる。ただ疲れて休んで正常に戻るのが日常生活であル。「暇」から創造力が出る。「暇」に負けた怠け者とは異なって、創造的人間になっていく人もいる。私はこの4年生の暇の言葉から創造的な可能性を感じた。
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えごま油と干し明太

2007年04月16日 05時35分45秒 | エッセイ
 韓国の大学に勤めている弟子の金弼東氏から愛情のこもったえごま油(法油)と干し明太が届いた。私は彼の学部時代と博士課程の指導教官であって、今韓国日本学界で日本通としてテレビなどでも活躍する弟子である。私が調理にはよくえごま油を使うことを知っている。たら(鱈)は韓国の東海で良く捕れる魚として朝鮮民族の象徴的なものである。名前も色々ある。凍太(凍った)、明太(干した)、黄太(干した)、北魚(朝鮮半島の北部で捕れる)などである。数年前北朝鮮を訪問した時に北朝鮮の代表的な特産物であるという印象を受けた。今度送ってくれたのは北朝鮮産で韓国で加工したものである。日本では北朝鮮の品物が禁じられているので特に珍しく感ずる。
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