崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

北朝鮮からの引揚者たち

2008年03月31日 06時54分26秒 | エッセイ
 先日『北朝鮮からの生還』の著者の久木村氏から情報を得て、昨日雨の中佐世保で北朝鮮からの引揚者たちの「西海観音敬徳保存会」(会長石橋弘)の会員が全国から30人弱が集まって引揚げ途中の犠牲者たち、そこから引揚げることのできなかった犠牲者たちの慰霊祭が行われた。わが夫婦も参列して焼香をして、懇談会で貴重な証言を2時間半録画することができた。わが夫婦の懇談会への参加には私から趣旨を説明して全員の拍手で許可を得て傾聴することができた。去年朝鮮半島南部からの引揚者たちの証言とは異なって苦労と苦難の話が多く、語る人も聞く人も涙が伴う場面もあった。家内はその辛さが切なく満州から引揚げてきた亡き両親の話をもっと聞くべきだったのに。話したがらなかった気持ちが今解ったような気がするという。
 ある女性は「大勢の人が犠牲になったのに生き残ったのは不思議であり、それは運というか神の業であろう」と言った。それを聞いて私は朝鮮戦争や重病など多くの危機にさらされたが生き残っていることとあわせて感動するところが多かった。人生を考える良い機会であった。

オリンピック

2008年03月30日 05時54分14秒 | エッセイ
 古代ギリシャ始原、4年毎に行われるオリンピックゲームは歴史が古い。北京オリンピックの聖火の採取式で北京オリンピックの反対の示威が報じられた。私の子供時代はスポーツは遊びとして軽視されて注目しなかったが、日本では今スポーツが非常に一般化されている。ただ多くの人はスポーツをするのではなく、ゲームとして楽しみ、それを愛するのだ。国家対国家のスポーツ・ゲームとしてはのオリンピック大会であり、国家対ゲームが面白さの極致であろう。
 ゲームには相手を暫定的に敵と設定する。その点では戦争に似ている。メダルを目標にしている個人やスポーツナショナリズムの国家主義を警戒する声もある。中国は悲願のオリンピックの主催国になり、内外へ「大国主義」を宣伝しようとしている。しかし少数民族を統合することの限界を示すチベット問題が露出した。古代文明の発祥地である中国でオリンピックの本当の意味を反省させられる今である。

迷惑メール

2008年03月29日 06時21分56秒 | エッセイ
 ネット上迷惑メールが多く入る。それだけではない。郵便ポストにも、新聞チラシ、携帯電話などにも多く入る。注文していない広告紙も多く入る。それを早く処理しながら、これが情報化社会に生きていることと理解する。これらを受ける側からは「迷惑」であっても、宣伝や広告する側の立場になるとそれは「広告」になるのである。その広告が程度を過ぎると迷惑になる。しかし情報を発信すること、情報を共有することは民主主義の基本でもある。ある上司が情報を独占することに不満を持っている多くの人自身が過度に個人情報保護と云々しながら情報を独占することも多い。立場を変えて考えることは人間の理解の広さ、社会知識を共有することである。日本人が乱用(?)するような「迷惑」という言葉を広告とのバランスを如何にとるかを考えるべきであろう。

イギリスから来客

2008年03月28日 06時23分17秒 | エッセイ
 イギリスリーズ大学院の博士課程の学生のヤニス・ガイタニディスさんが来宅した。古い友人のシェフィルドSheffield大学のGrayson博士が指導する学生で私が日本側の後見人になっている。何語で話しましょうかという私の言葉に丁寧な日本語がかえってきた。彼はギリシャ神殿の写真入りのパスポートを見せ、エーゲ海のクレータ島生まれ、国籍はギリシャであり、子供の時はアフリカのザイレー、後にベルギーに住み、大学はイギリスシェフィルド、大学院はリーズなど多様な生活環境での生い立ちの方である。したがってギリシャ語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、その上流暢な日本語で今シャーマニズムを研究するために日本に来ている。イタコやユタの研究者を紹介しながら高松敬吉氏には直接電話にて依頼し、喜んで対応してくれるという。高松氏いわく「顔が広い、国際的」と。しかし大げさではなく、付き合った人が離れ広がり、遠くから訪ねてくることに応対するだけだけなのに、いつの間にか「国際的」といわれるようになったのかもしれない。孔子の言葉「有朋而自遠方來不亦樂乎」友人が遠くから訪ねてくることは嬉しい。過剰に「個人情報保護」云々とする日本人を訪ねることは難しい。孔子のいう楽しさが少ない日本かもしれない。



