川村博忠教授の「絵図からみるアジア」は公開講座の第5回目であった。学生、教員、市民が参加した。私は最高先端の研究成果をもっている研究者の話を聞きたいこと以外に教員たちの参加を願っている。日本では古くから注入式教授法が一般的であり、講師によってはビデオで教員不在の講義が行われていることもある。対話式やアクティブ教授法が積極的に取り入れられていない。校内には授業参観が義務づけられることがあっても授業改善には至らない。
今回の公開講座ではただの講演ではなく、ハーバード大学のサンデル教授の公開講座のように対話・質疑の用式を取り入れて行っている。講座の全体と前時間のリマインド、講師紹介、メイン講義、担当(司会)の私がまとめ問題点を出して対話式で議論、映像やフロアのコメント、そして学生のコメント最後に次回の予告をもって閉会する。この講義は毎時間Skypeとフェースブックにライブで中継し250人が繋がっている。ユーチューブでも発信される。ご利用を願っている。このような講義を全学のレベルにおいて授業参観として利用されることをつよく希望する。
川村教授はギリシヤ、ローマ、アレクサンドリア以来、オルテリウスの世界地図の発達を画像を見せながらその意味を説明された。朝鮮製「混一疆理歴代国都之図」やマテオ・リッチの「坤輿万国全図」などの画像が紹介された。中華世界観によった日本人の世界観は西洋の世界観を受け入れるようになったという話の流れ中で、私は多くの疑問がでた。どうして地図を描くのか、「絵図」の絵paintingと図mapは記号論的には異なるが絵図とは何だろう。フロアーから地理学者の八田氏が立って地球儀globeが出た背景などの質疑が行なわれた。「面白い、貴重だ」というコメントに、私はなぜを連発した。韓国からの留学生の金仁弘君もコメント、最後に私が総括し、次回は鄭俊坤博士の「今、なぜアジア共同体のか」を予告。次回も一緒に聞きましょうで第5回目の川村先生の楽しく充実した名講義は終わった。
何十年も使った卓上時計が止まった。長い間錐が回り一緒に生きてきた感のある時計を分解してみた。忙しい中で変な行動であった。小学校低学年の時、私は家の壁掛け時計を分解して機能を戻せずダメにした。それでも母は怒らなかった。その後「石ラジオ」を作るなど科学者か運転手になりたかった。田舎からソウルに転学してから孤独な時間があった。読書に夢中になった。受験勉強はそれほどではなかった。中高校時代は文学作品を多く読んだ。フロイドのようなメガネ、古い革製品のカバンを持っていた。骨董品趣味があり、学友から「老人」というニックネームが与えられた。私の老人時代は長い。
10歳過ぎの愛犬ミミちゃんは老人時代。子供の時していた靴などを齧ったり跳ねたりすることは今は全くしない、できない。ベッドにも上がれないのでそこと食卓の椅子、ソーファなど3か所に足台を作ってあげた。定年、定職ですることのない人も多い。ポストについて気勢堂々とした人、偉そうに君臨した人も気が弱まっている。他人事ではなく、自分自身のことである。今日はやりがいのある研究を続けている地理学者の川村博忠先生の講義を聞く。ワンアジア財団支援公開講座の第5回目である。*写真は私の青春時代
父上が林兼造船所で務めたという地元の田辺正樹氏が新しく読書会のメンバーとして参加した。彼は自分の父親が使ったことのある下関市指定文化財の乾船渠(旧四建ドック)の保存の必要性を語った。それは私が散歩途中で見て汚れた水が溜まっていて危険な印象を持ったところである。1911年に内務省が海底の土砂をさらったり暗礁を取り除いたりした作業船を整備するドックとして作られたものだという。下関市は文化財委員会の諮問を受けてそのまま埋めて地上に駐車場を作ると発表した。それに彼は反対運動を展開しているという。
そこに倉光誠氏が韓国語の拙著への書評を言いながら何を文化財として保存すべきか基本的な問題点を出した。日本が作った旧朝鮮総督府庁舎は韓国が必要ではないから壊した。利用し、それ以上利用性がないものを捨てる。しかし捨てるべきではないという意見もある。ゴミという認識もさまざまである。ゴミといわれる物の中に生活し、市民に迷惑をかけているというニュースもあった。建築物として利用性のない原爆ドームを保存するのは何でだろう。世界遺産、文化財が氾濫している今日。本当に保存する理由は何だろうか。
下関に住み十年過ぎ,自分では地元の人間と感ずるようになった。しかし住民の方々からはまだよそ者であろうか。地域の新聞の山口新聞のコラム「東流西流」に11月12月に連載することになった。取材を受けたことがあっても執筆ははじめであり嬉しい。OKした。友人の田辺正樹氏からの電話紹介、江口寿子記者がすぐ訪ねてきた。考古学が好き、今週の公開講座の講師である川村博忠先生のお名前を学生時代に聞いて知っていると嬉しい表情であった。掲載用の写真にポーズ、初めて新人オーディションを受けるようにフラッシュの光が室内を放った。
