崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

緊張している日韓関係

2012年08月31日 05時41分01秒 | エッセイ
読売新聞、毎日新聞、西日本新聞など全国誌に第一書房から私の著書編著の『植民地の朝鮮と台湾』『差別を生きる在日朝鮮人』『樺太・朝鮮人の悲劇』の広告が載った。広島大学在職の時の出版物であり、新しく広告が出たので社長にお礼の電話をかけた。彼は言う。全国誌や地方紙に広告を載せるのにおいて、たった一つのある地方紙の編集局から「この時期にその内容の本の広告を載せるのは」と、拒まれたという。時期を表す意外な話である。いま日韓関係が国民よりマスメディアがより敏感であると感じた。一方今朝の「毎日新聞」(下関版)に「楽しい韓国文化論」が「韓国の生活文化学ぼう」という見出しで詳しく記事として紹介された。緊張している日韓関係の中でそれを避けるか、積極的に解決しようかの態度の対照がうかがえる。消極的か積極的かの対照であろう。
 

ドナルド・キーン

2012年08月30日 03時45分35秒 | エッセイ
 土曜日のあさ7:30からの「さわこの朝」に日本に帰化した文学者のドナルド・キーンさんが登場した。履歴的な話は知っているので彼の生の話を多く聞くことができたのよかった。彼は「日本は他の国ほど悪くない」と言いながら日本では「最高ではなければ最低だと言っている人がいる」と言った。「日本くらい安定した国はない」とも言った。私は大いに同感した。以前本欄で私は啓明大学校での講演、「東洋経済日報」への寄稿文で「日本はまだ先進国である」と書いたように私も「日本は他の国に比べて悪くない」と思う。下関を例にしてみると花火大会など大小の祭りなど行事が多いが、そのたびに多くの観光客が来る。また有料の懇親会にも良く人が集まる。遠くから来る人もいる。交通費や物価の高い国、年金生活者が多い国で文化活動にこれほど人が参加していることはやはり「日本は豊かな国」である。私はその旨をまとめて『日本文化論:私の視覚』を準備中である。
 先日韓国旅行の時、釜山観光地一番と言われる海雲台に3,11の地震以来、日本人が多く移り住むようになったという情報を聞いて確かめるためにまる一日を消耗した。専門業者に聞くと現地妻や親族名義などでセカンドハウス的、別荘のようなものが主であることを知った。マレー半島などで年金生活をしていた日本人高齢者たちが冷房によって体調を崩したりしてから日本と気候が似ている釜山に引き上げるように移り住む人がいるという。韓国が日本を非難する中、日本を知っている人が日本に住みたいといわれたので私の頭は混乱してしまう。どこの国がよいとかというより、その場でポジティブに生きるのが幸せの近道であろう。

日韓関係の悪い時こそ日韓親善

2012年08月29日 05時05分14秒 | エッセイ
政治的に日韓関係が非常に悪くなっている。8月10日李明博大統領が「韓国領」の石碑に身軽く上がった明白に「軽薄」な行為が一気に日韓関係を悪くした。信頼を得るためには積み重ねる長い時間がかかるが信頼を失うことは一瞬であることを知ってほしい。台風15号で朝鮮海峡が酷く荒れている中トータルビューティ学科の学生や教員10人が夜遅く 関釜フェリで出発すると連絡が来てホッとした。
 山口県日韓親善協会連合会と東亜大学東アジア文化研究所が共催し、9月1日から始まる「楽しい韓国文化論」講座の打ち合わせを行った。この日韓関係の悪い時こそ日韓親善の行事が必要と思った。私は最初回で3のキーワードを足すことにした。つまり私の長い間の韓国の民間信仰の研究を背景に韓国文化の乱気、気絶、トランスなどを指す난장판, 기가 막히다, 신난다の韓国語を持ち出して日本人の講師の奈良氏に(写真の中央)日本語では当たる言葉の修羅場、騒乱騒ぎ、恍惚などを探してもらう、そして皆で議論するなどゼミ式で進行するのはいかがであろうか。私は軍隊、食文化なども担当するつもりである。講座の最後には一緒に韓国旅行をする。これを仲間、友人作りの機会にしてほしい。
 

