崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

志村けんさんの死去

2020年03月31日 07時05分49秒 | 日記

志村けんさんの死去に驚いた。日本の医療レベルに私が如何に過信していたか。私よりずいぶん若く元気な方であり、意外な死でなあり残念である。多くの哀悼のコメントがでている。なかに小池百合子氏が人の死を以て「その功績、最後の功績も大変大きい」というコメントには不快感がある。その考え方、儀礼、教養などからも不適切である。私は彼女の豊洲問題への偏執性などを覚えているからかもしれないが、志村氏の死去を犠牲、殉死のような解釈的なコメントには強く違和感を感じた。心から死者本人を考える成熟した人になっていくべきであろう。


信頼されない

2020年03月30日 06時45分21秒 | エッセイ

 スズメに近づこうとしても警戒されている。仲良くなりたいがなかなか警戒されて惜しい。スズメは人類史と同じくらい長く近く人類と共に生きた鳥でありながら信頼されない。「焼き鳥」文化の歴史があるからであろう。親しく、信頼されるのは難しい。韓国は日本を信頼しない。長い傷痕がある。それでも正直な日本となっているが森友・桜などで嘘があり、信用性を失い、信頼されない。韓国ではで日本がコロナウィルス感染者数を隠しているとメディアが宣伝する。信頼されない。信頼されるには積み重なる努力が必要である。しかし一瞬で無くなる。以前、信頼と尊敬されたある牧師が退職金の説教で信徒の信頼を全てを失ったことも知っている。信頼は作るものではない。ただその生き方に伴うものに過ぎない。


美化と高級化

2020年03月29日 05時54分18秒 | エッセイ

 下関大丸百貨店が大丸松坂屋として全館改装された。人口減少や高齢化が進み、さらにコロナ委縮期にも関わらずキャッシャーにはお客さんが多く並んでいた。東京からは遠隔地、古くは日本の国境の港町であったこの地の消費文化を見る気持ちで、買い物をするお客さんからは離れて見回った。
 それぞれ店が並んだような区域感がなくなり、各階層が一つの空間になり顧客がフリーに商品に接しやすくなっている。商品の展示からより近くで実物を実感するようになっている。商品の高級化と美化、展示では人の動線とデザインが大きく変わった。美化と高級化、実用化、どう維持していくかは市民の文化意識と経済力であろう。


サボテン

2020年03月28日 06時20分51秒 | 旅行

 下関に住んでから、しかも暖冬の今年は冬がない。「日本には冬がない」と1763-4年の朝鮮通信使の日記者は数回、記している。関門海峡を湖のようであるとも書いてある。「市報しものせき」に「しものせきをよりよくする会」の会長の下村氏(写真中央)とメンバーが集まって討議したとのこと、東亜大学の韓国からの留学生の白君(左から3番目)も参加した。昨日は室内からベランダへ鉢物を出した。サボテンは室内の隅で目立たない。
 通信使の金仁謙氏は日本で異様な植物に次のように書いていた。

 仙人掌という植物の姿形が奇異である。木に非ず草に非ず花でもなく葉でもない。牛の舌のような形をし、その色は青く肉厚で両面には小さな刺が無数に生えている。今年出たものの上に来年さらに二つ三つと増え年を重ねると、樹木のようになるとか何とも怪異なものである。(三月二十日吉原)


日韓コロナ

2020年03月27日 06時42分16秒 | エッセイ

  韓国の知人・日本通たちの投稿では新型コロナ対策に韓国が成功して文大統領の支持率は前週より3.2ポイント上昇して52.5%であると書かれている。そして日本を非難する言葉が多い。単純に比較しても日本より死者が多く、経済政策の悪影響の憂いがあるのにどういうことだろうか。昨日読書会のメンバーの一人が風邪気味で休んでおり、心配である。統計などに詳しい古本氏にその見解を求めた。彼は結局日本方式を受け入れている韓国だという。死者だけ比較すると日本は1億2000万人口で45人、韓国は人口5000万に131人と報道されている。これをどう考えるのか。ただ日韓敵対世論、無知蒙昧な世論のなのだろうか。


