崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

 日本はもはや教育先進国ではない

2006年01月30日 05時30分04秒 | エッセイ
中国や韓国からの留学生が日本で数年間育った子供を連れて帰国して困った話をよく聞く。日本の教育の学力では本国でついて行けないという。つまり「ゆとりある教育」の問題点がここにも指摘される。日本ではゆとりある教育によって人間教育に怠け、遊ばせる教育にも問題はあるが、韓国や中国などの知識中心の教育も問題である。
 私は昔同僚であった人、ある人を思い出す。彼は教育ママのスカートの風で塾教育を通して、地方から名門ソウル大学法学科を卒業して早く結婚して夫婦とも同大学で教鞭をとった。法学の知識で大学の総長を攻撃した。彼には知識以外には人格という点は見えない。最近彼は自殺した。
 日本では人間教育を「古い道徳教育」というイメージがあるのでしない。怠けて遊ぶのが人間教育ではない。西洋では知識教育をしても教会など社会教育が補助するようになっている。日本に留学しても学ぶところがないという。もはや日本は教育先進国ではない。教育に反省すべきであろう。

旧正月

2006年01月29日 17時30分38秒 | エッセイ
 今朝韓国から新年の挨拶の電話を受けた。韓国は十数年前から旧正月に戻った。韓国語では正月を설, 설날(お正月)といい、日本植民地時代には新暦の正月を일본설(日本の正月、太陽暦)、陰暦の正月を조선설(朝鮮の正月、太陰暦)といっていた。最近民族的な名節として旧正を復帰させたのである。そして中国、台湾、ベトナム、東南アジアなど、華人社会の旧正月文化圏に加入したのである。カレンダーは新暦を使いながら民族的行事名は旧暦を生かしている。そして새해 복많이 받으세요「新年にたくさんの祝福がありますように」と新年の挨拶をする。その「福」とは冨、官職、子孫繁栄などによる幸せを意味する。旧正月にはたくさんの祝福を願う感情が込められている。




賢さの教育の限界

2006年01月24日 09時10分19秒 | エッセイ
 「株」を知らない私にライブドア事件のニュースは株に関しては他人事であった私の関心を引き起こした。それは肯定的な意味のものではない。日本の銀行利息がゼロであることについは、私は非労働の高利貸しを否定し、労働主義を高調するものであると肯定的に評価している。しかし高利貸しよりも悪い、お金をギャンブルに似た「株ゲーム」が流行っている。これは労働主義を害する資本主義の弱点である。このライブドア事件はネットの隙間のずる賢い利用と金のギャンブルを象徴的に表している。真面目に働いて貯蓄して生きる価値観への挑戦と資本主義への危さを露呈している。また名門大学の賢さの教育の限界である。深く考えるべき事件であろう。

植民地朝鮮と映像

2006年01月22日 20時18分48秒 | エッセイ
2006年2月11日、12日下関の東亜大学で開かれる日本映像民俗学の会の28大会で「植民地朝鮮と映像」をテーマにして国際シンポジウムが開かれる。上映される映像は次のようなものである。関心のある方の参加を歓迎する。
牛山純一「あの涙を忘れない~日本が朝鮮を支配した36年間」    
ジャン・ルーシュ「狂気の主人公たち」
渋沢敬三「多島海探訪記」(1936年)
宮本馨太郎「朝鮮蔚山の農村習俗」(1936年)
千葉映画製作所「朝鮮地方」(小学校地理映画体系11)11分 
製作者不明「TYOSEN」(1938年)13分 
北村皆雄「韓国巨文島47年目のにっぽん村~知られざる漁民移住史」(1992年) 
ウェバー「静かな朝の国:朝鮮」(1925年)
李文雄「ソウル大所蔵の秋葉隆のガラス乾板写真」
孝寿聡「水筒と飯盒~ビルマ戦線戦場の記憶」(1時間54分)
ラブレンティー・ソン「校長先生」(1999年)     
村上雅通「流転~追放の高麗人と日本のメロディー」
北村皆雄「サハリン日本人妻の別れ」(2000年)