全国税関韓国語弁論大会

2008年03月27日 06時54分27秒 | エッセイ
門司港で開かれた全国税関韓国語弁論大会で審査をした。下関韓国教育院の李永松院長がレベルの高さを語った好評のように実にレベルの高いものだった。外部へ非公開の大会として形式性と厳粛な雰囲気で決まったような拍手以外に静に終わった。数年前広島海上保安局で講演した時より堅い雰囲気であった。表彰式が終わって、地下の食堂での懇親会があった。私が指名され、私のスピーチで初めて笑い声が出た。私は調査で国境を通る時の入管や税関の怖さを体験的に語り、「将来は税関がなくなることを願っている」と皮肉にも税関の中で税関を否定するような大変失礼な言葉を飛ばして恐縮ではあるが真の国際化を主張した。もちろん爆笑が出た。

韓国キリスト教の民族主義への批判

2008年03月26日 07時21分38秒 | エッセイ
 昨日の在日韓国キリスト教会のある牧師たちの民族主義的態度を批判する文を載せたことに批判と賛成意見がが寄せられて嬉しい。「日本でキリスト教を布教する」韓国の民族主義的なキリスト教布教の問題の指摘は同感である。おそらく人種の壁を取り除くオバマ氏の演説には投稿者と本欄の読者の皆が賛同していると思う。問題は私の態度である。韓国出身の牧師たちの発言に消極的であったことにbarrett_hutter氏は「それは人格的円満さの表れかもしれませんが、ある種の欺瞞では無いのでしょうか?」「このような記事を見るたびに、日本人がどれほど怒っているか、崔さんはご理解が及んでないようで、実に無神経なものを感じます。宗教人類学の研究者として、そのような態度は妥当なのでしょうか?疑問を持たざるを得ません」という。それに鍬野氏は私を理解して弁護してくれた。私はこれらの意見に全面的に賛同する。ただ私は基督教の信者であり、社会運動者ではないことを理解して欲しい。しかしながら私は神戸で開かれた日韓宣教大会で韓国の基督教の民族主義的傾向を憂う講演をし、民族主義の批判(『宗教とナショナリズム』世界思想社)などをしている。最近長い間所属した在日教会を離れて日本の教会に転属したのも消極的な反発である。しかし日本の教会にも閉鎖性はあるのはある程度同様である。消極的な態度、卑怯な弁明になるかもしれないが彼に(?)対する答えにしたい。

人種問題、民族問題

2008年03月25日 06時47分05秒 | エッセイ
 先日オバマ氏が若いときに影響を受けたライト牧師の黒人主義的人種論に反する講演をした。それを聞きながら思い出す。私は日本のいくつかの在日キリスト教会で常に感じたのが民族問題であった。ある韓国出身の牧師は出雲神社に雷が落ちたこと、ある牧師は神戸地域の地震、またある牧師は日本人のスポーツ惨敗、さらにある牧師は十字架の下に韓国の国旗を掲げて説教をした。しかし私は信者として反発することをしなかった。牧師が神様ではないからである。ただ解釈の違いと思っただけであって、大きく問題にしなかった。昔、内村鑑三先生は外国人宣教師の態度に不満があって無教会派を作ったということの心境がわかる。しかしそこにも問題があるかと思う。ある一人の信者が教会を私有化(?)したり、あるいは無力化したりすることもあり得る。オバマ氏は白人にも失業などの問題はあり、困難な状況は似ている。人種の違いを乗り越えて協力しなければならないという内容で黒人牧師に反する講演をしたのは勇気のあるこどだと思う。私はその時できなかったことを反省する。

