崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「先生の日」

2009年05月16日 06時32分30秒 | エッセイ
広島大学時代の学生であって今や大学で教育者・研究者になっている愛知教育大学の上田崇仁と韓国世明大学校の中村八重の二方から「先生のご恩に感謝します」というメールが届いた。韓国では5月15日が「先生の日」であると改めて思い起こしている。社会によっては先生とは単に職業者ではなく、尊敬される人となっている。それは教育を重要視するからである。先生が尊敬される社会では先生が権威をもつことで教育的影響力を発揮するという仕組みになっている。その社会では先生は権威とカリスマによって尊敬される。権威(authority)とは実力などに因んだ要素であり、カリスマ(charisma)は外見や非日常的な要素によるものである。
 韓国では伝統的に父、師、君は一致するといわれて特別な職種の人間としてきた。今は君抜きに父と師の一致の観念はまだ強く存続する。日本では天皇崇拝は強く残っているが、先生のイメージは脱落している。韓国の「先生の日」は伝統社会の因習とみられるかも知れないが、親子関係、子弟関係が人間社会の基本への回復という新しい意味づけができるものである。私は今日民族学博物館の研究会に出て、明日ソウルで恩師の全集出版の編集会にでる。それが恩師へのよいお土産になるかもしれないと思っている。
 

「もみじマーク」

2009年05月15日 05時58分18秒 | エッセイ
新緑の時期に紅葉の話はやや性急なことと思われるかもしれないが、高齢運転者の「もみじマーク」を見て思うことがある。日本でも紅葉観光は盛んに行われている。広島の宮島の紅葉の景色は日本三景ともいわれている。紅葉マークは橙色と黄色に塗り分けられ、初心者マーク(若葉マーク)に比して紅葉のように見えることから、一般的には「もみじマーク」と呼ばれる。それについて高齢者自身が抵抗感を持っている人もいるようである。人生の黄昏の寂しさを示すというネガティブなイメージからであろう。
 紅葉は植物が枯れて落ち葉になる前の色である。昔私は紅葉を美しく思うのは人間の勝手な感じ方だと思うという文を書いたことがある。つまり植物や自然現象を人間が都合に合わせて解釈したものと否定的に思った。その私の否定的な見方を広島大学時代の同僚であり親友でもある芸術専門の金田晋氏の指摘で目から鱗の感があり悟った。つまり人生の黄昏とは言っても高齢者は経験を踏まえて花のように美しい色を発散することができるというのだ。美しく、意味の深いシンボルマークと考えたらいかがであろうか。

人材発見

2009年05月14日 06時33分34秒 | エッセイ
 私は若い時、文化広報部の仕事をしたことがあり、新聞記者と会う機会が多かった。その中には韓国で優秀な言論人になった人もいる。それを思い出すとよく現場を歩く記者だったと思う。新聞記事を読んでもその現場感はわかる。どこでも私は中央誌と地方紙を一緒に購読する。中央誌の新聞記者の移動は激しい。そのたびに記事の熱度が変わる。この地域では最近飛び歩くような女性記者が地域の情報をよく書いてくれたが彼女の転勤後中央誌の地域ニュースなどは力が抜けてしまった感がある。
 医師もいろいろ、大学教授もいろいろであるように中身は異なる。全国的に建物の様式や組織などは統一することができても人の質を上げることはなかなかむずかしいようである。そんな中で下関では良い人材が次々と見つかって嬉しい。今水面下での人間交流を楽しんでいるところである。

