崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「自粛」

2020年04月15日 05時41分23秒 | 病床日記

 主治医は私がコロナ感染最適者のように注意事項を説明し、私が無煙であることだけが救われる可能性があるように聞こえた。定期健診、マスクだけが動いているような風景、人間社会ではないように感じた。私は車で待機、隔離状態で順番を待ち、診察もマスクをした状態、大学構内の桜は散りかけている。新学期が始まらないコロナ時代、危機が迫ってくる。私は日韓のテレビニュース、数個の日刊、週刊、NYT, CNN,BBCなどにより世界を注視している。
 日本と韓国のメディアではそれぞれ自国が世界から注目されるように伝えている。「コロナと経済」がポイントであるが、感染対策では韓国式が勧めらる話もある。命の尊重は言うまでもないが、日本の「自粛」と韓国の「強制」が対照的である。強い指導者が望まれる声が多い。「民主か独裁か」と講演し、解職された1960年。軍事クーデターの「419学生革命」の時を思い出す。「自粛か強制か」今週の東洋経済日報コラムに書くつもりである。

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天然痘の悪霊

2020年02月07日 06時25分37秒 | 病床日記

私の1968年の論文(「韓国文化人類学」1号)は天然痘の悪霊を送る儀礼に関するものがある。予防ができる以前は恐ろしい病気のママ(敬語)、潜伏期間から終わるまで「13日間」といわれていた。その悪霊の発祥地は中国であった。シャーマンの儀礼の巫歌に「大漢国から小漢国へ…」(中国から韓国へ)という歌詞があった。なんと、その忘れていたことが今再現されている。新型コロナウィルス・・・。
 「大漢国」は大国であり、良い事も悪いことがある。中国は世界で一番の大国である。しかし私が現地を歩いてみるとそうでもない。流通など全国的に効果的に統治されていない。悪く言うと「村の広がり」であり、人民の意思が国家に反映されていない。今病院を急造する。プレハブやビニールハウスではなく、高度な医学、奉仕精神などが重要であろう。日本でも、博物館や図書館も建物は二の次、中身を充実したものに整えていかないと良いものにはならない。

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テドロス局長

2020年02月01日 06時12分17秒 | 病床日記

 私は高齢であり個人的な病歴から肺炎の脅威を強く感じている。特に新型ウィルス肺炎に脅威、集会参加などを控えている。2月8日予定の中村哲氏の映像上映会開催も気になっている。この脅威の根源地は経済大国主義の中国である。世界保健機構WHOが早期に宣言するかと思っていたが、蔓延してから追認するような宣言が発表された。アフリカ・エチオピア出身の政治家のテドロス局長が中国習近平主席と会って「称賛」したことが非難されている。私もそれを読んで彼の教育背景を疑いたくなった。政治家としては優れているかもしれないが客観的な姿勢が欠如していると感じた。昨夜のプライムニュースでも彼を非難はしはていない。客観的ではないと感じた。病気と戦うには医学の力がより必要であろう。

Tedros said it is admirable that the Chinese government has shown its solid political resolve and taken timely and effective measures in dealing with the epidemic.

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Almost normal(ほぼ正常)

2018年11月13日 05時38分05秒 | 病床日記

 早朝病院に着き、受け付け、血液・尿検査、エックス線、心電図、心臓ECOの検査が続いた。特にECOは峠、長い時間で細密検査であり、途中で自分の心臓の音も聞こえた。工場のピストンの轟音のような心臓の音を初めて聞いて、逞しく動いてくれていることを確かめることが出来た。心臓に感謝する気持ちであった。しかし主治医の阪田先生の診察、それが私には裁判官の宣告なようなものであった。先生はECOの写真を見せながら説明をして下さる。心臓の赤青の画を注意深く見ておられた。医学知識のない私には赤信号だと感じた。私はモニターの上からようやくAlmost normal(ほぼ正常)ということばを見つけることができた。すこし安心はしても、赤青の画像に不安を感じた。その不安感が私の生きたい生命欲かもしれない。「歩きなさい」と命じられ「はい」と答えた。夕方帰宅時、さっそく外歩き用の冬用ジャンバーを買った。大学では画伯の川野裕一郎教授の講義に参加、コメントをした。

 受講者のコメント:チャンスがあれば美術館に行きたい。プロとアマの境界は、黒い花火を見たい(狩俣)。現代美術は理解・鑑賞できない、古いものが価値があるか、色など見る視点は(吉村、ズンエイーウン、トーダー、チェジヨン、赤)。東洋の美、宗教と)。歴史はどうであろうか(田辺、チェハラム)。国の特徴は何にか(アウン)。爆弾や煙から美しい花火へ、火薬も美術になるの(チョウセライ、梅、菅原)。ベトナム、ネパールの絵はないか(タマンエム、デェン、グェンティミンスアン)。川野先生の服装、作品を見てよかった(恩、藤田)。中国の学校では美術を重視しない(董)。

