崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「嫌と反を超えて」

2016年12月31日 07時52分16秒 | 日記

 東亜大学校の韓錫政教授から京都新聞に掲載された「対話」が届いた。「嫌と反を超えて」とヘッドから示唆される日韓国交正常化50年記念記事。善悪「二分法を飛び越える」「客観的に解明、知識共有を」など異例な表現が綴られている。多くの日本人は韓国人でも良い話をしていると感ずるかもしれない。なぜなら韓国では日韓に関しては言論の自由がないと思うからである。しかし中には正しい知識人がいるといえる。

 散歩がてら家内の買い物に付き合った。年末の雰囲気がない。なぜであろう。祭りや行事が多く、祭りに飽きがきていると一人つぶやいていた。千数百ページの監修原稿の、最終校正をしている。やはり年末年始の雰囲気がない。年賀状は書き遅れている。 

 


「吉田清治の長男、衝撃の告白」

2016年12月30日 06時37分54秒 | 日記

 昨日今年最後の読書会は安倍総理のハワイでの演説のような、メモを以て話すことと日常的な話とはどう異なるかを社会言語学的に検討した。宮さんとの原書読書、欧米のニュークリティズムNew Criticism、ロシアの形式主義者Formalistsに触れた。たとえば詩poetryの言葉は日常の言葉にたいする組織的に暴力化された言葉(ogarnized violence, deautomatic...)という。文学の言葉と日常の生の言葉とは異なる。レビーストロース、ヤコップソン、チョムスキーなどの理論の主要なポイントに再び感動した。生の日常の話が形式化され、記録され、また口演されるのが今の現状である。それはメディアによって虚説、歪曲されているものもあると思われる。今新しいプロパガンダ的メディアによる社会が洗脳されている。記者の記事文の書き方は読む時注意すべきである。ニュースを伝える記事が評論的になっているものも多い。「……と言った」というべきものが「……と非難した」などのコメント類記事である。映像メディアは繰り返しによりインプットさせることである。
 釜山市東区の日本総領事館前で28日市民団体が一時、少女像を設置したが同市東区職員や警察が撤去し、市民団体メンバーに反発を受けているとのこと。「屈辱的な慰安婦合意に反対する」「平和の少女像を設置し、日本の戦争犯罪を記憶する」と主張した。メンバーの一人の礒永氏が『新潮45』にジャーナリスト大高未貴氏の吉田清治の長男、衝撃の告白の掲載号を貸してくれた。その慰安婦問題の嘘の発祥地は下関であるように下関が頻繁に現われる。嘘のパーワーは大きい。まだ嘘と思っていない人、国も多い。大高氏の文を読んで嘘か、事実かがより分かりにくくなった。それは日常的な話に近いからである。文学の言葉ではないからだといえる。


漢字文化圏といわれて、それが難点

2016年12月29日 05時33分40秒 | 研究業績

 昨日韓国の出版社社長と通話。以前は日本での出版における印刷などの価格が比較的に安い韓国、台湾、中国などに依頼することがあった。最近は費用的にそのメリットはほぼなくなっている。しかし私は別の意味でそのような印刷や出版を進めている。それは国家中心の出版から国際化への真の挑戦といえるからである。そこで難点が見つかった。漢字である。東アジアは漢字文化圏といわれているが、それが難点であることは皮肉なことである。漢字の略字、正字などの使い方が異なるのである。コンピューターでは国家によってソフトが異なり、特に印刷用のデザインなどのソフトが異なっている。例えばMSワードで作った原稿が変換の時、特に印刷用のソフトに入力する時漢字のフォントが化けるなどトラブルが起きる。
 それでもあえて日本語、韓国語、英語による『絵葉書から見る近代朝鮮』(全7巻)を韓国で出そうとする意味は大きい。先日最終編集会では国家中心の表現を越境的な表現に統一した。技術的にはグローバル化していくが文化的バージョンはそれほどアップされていない。日韓の漢字とフォントの調整、地名表記、インク、紙の質などはまだまだ問題が残る。さらに現地音で表記すべきか、国家中心か、簡単ではない。出版の国際化への道はそう簡単ではない。


