今日の読書会では終戦引揚者たちのインタビューと記録に関して研究をしている倉光誠氏が川嶋擁子氏作「竹林はるか遠く」について発表した。この小説は証言集か、文学作品か、あるいは両方としても読めるか。詳しくは戦後の混乱期の記録、戦争文学(引揚)、植民地と被植民地、日韓関係、児童文学などさまざまな視野から読めるといえる。大きくはノンフィクションとフィクションの二大のジャンルから読めるということになる。今日は作品以外の背景とか歴史認識などとのことは一切排除して作品そのものに絞って考えた。したがってこの作品をきちんと読んだ倉光氏と私以外に河村氏、鍬野氏の感想から話を始めた。その小説が評価される魅力は何だろう。11歳の少女の体験談に基づく作品であり、それは母親と二人の娘が逆境を生き抜いきた体験、特に母親の子供への愛情に感動する。それがアメリカで評価され中学校の推薦図書になったのであろう。
この著者がバッシングを受けた点にも注目した。倉光氏は引揚証言書として羅南と元山という地名と1945年7月30日と8月16日という時点を中心に背景を調べた。ノンフィクション専門作家であれば、新聞などの記録を参考にして記憶を事実に合わせ正してストリー風に操作したはずである。しかしこの小説はそれがなされずただ11歳の少女の記憶に依っており、曖昧さがある。それが「嘘」「竹林」「731部隊」などと非難攻撃されたのであろう。その一つの例として飛行機からの爆撃があったという記述に対して韓国側からは「爆撃はなかった、嘘だ」などと非難された。倉光氏は1944年統計によると在朝日本人の総人口712.583人の道別統計で咸鏡北道の日本人比率が一番高い6.6%、羅南の朝鮮軍管区に19.270人の軍人やそれに関わる日本人がおり、最多であったのでその地域が軍事戦略的に攻撃された可能性が高いこと、森田芳夫著『朝鮮終戦の記録』から「爆撃があった」事実を明らかにした。そして「ある程度の客観性をそなえた文学の形をとった体験記」と語った。
朝鮮民族の男の性暴行については他の多くの証言集からも私は確認できるものであると言った。これがアメリカの中学生の反感により始まってその波紋が韓国の領事館やマスメディアによって日韓関係を損なうことまで至り、逆効果によりこの本が多く売れる、さらに日本では無名の作家を有名作家にすることになった。この本が非難された発端は文学作品として読む読解力があったのか否か、おそらく後者であっただろうと私は思う。情報があふれる時代の風潮であり、思考力の低下、あまりも「アバウトな読み」からのことであろう。
この著者がバッシングを受けた点にも注目した。倉光氏は引揚証言書として羅南と元山という地名と1945年7月30日と8月16日という時点を中心に背景を調べた。ノンフィクション専門作家であれば、新聞などの記録を参考にして記憶を事実に合わせ正してストリー風に操作したはずである。しかしこの小説はそれがなされずただ11歳の少女の記憶に依っており、曖昧さがある。それが「嘘」「竹林」「731部隊」などと非難攻撃されたのであろう。その一つの例として飛行機からの爆撃があったという記述に対して韓国側からは「爆撃はなかった、嘘だ」などと非難された。倉光氏は1944年統計によると在朝日本人の総人口712.583人の道別統計で咸鏡北道の日本人比率が一番高い6.6%、羅南の朝鮮軍管区に19.270人の軍人やそれに関わる日本人がおり、最多であったのでその地域が軍事戦略的に攻撃された可能性が高いこと、森田芳夫著『朝鮮終戦の記録』から「爆撃があった」事実を明らかにした。そして「ある程度の客観性をそなえた文学の形をとった体験記」と語った。
朝鮮民族の男の性暴行については他の多くの証言集からも私は確認できるものであると言った。これがアメリカの中学生の反感により始まってその波紋が韓国の領事館やマスメディアによって日韓関係を損なうことまで至り、逆効果によりこの本が多く売れる、さらに日本では無名の作家を有名作家にすることになった。この本が非難された発端は文学作品として読む読解力があったのか否か、おそらく後者であっただろうと私は思う。情報があふれる時代の風潮であり、思考力の低下、あまりも「アバウトな読み」からのことであろう。