崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

三顧の礼

2006年03月31日 07時07分21秒 | エッセイ
 三顧草廬の礼とは諸葛亮の「前出師表」からの故事である。蜀の劉備が諸葛亮を軍師に迎えようとして、その庵を三度訪れ仕事を頼む。つまり、何度も訪問して礼を尽くしてお願いすことをいう。私はそのような教育を受けてきた。しかし今の世間では大統領や総理などに願われてするのではなく、自らなろうと主張している。自民党の総理候補の中の福田氏は私の世代感覚のように感じる。


サックスホーン演奏会

2006年03月30日 23時25分32秒 | エッセイ
 サックスホーン演奏会に行って感動してきた。芸術やスポーツなどは「感動」するのが主である。しかし感動するためには音楽の素養と訓練などがないとできない。それがない人には騒音に過ぎないかもしれない。下関には音楽の同好人が多いようである。多くの聴衆が集まった。
 私の仕事の学問は感動より「理解」してもらうことが主である。むしろ冷静と冷たさがある仕事である。理論や学説が誤解されたり、理解されない場合も多い。死後100年で理解してもらうこともあるだろう。それでも続けるのはなぜだろう。

射水病院の尊厳死の件について

2006年03月28日 08時24分10秒 | エッセイ
 射水病院の尊厳死の件について倫理が問われている。まず病院というところで死を扱うことが出来るというならば病気を治すのが病院であるというイメージがダウンするだろう。それより重要な意味は戦争や死刑は別に命を切ることは生命を軽視する風潮を招ねく可能性がある。最も重要なことは息をしているという人が存在するだけに安心感をもち、またその人を愛する人の心を大事にすることからも殺すことはできない。人の命は家族や医者のものではない。それは神のものであるからである。

下関民団団長選挙

2006年03月27日 06時44分05秒 | エッセイ
 昨日下関民団団長選挙が行われ新しく李相福氏が当選した。今のうちでは彼らの団体行動が日本社会に注目されることは無いが、地方政治の参政権が認められると変わると思う。もっと在日が保護されながら日本社会へ影響するためには国籍を取得して活動することである。在日パワーは「朝鮮系日本人」から始まるといえる。
 また下関教会にはアメリカインディアナポリスから白西影牧師が来日、説教を聞いて感動した。彼は日本植民地時代に北朝鮮の平壌高等学校を卒業して戦後監理教神学大学を卒業し、米軍の軍隊牧師になり、日本で訓練をうけて朝鮮戦争に参戦し、後に韓国の教会牧師を引退してアメリカに渡り複数人種教会のアジア担当の牧師として79歳の現在現役である。彼の働いている教会は在日教会のように朝鮮人ばかり集う教会とは異なり、いろいろな人種が集う本当のキリスト教会のように感じた。彼のキャリア自体も面白いが人柄はより面白い。
 彼の友人でもある同行者の魏氏(85歳)は韓国最大施設の一つである孤児院の院長であり、日本で学んで当時、孤児院を惨めな汚い施設だったものを公園化する事業に着手した話でまた感動した。このように私は教会で時々レ・ニュアルされる。

卒業生に

2006年03月26日 07時14分16秒 | エッセイ
 広島大学では一度も参加したことが無かったが、昨日東亜大学の卒業式にはじめて参加した。日の丸への辞儀と君が代の斉唱はなかった。中沢淳学長は医療専攻の学者らしく卒業生への祝辞は脳力を磨いていくことの内容であった。人それぞれ素晴らしい脳力を持っていながら単純な一部の機能しか使っていないかもしれない。高級な機能のあるカメラをぶら下げていても押すだけの機能しか知らない人がどんなに多いことか。それは機械の浪費、脳力の浪費、人生の浪費であろう。メッセージが素晴らしかった。
 私は研究室の卒業生たちに話した。社会に出て世俗に汚れて染まっていくのではなく、大学で磨いた理想をもって社会に少しでも影響を与える人になって欲しいと。聖書からの引用であるが出典は言わなかった。

