崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

お辞儀の文化

2007年09月30日 06時36分15秒 | エッセイ
アメリカとカナダから日本に帰ってきて感じたことは日本はお辞儀の国であることである。そこに優しさを感じる。この度の旅先の多くの食堂ではメニューや食器などを客の前に投げるような感じで置いていく日本の食堂とは大いに異なる。もちろんお辞儀はない文化ではあるが私には乱暴に、さらに礼儀の悪さを感ずる。それは偏見といえるものであろうか。日本のお辞儀文化はただ表面形式的なものではない。人間の扱い、物の扱いなどに丁寧さがある。醜い日本文化などと言われても、この度、私はお辞儀文化の良さを改めて感じたのである。

川嶋擁子氏の自宅で

2007年09月29日 06時10分13秒 | エッセイ
 川嶋擁子氏の自宅で最近の拙著の『樺太朝鮮人の悲劇』『植民地の朝鮮と台湾』などの3冊にサインを求められた。その本は日本から送られてきたものであるという。その人たちは昔、私の講演を聞いた人であり、擁子氏とは親しい人だという。同時にハーバード大学の韓国人の講師である人を紹介していただき電話をすると、彼は私が韓国の民音社で『朝鮮の風水』を出す時の編集長を歴任した方であったという。アメリカのマサチューセッツの小さい島の川嶋Watkins氏の自宅で知っていることに溢れるほど嬉しくなった。今度の旅では偶然にも多くの人に恵まれたことも多く、感謝の旅程であった。

失敗した国家

2007年09月28日 21時07分12秒 | エッセイ
 アメリカの空港で店頭に並んでいるチョムスキーの「失敗した国家」Failed Statesを買った。国家は安全であるべきであるのに安全という名目で戦争をして不安な国家を作ったブッシュ政権を批判している。税関審査などが以前より厳しくなり、靴と上着を脱がなければならないし、荷物も乱暴に調べられるなど不安な国であることを実感する。経済大国とは言っても人間を丁寧に扱うような社会になっていないことは実に「失敗した国家」であろう。日本に着いて飛行機の遅れで航空会社が用意してくれたホテルで日本は人を大切に扱うことを改めて感じている。

川嶋夫妻に会って

2007年09月27日 10時49分10秒 | エッセイ
 マサチューセッツのCape Codというところでは河嶋擁子氏夫妻の案内でイギリス人が初めてメイフラワーに乗って到着したところなど貴重なところや資料を観察調査することができて感謝である。そこではインタネットができず、ニューヨークに来て書けるようになった。自由の女神の近くにあるやはり移住民たちが到着したところを眺めた。今晩深夜ここをでてカナダのバンクーバーを経由して帰国する。そして日常にもどる。

ナイアガラ一日

2007年09月24日 07時55分52秒 | エッセイ
 グランドキャニョンやナイアガラなどは危険な自然姿勢であったのにそれを壮観美として認識するようになって観光名所になり、多くの人が集まる。これらに相当するものは中国にも多い。しかしそれを観光化して宣伝していないから、それほど世界的に知られていないのである。ナイアガラの滝ではビニールのかっぱを被り、ボートに乗って滝から上がる霧の中で自然の神秘に感動した。町の商店街のお土産品は滝に絞られている。ホテルやレストランなどは滝の方向に向いている。最高の幸せを感じたい人にあふれているように感ずる。労働と質素な生活は忘れている。ある意味では幸せは単純ななものかもしれない。滝を見てアイスクリムを食べながら最高の幸せの表情をして歩く人々の行列にわが夫婦も加わって歩きながら幸せを満喫する。

カナダの広さと豊かさ

2007年09月23日 17時29分36秒 | エッセイ
 カナダの広さと豊かさを実感する。27年前にカナダへ移住したという案内人はカナダの広さと豊かさを強調した。彼は本気でこの国が好きであり、そして日本と比較して良い点を強調していた。自分で選んだ国への誇りのようなものであろう。その一つがインタネットの発展である。さすがエアーカナダの席にはコンピューターの電源差し込みが付いていて、私は数時間原稿を書けた。ホテルには全館ワイアーレスでインタネットがつながる。中華料理で分かりやすいメニューを注文したが一人分で二人が食べてもよい量である。太った人が多いのも豊かさである。空港のエレベーターには小型車も入るような大きさをもっている。広さは国土だけではなく、生活空間としても広い。今後日本の田舎ではますます人口が少くなる傾向にあるがそれにあうシステムに調整すればよいのではないかと新たに思う。

ここはカナダのナイアガラ

2007年09月23日 10時31分55秒 | エッセイ
 ボストンに向かう途中ナイアガラに寄っている。昔新婚さんのメッカとして観光化した名所である。私はナイアガラの映画を通して観光化のことを注意して見たことがある。旅行社の勘違いでホテルの予約ができておらず、電話して確認したうえホテル名が違っていることがわかった。小さいトラブルと13時間の飛行で疲れても一級観光地を回らなければないので相当歩いた。時差などで疲れてしまった。それを韓国語ではネギキムチになったという。明日の朝には不死草になれるかな。

今日アメリカへ出発

2007年09月22日 05時45分27秒 | エッセイ
 今日アメリカへ出発する。4度目である。ヨーロッパへ出るような嬉しさはそれほどない。それは1980年初めて訪米の時1ヶ月間行われた本を出版するために、英語で行われた研究会で辛かったこと、その後も学会だけであまり観光したことがなかったことが原因だろうか。また治安の不安なども感じた否定的な印象が多い。今度はアメリカの良さが感じられ、良い印象を持って帰りたい。