「解放記念日」と「光復節」(「東洋経済日報」2012.8.24連載寄稿)

2012年08月28日 05時35分16秒 | エッセイ
「解放記念日」と「光復節」

夏休みの学生不在のキャンパスで空虚感を感ずる。学生や教職員たちはどこで何をしているのだろうか。休みを韓国語ではノルダ、ノリ「遊び」という。遊びに出かけるのだろうか。日本では「お休み」は「眠る」ことも意味する。昼寝ばかりするのだろうか。里帰りなどで解放感を満喫するだろう。中には休み期間中創意的な創作をする人もいるだろう。
一般的には休みとは正規的な仕事から解放されることを指す。バカンスやノリは仕事から解放された上に楽しい遊びをするという積極的な意味がある。この解放と自由は人間を幸せにする。解放は民族や国家の幸運にもなる。1945年8月15日は、韓半島が日本植民地から解放された「解放記念日」である。そして4年弱の期間、その日が「解放記念日」であった。1949年10月国慶日制定の時にその「解放記念日」が「光復節」となった。解放記念日となっている国家は多い。解放とは束縛から解放か釈放され、自由となるという消極的な意味もあるが、より積極的な深い意味もある。記念日はさて置いて「解放」の意味を改めて考えてみたい。
日韓両国では不幸な歴史を持っている。日本は挑戦して敗戦した。侵略と植民地、戦争と原爆、ポツダム条約の受け入れ、連合軍に敗戦した。その歴史は片方だけが持つ訳ではない。大混乱な戦後、韓国では朝鮮戦争が勃発し、日本は経済発展を遂げた。その近い歴史は日本と朝鮮半島に今も残っている。両方とも懺悔すべき、その負の遺産から完全に解放されるべきである。
目下日韓における一連の出来ことから植民地史を新しく想起せざるを得ない。終戦や終結によって植民地史は突然消えるものではない。戦後処理など、物心とも引き続くのである。政治的・軍事的に植民地は終わっても両方とも完全に解放されない状態をポストコロニアルという。韓国は戦後処理をしたとしてもまだ怨念のしこりを持っている。それは支配してきた側や支配された側の不均等な関係から解除され平等化されなければならない。それは女性解放運動のように男女差別からの男女平等化と自由を意味する。解放は日韓両国の解放と自由を指す。仏教的に言うと解脱していく基礎になるのである。
負の遺産に縛られた人間はそこから解放された自由な人間とは言えない。未来志向を目指すと宣言してもいつの間にか敵対関係に変わることがある。平素良い関係から時々難しくなると植民地史のカードを出す場合が多い。それは相手があるから自然のように言われるが、自分の生き方をキチンと確立することによって相手にあまり左右されないように国家も巍然とした自立した態度を持つべきである。人によっては恨みを払うために生きる。それは一時的には活力を持つかもしれないが、深みのある、より永久に生きる姿勢とは言えない。日韓関係にはまだ危険性がある。しかし一般民衆が友好の堅い基盤を築いている限り安定していくだろう。

「乱場ナンジャン」

2012年08月27日 05時36分28秒 | エッセイ
下関・釜山ふれあいステージ「日韓文化交流公演2012」を観覧した。日韓のチームの「馬関騎兵隊」と「韓国伝統音楽」が交差するように進行され日韓文化の対比が明らかにした。日韓の政治家たちのいがみ合いとは対照的に日韓が仲良く友好を深めていきましょうと、日本語と韓国語での紹介、特に釜山外語大学生は韓国語より日本語の方が上手く面白く、いかに日本語を練習したかが伝わってきた。全体ではリズミカルな音楽と踊りが主であった。
 最後の伝統的な楽器の横笛、縦笛、胡弓、杖鼓と現代楽器のコラボレーションはそれぞれ名演奏ではあったがドラムが終始強くリード、ハーモニーより総合騒音化した印象であったのが残念であった。
 韓国の伝統音楽ではただの騒音ではなく乱場ナンジャンとうクライマックスにいたらなければならない。イントロ、口承、音律、踊りなどに楽器は伴奏とし、次第に楽器たちの調和音楽、その調和を破り壊して騒音のような激しい轟音や踊りに昇華し「乱場パン」になるのが音楽文化である。昨日の韓国伝統音楽は最初から乱場だけを強調されたあまり、観客がそれに乗るのではなく、騒音のように感じたのである。日本人は韓国音楽はうるさいという印象を越えて、「乱場ナンジャン」が鑑賞できるようになればと期待する。