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回復している

2018年02月06日 06時11分51秒 | 病床日記

 多量出血の関係で多少気力が弱くはなってはいるが、徐々に回復している。慰められることが多い。お見舞いの電話、メールなどが多かった。拙著『慰安婦の真実』の5刷の話、島根の「山陰中央新報」に掲載された酒井先生の書評が届き、北九州宣伝広報誌の「KITATAMA」に掲載された冊子をいただき、東京の有名な月刊誌からのインタビューに来られると言う話、などなど嬉しく感謝している。昨日藤中、権藤、林の諸氏により作業が行われ、出版記念会の案内往復はがきを投函したようである。病弱になると気が弱くなるが、一方助けを求め、協力を願う勇気が出るのは不思議である。

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安静「怠け者」

2018年02月05日 06時53分05秒 | 病床日記

 多くの方から無理せず安静にするようにと言われており、安静にしようとしても何が安静なのか、分かり難い。私はただ「怠けもの」になることではないかと感ずる。楽ではないが苦(痛)と叫ぶほどでもない状態であり、だまっていることは辛い。考え、書き、話す、などは私の日常である。安静はそれをしないで休んでいることであり、私の偏見の「怠け者」になることのように思われる。昨日千葉に住んでいる義理の姉からその地域の読売新聞に拙著『慰安婦の真実』の広告が出たという電話があった。まだベストセラーマークが付いて売れ行きランキング上位を維持している。出版社には製作過程から広告まで大変お世話になっている。また知人、読者からの書評、コメント、励ましに感謝している。慰安婦合意は慰安婦問題からかけ離れ、「約束」を守るのか破るのかの信頼の問題に変わってしまった。約束を守れないときは謝罪するのが礼儀である。謝り、感謝などにより日韓関係も良くなることを祈る。

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退院

2018年02月04日 07時50分19秒 | 病床日記

 以前手術、入院した病院に入院して昨日退院した。ソルジェニーツィンが書いた刑務所と病院は似ているという文を思い出す。帰りに主治医の内科によって緊急診察をうけて、投薬の調整について説明を聞いた。また生かされた感がする。血が止まって全体的に安定していくようである。心臓薬として有名なサラサラ薬が効き過ぎ、危険性が知らされた。薬と安全のバランスをとる必要がある。心配なのは大学の研究室のある7階まで行くのにエレベーター故障。物品の取り寄せのため止まったままである、大手企業三菱製が故障して3週間近くなるのになおらないということは問題である。その研究棟での仕事は中止せざるを得ない。

 島根県松江に居住する酒井先生の書評が山陰中央新報に掲載された。私が住んでいる山口ではない、他県の新聞読書欄に掲載されたことに非常に光栄と思っている。

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死から頂く教訓

2017年07月19日 05時43分02秒 | 病床日記

 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が105歳で亡くなられた。延命治療を「やらない」と拒否後に退院し、自宅で呼吸不全で死亡したと報じられている。多くの人は長生きの秘訣に関心があるが、それより先生の死から頂く教訓がある。命に感謝、肯定的な生き方、死を自然に迎える態度などである。先生が院長の時、家内が聖路加国際病院に勤めたことがあり、2011年下関に講演に来られた際お会いした思い出がある。心からご冥福を祈る。家内は私に先生が肺結核の傷痕がありながら長生きできることを証明して下さったねと言った。私の病歴が先生に似ていることが慰めになるからであろう。*写真中央は日野原先生、左端中沢氏、右端は櫛田氏。

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傷痕

2017年06月10日 05時37分03秒 | 病床日記

 私の胸には垂直15センチほどの手術の傷痕がある。人には見せたくないので銭湯などには行かない。数日前、看護師である家内に大腸がんと診断され人工肛門を作らなければならないと言われたという相談があった。乳がんで乳房の手術で悩んでいる女性も多いと聞いた。それを残して命を無くした人も多いとのこと。私は自分の傷跡を見直すことにした。生かされた恩恵の印であると。人は心の傷を持っている。失敗や恥ずかしい思いをしたことなど、さまざまな傷痕を持っているいるはずである。社会や国家だってそうである。傷痕を話題にしたり争ってはいけない。それが今のそれぞれの自分自身、自国に生かされている力になっているからである。昨日訪れてこられた山口県議員の平岡望氏とは「望」に関する話をした。

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階段上り

2015年11月23日 06時19分00秒 | 病床日記
昨日は日曜日なのでリハビリがなく、看護師に階段を上ってみようと誘われた。手術前まで階段を見上げるだけで難しく感じ、その都度自ら高齢者意識を持ったが、昨日は逆転した。比較的に軽く上り下りすることができた。なにより高齢者意識は私の意識からは消えてしまった。病院ではいつも保護される子供のように扱われており、看護師たちに甘えているほど子供意識が強いことが分かった。病院では治療と回復だけではなく、再生か復活のような意識改造が行われるのではないかと思わされる。
 見舞いに来てくれる方々とは病気に関する話題が多い。ソウルから来られた方はまだ50代、数年前奥さんをがんで亡くした辛い体験を話してくれた。韓国では完全看護制ではないので一人娘が大学を休学して彼と交代で患者の隣に泊まりながら付き添ったという。悲しみには耐えがたかったが介護は身についたと得られた点もあるという。もう一方は日韓親善協会の会長の友松氏、ご自分の病気は名医に会って一発で直ったとのこと。彼の親しい韓国の方の話である。88歳の高齢者を日本の九州の名湯(温泉)に案内したが温泉が大好きな方で、長時間温泉入浴中意識を失いお湯の中に沈んだのを一緒に来られた方が心臓マッサージをし、応急処置し、救急車で病院へ搬送し、まだ安静を要したが日程通り帰国され、今現在お元気だとのこと。本人はなぜここに連れてきたのかなどと怒り、困惑したという体験談である。私は話を聞く途中数回爆笑した。後に彼はその方に日韓親善の功労者として感謝状を送り、暖かい友好関係は延々と続いている仏教法話のような話である。
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悪運は意外に例外的に訪ねてくるもの