一人相撲

2007年09月21日 06時25分18秒 | エッセイ
 相撲を見てない内に中盤を越えようとしている。私は今度の相撲中継を見ていない。強い朝青龍が不在なので面白くない。「盲人国の片眼の王」という韓国の諺のようなゲームの印象がある。しかし変わらず相撲は行われている。一人相撲を思い出す。日本には一人相撲とう伝統芸能がある。相撲は神前行事として一人相撲から始まったという説もある。私の恩師の李杜鉉先生が日韓の一人相撲を比較し、最近『アジア遊学』に論文として掲載している。朝青龍が出場しない今の大相撲は一人相撲のようなものであろう。

葫芦糸(フルス)演奏

2007年09月20日 07時02分27秒 | エッセイ
 葫芦糸(フルス)とは中国雲南省の少数民族に伝わる、ひょうたんと竹を使って作られたユニークな縦笛です。真ん中の管に6個の穴があり、西洋楽器に合わせて工夫したようである。多様な和音が楽しい。先日北京の骨董品街の瑠璃廠から買ってきたものである。私は楽譜はよく知らないので、見ずに早速吹きながら音を探し合わせてメロディを作るのが楽しい。新しく品物を買ってもカタログを見ない。試行錯誤の連続である。それが楽しい。私の人生も楽譜のないようなものである。試行錯誤の連続の人生である。

バスの中の美談

2007年09月19日 06時40分29秒 | エッセイ
 午後4時28分の時間に合わせて早足で歩いてから、15分も遅れたバスに腹を立てて乗った。次の停留場の人がバスが来ないかと心配したと運転さんに言ったら彼はお詫びしながら自分も休みなのに走りっぱなしで一所懸命にやっていますと言いながら対話をして、その客が丁寧に挨拶をして降りた。そこで男子高校生たちが数名乗り、高齢のおばあさんがバスになかなか上がれない状況であった。それを見ていた乗客たちの中から50代とみられる男性がその高齢者のおばあさんを助けてあげて椅子に座らせたが不安定なので横に座って支えていた。降りるときは運転さんが前のドアでもなく乗車のドアで下りるようにした。運転さんはそのおばあさんの降りることを見て「われわれ皆順番待ちだから」といった。乗客皆、特に高校生たちに良い教育の現場だったと思った。

敬老の日

2007年09月18日 05時58分06秒 | エッセイ
 昨日は敬老の日であった。韓国では母の日、父の日、先生の日などを総合したものが日本の敬老の日になるようである。若者は高齢化社会への負担を感じ、高齢者が無能力層のように感じるかもしれない。しかし個人の立場から考えると高齢期は人生の結末で、幸せに暮らしたいと希望の固まった時期である。高齢者や障害者などが幸せに暮らせることは良い社会の象徴である。それは老人だけのものではなく、若者自身のことでもある。年を取ってから自分の老人問題を考えては遅すぎになる。「敬老」は実に若者自身の問題であることを知ってほしい。

矢筈山頂で博士号お祝い

2007年09月17日 07時41分08秒 | エッセイ
 昨夜暴雨の中、矢筈山頂で大久保裕文氏の九州大学から博士号取得のお祝い会が行われた。中心メンバーは梁山伯と名付けたグループ13人であった。防空壕のような小屋で質素な祝い会であっが博士論文の内容は都市の計画やデザイン、市街地創りに関する大きなものであり、非常に対照的であった。下関韓国教育院長の李永松氏と小倉YMCA理事の小林省三氏のデュエットと田籠孝行氏の「恨500年」はとても味わい深いものであった。料理はやはり「男の味」であった。

中国での植民地遺産

2007年09月16日 07時27分15秒 | エッセイ
 中国では植民地遺産に対して韓国のようなアレルギー現象はそれほど感じない。大連の旧日本住居地の観光化、現代建物と並んでいる旧日本の銀行やホテルなど、博物館での「大連100年」展示など、そして長春での関東軍司令官の庁舎と満州映画協会の庁舎などを見ても「建物は建物」として、反日の対象になっていない。それこそ中国の大陸的思想と思われる。歴史的記念物も国際化の対象になり、それが文化遺産にもなりうる。植民地史からいろいろと考えさせられる。

北京の汚染

2007年09月15日 06時59分24秒 | エッセイ
 飛行機が北京空港へ着陸態勢に入り、雲層を通過するので、久しぶりの北京を見下ろそうとした。しかし、それは揺れを引き起こす雲層ではなく、汚染層であることが分かった。市内の中心地にあるホテルへ向うタクシーから新しい高層ビルが聳えているのが目に入る。それより霧がかかったような煤煙、長い直線の長安路の交通渋滞にはとても失望した。ホテルに着く前から「脱出」したい気持ちだった。オリンピック開催の準備のための建築からの塵と自動車の排気ガスなどによるものといわれる。一昔前の日本や韓国の汚染を思い出す。近代化の必要悪であろうか。しかしその汚染の程度は桁違いである。中国は黄砂などで東アジアの空を被うのは毎年のことである。最近まで高級レストランやホテルなどでも唾器を置いていたが、さすがに今は見当たらない。しかし、この調子だとオリンピックの準備にはまた唾器も用意しなければならないのではないかと感じた。