宗教人類学中堅崔吉城教授急な日本行:派閥的な国内学界に衝撃」

2016年12月28日 05時48分56秒 | 研究業績

 感謝しお歳暮を交換し、一年を振り返ってみる年末になっている。特に今年は文化論や講座を通して行事を行い、印象に残る出会いが多かった。私の過去を振り返ってみると忘れている事も多い。しかし印象的なものは覚えている。記憶の限界、記録が助かる。私は日本に留学したこと、さらに日本に移り住む決心は人生にとって重要な契機であったが、記憶が乏しい。資料整理中にある新聞記事が見についた。
 韓国の「世界日報」(1991年3月23日)に私の送別講演「韓国民俗研究の動向と反省」に任晳宰,李杜鉉氏をはじめ崔仁鶴,崔來沃,金泰坤教授など民族学界の中堅学者20余名が参加、次のように書かれていた。「宗教人類学中堅崔吉城教授急な日本行:派閥的な国内学界に衝撃」と題として「民俗・人類学界の中堅学者である崔吉城教授(啓明大)が文教当局の人類学と増設に対する没理解と国内学界の派閥的雰囲気を叶えられず23日日本に発つ。(略)崔教授はその間専攻と合わない啓明大日本学科に居候しながら国内関連学科にポストを模索したが叶わず結局達成できなかった。彼の急な日本行きは学問的業績とは関係なく出身学校と個人的利害関係により派閥風土に落ちている国内学界に反省の衝撃波を投げている。(略)以下略」
 当時の記憶は薄いが私は国際化時代と日韓関係は近くなるだろうという夢を持っていると言ったと覚えている。それは記事化されていない。
 

 


執筆中

2016年12月27日 05時39分21秒 | 旅行

 冬には珍しく本格的な雨の中、定期受診。朝刊拙稿コラムの感想を語ってくれた初読者は主治医の池田先生であった。掲示板には産経新聞下段全面広告に先生のインタビュー方式広告が載っている。いつもの受診の時に拙文にコメントをし、下関では文化意識が低く文化活動が難しいというご自分の体験を語ってくれた。それは地方の小都市だというだけではない。音楽会などの開催においても隣接の市に比べて関心の低さの話であった。私は地方に住んでいても地方性に制約されず常に世界に開放し挑戦中である。
 原書読書などで夜まで大学で過ごす。数人の教員たちに会って言葉を交わした。年末年始のまとまった時間には研究論文を書くつもりだと言う言葉が多かった。真面目な研究者たちに勇気づけられる。私はこの年末年始休暇に執筆中の『韓国の巫堂』を終わらせようと心を固めた。
 
 

 


『冥界婚』

2016年12月26日 05時57分46秒 | エッセイ

 山口新聞コラムの2か月のエッセイが今朝2016.12.26の今回の寄稿が最後となる。月曜日の休刊日が二回もあり連載回数が少なく、とても残念と思っている。もっと読者との機会を持ちたかった。今朝の掲載文は次のようである。

 私が何を研究しているか知らない人は多い。特に下関では私の研究を披露する機会を全く得ていない。その一つを言っておきたい。私は巫俗信仰研究者として北川皆雄監督の映画『冥界婚』製作の協力者であり、去年東京のポレポレ東中野でそれを上映後、初対面の陰陽師作家の夢枕獏氏とトークショーを行った。また来年2017324-26日には長野県松本市で「死者と生者の通い路」をテーマに映画「冥界婚」について在日作家の柳美里氏とトークショーを予定している。いつか下関でもそんな機会を願っている。
 冥界婚とは死後結婚のことである。中国、韓国、日本、アフリカなどにもある。死後に家族制度の相続のために行われるが、もう一つ重要なのは死者の怨恨を払うために行う。韓国の済州島で行われるものは前者の祖先崇拝的なものであり、東海岸地域では巫俗信仰として死者の怨念を払うために行う。この映画『冥界婚』は船上で死亡した青年の霊を慰安、結婚させ、あの世に送る儀礼をドキュメンタリー的に制作したものである。未婚者である34歳の船員が海上漁業中に事故死、しかし家族は本当の死因は不明であるとして、その死因を明らかにする。さらに、独身で死亡した息子に死後結婚をさせる。それはなぜか。未婚者の死後の怨念とは何か。独身主義者が多い民主自由社会とも言われる今、考えて見るのも良い。

 昨夜担当者から「冥界婚の上映が下関や下関の近場で行われるよう願っています(上映に合わせたトークショーも興味津々で是非聞いてみたいです)。また執筆していただけたら幸いです」とメールが着いた。