 これまで人種問題への深入りを避けてきたオバマ氏は、米社会に横たわる差別の存在をはっきり認めた。


弟子の家に泊まり

2008年03月24日 07時58分35秒 | エッセイ
 昨日午後のシンポジウムは沖縄のパネラ-の3人が市民大会に参加のために時間変更など学会として大混乱が生じた。しかしその間,私の広島時代の学生であって、現在沖縄某新聞社に勤めている喜屋武君とゆっくり昼食をとることができた。奥さんの出産が10月というので生まれてくる赤ちゃんへ何を挙げたら嬉しいだろうかなど出産祝いの楽しい話もした。シンポジウムは遅くなり、待っていた啓明大学時代の私の助手であり、現在名桜大学の准教授の許点淑氏の車で名護地方のヤンバルに住んでいる同じ韓国啓明大学時代から学生であって今は名桜大学の李鎮栄教授の新築宅に夜遅く到着して、庭で焼肉パーティ、そして12時に就寝した。このように遅く寝たのは私には非常に珍しい。一昨日の晩に東京から学会に参加した樋口淳教授からどのようにして多くの弟子を育てたのかその秘訣を聞かせて欲しいと言われて困った。ただ「彼らが育ったんですよ」と返事をした。ここの弟子宅に泊まっていることがその返事に代わるのではないだろうか、幸せを感じている。

死者の人格

2008年03月23日 07時06分39秒 | エッセイ
 昨日沖縄大学で1975年3月29日に撮った洗骨葬の写真を初公開した。反応は良かった。しかし洗骨葬を撮ることについて私の古い友人ともいえる沖縄大学の比嘉正夫氏が写真を撮ることを問題にした。彼は私より一年早く見たが撮らなかったという倫理を強調した。つまり1974年に洗骨それを見たがプライベートなものであり、死者には失礼と思い撮らなかったという。これはカメラの暴力とか、なぜ外部の人が沖縄をとるかというオキナワ人の象徴する問題点を引き起こして激論となった。結局マイクが私に回ってきた。私は「死者の人格」から肖像権を考える上では貴重なコメントではあるが、その論理を尊重すれば、極端にいうと「食事の場面」さえも撮れないのではないか反論をした。根本的な議論が盛り上がって良かった。死や命を含めて考える場にもなった。今日は復活節であり、死者の人格も考えてよいのではないだろうか。

沖縄に到着「蘭の欄」

2008年03月22日 07時35分25秒 | エッセイ
 数年ぶりに沖縄に到着した。飛行機の出口からロビーまで「蘭の欄」を歩いた。車の窓からハイビガスなどの花の南国の景色が胸に刺してくる。映画「南太平洋」のシーンを思い出す。シベリアに旅行した時とはかなり違った印象を受けるのはなぜであろうか。その大きな違いは「花」であろう。聖書の「エデン楽園」、仏教の「極楽」などは園は花の美しい世界「あの世」と設定されている。死んでからはそのような天国に行きたい。ほぼ満席の飛行機の観光客はおそらくその極楽に似ている沖縄での楽しみを期待しているはずである。私は学会に参加して1975年撮影した「宮古島の洗骨」を発表し、またシンポジウムでコメントをする。また韓国啓明大学時代の二人の教え子にご馳走になり、古い友人に会えてさらに「極めて楽」しい。

畳部屋

2008年03月21日 06時37分32秒 | エッセイ
 遠方の京都から来客がいて、近い中華料理のバイキングに行ったら個室のラウンドテーブルに見知らぬカップルと相席になった。韓国で相席に慣れていたので応じたが相手の二人はこちらを気にしていた。話す場としてはやはり不都合であった。
 下関の演劇同好人たちの集い「おもしろ塾」で石川秀氏が語る「藤原義江について」を聞いた。下関に来てはじめ頃義江記念館に行って、韓国人の愛する声楽家李仁栄先生の著書を見つけて藤原先生と関係が深いことを知った。李先生は「成佛寺の夜」など多くの歌曲を歌った人であり、私は学生時代からなじみのある先生である。当時ソウル大学の音楽講師であった。藤原先生にも関心があって、珍しく講演をしに行くのではなく、聞きに行った。畳部屋で落語家が座るようなところで身を崩せず1時間武部・石川の対談を面白く聞いた。しかし座っているだけで大変な苦労であった。私は韓国では畳より固いオンドルで育って慣れたはずなのにいつの間にか私は椅子文化に染まったようである。