スポーツ・ナショナリズム

2006年03月24日 19時33分45秒 | エッセイ
 相撲と野球の中継を見ながら個人プレイとチームプレイについて考える。野球においては協力のために個性を伏せることがあるが、相撲では譲ることは一切無い。それぞれに面白さがある。野球は戦略など頭をかなり使い、チーム全体で勝利に向かっていく面白さがあり、相撲はもちろん戦略もあり頭も大いに使うが、自分の体と力を精一杯使っている。一人で戦うところにすごく魅力を感じる。
 応援というのはゲームの面白さだけではなく、味方をするということである。つまりどちらかの味方をして、勝つように応援し、相手が負けることを願うことである。客観的な「観戦」ではなく、戦争や喧嘩の心で見ることである。なるほどそれがスポーツ・ナショナリズムにつながると気がつく。今相撲を見ていると朝青龍の負けを願っている人が多くいるように感ずるのはなぜだろうか。

ドイツ人神父に会って

2006年03月22日 06時57分04秒 | エッセイ
 韓国慶尚南道倭館のベネディックト修道院で映像製作、監督をしているドイツ人神父林仁徳(韓国名)に会ってノベルトウェバーの映像に関してインタビューをしてきた。ウェバーは1925年朝鮮文化に関して16ミリフィルムを残した。昨年暮れにドイツミューヘンでその所蔵地に関して調査をしてきたが、今度はそれを韓国で編集し、ビデオ化した神父から事情を聴取したのである。彼はウェバーがこの弱い国の朝鮮が日本植民地に抵抗できるかと疑問を持ちながら植民地化される前の朝鮮文化をドキュメンタリーとして映像を残したと説明してくれた。韓国語の原稿ができ次第に送ってくれるとのこと、私はそれを日本語で訳すると約束した。

共著出版

2006年03月21日 22時52分09秒 | エッセイ
 韓国・在外同胞財団理事長の李光奎先生との共著『差別を生きる在日朝鮮人』(第一書房、2006,3,20、定価2600円)が今日出版社から届いた。李先生とは1968年協同調査と共同論文を発表して以来始めてのものである。彼がウィーンから帰国して読書会をしながら新しい西洋理論を教えくださり、われわれは学問活動を始めた。彼は家族研究から海外同胞へ、私はシャーマニズム研究から植民地そして海外同胞へ関心が一致した。本著はわれわれの友情を込めて在日朝鮮人を見つめたものである。在日が差別される側面もあるがそれを利用して生かしながら生きる現状を把握しようとした。諸方の批判を待っているところである。

大学の企業化

2006年03月20日 08時12分38秒 | エッセイ
このメールは韓国釜山駅でハングルで書いたが文字化けしたので書き直す。韓国のコンピュータの普及については驚くほどである。機械科学文明は日本からの影響を超えて先端を走っているように感じる。しかし大学の教員たちの話を聞いてみると大学はもうすでに教育研究機関ではなく、企業化していくということである。私が韓国の大学で教鞭をとっていた頃のことは昔話に過ぎないと彼らは言っている。ソウル大学黄教授のことは象徴的なことかもしれない。


韓国チームを応援

2006年03月16日 21時47分41秒 | エッセイ
 私はスポーツには関心が少なかったが東亜大学に来てから関心が芽生えた。時々日韓のスポーツ試合を見ながらゲームによっては韓国、また日本を応援したが最近韓国を応援することが多くなっている自分を発見した。なぜであろうか。自分でも分からない。韓国人の情熱が伝わってくるからかもしれない。
 一昔前までは私が教授会などで韓国での経験から良かったことなどを話しても耳を傾けてくれることは少なかったけど、西洋人が英語で挨拶などをすると過剰反応をする人が多かったものである。しかし現在日本でも韓国の事例をよく出している人が多い。明治時代前のように文化が朝鮮半島から日本へという現象が起こるのではないだろうか。

政治犠牲羊

2006年03月15日 22時59分22秒 | エッセイ
 民主党は永田議員を犠牲の羊にして立ち直ろうとしている。政治的な処理ではあっても、私にいわせると日本人のいじめのように思われる。弱くなった人に同情さえない。それがいじめであろう。TVで作家の中西氏が一人を犠牲にして解決しようとすることは卑怯のように言ったのは新鮮に感じた。

花が咲くのを妬む寒さ

2006年03月14日 17時09分04秒 | エッセイ
 3月のこの頃の寒さを韓国では「花が咲くのを妬む寒さ」という。つまり花が咲くのを妬んで寒くし、花が咲くのを遅らせるためだという。しかし誰がそうするのかという主語は無い。自然か神かもしれない。人生においても花(出世?)を咲かせるのが遅い人も多い。しかし与えられた命を延ばすことは出来るだろうか。もし延ばすことが出来るというならば、それは神によるものであろう。