三羽烏の鼎談

2012年08月26日 04時56分29秒 | エッセイ
下関へ移り住み間もない時から北九州小倉の建築家大久保裕文氏と文学者朴仙容氏と出会い、以前私がこの三人の集いを「三羽烏」とか「梁山伯」と命名したことがある。昨日、お二人と拙宅にて長く放談した。二人ともほぼ毎日本欄を愛読してくれるので私の近況は知っているので、世相に関する放談が主であった。小倉と下関は近隣都市であっても小倉には下関に関する情報は全くなく、精々本欄が主な情報源とも言われた。大久保氏の娘のラグビーの女性レフリーと奥さんの琴演奏家の活躍ぶりを伺えた。朴氏は「兄弟の江」の訳者、日韓関係と出版事情に触れながら目下日韓関係がぎくしゃくしているが過去の例から見ても平穏になると信じていた。私も大いに賛同した。二人の勧めによりエッセイ集を出版したこと、研究所設立など刺激と応援に励まされたことが多い。今度のエッセー集も文章など協力してもらおうかと思ったが、忙しい二人に失礼と思い控えた。
 記念写真を撮ろうと思ったが失機。放談中に大久保氏が窓から門司方向に向いてあっという間のように2-3分でスケッチをしたが、見せてくれずしまったのが残念だと思ったがその直後家に帰り色鉛筆で少し着色をして送ってくれた。彼は建築家、民俗学、芸術まで多才。私も何度か描いてみたが上手くできず断念していたが、彼が描いた風景を見て、嬉しく、自慢する気持ちでここに公開する。読者と一緒に鑑賞したい。また孔子の言葉、「学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎」。

「尖閣無人島」

2012年08月25日 05時19分45秒 | エッセイ
昨日の国会中継では日本の領土問題が集中して議論された。日韓両国は歴史的な証明なる資料を提示しているが何より重要なのは、国境とは近代国家の生成と関連、つまり条約を踏まえるのが大事である。歴史認識と国境問題は別である。韓国側の主張も検討されるなど効果的な討議であった。条約より実行支配が優先される。皮肉に言うと「法より武力」が優先されるのが人類史の正論(?)のようなものである。多くの戦争や植民地がそうであった。イギリスが香港を中国へ返還したことは異例の紳士協定移行であろう。イスラエルのように占領地をなかなか手放さないこと、世界最大国のロシアが地図上点のような北方領土を離さないのは近代国家の構造である。
 日本が尖閣島々を実行支配しているということはなにより有利である。終戦直後に敗戦国としても日本は竹島は実行支配せず、李ラインになってしまった。昨日自民党や公明党の議員からその「尖閣無人島」問題を挙論したことに新鮮さを感じた。領土問題を重要視するのは国会内であり、東京内であり、文上であり、ただ海域線を引くための欲張りしかないように受け取られる。そのように重要な領土であれば人が住むような環境整備などをするのは当然であろう。国会議論は机上の空論にならないようにするのが大事である。「実行支配」とは領土として認識が必要である。北極や南極の氷河、また近い山もそのままの自然では「地球」globeではあっても「世界」worldとは言えない。領土を主張する前に関心と認識を拡大すべきであろう。