下関に住み初めころには港町、関門大橋、海底トンネル、フェリーふ頭など新鮮さを強く感じた。バス乗り場で待つ時や車内風景などのエッセーを書いて『下関を生きる』を自費出版したことがある。新鮮さから親しさに変わって、歩くたびに会う人はみな知り合いのように感ずる。すべての人が顔見知り、村生活のように感じている。しかし、もしかしたら片思いだろうか。排他的なところだといわれるこの町では異人のような存在ではないだろうか。「東流西流」、片思いはいつまで続くだろうか。
*逆取材のように江口氏と記念撮影
今週土曜日10月29日はワンアジア財団支援公開講座の第5回目、川村博忠氏の「絵図から見るアジア」が行われる。先週は金俊氏がマテオリッチのアジア観について語ったことと、スカイプ映像で登場した姜海守氏は日本から見たアジア観に重ねて話をしてくれた。それとも関連するが今回は世界図からアジアを考えることとなろうかと思う。川村先生は日本絵図学の創立者の一人として世界的に知られた学者であり、講座には多くの市民の方々に参加してほしい。
この講座はITによる公開講座である。しかし講義を公開することには難点もある。画像や映像の資料などの信憑性、キチンと出典の掲示などが求められる。幸いに本講座では順調に行われている。東京からだけでなく辺鄙な港町から世界へ発信すること、これこそ地域創生、活性化と思っている。残念なことはよい機会を提供しても受け手が消極的であることである。学内には「授業参観」という教科があるがこの講座はその視野から外されている。また公開されるのでフェースブックの中継で聞くという方も多く、主席率が低下するかと懸念する。
*写真は川村 博忠 -吉川弘文館.
定期受診で主治医の池田先生は季節の変わり目なので風邪を引かないようにおっしゃり、聴診器で私の胸の音を聞いてから、シャーマニズムについて質問された。先日差し上げた私へのインタービューの『文化人類学』の記事を読まれたようである(写真)。私の紹介で大学で講義を担当していることに感謝の挨拶もあり、話は健康相談を越えて日常会話になっていた。しかし医者からは患者とのラポールであろう。楽しい受診、これもいつか心配ごとの相談に発展するかも知れないと思った。
研究室に2年生の白君が二人の中学時代の友人を連れてきた。この大学へ入学を希望しているという。一卵性双生児であり日本語もできて白君の映像編集に協力していた。この映像は先週の公開講座のものであり、教員が撮影、学生が編集した教授学生合作になる。映像の最後に「東亜大学2年生白成烈編集、copyright©2016」を入れるように指示した。彼らは嬉しそうに笑っていた。
牧師のいない教会は成り立たないのだろうか。私が所属している教会は「無牧」(牧師がいない)である。代わり順で牧師が登壇して説教をしている。そして必ず牧師の着任を願う祈りが含まれる。昨日は福岡から来られた女性牧師李恵蘭氏が旧約聖書のハガイ書の聖句を以て失望している人々たちに勇気を出せという説教をした。後に祈りなさい、祈ったらできないことがないという。私の答え「私はシャーマニズムの研究者である」、彼女は一瞬黙っていた。なぜであろう。話は延々と続いた。
李牧師は母を牧師として本当の母胎信仰により牧師になり、韓国から18年前宣教に来られた。在日韓国・朝鮮人だけではなく、日本人にも伝道する意思をもって行ってきた。彼女はリべラル、人種や民族を越えて宣教をしてきている。しかし教団や国籍などハードルは高く多いという。彼女は宣教において私の存在を高く評価してくれた。私のタラントが活かされるように考えているからであるという。牧師から教授が認められたのは広島でアメリカから来られた蔡牧師以来のことであった。説教と講義は異なることを牧師に説教(笑)をした。
秋雨の午後公開講義は中国浙江工商大学の金俊博士が担当した。彼とは中国延辺大学の教員の時出会い、広島大学で博士号取得した方である。広島大学時代の中国からの留学生の中には彼以外にも5人の留学生が北朝鮮と旧満州の国境の和龍市出身であった。朝鮮族の中では最も多く知識人を輩出したという。私はそこを訪問してみたい。なぜであろう。風水信仰的にも面白い(笑)。彼に聞いた。ただ貧困村に過ぎないと言い捨てる。だからこそ勉強するようになったのではないか。それに同調する意見は多い。私は頷かなかった。貧困村は多い。知識への刺激、あるいは文化的影響を考えた。金氏は日本時代に鉄道が敷かれたという。それもそこだけのことではない。日本時代の教育都市であったという。中学でも日本語を学んだという。確かに彼の日本語は私より上手い。そのような地域も多い。なぜそこか。
世界は広く繋がっているが人工意識的に境界を作ってきたという。その境界には他者意識、イデオロギーによって壁が作られていくと説明された。それについて地理学者の川村博忠先生は境界が支配者の統治権の領域の表示であろうと主張した。さらにヨーロッパからアジアは劣って小さいというアジア観、マテオ・リッチは「小国」といったと紹介されたことに疑問を提起した。私は中国の大国主義より小国論を真剣に考えるべきではないかと中江兆民の小国論の一読を薦めた。日本中心のアジア観については名古屋在住の思想史学者の姜海守氏の岡倉天心のアジア観が紹介された。私は福沢諭吉の脱亜、そして植民地との関連に触れた。金氏は最後に一言、多様な民族たちへの愛、そして私の和解のことばで締めくぐった。