プーチン首相

2009年05月13日 05時29分12秒 | エッセイ
 ロシアのプーチン首相が日本を訪れている。彼は2000年から2008年までロシアの大統領であったが、大統領から首相へ変わった時に日本のマスコミは異様な態度を見せた。つまり上位(大統領)から下位(首相)への転位になかなか納得がいかなかったようである。彼がKGB出身として最初登場した時ロシアでも危険人物という印象が広がった。しかし彼はロシア人にソ連時代の大国への復興を持たせる人として、広く支持されており、彼を支持するロシアの国民を理解出来るような気がする。私はソ連崩壊直後モンゴル国の高級官吏たちの事務室を訪ねたりロシア・サハリンの知事や市長などと食事をともにしたりしたことがある。彼らは演壇に上がった時も複数の人が横座し、権威ある厳粛的な雰囲気を作らない。質素な事務室、上下の区分による距離を持たない。ロシアの中学校では卒業式の司会は学生がする。日本がいかに官僚主義社会であるかがわかる。大統領や首相は役割の役者であるというイメージが強い機能社会であることを参考にしてほしい。このような大統領への信頼心から考えると日本の首相は一市長よりも少ない票で当選して党内での政治活動で決まる。要するに国民に訴えて信頼されるより、政治家たちによって選ばれるというイメージが強い。大統領制への改革はできないものであろうか。

ロングストデー

2009年05月12日 05時47分02秒 | エッセイ
 京都行きはまず地元のバスとローカル線にのる。偶然に教会の牧師夫婦に会い楽しく車内で話をした。京都ではタクシーで京都造形芸術大学につき田口章子教授の案内で早速舞台で映像などを調整し打ち合わせした。控室には久しぶりに京都住まいの友人の多比良建夫氏が来てくれて談話をした。自分の発表の内容を最終的にチェックすることなく、舞台に上がってしまった。集まった人数は学生と一般市民の350人位だという。多少不安があっても40年以上研究したことであり、何とかこなせると思った。しかし朝からかなり話をしてきたので喉は完全に枯れて疲れてから公開講義が始まった。
 講演が無事に終わり照明が暗くなり私は舞台の後ろに退場した。その後場内で質問した人が現れた。彼とは名刺を交換した。彼はこのブログの愛読者であり、ブログではニックネームだが、意見交換がずいぶん行われ親しみを感じていて、実際会えて嬉しかった。帰りの新幹線はダイアルトラブルで40分以上遅れて深夜に帰宅した。またロングストデーであった。

雀様と崔様

2009年05月11日 06時08分05秒 | エッセイ
 山道を走る車の前に轢かれそうにいる小雀がいる。おそらく新しく巣立ったばかりの雀のようである。私の苗字の「崔」は「雀」と似ているため、「雀様」になる時が多い。以前、中部大学に在職中の同僚であった台湾出身の王氏と五島列島に一緒に調査に行った時旅館の歓迎の立て看板や食卓上に「王様」と「雀様」の対は、滑稽な思い出として残っている。韓国では雀は家禽な野生鳥であり、それに比したことばも多い。その一つに物忘れをすることを「雀肉(焼き鳥)を食べた」と比喩する。全く忘れたことは烏肉を食べたとも言う。
 人が車に轢かれても雀はひかれない。雀の機敏さと知恵は神秘的である。雀が私を見ているのを注視していると「雀様と崔様の対決」のような、もう一つ滑稽な風景になる。どうしてこの小鳥に知恵と飛ぶ能力が与えられたのだろうか。脳があり、心臓から温かい血液が流れ、それぞれの神経が作用し、立派に生きていると思うと突然小鳥が「雀様」に思える。一匹の蚊の命でも大切に思うべきである。