沖縄の弟子から

2012年08月24日 04時51分00秒 | エッセイ
数年ぶりに沖縄の喜屋武君から電話が来た。彼は10年ほど前広島大学学部時代の私のゼミ学生であった。地元の新聞社に勤めている。数年前下関にも訪ねて来たし、私が沖縄を訪ねたときに会った。新聞社社会部の記者と結婚して子供が生まれた時にはお祝いを送った覚えがある。「元気かい、子供は大きくなったの、奥さんも元気なの」と、普通の親子関係のように通話。「奥さんも元気なの」という普通の会話が途切れた。彼は言った。「今その人の告別式が終わったばかりです」と。癌と闘病2年半で亡くなったということである。冥福を祈り、子供の養育などの心配の言葉が続き、通話は終わった。昔は卒業生たちが結婚、子供の誕生などの知らせが多かったが、彼の奥さんの死亡の知らせはあまりにも早かったが、死亡のニュースが入るほど私も歳をとったのである。私の師弟関係も古くなったのである。先日ある古い弟子から私の死後処理に関する質問があって、何にも答えられなかった。私には加齢に伴う死が自然現象だという真理がまだ受け入れられていないのではないか、反省中である。

孟子三楽

2012年08月23日 04時33分31秒 | エッセイ
韓国旅行で読めなかった4個の新聞の数日分を読んだ。中に毎日新聞の下関月曜版に「支局長評論」に下関人の徐満洙氏訳『樺太・瑞穂村の悲劇』の紹介と私のコメントに触れられていた。光栄と感謝である。地方新聞や在日韓国朝鮮系の新聞などにも報道されなかったが、このように触れられていることからニュース源に視線を与えるにも価値観の激差があるように感じた。朝出勤して東アジア文化研究所で整理中、学長がお茶を持って来てくださり研究所の前に新しく所長室が用意されていると知らせてくれた。書棚や机を飾るなど喜びと感謝であった。研究所を紹介する寄稿文も書くことになったので机に座ってみた。
 その後ロンドン在住のDUNBAR(Yumi)氏夫婦が来室した。夫のジェームズはイギリス人の青年、Leeds Universityで日本語を学んだ人、ユミは10年ほど前広島大学大学院での教え子、10年ぶりの邂逅に私は懐かしく楽しかった。生活や研究などの楽しい話で3時間も過ぎていた。別れの挨拶には笑いながら「ロンドンで会いましょう」と言ったが、今は行く予定はなくとも私の好きな国、友人や弟子がいる国へ行き、楽しい時間を過ごしたいという夢を託した言葉であった。孟子の言葉「天下の英才を得て、之を教育する」のが三楽の一つである。 

「日本に住みたい」

2012年08月22日 05時43分41秒 | エッセイ
日韓関係の緊張している中、韓国釜山市立近代歴史博物館をゆっくり観覧した。韓国唯一の日本植民地を展示しているところだが数回目の観覧になる。日本人の若い女性も観覧していた。私は映像やナレーションも慎重に聞いた。入り口のKBSLIVEで「独島(竹島)の今」を固定中継画像を見せている。今の日韓関係の緊張の表れである。植民地史を充実に展示しながら表題やナレーションなどでは日本の「強制占拠」「収奪」などの言葉で説明されている。映像では写真と実物の証言を合わせて「挺身隊」「従軍慰安婦」に関して物語る。ボランティアの案内者の柳氏(1933年生)とは面識があり、親切に説明してくれた。この博物館の展示を観覧しながらイギリスのブリストルの植民地博物館を思い出し、これらの博物館は事実を客観的に展示するという趣旨とは異なる印象を受けた。博物館とは多く帝国主義の宣伝道具であったことを考える、それを前提にしてみるべきであるとは思っても違和感を感じた。
 ビートル船で福岡に帰国したが客はほぼ日本人であった。着いた船着き場を歩きながら欄干や歩道、建物、水道の蛇口などが新鮮に感じた。タクシーにのり清潔感と親切さが韓国より優雅だと感じた。日本が変わらなければいけないと散々聞かされてきたがある程度「日本はまだ先進国である」と以前に書いたとおりである。日本を知っている人が「日本に住みたい」という気持ちが分かった。