2015年11月20日 06時23分27秒 | 病床日記
 お見舞いに来てくださった方たちや投稿者たちからは「ゆっくり静養してください」「快癒しますように」ということばが多い。そして私が日程などを無理した点も指摘してくれる人も多い。私は無理して忙しく暮らしたとは思っていなかった。ただ生活リズムに過ぎなかった。私には病院は静養するところではない。痛みへの対応にそれなり忙しい。今度の入院治療を通して多くのことを反省している。私の健康観は確固不動なものと信じていた。食事や就寝時間などを守っており、煙草やお酒などは元々縁のないこと、運動とは言えなくとも結構動いていた。私は健康な者だといつも自信を持っていた。しかしその意外にも例外的(?)に私に大病が起きたのである。私の確固たる思念は過信、大間違いであった。悪運は意外に例外的に訪ねてくるもののようである。
 毎日体重を測るのは楽しみである。入院して20日で7キロ減った。40代から維持してきた体重を下回る水準になりそうである。不安もある。私は子供の時は痩せていて母が心配していた。健康な美男子としてわが村の五日市の商店主を例としてあげていた。その人は頭が禿げて太った人であった。日本の侍の映画の将軍タイプかもしれない。貧困時代の当時の人物像を表すものであろう。経済発展と医学の知識によりメタボリックが問題になり、太目は美人型から除外されるようになった。しかし私には太目の健康美意識が残っている。
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私は韓国人

2015年11月19日 07時36分36秒 | 病床日記
前回手術台の生体から人間への過程を書いたが、ここでは人間から文化への過程に関することに触れたい。点滴から供給されたことから口から食べ物を味わうことはうれしかった。最初のスプーンで食べたお粥とヨーグルトの味はわすれられない。麻酔から覚めても基本的には再構成されていない。ただ復元であった。しかし変わったのは食欲の低調化である。
 今日でまる15日間病院の心臓食を食べてわかったことも多い。病院では基本的には日本食を徹底している。私は子供時代の嗜好に戻っている。日本人であれば抵抗のない鰹節には食欲を失う。ただ日韓食文化の共通のお粥、のり、卵などにかぎられる。やはり私は韓国人であると感じた、人間から韓国人へ…。
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死の怖さをまったく感じなかった

2015年11月17日 06時34分16秒 | 病床日記
最近首の手術した方がお見舞いにきて下さった。特に首の手術というと命に係わるので死をどう思っているかと聞きたかったが、出来なかった。今度、私は不思議にも死の怖さはまったく感じなかったというと彼は私と正反対、衝撃を受けた表情で、「ものすごく死が怖かった」という。キリスト教の長老である彼は言う。聖書を思い出しながら祈り、死を覚悟しようとしても恐怖から解放されることはなかったと自分の信仰生活を反省するように語った。死を迎える態度はいろいろと研究されているが、彼と私の例は典型的なものであろう。
 不思議なのは私の態度である。私自身非常に意外なことである。私が臆病であることは自他共に知っている人が多い。従って私が死を恐れることは当然である。ソクラテスのような英雄でもない臆病の私が死を迎えようとしたのは不思議なことである。ただこの世で残った仕事はあの世で続けようと考えた。このことはこれから自己分析すべきテーマである。
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贅沢な患者

2015年11月16日 07時04分26秒 | 病床日記
社会福祉国家とはなにか。障碍者が主な対象と思い、私とは縁の遠いものと思ったが、私が障碍者となった。ソウル往来時に出入国など、車椅子で特別通過し、まるでVIPのようだったが、苦しかった私は去っていくものへの配慮と感じた。救急車に乗せられた時はサイレンが鳴り、病院側から迎えられた。ICUで目が覚めた時は生きかえったことが嬉しかった。ベッド20くらいは入りそうな広いICUの真ん中に私が横になってあらゆる治療、ケアを受けていた。私はこんなに贅沢でよいのだろうか。恐縮であった。社会の愛に包まれていることを感じた。日本の医療システムを体で体験することになったのである。
 障碍者や弱者たちは優先されることがある。それも権利かもしれないが、私は感謝しかないと思う。それは障碍者に限らず社会的地位の「王座」「回転椅子」(権威)などに座っている人こそそう思うべきである。彼らもいずれ障碍者のようになるのが人生であることを悟ってほしい。
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