伊藤亜人『韓国夢幻』感想

2006年03月13日 06時56分34秒 | エッセイ
 伊藤亜人著『韓国夢幻:文化人類学者が見た七〇年代の情景』が新宿書房から送られてきた。著者の34年間にわたるフィールドの地、珍島、安東に寄せる思いを綴り、70年代の生活写真180点を収録したものである。私も写真を整理しており、彼が韓国を調査している時代から付き合っているが、彼の人生も写真もダブっているようであり、懐かしく拝読した。
 私個人はかなり変わったとは思っても実際にはあまり変わってはいない。写真を見ているうちに社会というものがこんなに早く変わるものかと驚くばかりである。その韓国社会の激変の時代が朴大統領のセマウル運動であった。私はそれについては民博で発表した時、伊藤氏と昔話のように盛り上がってしまったことを覚えている。失われ、忘れ去られた時代をもう一度、当時の風景をみながら自分の人生を振り返ってみた。


日本人の集会

2006年03月12日 21時01分35秒 | エッセイ
 今日日韓の交流会に参加してきた。日韓の交流会としての趣旨は良かったのだが両側が別々集まってただ食事をしただけでなにも交流をしたないまま別れた。日本では異様でもないかも知れないが韓国人にとっては日本人のこのような集まりには非常に物足りなさ、せっかくの良い機会を失うような残念ささえ感じる。長い年月をおいて付き合う時は別として国際交流会などではもっと積極的でも良いのではないだろうか。

告白の読後感

2006年03月10日 23時04分14秒 | エッセイ
 私はジェンキンス氏とは同じ年齢であり、共通しているところが多い。彼が韓国で勤務した部隊は私の故郷の近いところであり、私が良く知っているところである。私は彼より遅く軍隊に入って非武装地帯DMZ軍事分界線近くでGOPの夜間見張り勤務をしたこともあって、彼の軍務と越境の状況はよく理解できた。また私が二回目の北朝鮮を訪問した時はちょうど小泉純一郎総理の訪問の直前であっであって彼の状況と照らし合わせることも出来た。
 この本に興味があったのはそのような共通点からだけではない。私が見たものと見えなかった北朝鮮についての客観的な記述を知りたかった。彼の話はほぼTVなどで知られている。しかし、脱走兵として敵国にわたって特殊な生活をした生々しい記録には感動した。彼の体験に基づいて書かれた特殊な階級の人からの視線だから、本当の北朝鮮はよくわからない。それは北朝鮮の社会一般を反映するものではないだろう。
 韓国の軍事政権の下でKCIAがスパイをどう扱ったかは知らないが、私は中央情報部で教育を受けた体験とそこで苦労した人からの話でジェンキンス氏とそれほど変わりは無い。
 彼の人生は「生のドラマ」である。しかしそのドラマは作家によるものではなく、神によるドラマというか運命といえる。そのドラマをどの線で切るかによってハッピエンドになるか悲劇になるかである。曽我ひとみ氏との結婚で切るか、インドネシアでの再会で切るか、この本ように日本での生活でハッピーエンドにするかである。人生は計算通りに行くものではない。
 不幸の始まりは必ずしも不幸で終わるわけではない。人生は計算通りでは無く偶然といえるかもしれない。その意味でわれわれの平凡な人生のように思われるものにも劇的要素は常に潜在しているといえる。 
 この本は北朝鮮に関する一般的な情報を伝えていない。ねずみや泥棒の話などで間接的には映るが、一般の人の顔は映っていない。ただ特殊な生活をしている仲間(?)の話しで一貫する。仲が悪かった人とも和解して暮らす。日本人とは異なる。朝鮮語は「モゴ(たべろ)」「カッタオラ(行ってこい)」「ケーセキ(この畜生)」などが出ている。朝鮮語混じりの言葉が出るはずであるがTVなどでも極力出していない。それは紙面のせいよりタブーがあるように思われる。
 拉致は犯罪ではあるが、北朝鮮の論理では戦前のいわば「強制連行」、そして拉致の件について国家間の紳士的な約束を破った日本への批判の声が存在するはずである。この本では聞こえていない。またアメリカは法治国家といわれても政治外交上からは法律は問題にならない国家であることも知った。私は3回北朝鮮を訪問したものとしてジェンキンス氏と一番同感したのは北朝鮮には車が少ないことである。