野いちご

2009年05月10日 05時54分14秒 | エッセイ
 時々大学のキャンパスを歩き、野生の草花を切って研究室や廊下を飾るのが楽しい。最近大学の坂道を一気に上ることはできない。ゆっくり歩かなければならない。ゆっくり歩きながら草花に視線がいくことが多い。昨日は同僚に誘われ昼食を食べ、デザートに野生の野いちごをたくさん食べた。韓国では「サンタルギー(山いちご)」という。それを日本では「野いちご」とか「熊いちご」と言い、これは人が食べられる。これらはバラ科の多年草の木の実である。これと似たもので人は食べられないイチゴがある。この草のようなイチゴを日本語でも韓国語でもヘビイチゴという。なぜ同じ発想で同じ名前なのであろうか。野イチゴが世界的に広く栽培されるようになって野生の野いちごはまさに野生いちごのまま蛇と熊のいちごになった。最近韓国でも野いちごが栽培され人気がある。キャンパスの坂道で昼のデザートとして野いちごを食べ、まだたくさん残っているのにそのまま帰るのがもったいないと思った。ヘビ、クマ、鳥などが食べる野生のものを人間が横取りしているのだろうか。晩秋に枝に残っている柿を鳥が食べるのを見ると人と鳥が食べものを共有しているように見える。自然の文化化、文化の自然化の現象ともいえるのかもしれない。
 

肩組みあう友

2009年05月09日 05時37分42秒 | エッセイ
前回の握手のことを再考してみたい。日本では握手が一般化されていないと指摘したことは日本人を悪く言っているのではない。それは人間関係の身体的距離感があるということに過ぎない。ニューヘブリデス諸島を調査した人から聞いた話ではそこでは人と会っても「視線を合わせない」という習慣があるという。猛犬に視線を合わせるのは危険だということに因んでいるようである。日本人に握手の習慣が少ないことは別に善し悪しの問題ではない。私はハーグはしないがロシアと中国でハーグされたことが印象に残っている。
 握手ではタイミング、相手の性別、年齢などに気を使うので大変面倒なことである。その握手が韓国で一般化されたのは韓国では伝統的に身体的接触をする挨拶があるからであろう。韓国では幼い時から親しい友人をオッケイドンム(肩組みあう友)という。パーティやデモ隊などで、特に酒を飲んで肩を組むことが多い。女性同士も友だちは手を繋いで歩るく人は多い。この光景が日本人から同性愛と誤解されそうである。それは韓国人の表現様式として理解してほしい。日本人に握手が少ない、身体的な距離感があることは親しさの有無のはかりにはならない。それは泣く様式と悲しさとは必ずしも一致するものではないことと同様であり、それが拙著の『哭きの文化人類学』の結論である。




アカシアの花

2009年05月08日 05時48分47秒 | エッセイ
 朝の散歩道でアカシアの花の満開と香りに、突然生まれ育った故郷が懐かしくなった。アカシアの葉をたくさんとって敷きつめてその上で花を取って食べたり、ままごとをしたりして遊んだ。子供の時には花を美しく思ったことがないのに今になって美しく感ずるのはなぜだろうか。「花より団子」のように花までも食料としたことを思い出す。韓国では山ツツジの花をはじめ菊など花をファジョン(花煎)としていた。花の香りを酒にしたり、食料とするのは世界的にも多い。
 「花より団子」の習慣から「人生の花」の思想は人間文化の原点であろう。動物は花を鑑賞しない。食料とはする。人間には花を美しく感じてきた長い歴史がある。屏風には花鳥が描かれたものが多い。花を描き、歌い、詩を吟味するなどの歴史を踏まえているから花が美の対象として視線に入る。しかし花がただの「屏風の中の花」ではない。その中身は食べた味や香りなどが含まれた懐かしさもある。今私が懐かしく思うアカシアの花は韓国では日本植民地の「悪カシア」といわれたが、私にとってはあくまでも「花は花である」。

「握手を禁ずる」

2009年05月07日 05時24分08秒 | エッセイ
 私が通う教会に新しく牧師が新任して握手が増えて和気あいあいの雰囲気になった。韓国に比べると日本では握手は普及されていないようであり、政治家専用のようなものである。西洋では握手に加えて、キスやハーグなどもっと接触する挨拶が一般化されているところが多い。
 いまメキシコ発症のインフルエンザが世界的に広がって恐れられている。インフルエンザの国際的インフルエンス(影響)で病気の国際化の時代を象徴する。これは一般的に国際化に肯定的なイメージだけが強調されているがその否定的な現象の象徴であろう。私自身も国際化に乗って各種会議や調査などにも参加したが国際的な詐欺者にひっかり、大きく損したこともあった。
 メキシコ政府が国民にキスやハーグなど接触する挨拶を自制するようにした。他国では発症国への旅行を自制するようにしている。これから遠くから手を振る「天皇式挨拶」が流行するかも知れないと言いたくなる。何があっても温かい挨拶を交わすことを忘れないようにしてほしい。