「ダブル延期」

2020年03月26日 05時48分19秒 | 日記

火の山の花苑を見てきた。花の個性がなく、花模様のカーペットが山と海に繋がって視野に入ってきた。桜はまだ、別味の美しい景色が広がる。通信使の日記者が見て感嘆した日本の景色、サボテンに異様な視線、この景色は数百年前とそれほど変わらない。
 築地市場の豊洲へ移設延期騒ぎでイメージが悪くなり、メディアであまりクローズアップされなかったがオリンピック延期でまた小池都都知事がクローズアップ されている。「ダブル延期」のイメージが強い。さらに感染者最多の41人で「オーバーシュート」危険から選挙へ繋がるのだろうか。


名前はチェ

2020年03月25日 05時36分17秒 | 日記

昨日、歯が痛くて歯科に行って1時間待ってようやく診てもらった。いつも目を閉じているので10余年ほどお世話になっている常連患者なのに、高齢になっておられる医師の顔は外で出会っても解らないかも知れない。治療は丁寧で長くかかった。私の保健証の名前はチェであるのでそこでは外国人と思われるようであり、家内は通訳を兼ねて横に座っている。私は本当に幸せな人だと思う時でもある。その治療、会計が終った時、医師の助手をしていた女性が声を掛けてくれた。10年ほど前に高校卒でここに勤務して、また戻ってきて、またお会いできて嬉しいという。こちらも嬉しく、初めて崔吉城という名刺を出しきちんと挨拶ができた。私たちを記憶していてくれたこと、声を掛けていただいて嬉しく幸せな時であった。


韓国から日本で宗教活動

2020年03月24日 06時39分46秒 | 日記

昨日二つのチームに会って放談、歓談した。午前ではコロナと関連して韓国のキリスト教の集まりが話題になった。激しいくアーメンなど叫ぶか、日本ではオーム真理教の事件を思い出せる。韓国のキリスト教は神霊主義が強いことを指摘し、実は韓国から多くの伝道師たちが日本で宗教ビザを持って活動している。午後は下関の西高出身、東京大学名誉教授の山下晋司氏、海峡大使の下村氏が東亜大学東アジア文化研究所を訪ねて歓談した。観光人類学の大家の山下氏からはシンポジウムの提案、私は大歓迎、共同執筆などを提案した。まず後期に大学で特別講義を頼んだ。


風と共に去り

2020年03月23日 05時49分29秒 | エッセイ

 机の上に数冊の本が重なり並んでいる。私の不朽の長編名作読みは続く。「罪と罰」から「風と共に去りぬGone with the Wind」へ。アメリカ南部の方言の英語、戦争の話、愛の物語り、なぜ名作なのかと考え続ける。南北戦争直前の農園で生まれ育ったスカーレットはアシュリーに愛の告白・・・。風、戦争、恋愛・・・がどう展開するのか。映画を観たし、英語の勉強のために読み始めたが英語の方言に放棄した小説である。「罪と罰」は論文の題のようであるが、「風と共に去りぬGone with the Wind」は曖昧朦朧なる題、なぜ名作なのだろうか。善隣友好の象徴の通信使の日記を読む中「罪と罰」が論じられている箇所に直面する。名作とは普遍的、根本的問題を扱っている。


スズメ群団

2020年03月22日 05時40分27秒 | エッセイ

 私のニックネームは「雀」、その私の傍にスズメ群団が寄ってくる。机の横、一メートルほどのベランダに来てくれる。人家近くに住みながら人への警戒心が強い親しい鳥である。米粒を撒いておく。5-6羽が集まって食べたり水を飲んだりする。嬉しい。教会の教壇に花を生けてきた。教会の庭に私が植えたソテツが大きくなり、他の木に悪影響しているのではないかと、心配して見たがそうとは思えない。葉を剪定した。
 先日「東洋経済日報」の固定コラムに「コロナウイルスからのメッセージ」を書いた。編集者の李相兌氏からそんな苦痛の個人史があるのかとコメントがあった。


