暴雪の新宿で道に迷うも出版関係者と久しぶりにあって相談し、彼の案内で有名な中村屋でカレーで昼食、日韓文化交流基金を訪ね事務局長の余田幸夫、長、清水の諸氏に歓迎された。余田氏は1970年代から釜山総領事館に勤め2回も総領事を勤めた方で特に韓国の民俗学に関心があって早くから私の名前は知っていて下さり、先日東大での講演に参加されたという。話はお互いに積もる話もあったが、長い昔話を切り、記念写真を撮り、急いで次にビジュアルフォークロアへと向かい、駅で出迎えていただいた。
北村皆雄氏、三浦庸子氏と慰安婦について話をしている中、私が泊まっているホテルが昔、売春地域として有名なところであると聞いて、。ついでに案内していただいた。「新宿ゴールデン街」などの遊郭街をジグザグに歩いた。当時は芸者たちが自殺してもそのまま捨てたという。そこには無縁仏を祀っている寺が二軒も建っている。北村氏がフラッシュで照らし、三浦氏が書かれている説明を読み、私はそれを聞いた。細道の遊郭街に「宿」毎に2階建ての家が繋がって並んで、今は飲み屋になっているという。慰安所日記を読みながら想像してみた慰安所とは違う。それが慰安所と売春宿と差であろうか。今度の東京の旅は慰安婦調査となり、数時間歩きホテルについたのは夜の10時ちょっと前であった。
北村皆雄氏、三浦庸子氏と慰安婦について話をしている中、私が泊まっているホテルが昔、売春地域として有名なところであると聞いて、。ついでに案内していただいた。「新宿ゴールデン街」などの遊郭街をジグザグに歩いた。当時は芸者たちが自殺してもそのまま捨てたという。そこには無縁仏を祀っている寺が二軒も建っている。北村氏がフラッシュで照らし、三浦氏が書かれている説明を読み、私はそれを聞いた。細道の遊郭街に「宿」毎に2階建ての家が繋がって並んで、今は飲み屋になっているという。慰安所日記を読みながら想像してみた慰安所とは違う。それが慰安所と売春宿と差であろうか。今度の東京の旅は慰安婦調査となり、数時間歩きホテルについたのは夜の10時ちょっと前であった。