一般人は冷淡である

2012年08月21日 05時55分52秒 | エッセイ
馬山のフグ通りでフグちりの贅沢な朝食。釜山へ出発前、1か月ほど前の約束でホテルに迎えに来るという約束は失約され、その高校まで訪ねて行ったが約束した人は留守であった。相手が約束を守れなくとも私は守ったという不快な勝利感、その約束は単なる挨拶の言葉であったのであろうか。
張教授は日本研究者として運転しながら目下竹島などの一連の問題より韓国で日本への関心が低下していく憂いを繰り返して語った。韓国ではミスがあっても修正をしながら活発に発展するのに日本は個人情報保護とか伝統や因習に縛られて内向的に、また閉鎖的な態度をとり世界からの日本への関心が薄れていくと心配している。彼の意見は他の日本語学科の教授たちと会って話題になっても大体一致する見解であった。
 韓国では教育が国家発展の最大の武器や道具とされ、大学は就職率優先政策をとっている。教員には研究者や教育者より就職訓練者のようになったという不満が充満して、むしろ日本を理想モデルと思い、老後は日本で暮らしたいと言っていた。
韓国は人口5千万の1割が外国人であり、多民族国家になっていくが、日本はまだ閉鎖的であり、少子化高齢化政策をとっている。それは子供を生むような生物学的な政策に過ぎない。その政策は再検討すべきであろう。優秀な頭脳の受け入れ、移民を受け入れるか、あるいは「老人天国の理想郷」を目指すか、国家ビジョンを検討すべきである。
韓国のメディアでは韓国が日本を困らせたようになっているが、それはマスメディアのこと、一般人は冷淡である。むしろ日本がナショナリズム化していくのはないかを問われた。韓国ではもうmade in Japan日本の商品崇拝のような時代が遠く去っていったのが現実である。
現在の日本のこのような状況を全部少子化高齢化に回してはいけない。私は大きく戦後の政治家たちに責任があると思う。多くの世襲議員、50年以上の一党支配の仕組みで政治は安定しながら沈んでいったと思うからである。今変革しなければ「最低が最高」という意識が定着するかもしれないと苦言したい。
夕食は朝鮮戦争後貧困層が米軍が食べ残したものをスープにして食べたところから始まった料理の「部隊チゲ」を初めて食べた。教え子たちに御馳走になった。(写真)

教え子から教えてもらっている

2012年08月20日 03時46分42秒 | エッセイ
日韓関係が竹島問題でギクシャクする中での韓国旅行である。関釜フェリで船酔い防止の薬を飲んで朦朧状態で昨朝釜山港に到着した。山口日韓親善協会主催の韓国文化体験研修に自費で同行して激励と感謝を表したい気持ちの同行であった。しかし韓国の主催側からは私と同行者の二人が邪魔であり、厄介者であるようで困った。することや寝るところもない空虚な状況になり、慶南大学校の昔教え子の張竜傑教授にSOS、緊急来てもらって大学間交流も昌信大学から慶南大学校へ切り替えざるを得なく、研修団とは別行動をとるしかなかった。そして私に同行してくれた初韓国旅行の西嶋記者には申し訳なく、私の調査旅行のようにして、日本植民地時代の海軍訓練所であって現在韓国海軍司令本部、桜道などを山頂からも見下ろした。また馬山市内に残っている日本時代の神社の参道の遺跡、現在第一女子中学校を見回った。(写真上)
 コーヒーショップでは張竜傑教授から韓国の竹島問題など韓国側の動向に関する話を聞いた。韓国では大統領の上陸行動に賛成一方ではなく、国民はかなり冷静に見ていること、それに反して日本側が大げさな反応をしているのではないか。増税など日本の内政問題を払拭しようとするのではないかとの意見であった。日韓関係は民衆の力によって安定していることを実感した。また中国には寛大な日本が韓国へは高姿勢をとる日本的な外交政策ではないかとも言っていた。夕食は張氏夫人と末娘が参加し、和気あいあいの時間、御馳走になった。(写真下)無駄な旅行から調査旅行へ逆転して第一日を終えホッとした。今日も張教授の長距離運転と案内で世話になる予定である。長い間の信頼関係なしでは日韓親善はなかなか進まない。その真理を教え子から教えてもらっている。