昨日の読書会では生命倫理について議論した。長い人類史の中で人は食料を探して特に肉食をしながら移動してきた話である。ある人類集団が他の人類集団と殺しあってきたことに関することである。人類史とは残酷史であろう。しかし結ばれ混血を続けてきた人類史でもある。それで出来上がった多民族が真摯に平和友好になるのは可能であろうか。シリア戦争の映像を見ながら2千年前イエスが人類愛を訴えたその地域では不和と戦争は絶えず続く。人類愛の「愛」とはなんだろう。感情的なものと思われがちであるがフロムは『愛の芸術』で愛は知的であり、倫理や社会的なものと主張した。
今生命倫理や人権思想を強調する風潮が流行っている。私は釣りやハンテングの映像には抵抗がある。動物の生命を尊重し、菜食主義者もいる。モルモットさえ実験用でも殺してはいけないという。しかし肉は食べる。考古人類学専攻の鵜澤和宏氏は人骨にも人権意識があり、骨返還の民族運動もあるという。医学博士の倉光誠氏は死体を物体として考え、解剖するという。しかし解剖後には葬式を行うのはなぜだろうかと。
家内が今私がある人にインタビューしたもののテープ起こしをしている。大変な作業を手伝ってくれる。私がその作業の意味を理論書を以て説明すると彼女は「学者を作るつもり?」と言った。病院での看護や介護、家の中の「家内」としての家事や私の介護以外にも研究そのもの、各種の研究会、講演会など共にするスケジュールがいっぱいである。教会でもそうである。その教会の臨時担当の牧師がわが「家庭尋訪」(韓国語)の予定が報じられている。数年前わが家にきてイエスの首弟子ペテロの裏切りの話をもって説教をした牧師が再度訪問することとなるかもしれない。
イエスが弟子たちに「あなたがたは、今晩、わたしのゆえにつまずきます。」と言われた時、「私は決してつまずきません。」と、最も強くそのことを否定したペテロが裏切ったという話である。私も人間関係の中で裏切りに不快な思いをすることが多くある。しかし自分が裏切ったとは思えない。聖書に戻って考えてみた。ペトロとイエスの関係は不変なものであった。尊敬心と愛によって結ばれていて弟子の中で首弟子になっている。彼はイエスの愛に泣き、彼の人生の新しい出発があったと牧師はいうつもりだったであろう。しかし家庭訪問先で裏切りの聖句を以てメッセージをするのはいかがなものかと思う。
今週の土曜日10月22日は第4回目ワンアジア財団の支援公開講座が中国浙江工商大学の教授金俊氏が「近代におけるアジア言説の成立とその性格」についてなされる。アジアという概念が形成されてきた経緯が分かる。アジア認識の基本概念、内容の要点は次のようである。
「生きている口には蜘蛛が巣を作らない(산 입에 거미 줄 안 친다)」という韓国語の諺、生きている間は食べることができるという意味である。今私の机上に深夜に蜘蛛が巣を作ったのを見つけた。どういう意味か、予兆か。新しい研究に挑戦しようかと思った時、忙しいのでやめようかと思ったが、プラス思考にすることにした。毎週の公開講座の担当、12月の科研グループでの発表、来年3月に映画「冥界婚」について有名作家柳美里氏とのトークショーなどが続く。蜘蛛が巣を作らないように頑張らなければならない。
釜山と下関の姉妹都市40周年記念行事に中尾友昭市長を団長として多くの人が今日フェリーで出発する。下関の朝日新聞の上山崎雅泰記者からその意味についてインタビュー、私の日韓関係に関する見解が求められた。いかに政治や政治家の関係が悪くても民間人は友好的、倫理的であり交流は深められていると語った。そのことが今朝の朝刊に「友好は高まっていく」など12行にわたって書かれている。
観光は良い事業となっている。遺跡など見世物の豊富なところは黙って設けるようであり、それがないところは見世物を作り出す。熊本地震後韓国からの観光客が激減して困っている。私が住んでいる下関は地震や台風も少なく安全であり、歴史的記念物や温泉も多いが観光活動は下手のようである。しかし先日韓国からの団体観光客が下関、秋吉台、萩などに巡行したことを聞いている。ドイツから来られた家族が山口古文書館に案内されたといい、観光から探訪、調査へと逆に変わっていくようである。
土曜日の夜「源平night in 赤間神宮」をはっじめて鑑賞した。前置きに観光客を対象に11年前から恒例で行う行事であるという。ちょうど私が下関に移り住み始めたころからである。神典の前の階段で照明スポットライトを浴びながら「義経八艘飛び」から「Musical維新~奇兵隊~」まで、関門海峡でおきた時代の潮流が一つの舞台に仕立てられた歴史舞台劇、感動した。200席の満席、住民・村民の楽しい時間であった。