美術館から広場へ

2016年12月25日 05時28分41秒 | 講義

 メリークリスマス!大晦日、新年という折り目をもって繰り返しながら時間が流れる。時間は無色、直線的に流れるが太陽を観察してそこに周期が潜んでいることを見つけて1年という単位を設定したのが太陽暦である。またお月の周期から陰暦を作ったのである。生物の生命はただ生まれ成熟していくだけである。周期には繰り返すというリズムがある。その流れに高度な感じ方がある。科学者や芸術家などはそれを感じている。
 昨日のワンアジア財団講座で金田氏は絵に表れた季節の表現に迫って分析した。それに川野氏は現役の画家として、光などは認識しても季節や時間までは意識していないと、金田氏の意見に鋭いといいながら今アジアでは美術も広場でパーフォーマンス化しているという現象を指摘した。それを受けて私は美術館から広場へ、花火、爆音、大型スクリーン、パーフォーマンスの芸術の大衆化を話題にした。陰暦のお正月で中国文化圏では爆竹などで祝う。金田氏は日本もそれに加わわるのはいかがかと言った。私は反対の意見を持っていながら言わなかった。韓国からの留学生の都君は韓国の暦は食べ物を通して、あるいは新年を占うことで感ずるといった。正鵠を刺す意見であり、それに私は日本が花を以て、韓国は餅を以て暦を表現することを対比して語った。
 

 


『満洲モダン―만주 모던』

2016年12月24日 06時20分37秒 | 研究業績

 満洲は日本の傀儡植民地つまり日本は満州を主権国家のように見せかけながら植民地を行った。日本は満州を開拓、近代化を行った。それは十数年間に過ぎなかった。その植民地満洲から引揚者は150万人ともいわれている。彼らは日本の社会へ大きく影響したことは周知のとおりである。例えば北海道開拓史である。満洲植民地には朝鮮人が多く開拓農民などで移住した。終戦後朝鮮半島への引揚者は80万という。彼らは満州での経験で、戦後の韓国の近代化に貢献したという名著がある。社会学者であり釜山東亜大学校の総長の韓錫政氏の『満洲モダン―만주 모던』である。
 植民地の本国と被植民地の関係の研究はあっても被植民地と被植民地の歴史を語ることはほぼ知られていない。その未開拓の分野を明らかにしたものである。彼は朴正熙大統領をはじめ満洲からの引揚者たちが韓国の近代化へ貢献した活力を満洲での体験によるという内容である。私から見ると植民地経験によるものとは思われ、植民地研究をより広くみる衝撃を受けた。近いうちに直接あってお話を聞きたくなった。

 


聴聞会を生中継

2016年12月23日 06時29分38秒 | 日記

국정농단에 유감 표명…"미리 알고 막았다면 좋았을걸 내가 미흡해 송구""정윤회 문건때 최순실 존재 알아…"최순실 靑 출입도 몰랐다"
우병우 전 청와대 민정수석은 22일 국회 '최순실 국정농단 국정조사' 청문회에 출석해 최순실 게이트에 자신이 관련됐다는 의혹을 모두 부인했다. 우 전 수석은 특히 최순실 씨를 아는지에 대해 "현재도 모른다", 최 씨를 개인적으로 만난 적이 없다.


 読書会では宮さんの論文の骨組み、外国語教育の教科書に文学作品をどう利用するか議論した。1960年代の欧米での言語教育教科書づくりの動向の変化について、私は、例えば「吾輩は猫である」をどう教えるかと訪ねた。


 1.夏目漱石の文学作品の出典などの文学史的説明をする。
 2.猫という動物のキャラクター、隠喩法、効果的な文章表現を知る。

 多くの教師たちは日本の戦前の教科書や現在の韓国や中国の国定教科書のように、1.つまり文学史の内容になっているのではないかと問題提起。

 王さんは中国で日本語勉強の動機は日本に対して肯定的あるいは否定的イメージ、勉強者数の増減に相関せず一貫するような傾向があるといった。面白い指摘である。
  夜12時まで韓国のYTNにより聴聞会を生中継で視聴した。文字版利用、発言制限マイクオフ、議員と証言者の一対一式の対話式で進行された。私はアメリカや日本などのものを思いながら見守った。質問者が上位であるようなこと、特に聴聞者たちが無知、無礼であり、証言者は冷静知的であるように対照的な印象を受けた。ことに質問者は説明、主張、無礼、脅迫など言いたい放題であった。証言者は「否定、知らない」と繰り返していた。これだけでは今度のデモ騒ぎは何だろう。政治的、法律的な不正問題より国民の権力者への不満、鬱憤が朴クネ氏に向かって虐めになったようにしか思えない。