文化財に落書き

2008年03月20日 06時39分42秒 | エッセイ
 日本で文化財に落書きをするひとが多く、「品のない行為」とされている。観光名所などを訪ねた人が記念として自分の名前などを刻むのである。そのような落書きは人類存在とともに始まったのかもしれない。北朝鮮の金剛山にはいたるところに岩に名前を刻んだものがある。日本人の名前を探したが見当たらない。日本時代に日本人が多く観光したのに無いのは日本人は紳士的であったかのように思ったが、ある人によればそれは反日感情から消されたという。最も残念なのは金剛山などの美しい風景に金正日などを賛美する赤字の岩刻落書きである。しかし研究者の立場からみるとよい痕跡を残してくれたとも思われる。数年前ロシア国で記念物と指定されたシベリア岩刻画を現地調査をした。アルタミラ壁画なども落書きであったかもしれない。落書きも歳月が流れて文化財へ変身する。価値観とはなにか考えさせられる。

朴仙容氏の「下関を生きる」評

2008年03月19日 07時01分11秒 | エッセイ
 在日コリアン2世の視点で、「下関を生きる」の読後感想を述べます。
本は読む人の立場で受取り方が異なります。特に、この本はそうだと思います。日本人・韓国人・在日コリアン、そして下関の人、それ以外の地域の人、それぞれ感想は違ってきます。
 本の冒頭の言葉が気になりました。「地元の方(かた)からよそ者と言われるかもしれないが…」で始まり、この街に住み、ここを愛し、そして楽しむ…と続きます。著者ご夫婦は「よそ者が」と非難されることを覚悟し、この本を刊行しています。ご夫婦は地域振興のために一肌脱がねばと思ったようです。「必要だ」と思ったら、何のためらいもなく、正々堂々、真正面から突き進む、そんな力強さを、ご夫妻から感じました。普通の人だと、他郷だとか、新参者だとかで、遠慮します。ご夫妻は「よそ者パッシング」など怖れていません。前へ前へと突き進む行動力に、まずは感動しました。本に綴る口調は柔らかですが、その節々には強い批判の眼が光っています。よく読めばそのことがよく分ります。
 著者ご夫妻は「日韓共生時代」のシンボルです。日韓の結婚は益々増えています。日本や韓国で家庭を作って、「日韓共生」を実践しているのです。私の周囲にもそんな人が増えました。共生の実際は知りませんが、結構、みなさん上手くやっているように見えます。これまで日韓夫婦の実生活を知ることはできませんでした。あまり公になっていなかったのです。でも、この「下関を生きる」のお陰で、日韓共生現場の一面を覗くことができました。
民族的は摩擦を抱え、日韓夫婦は苦労しながら歩み寄って、難題を一つひとつ片付けながら、ひっそりと共生している、と勝手に思っていました。が、この本からはそんな苦労は感じません。自然な日韓共生を感じます。理想的な日韓共生のいい雰囲気が漂います。これまで私は、何を、どう見ていたのか、反省しています。言葉では表現できませんが、どうやらこのあたりに「日韓共生の秘密」があるような気がしています。この本を読むと、日韓の共生など容易いことだ、とも思えてきます。
 多くの人が声高に「日韓の共生」を叫びますが、この日韓夫婦の共生現場を、ちゃんと見ている人は少ないようです。日韓家庭で、どのような問題が起って、それをどう乗越えているのか、そんな共生現場が目の前にあるのに、そこに視線がいきません。この本を読みながら、ちょっと首を傾げています。
 共生できているものを除外して「日韓共生」を語る人がいます。ことさら「共生」できていない部分を特化させて、共生の難しさを強調する人です。共生が実現すると「日韓の諍いがなくなる」と。飯の種がなくなる心配をする人がいるのです。共生を歓迎しない勢力です。日本人にも韓国人にもたくさんいます。もちろん在日コリアンにもいます。そんな人たちが対立を煽ります。共生を扱った本よりも、対立を煽る本の方がよく売れます。これが大問題です。共生を真面目に取組む人の本は苦戦しています。本当に残念です。真面目にやっている人の本が売れることを願っています。それが日韓の共生を願って、真面目に研究する人達の大きな力になるようです。
 私の観るところ、日韓夫婦の方々の生活は安定しているように思います。大儲けする人の心当たりはありませんが、貧しくて困っている人はいないようです。手堅い生活をしているからのようです。そのあたりに「日韓共生の鍵」がありそうです。日韓夫婦、大儲けもないが、貧しくもない。日本においても、韓国においても、上手く日韓共生をしているようです。これからしっかり、日韓夫婦の実生活を覗かねばならないと思っています。
 「下関を生きる」を読んで「生活を愉しむ心のゆとり」を教えられました。「生きることを愉しむ」と言い換えることもできます。著者ご夫妻は、下関という街をベースにして、自然体で地域や人を語っています。ご夫妻は周辺で起る日常をさりげなく取上げて、それに優しく触れています。そのご夫妻の視点は独特です。日韓両国の歴史を背負った言葉があるかと思えば、全く民族とは離れた言葉もあります。
 この本は行間をちゃんと読まねばならないようです。結構、深い意味が隠れています。一度では読み取ることができません。何度も読んで「なるほど!」と頷けます。ご夫妻は地域の日常を見たまま、感じたまま、考えたまま、何気なく綴っていますが、本当に「ハッ!」と考えさせられることが多いのです。
 チェ先生ご夫妻は下関の地に立って、日本人・韓国人・在日コリアンを、じっと見つめています。そして歴史をたどり、風物を愛でながら、人を見つめています。チェ先生ご夫妻はもう立派な「下関人」です。もはや「よそ者」ではありません。そう嘲(あざけ)ることはできません。チェ先生ご夫妻は、しっかりこの下関に土着しているのです。
 私は北九州生まれです。日本人をやったり、韓国人をやったり、在日コリアンをやったりします。帰属が曖昧です。一頃は「民団人」だと威張っていたことがありました。この頃は、それも胸を張って言えません。「北九州人」などと思ったこともありません。でもこの「下関を生きる」を読み、少し反省し、「北九州人」を意識しています。
 チェ先生は「下関人だ」と、臆することなく胸を張ります。それを素晴らしい、と感じる、北九州生まれの在日コリアンの私がいます。それがちょっと変です。私は六十一年間、何をやってきたのだろうか、といま真剣に思っています。私もチェ先生に倣って、「北九州人」にならねばなりません。チェ先生はその域に達し、下関の美しいものを素直な眼で眺めることができています。私も美しいもの見て、美しいものを聴いて、そして美しいことを考えることができる人間にならねばなりません。
 日本人も、韓国人も、朝鮮人も、在日コリアンも関係のない、チェ先生の生き様を見習う必要を感じています。「下関を生きる」を読んで、たくさんのことに気付きました。いい本です。これからまた読み返します。また違ったものに気付くと思います。       世紀2008年3月18日  