私は二十歳に肺結核末期と診断され、死の宣告を受けた悲惨な思い出がある。当時は伝染する怖い病気であり、その病の傷はいまだに私の胸部に広く残っている。高齢者となった肺の弱い私にとって恐ろしいコロナウィルスが世界に蔓延している。主治医が私のX線を見せながら、くれぐれも気をつけるようにと言われたので、先日京都日文研での研究会に欠席した。このような脅威感は私だけの話ではない。
その中でも自分は大丈夫であろうという、安心感が心の片隅にあるのは不思議である。5年前、死境を彷徨し、心臓手術で蘇生されたことを思い出す。遡ると朝鮮戦争中には多くの死の現場を見た。そんな最中に腸チフスにより隣家の大家族のほぼ全員が死んで夜中に死体が運ばれるのを見た。幸いにも生き残った。
後に現地調査中にある村の現場で私にも感染して困惑したことがある。それでも今まで生き残っている。幸運か、何かの力であろうか。その病歴や悲惨な状況から免疫ができたのだろうか。多くの方々の祈りもあるだろうと思う。
新型コロナウイルスを感染症というか伝染病というかの区別はあいまいだという。私の子供時代には天然痘という伝染病が流行した。一八七九年に池錫永により種痘法が発明され、予防ができたが田舎ではまだ怖い。治っても痘痕が残る恐ろしい病気であった。伝染する病魔はママ(敬語)神であり崇拝しなければならなかった。発病してから医療は一切タブーであり、治るまで「13日間」供物を捧げ拝礼をする。治った時、感謝と送別のシャーマン儀礼を行う。
その悪霊ママの発祥地は中国であると言われた。今は新型コロナウィルス・・・。長い歴史を辿る気がしてやまない。そのシャーマン儀礼の巫歌に「江南は大漢国、朝鮮は小漢国…」(中国から韓国へ)という。「大漢国」は大国の中国であり、良い事も悪いことも多く朝鮮に影響した。
シャーマン儀礼は我が故郷でも行われた。慶尚、全羅、済州など全国的に行われていることを調査によって確認した。私のシャーマニズム研究はその儀礼研究から始まったといっても良い。私の1968年の論文(「韓国文化人類学」1号)は天然痘の悪霊を送る儀礼に関するものがある。私が文化財専門委員時代にママ拝送儀礼のシャーマン儀礼を京畿道民俗文化財に指定したが、地方文化財から国家文化財へ、今は国家重要無形文化財第70号とされている。
PM2.5で日常的に中国の汚染を感じていた。そんな中のコロナウィルス騒動、中国では病院を急造するなど全力を尽くしている。国家間の世界大戦とは異なる戦い。独裁監視国家とか民主主義国家など政治体制をはるかに超越した戦いである。全人類が悩みに直面している。国民国家の主義主張は言ってる場合ではない。国家を越えて見えないウィルスとの戦いである。互いに協力して人類がこの戦いに勝利すべきである。コロナウィルスからのメッセージは大きい。


荊棘の道

2020年03月21日 05時46分37秒 | エッセイ

 昨日は簡易卒業式、心構えをして出勤したが卒業式は既に終わったという。例年の11時学長室によるつもりであったが1時間も早く学科ごとに行ったという。櫛田宏冶学長の時代に先駆け社会を変革する」というメッセージが届いた。新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響を受けて、卒業式を中止、書面にてお祝いのことばを伝えとた。 
 留学生たちは多く日本で就職して嬉しい表情であった。教会に一緒に通った崔ハラム君が成績優秀賞の花束をもって記念写真を撮った。卒業生の今後の歩みを祈る。60余年の前の私の卒業式は病気で休学中、1学期れで卒業した。そんな私は卒業後の今も大学の中で人生を送っており、本当の世の中を知らないかもしれない。大学は修道院に似た象牙の塔と言われ、世俗社会とは区別されるようであったが、大学の中でも利害関係、トラブルや嫉妬、競争などがないわけではないが、世間に比べて程度の低い良い環境だと思う。私はその中で長生き、幸せだと思い、感謝している。

 以前にも卒業生に言った言葉であるが、「この世を学ばない」という聖書の箇所が気になる。卒業を迎え、社会に出る皆さんに「社会に適応しなさい」と言う一方、世俗に汚れない生き方を勧める。不平・不満ばかりのマイナス思考ではなく、前向きに良くなる方向へと導いていけるような歩みであって欲しい。大学で真理や真実を学び考えた皆さんが世俗の不正に慣れ適応していくことなく、社会へ影響を及ぼすように、生きるという意味である。決して平坦な道ではない。この世の光とか塩になるのは難しい、時には荊棘の道にもなるであろう。


 