犬の安楽死について

2006年01月19日 06時54分57秒 | エッセイ
 ある韓国人4人が我が家を訪ねてよろよろしながら歩く我が老犬(19才)をみてその中の一人が安楽死をさせたら犬も喜ぶだろうといった。以前に中国の作家はこの犬で我々が苦労すると考えて捨てたらどうかといった。中国や韓国は最近では愛犬が人気があるけれども、伝統的には犬を食べる文化を持っている。私は彼に「私が病気なったも見舞いに来ないで」と返事をした。私も安楽死させられるのではないか怖いと付け加えた。さらに、犬に餌をあげたり面倒を見るのが損と苦労のように見えるかもしれないが、実は犬から大事なもの、愛情、価値観、安心感などをいただくことを説教調で語った。

年賀状に思うこと

2006年01月16日 10時36分30秒 | エッセイ
 新年の挨拶として年賀状を交換するのは日本文化の特徴の一つであろう。韓国では戦後クリスマスカードを交換することが一般化されたがそれほど定着していない。日本のように年賀状を交換することもあったが、最近旧正月を祝うようになって、年賀状交換もあまりしないようになった。
 日本でも人によっては形式的なことだからとか、めんどうくさいから出していない人も多い。しかしそれは形式的なことだけではない。久しぶりに知人や友人のことを思い浮かべ、関心を持って敬意を表すこと、消息を伝えることは意味があるとも思う。我が家では300枚位を送って、また出さなかった方への返事のものを含めて400枚くらい交換する。多くの人への感謝と愛情、友情を暖める良い機会でもある。

韓国における「日流」

2006年01月15日 05時52分28秒 | エッセイ
 韓国・慶南大学校の張竜傑教授から面白い本が届いた。土佐昌樹・青柳寛編『越境するポピュラー文化と想像のアジア』(めこん、2005)には張教授の「韓国青少年が夢中になる日本のポピュラー文化」をはじめ沖縄、台湾、香港、韓国の大衆文化の国際性について論じた7編の論文が入っている。これらは最近のマス・メディアやインターネットなどによる文化の国際性に触れている。文化は政治家や知識人に先導されて越境するわけではない。今中国や韓国では政治家たちの反日的発言が続いているが、大衆文化はそれに逆行する。張教授は韓国の「楽観的な未来図」として民族主義的な優越感から脱皮して新たな文化的コミュニケーションの可能性を提示している。さる12月1-3日にフランスパリで開かれた「日本学とは何か」という国際シンポジウムでBouissou氏がフランスなどでは版権が高い文化商品は簡単に作れないところに日本の漫画が輸入され大流行している事情、ハイカルチャーからポップカルチャーへ、そしてストリーの展開の速さ、登場人物の多様性の日本漫画が好きである。だからといって日本が好きだということではないと述べている。

金敬得弁護士死亡

2006年01月13日 20時15分01秒 | エッセイ
 在日人権弁護士の金敬得氏が亡くなられた。この記事を3回も公開しようと書いたが失敗であった。それでも書くのは彼の死があまりにもショックが大きいからである。一昨年ソウルで開かれた国際会議で彼がボクシング選手を目指して練習している時に法律を勉強しなさいとアドバイスされて弁護士に転換したという話を面白くまた長く話をしているのに、司会者であった私が時間を制限した。彼の死亡を耳にしてもっと長く聞いていたら良かったのにと後悔した。56歳の死とは今の時代には「夭折」である。とても残念と思う。心からご冥福を祈る。

温暖化とは

2006年01月09日 07時09分05秒 | エッセイ
 この冬は例のない寒さと暴雪で被害が大きい。私は零下30度位の冬に2度サハリンを訪れて殺人的な寒さと暴雪を経験した。ある牧師は数時間だけでも停電になると死ぬかもしれないとか、自動車で旅行する時エンジンが止まったら約2時間で死ぬという寒さの恐しさを話をしてくれた。対向車もないサハリン北部の寒いところの氷上で釣りをする人をみて人間の強さに感心した。
 地球の温暖化に願いを込めて話す人もいた。彼らに同情した。温暖化が進むとシベリアに移住する人が多くなるだろう。温暖化を恐れることは熱帯、温帯に住む人々が中心であることをあらためて感じている。