水をやった

2012年08月18日 11時57分15秒 | エッセイ
 これから韓国へ出発、1週間大学が完全閉鎖のために植木に水をやることができなかったので研究室によって水をたっぷりやってきた。パチンコママが車に赤ちゃんを置いて殺したことが気になり、水をやれなかったことに罪意識のような気持ちになったが、パキラは元気であった。10年以上育てて、天井戸を指すように伸び、葉は広く、茂っている。一本の鉢に水をやるのが大げさにな善行をしたように言っているといわれるかもしれないが、実は命の成熟への関心と言える。
 日韓関係がまたギクシャクしている中に韓国・馬山の昌信大学校へ山口県日韓親善協会主催の韓国文化体験講座に30余名のグループと同行することになった。そこに同行して激励するが主目的である。参加者からはこの時期に韓国旅行を心配する人もいる。永い間繰り返してこのような状況が起きたことを知っている私はただ<大丈夫>と言って安心させた。今の韓国の状況を直に感じてくるつもりである。

『危険な韓日関係:親日と反日』

2012年08月18日 05時19分25秒 | エッセイ
2004年出版社の社長である友人と『危険な韓日関係:親日と反日』(최길성, 『위험한 한일 관계 친일과 반일』, 다락원, 2004)という本の題名を決める時、彼はこれから国際化時代に<危険な韓日関係>は相応しくないのではないかということで議論した。ただ私は日韓においては危険的な要素が常に存在していること、いつ危機状況になるかわからない不思議な日韓関係であることを予言して、私の意見が尊重され本の題名が決まったのである。その後十余年日韓関係は良くなってきたが、彼もこの世を去っており、本は絶版となっている。今になって拙著の予言が不幸にも当たっている。平穏な友好関係に突然オリンピック選手の<独島は我が領土>、<李明博の独島上陸>で一気に悪化してしまっている。
 <隣人を愛せよ、果てしなく愛せよ>という金言を投げ捨て、匕首を刺すのが国境問題であろう。日本は今尖閣、竹島などで守勢困難な状況である。それは帝国主義により国境を拡大、サンフランシスコ条約などの文書を金科玉条とし、その地域、辺境地を実際管理しなかった政治に問題があるだろう。規制や古文書を大事にして現実を軽くしてきた責任もあるだろう。ある評論家は軍隊を持っていない日本と中国や韓国とはバランスオブパワー(balance of power)が崩れているのが問題だと言う。米軍やオスプレーを綺麗に追い出して軍隊ゼロの平和な国の理想郷、それこそ日本にとって危険な国になるかもしれない。

親日と反日

2012年08月17日 04時42分20秒 | エッセイ
 親日的と言われた李大統領が突然竹島に上陸し、8.15記念演説などでは反日的発言によって日韓関係が冷えていく。私は韓国語で『친일과 반일(親日と反日)』を、日本語で『親日と反日の文化人類学』を出した。その大義は親日と反日の「日」は日本であるが、実は日本向けではなく、国内用であると主張した。防衛省の森本大臣が李大統領の竹島上陸を「内政の要請によるもの」と言ったのも一理ある。皮肉を言うと言葉通り、韓国では「独島上陸」であり、竹島上陸ではないと言える。天皇に対する発言も「日王」に対したもの、従軍慰安婦の問題も「挺身隊」に対するものであるといえる。韓国では日本の天皇を日本の王「日王」という。30年ほど前に初めて朝鮮日報に「日王」と表記した時私は大邱・毎日新聞に天皇を王と表記するのは間違いだと論説を寄稿したことがある。また挺身隊と従軍慰安婦とは異なるとも主張した。韓国では日本の言葉とは違ったものが常識化している。それは日本とは関係が薄く韓国内の状況によるものであるからである。
 その韓国産ナショナリズムが日本に直接ぶつかったのが竹島上陸であり、問題になっている。「一度行ってみたかった」という旅心は誰でも持っている。任期中行ってみたい火遊びのようなものであろう。人気最低、任期末期にイデオロギーナショナリズムを利用するというのはあまりも危険である。朴大統領の改革ナショナリズムより危険である。折角友好関係が安定しているのにそれを破壊することは大統領として「恥」であろう。早く平穏に戻るよう願う。指導者を選ぶとき何より人格が重要であることを痛感する。