暦と美

2016年12月22日 05時36分41秒 | 講義

 明後日土曜日12月24日2時半から東亜大学で金田晉教授がアジアの美―暦による美意識のアイデンティティ-」について講義が行われ、同大学川野裕一郎教授がコメンテーターを勤める。金田氏は美学が専門で「美的体験と時間」を以て「アジアは一つ」であると暦について語る。岡倉天心(1863 -1913)が『東洋の理想』から「脱亜入欧」暦の西欧化を主張した。日本は1873年、韓国は1895年、中国は1912年、それぞれグレゴリオ暦にした。世界共通の時間の尺度をもつことは便利である。交通機関の発達、情報機器の発達に対応することができる。
 金田先生は「旧暦」という呼称の誤解/東アジア共同体の提唱/彼我異なる「正月」への違和感がある。韓国や中国やベトナムでは、一緒に正月のお祝いで賑わっている。これからアジアの時代。アジアの一員であることを政治、経済の側での発言が最近盛んであるが、そうであれば、お正月ぐらいはいっしょに祝ってもよいのではないかと語る。私の考え方とは少し異なり、良い議論に発展することを期待する。


『地方から考える社会保障』(2016)

2016年12月21日 05時04分42秒 | 日記

 1年間受けた1級障害者手帳を返納した。免税や駐車などに恵まれたことに感謝である。その内訳を聞く韓国人や中国人たちがやはり日本は社会保障が良い国だと反応する。しかし私の心は障碍があると意識があり特に健康に気を使っていた。障碍者の心を体験する時期でもあった。田辺よし子氏は幼い時の小児麻痺による障害を持っている下関市議会議員である。彼女は母親や校長先生などに感謝をしている。そして強く生きる勇気を『地方から考える社会保障』(2016)に綴っている。
 ネットで私の命の恩人姜亨龍博士が韓国で去年亡くなられたことを知った。享年95歳。私は先生の『柚堂姜亨龍古稀文集』を探して読んだ。そこに私が書かせていただいた寄稿文には病気や障害は人を弱くしても強くもさせると書いてあった。私は強く生きている。私の人生には母、妻、恩人、恩師、友人・・・たくさんの人々に囲まれている。感謝の季節である。

 


ロナルド選手

2016年12月20日 06時19分19秒 | 日記

 昨日の話題には韓国の崔シュンシルの裁判の生中継、先日東洋大学で行われたシンポジウムの討論が頭に浮かんだが非難、疑問を起こしやすいと思う。前日のFIFAサッカーの試合は楽しく見た。日本が負けたその勝者のロナルド選手が日本で人気があることが新鮮だと感じた。もちろん私も彼のボール、ドロウイング、キック、表情などが素晴らしいと感じた。ただ彼への称賛だけではない。彼を好きだという日本人サッカーファンたちが印象的である。国籍、民族を問わず健全なスポーツ精神を私は評価する。日韓のスポーツ試合であればどうであろう。特に韓国で日本人選手が好きだと言われるだろうか。愛国心とは何だろう。スポーツ精神とは何だろうか。
 


 

 


クリスマス文化

2016年12月19日 06時50分48秒 | 日記

 昨日の礼拝は異変が起きた気分であった。朴米雄牧師が高い教壇から降りて説教をした。高い教壇を神秘的に守り信者の登壇を極力制限する今までの牧師とは違った。私は彼の謙遜さを感んじ、宗教革命者かと一瞬戸惑った。説教は彼自身が小学校4年ころ肺結核で死の不安と怖れの中でクリスマスを迎えた話を含む説教であった。私は自分の話を聞いているように感じ、彼に私もほぼ同じの体験をしていると話した。彼が主催するところで講演か証しを頼まれた。私の教会歴は長くてもこのような請託は初めてである。嬉しいと答えた。しかし語り部になってはいけないと戒める。
 今週はクリスマス礼拝であり、教壇に生け花をささげる意思を表明したら意外にも受け入れられなかった。メリークリスマスの祝いも制限される。理由がありそうである。朴牧師が言うには牧師達は教会に教授が出席すると一歩引く姿勢をすると正直に言っておられた。聖書にはただの識者、博識者に対して批判的であり、信仰を求めている。私が識者として礼拝に参加するならば牧師を認めることはなかなか難しい。善なる牧会者として支えてきた。世俗的なこととは関係なく、私の信仰を守るために席を守っている。