「連休」を「連勤」

2009年05月06日 06時00分30秒 | エッセイ
 大型連休が今日まで続く。憲法記念、子どもの日などが重なって連休になっている。私は「連休」を「連勤」にしているような日々である。これを聞くと私がまじめ過ぎに思われがちであるが、実はそうではない。大学に来ている学生からもなぜ休み中なのに学校に来ているかと逆質問された。嬉しくて「遊びに来た」と言った。私にとってコンピューターや印刷機などは遊び道具であるとも付け加えた。研究室の廊下には花を生けた。私が花を生けるのをみた理事長は私に「生け花を教えてみたら」という。真面目な冗談であろう。
 広島大学を定年した時は学問はもうしないつもりで大分本を処分したが、私はほかにする趣味もなく、本を読んで文章を書くことを続けている。仕事を遊びのように楽しく思うのはヴェーバーのように仕事は神からいただいた「召命」だといった人には神聖なものを侮辱することになるかもしれない。先日ある小さい喫茶店に絵の展示を鑑賞するためにたずねて行ってみた。喫茶店の雰囲気がとてもいいので私は主人に「趣味でやっているようですね」とつい冗談のつもりで言ったら、彼は人の職業を趣味とは失礼だと怒ったので気まずくなってしまった。私のこのような心を理解してくれない所には二度と行かないと私は今も怒っている。

自転車の道

2009年05月05日 05時20分57秒 | エッセイ
 下関に住んでから自転車に乗ることがほぼない。通勤するには坂道やトンネルなどがあって自転車では難しいと考えたからである。家内が毎朝送ってくれるがその負担を減らすために帰宅にはバスや電車などを利用することもある。思い切って自転車で帰ってみた。トンネルを避けるために遠回りの道を選んだ。久しぶりに乗る不安もあって3か所の登り坂は苦労であった。日が暮れ、暗くなり自転車に乗るのはますます大変であった。
 80歳以上の人でも車を運転するのに未だに車の免許を持っていないことに後悔もした。若い人が免許を持っていないということを聞くと半分機能をしない人のように思いながら自分が運転できないのは何か特権のように思ったことに自責した。健康なエコ生活のために自転車乗りを勧める声もあるが、このような登り坂が多い下関では無理かと思うようになった。大通りを横断する横断歩道がないことが分かった。細道を歩くしかない。新しく発見した細道には「私道により出入り禁止」「通り抜け禁止」などの看板が立っている。人を家の中に閉じ込める社会である。韓国や中国から来た人は日本には歩く人が極端に少ないという印象を語ることに納得する。

