崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国外相国連事務総長候補

2006年09月30日 08時12分49秒 | エッセイ
 韓国潘外相が国連事務総長候補になり可能性が高く報道されている。総長になれば韓国人の位相や東アジアの人物像が世界的にアピールするだろう。韓国人は140カ国以上に散らばって住んでおり、国際化の力は日本とは比較ならない国際的環境を備えている。ただ役職の座に座るということだけではなく、働くことも期待されている。韓国では子供の時から男が布団のなかで羽を伸ばすようなことをせず、外で活躍しなさいと言われ育った。日本は経済力はあっても人に影響する人物を育成してない。それは内側では悪くないが、国際化時代には相応しくない。やはり教育改革が必要である。

安陪晋三総理のスピーチ

2006年09月29日 06時02分57秒 | エッセイ
 安陪晋三総理の短いスピーチに「しっかりします」「思います」という言葉が35回繰り返されたという報道があり、、韓国の多くの新聞にも報道されているようである。その人の癖のようなことを指摘することはいいとは思わない。それよりはレトリックがなく、散発的な言葉を並べたようなスピーチが伝わりにくいように感ずる。教育改革には日本人のスピーチ教育が必要と思う。さまざまな会議はほぼ雑談会のようになり、司会者の機能も働かない無駄な時間が多く、効果的な成果も出せずただ忙しいとなるのが日本人の現状である。発言しない傾向、かと思うと各自、雑談のように発言する日本人全体のスピーチがもっと問題であろう。

犬から学ぶ長寿秘訣

2006年09月28日 05時55分12秒 | エッセイ
 わが愛犬のミミはこの夏20歳になった。人間の年で言うと100才は越えているはずである。もう立つことはできず、食べ物や水も口元に持っていかないと食べないし、飲めない。ミミには幼い頃から好きなものを飽きるまで食べさせたので食べ物に欲張る性格ではなく、首輪もしていないので自由にし、散歩の時も人や車の通る道はだっこして歩き、ほんとうに愛され、大切にしてきた。韓国語では幸せな運を「ケパルチャ犬八字(犬の運)」という。
 幼い時から長い間はスチック砂糖をよく食べても糖尿病にもならず、健康であり、現在はやわらかい肉だけをたべる。しかし変わらないのは水をなめるように美味しく(?)大量に飲む。それを見て長寿の秘訣は水飲みにあると思う。しかし私は水を飲む量は少ない。これからは飲もうと思っている。水は生命に主要なエネルギーである。将来水は石油の代品になるかもしれない。そういう研究が進んで欲しい。

異様から正様へ

2006年09月27日 05時28分29秒 | エッセイ
 小泉氏が自分の時間やリズムを大切に守っていると言われている。凡人がそのようにすると社会的に孤立させられるはずであるが、彼は上手く社会のリーダーとしての地位を確保したように思う。
 私は50代から旅行や調査の時にも早寝早起きをしている。それは別に硬い意志でするわけではなく、自然に体のリズムによるものである。4時前に起きて、鉄棒にぶら下がり、ちょっとした運動から一日の行動が始まる。
 韓国では一昔まで「月下で夜に体操する」のを異様な人だと言われていたが今はライトをつけてスポーツをするのは異様でもなんでもない。狂気のようなことが正気になったようなものも多い。特にもじゃもじゃの長い男のヘアースタイルは狂気のようなものであった。ファッションだけではなく、人の考え方もそういうように変化している現代である。

北朝鮮の船

2006年09月26日 06時40分54秒 | エッセイ
 下関の港で北朝鮮の船が停まっているのを見かけた。ハングルで新義州三興(Sam Hung3?)と書いてある。船員たちはほぼ上半身が裸になっている。北朝鮮に行ったことがあるので、なんとなく親しみを感じ、嬉しくて、話をかけたいと思ったが、話しかけるには距離があってできない。港湾庁の建物の内側にいるので入口を探してが門が閉まって入ることが出来ない。ようやく人を見つけて話してみたら日本の警察である。港湾庁の許可なしには接近することが出来ないという。早速関係署に問い合わせてみた。これから港湾庁などに許可を得て北朝鮮へ行かなくても、北朝鮮の船員たちに小生の専門分野であるシャーマンのことなどをインタビューが出来たらよいと期待している。日本人からは恐ろしい敵のような感じがあるかもしれないが私はなんと親しさを感じている。その分私は愛族主義者なのかもしれない。

岸壁でつり

2006年09月25日 07時21分56秒 | エッセイ
 家内と下関の岸壁で初つりで54匹のあじと4匹のさばを釣った。もちろん道具をそろえてくださり、釣れそうな所を案内してし、そして指導をしてくださった益田さんのおかげである。天ぷらをして喜んで食べた。私がこのような時間が取れたのは心の余裕が出来たからかもしれない。無趣味で研究をしてきたという自分を振り返ってみると楽しみの多くを抑えてきたことにもなったようである。楽しみは他にも多いはずである。しかし、それを開拓するには少し、遅いかなと半分反省しつつ、今からでも少しずつ趣味の開拓もして見たいと思った一日でる。

拙著の中国語訳

2006年09月24日 06時33分42秒 | エッセイ
 数年前張愛花氏によって拙著「韓国民俗への招待」が日本語から中国語に訳され、今度は愛知大学の周星教授によって拙著「哭きの文化人類学」(館野あきら氏の日本語訳)が中国語で北京商務印刷所から出版され、また広州発行の「開放時代」に翻訳された小生の論文が掲載されているものが昨日届いた。シャーマニズム関係の論文なども中国語訳があるので、これからは中国の読者からの反響も待ちたい。
 また昨日韓国から木浦大学の論文集が届いたがその中には私が20年ほど前に書いた「波市」を基礎に二人の学者が書かれた論文が書かれている。このように後輩たちが研究を重ね、評価されることに大いに満足している。そして後輩に負けないようにさらに研究を続けたい。