 今朝の山口新聞コラム

クリスマスが近づいている。街はイルミネーションのネオンやサンタクロース、クリスマスキャロルなど豪華な飾りやプレゼント用品が溢れている。まるで日本がクリスチャン国家のようにクリスチャン文化を発信する。私がよく目にする通りには教会とカギ屋が並んでいるがカギ屋の装飾ネオンが教会より豪華である。もちろんホテルや百貨店の飾りや商品の宣伝はあたかも日本がクリスチャン文化の中心であるかのように感じさせ、私は錯覚と混乱を覚える。

日本はキリスト教国ではない。普段はキリスト教の意識はなく、むしろキリスト教には否定的な印象を持つ人が多い国である。日本の宗教においてキリスト教信者総数は1%以下である。それに比べて隣国の韓国では30%弱といわれている。

日本ではカソリック教会様式の結婚式場は見事である。またキリスト教の遺産を世界文化として登録しようとする。キリスト教国家ではないのに山口市が「12月、山口市は“クリスマス市”になる」と宣言した。

暗黒の社会に光として現れ、人類愛を訴え教え、宣教して歩いて、殺されたイエスを記念するクリスマスである。祈りと礼拝の晩である信仰は意識されず、本質抜きの虚構の偽クリスチャン文化のように感じる。イエスの愛はただのクレージーラブではない。信、望、愛の意味を考えてほしい。


孫蓮花氏と山田寛人氏

2016年12月18日 05時32分08秒 | 講義
 私は8回ほど職場を移動しながら教授をしてきたが広島大学時代は教育や研究に充実していたような気がする。そして今東亜大学ではより視野を広げて市民との交流も活発である。昨日は広島時代を復元したような風景になった。ワンアジア財団支援講座12回目の講義は大連理工大学の孫蓮花氏と山口大学非常勤講師の山田寛人氏、そして司会の私、3人そろって行った。感慨無量であった。孫氏は社会言語学を専門として、道路標示、広告看板、地名表示、店名表示、官庁の標識などに注目して自分で撮った日中韓の写真をもって比較した。中国は少数民族が多く、公的に少数言語を以て表示するが外国人向けの表示はそれほど多く見られない、反面日本では外国人向けの表示が多いという。私は道路左右通行と表示板の統一を、そして朴ドンショク君は下関のように韓国人の往来の多い地域に韓国語が多いという地域性を指摘し、釜山のテキサス村、函館や新潟などにはロシア語の看板が登場したことも話題になった。
 講義の後は私の研究室が小研究会のようになった。福岡から来られた李恵蘭牧師と李シュウジン氏の二人もニューフェースとして参加した。田辺氏の韓国での反日的な言語に関する質問で、私が外来語の浄化運動を上げた。割り箸に当たる中国語や韓国語はない。衛生箸という訳語はあっても外来語はない。話は衛生になり、鍋物を取り皿を使わず一緒に食べるのは非衛生だというところに牧師は人間関係の密接さを語った。私は極端に衛生ということを強調するならば握手、ハーグ、キスもできない。子供は生まれないと冗談交じりに語った。3次会は平家茶屋で懇親会、より縮小濃密になっていた。

春海保健大学

2016年12月17日 05時48分37秒 | 日記

 最近研究室で会議や談話をすることが多く、書籍や本棚などを研究所へ移している。一人で本棚を少しずつ移動させ、エレベーターに載せて、また移動させて行く途中、きつくて立ち往生。その時掃除担当の女性が手伝ってくださった。昨日はそれを研究所に定置し、本を分類しながら立ち読みして午前中を楽しんでだ。それは仕事か、労働か、遊びか、不分明である。私は1万数千冊の書斎を持っていると満足している。
 午後は韓国・春海保健大学から9人の学生と引率教員がわが大学を訪問して交流会が行われ参加した。数年前姉妹提携の時から私が迎え役の一員として勤めてきた。昨日は金熙珍総長からお土産もいただいてお返しもした。情の交流である。本学の医療工学部の教員全員が参加して学生たちの救急医療の実現を律動で美しく、面白く、披露して大きい拍手があがった。教育がきちんとなされていることを目で確かめた。宮さんとの原書購読は楽しい。寒い冬はすぐ暗くなりライトを照らしながら家内の運転で帰宅した。