朝鮮飴

2009年05月04日 05時38分53秒 | エッセイ
 福岡読売新聞に転勤された南氏から朝鮮飴をいただいた。日本の菓子などが甘すぎると不満が大きい私であるがこの甘物には特別な味を味わっている。それには私にとって特別な意味があるからである。飴は我が家には常にあったものである。父が胃腸病を持病としていた。母は飴を作って水飴を壺にいれて和紙の蓋をして棚の上の物入れの所に秘かにおいており、父に山奥の檀の花の乾燥したものを混ぜて食べさせていた。私は母に言わず、手が届かないので枕を足台にして秘かに食べてみたこともある。それは民間医療の薬であり母親の愛情の宝物であった。それにも関わらず父は朝鮮戦闘中52歳で亡くなった。
 母は毎年冬に高粱を使用した淡褐色の黒朝鮮飴を作った。それは私にも今でもすぐ作れそうな方法である。わが家には高粱畑があった。赤いキビ粉を麦麹と水に混ぜて溶かして大きい釜に入れて5,6時間煮詰める。固い飴の前に壺に入れたものが水飴である。母は例の水飴を取ってから焼き豆やゴマなどを混ぜて冷まして固める。やがて自家製が少なくなり大きい鋏を鳴らしながら飴売りが民家をまわることもあった。その風景は懐かしく、今は韓国で伝統芸として演じられている。終戦直後米国産のカンに入ったドロップ飴を食べてみてその美味しさに驚いた。韓国や日本はアメリカの飴玉に惚れてアメリカが好きになったのではないだろうか。西洋植民地の熱帯地方の砂糖やゴムはプランテーションの重要項目であった。今では我々がその甘い物を深く考えずに乱用している。
 

滑稽な人

2009年05月03日 06時33分18秒 | エッセイ
 下関の五月の連休は先帝祭で賑わう。昨日前日祭として行われた平家子孫による安徳天皇の追悼祭を観察した。琵琶の演奏会や当時の再現の行列もみた。意外なことにアメリカのピッツバーグからの外人、韓国などからの留学生などが行列に加わっていた。厳粛と華麗な儀礼に参列して、韓国で数多くの儀礼の調査を行ったことが蘇ってきた。観光客も頭を下げたり黙祷をしたりした。
 琵琶を弾きながらの演奏者の口承を大声でいう人がいた。公演などに現れて踊る人や、このように厳粛な時、必ずともいえるほどこのような人が現れる。それはここだけのことではない。否、世界的な普遍的な現象かもしれない。それは人々を完全に同様にすることの難しさを意味する。戦前「非国民」をなくして全国民を「忠良なる国民」とすることは不可能であった。ただそのような存在にどう対処すべきかが問われている。厳粛な雰囲気を壊す人を滑稽に思いながら戻ってきた。

「戦争と戦没者をめぐる死生学」

2009年05月02日 06時00分25秒 | エッセイ
 戦争と戦没者慰霊について、死生学的な観点から「戦争と戦没者をめぐる死生学」の学術会議で私が司会をする予定のプログラムを紹介する。
日時 2009年6月6日(土曜日)10:30〜18:40
場所 東京大学本郷キャンパス 法文二号館一番大教室
主催 東京大学グローバルCOE「死生学の展開と組織化」
第1セッション「戦没者への眼差し」(10:40〜12:20)司会:崔吉城
 テレングト・アイトル(北海学園大学人文学部)「敵味方が乗り越えられるか――13世紀『蒙古の碑』の死生観をめぐって」
 池映任(東京大学 学術振興会外国人特別研究員)「韓国における朝鮮戦争の記憶と戦死者儀礼」
 コメンテータ 真鍋祐子(東京大学東洋文化研究所)
第2セッション「戦争と死の物語り」(13:30〜14:50)司会:崔吉城
 加藤陽子(東京大学大学院人文社会系研究科)「戦死と遺族~死に場所を教えられなかった国とその戦後」
 コメンテータ 朴榮濬(韓国国立防衛大学校)
第3セッション「戦争の処理と消化」(15:10〜16:30)
 朴均烈(慶尚大学校)「日韓における戦争に関する消耗的論争の克服方案について:戦争の相関的正当性概念を中心に」
 コメンテータ 六反田豊(東京大学大学院人文社会系研究科)
第4セッション「戦争の倫理」(16:50〜18:30)
 朴政淳(延世大学校):A Critical Study of Michael Walzer's Just War Theory
 小林正弥(千葉大学法経学部):「コミュニタリアニズムと戦争倫理――ウォルツァー正戦論の陥穽とその存立可能性」
 コメンテータ 一ノ瀬正樹(東京大学大学院人文社会系研究科)
東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOE「死生学の展開と組織化」
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1 Tel : 03-5841-3736