日韓関係

2020年03月20日 22時48分51秒 | エッセイ

日韓関係
2020年03月20日 22時48分51秒 | エッセイ
あちこちに居を移しながら地域新聞は必ず定期購読しているがここでは縁がほぼなくなり愛読を止めようとした時、目に留まった「視点論点:日韓関係」で決断できない。
 新型コロナウイルス感染症での入国制限を巡って日韓が対立した。国境を超えて感染が拡大し続けている中、互いに反発し合っているときではない。日本は、新型コロナの対応で中国や韓国からの入国制限装置として、発行済査証(ビザ)を無効とし、中国、韓国、香港、マカオに観光目的90日以内の短期滞在で認めていたビザの免除も停止した。
これに対し韓国政府は、直ちに抗議し、対抗装置として、日本人の短期滞在にはヒザを免除してきた制度、既に発行されたビザの効力を停止した。康京和外相は、富田浩司駐韓大使に抗議し、防疫装置の撤回を要求した。韓国外務省は「防疫とは別の意図があるのではないかと疑わざるを得ない」と反発した。
 韓国からの入国制限装置を取る国・地域は、日本政府が入国制限を表明した時点で既に100を超えていた。だが韓国政府は、日韓関係の悪化を背景に、日本側の装置には政治色を帯びたものがあるとみる。
 日本側は「感梁を防止し、国民を守るための制限だとしている。ただ菅義偉官房長官は、入国制限強化について政府の専門家協議での協議を経ていなかったことこを明らかにした。
 中国に対する入国制限に関しては「日本国内でまん延しているこのタイミングでの実施はちぐはぐな感じがして疑問だ」と指摘する専門家もいる。中国は韓国とは異なり、日本の入国制限装置に理解を示した。
(中略)
 新型コロナの日脅威にも、相互不信を乗り越えで取り組んでいくべきべである。


遊びからスポーツへ

2020年03月20日 06時07分03秒 | エッセイ

 読書会のメンバーの古本氏がギリギリの遅雪でスキーをして来たとのこと。何が楽しい?というと滑るのが楽しいと。その楽しさは私も子供の時に味わった。いまだに楽しいか。子供も美味しさを知っている。一問一答が続いた。スピード感などはあらゆる乗り物は楽しいのではないかと応え、私の偏見のような話に替わった。漫画など子供の時の楽しさから変わってきたという話。しかしその区分には矛盾を感じる。多くのスポーツも実は子供の文化かも知れない。ただ楽しみが巧みさに広がっているのでは?。遊びからスポーツへ、そして芸術化へ、総合的な文化化していく点に注目したい。相撲もただ、裸の力勝負だけではない。心理的、儀式的、文化的な仕草があって観るのが楽しい。


在宅学習

2020年03月19日 05時46分31秒 | 講義

 コロナ危機に委縮してはいるが、私は普段の生活パターンとそれほど変わらない。昨日友人知人らから安否の電話、中には歴史学者の原田環さんから決りのコロナ挨拶の後、拙著『帝国日本の植民地を歩く』の書評を書いていると嬉しい話をしてくださった。
 大学から
在宅学習の知らせが届いた。コロナの影響により学生に新学期の講義をネットで行うという。課題を自宅で行うようにするという。私は以前から講義の前後にメール、FBメッセンジャーなどを利用して質疑やコメントなどを行っていたので今度ポータルサイトが利用できるので嬉しい。拙著をもって楽しく議論する良いチャンスにしたい。
 

 


矛盾の人生

2020年03月18日 05時43分58秒 | エッセイ

 予約時間を過ぎて長く待った定期健診では「手洗いを充分時間をかけてするように」とコロナ対策の注意事項があった。危機が迫っている脅迫感の中、治療薬は日本製のアビガンに期待する。病気との世界全面戦のような時でも政治政策を自慢する政治家がいる。中国では日本製の薬の使用に肯定的、韓国は否定的、そこまで反日か。もうすぐ新薬が出そうな気がする。IOCがオリンピックは予定通りという。
 幼い時、我が家に遊びに来た女児が今年九大合格、国文学の中の古典文学を勉強すると研究室に来て話してくれた。私の大学入学の時を思い出す。暗黒期にも夜明けの明るさが見えてきた。韓国語の「山戰水戰」を経てきた私は自分の命と健康が一番気になる。自分がいなくなってもこの世は何も変わることなく存在するのに、自分にとって自分がいなくなったらこの世は終わり、どうでもいいと言う人もいる。その「この世」のために長生きを考える。矛盾の人生観である。