復活祭メッセージへ

2008年03月18日 05時55分56秒 | エッセイ
 今週沖縄大学で開かれる「日本映像民俗学」会の大会に沖縄に行く予定である。その間に沖縄のあるキリスト教会から復活祭のメッセージを頼まれてそちらの好意に乗ってOKしてしまってから、再度学会のスケジュールを検討した結果、どうしても時間的には無理であり、また取り消すハプニングになってしてしまった。相手に失望させたことはもちろん自分の言動にもっと敗北感を抱いた。私は二十代の自分の日記に、自分の欠点は人の気分に乗って簡単にOKする欠点について反省していることを書いてあるのを読んだ。そうなのにまだ直っていないということで心痛くなった。非社交性や内向性を変えようとして多少直したとは思っても根本的に直らない。このパーソナリティはいつ決まって、なぜ直りにくいか反省している。それは自分の欠点に良い点もあると肯定する心があるからであろうか。「3歳の習慣、80歳まで続く」という韓国のことわざ、まさにその通りである。

チベット再考

2008年03月17日 06時44分21秒 | エッセイ
 中国のチベット自治区でデモが起きている。第二の「天安門」という人もいる。新華社通信は10人の死者、信頼のある外信は80人と報じている。南京虐殺の犠牲者をオーバーに報じている中国の国営放送は客観性がない。昔韓国の軍国主義朴大統領時代を思い出す。私は当事、時々秘かに米軍放送などを聴いた。今中国の国民もそのような人がいるのではないかと思う。以前中国に旅行した時ある辺境において小さな少数民族の地方同人誌まで中央機関が監視していると担当者が話っていたことがある。共産党一党統治を終え、民主化へ進むことを期待している。今度のチベット自治区のデモは「チベット人にとっては民族運動、中国人として民主化運動」として高く評価したい。外国からの支援よりは中国人同士の支援がより必要である。