下関駅舎火事

2006年01月08日 14時40分55秒 | エッセイ
 私が住んでいる下関の駅が放火によって火事になって全国的なニュースになった。刑務所から出た人がまた刑務所にもどりたいと放火したという。彼にとっては実社会が刑務所より住みにくいということである。この火事についてはある牧師は神のご意思だと言い、またある人は今後の開発にはよかったなどと噂話はいろいろである。災難も自分のことではないと無責任である。被害者のことを考えるとそう簡単にはいえないだろう。何より私は刑務所から出た人へのアフターケアはどうであったのかということが気になる。人々がそのような人に少しでも関心をもって、もっと社会に適応できるようになって欲しいと思った。1億2千万の人口であればそのような事件はいつ起きるかわからないが、より根本的には社会福祉制度とそれに準ずる暖かい心がある社会を願っている。

<読者のコメント>
この文についてある読者から次のようなメールが届きました。
下関駅舎の放火事件は本当に驚きました。年末・年始には「刑務所や警察の留置場で暖かい正月を迎えたい」という理由から万引きをする者、刑務所から出て,2~3日で「どう暮らしたらいいか分からなく、刑務所の方が暮らしやすい」と言って万引きなどの軽微な犯罪(懲役10年以下の罪)を犯して留置場に舞い戻る者、またホームレスの人が暖を取るために焚き火をしていて,延焼することもあります。しかし,今回の事件はあまりに危険で迷惑です。二度と世間に出てきてほしくないタイプの人間による犯罪です。

世間に逆行

2006年01月07日 06時28分19秒 | エッセイ
 年末年始には人口移動が激しい。韓国や中国では旧正月にマスメディアが「民族大移動」と報道するほど人が移動する。日本や欧米などでは太陽暦によって正月に人が「大移動」する。それは民族的、あるいは国際的な時間のリズムである。多くの人はその正月や記念日にその雰囲気に乗って興奮し楽しむ。しかしそれで犠牲的になる人もいる。たとえば人の休息の間を埋めるために仕事をしなければならない人である。どちらもリズムに乗っている人である。しかしそのリズムに乗らず自分が決めたリズムに乗り、「脱時間的」な生活する人もいる。つまり自分のリズムで生活する人がいる。他者の時間に流されることなく自分の時間を楽しむことである。それには二種類あるかと思う。一つは怠け者、もう一つは創造的な者である。私の正月の過ごし方はどちらになるのだろうと考えているところである。

家内の看護

2006年01月03日 09時34分57秒 | エッセイ
一日の夜、急に発熱と吐き気があってベッドに長く寝ていた。自分で症状を分析した。食べたものが原因か、あるいはインフルエンザかと思いながら他のことを思い出した。小倉教会の新年礼拝に引き続き墓参りに行って、納骨堂の中で礼拝をした。伝統的な民間信仰では遺骨を撮影したり、その墓の中のような納骨堂に入ったりしたことは祟りであろうということになる。母の信仰によれば私は間違いなく祟りの病気と思われる。しかし私はおせち料理の中の油っぽい料理に原因があると信じた。
 家内が看護師であり、家で患者の看護が行われた。お粥で元気を回復することができてこの文章を書いている。家には私より家内の看護に感謝すべき老犬ミミがいる。19歳に向かっている。ソケイヘルニアなどを抱えて数年になっても朝の散歩と栄養管理などによる看護で長生きをしているからである。ミミは我が家に安心感と幸せを常に持たせてくれる。中国の留学生が犬のために苦労するわれわれに同情して「捨てなさい」といった言葉はむしろ犬を「愛しなさい」という意味にとれる名言である。

新年に思うこと

2006年01月01日 06時45分56秒 | エッセイ
 考えてみると年をとることに恐ろしさを感じることがある。無色無臭のガスのように時間は流れる。時間そのものは大晦日もお正月も変わりはない。ただ人間が無色の時間を染めていくのだ。時間に意味をつけて文化化している。無色無臭の毒ガスのような時間は人に年を取らせ、永眠へと誘うのである。ある意味で年越しが怖い。このように否定的に考えると厭世主義になるかもしれない。
 人間の生死は自然な現象であろう。年をとって大人になり、希望を持つ人が多いはずである。人生においてだまっていても幸せになるわけてはない。幸せな時間を創りましょう。「新年」を幸せな時間に染めていきましょう。
 みなさん新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。