言い訳

2006年09月23日 07時49分49秒 | エッセイ
 親から言い訳と口答えはしないように言われて、育った。その時、日本人は言い訳はしないとも聞いていた。しかし日本ではよく言い訳が言われている。中でもびっくりするのは遅刻した学生がいう朝寝ぼうをしたということである。また健康上ということである。それは言い訳ではなく事実である場合が前提になっている。しかしそれも日本文化のように思われる。韓国ではよく頭かお腹が痛かったといういいわけが多いからである。

歪んだ民族主義、「京城帝国大学資料館」

2006年09月22日 07時05分06秒 | エッセイ
 戦前の映像を整理している途中、ソウル大学校博物館の沿革を見て意外のことに気がついた。客観性をもっとも尊重すべきであるソウル大学は私の母校でもあるので、私は旧京城帝国大学陳列館の史料によって勉強したことがあるがソウル大学が現在のところに移転してからは縁が遠くなった。しかし現在の博物館には当時、秋葉隆氏などが尽力したことはよく知られている事実なのに、そのことは沿革には書いていない。資料説明にも歪んだ植民地主義だと批判されている。私が沿革や解説を読んでみると日本について歪んでいることが目立つ。これを見て、本当に韓国で客観的な研究は可能なのでであろうかと、また私自身にも自信がなくなるように感ずるところである。

歌麿の朝鮮通信使見立て絵

2006年09月21日 06時28分07秒 | エッセイ
 下関在住の所蔵家の歌麿の朝鮮通信使見立て絵を預かって数週間になっている。彼はドイツでのオクションで購入したが自分が持っているよりも適所に差し上げたほうがその絵にとってもよいという。私はいろいろのところを探して専門家に見てもらった。この作品「唐人行列」という表題はボストン美術館の資料にもあるように、朝鮮通信使行列の見立て絵であることはまちがいないという。ドイツ語と日本語のキャプションを対照させて読み、「極」の丸印がついて、この作品に重みをあたえているという。今まで書斎に飾って楽しんだ時間もそう長くは続きそうにない。

サハリンプロジェクトの問題

2006年09月20日 08時12分29秒 | エッセイ
 日本の大学でロシア語が人気がなくて、学生が集まらないので大部なくしたところも多い。世間の目ではそうであっても先見の目ではそうではない。いつかは必要な時がくるはずである。サハリンプロジェクトの問題が起きた。これからロシアと付き合わなければならない時がくるだろう。サハリンは韓国とも関係のあるところであり、注目すべきであるが日本人の関心は薄い。私がサハリン朝鮮人の現状に関するものを書いていざ出版という時に、売れないからと一発で断わられたことは忘れられない。出版文化も商業意外には目が届かない出版社も多いことは悲しい。それでも「捨てる神あれば拾う神あり」であって、そろそろ私そのサハリンに関する拙著が出るころである。

敬老の日

2006年09月19日 07時50分30秒 | エッセイ
 昨日は敬老の日であった。私も確実に老人になった。しかし今若い人たちも確実に老人になる。老人が自分とは違うように考える人こそ、老いはあなたのことである。したがって老人対策は若い人あなたたちのための政策である。いま年金など老人たちが不安に思っていることは老人自信が若いとき関心を強く持たなかったことに要因があると思う。若い時老人を考えることは「明日はわが身」と自分のことであると自覚して欲しい。

台風13号

2006年09月18日 06時26分53秒 | エッセイ
 高層アパートで冷房をほぼ使わず夏を過ごしたが台風13号に直撃されて、自然の怖さと海岸の高層アパートの弱点も感じた。台風は自然現象であり、われわれは「自然に」考えているが、実はその自然さには不自然、あるいは超自然性が潜在している。台風の力は発生の原理は自然現象であるがその力を起こし、動くことなどは不自然なものである。つまり現象を説明することは出来てもその現象の元は神秘的といえる。自然を深く考えることで思い辿るところが不自然であること、そこに宗教と科学の出会いがあるのだ。

屋根の銅板が盗まれる

2006年09月17日 06時19分10秒 | エッセイ
 屋根の銅板が盗まれたというニュースを聞いて、目下出版作業中であるが、調査中にロシア・サハリンで聞いた話を思い出した。駐車中の車の部品が盗まれることは普通であり、ポークレーンで車が保管されたまま、車庫ごと運んでいく窃盗もあると聞いてびっくりしたが、日本でも屋根から銅板をはがしての窃盗、しかも神社の屋根というほんとうにバチアタリと表現されたこのニュースに治安の不安を感ずる。そして、銅板窃盗より怖いのは弱い人をいじめ、残酷に殺す事件が蔓延していることである。

オウムの麻原氏死刑確定

2006年09月16日 06時51分40秒 | エッセイ
 オウムの麻原氏は信者から神様とされたが、死刑が確定された。死の前に人間はどんな恥でもさらすことは人間の弱さとして理解できるが、彼は少なくとも「偉大な人」には該当しないことは明確で、残念である。彼に比べてイラクの元大統領のフセインは未だに自分は「大統領だ」と主張しているなど、比較にもならないが麻原よりカリスマを持っており、宗教的人物にふさわしい。多くの世俗的な独裁者の末期でも麻原よりは宗教的である。