桜が満開。残念な雨の中仙台からのお客さんを見送り、入れ替わりに東京から下関出身の文化人類学者の山下晋司氏を迎えた。私の研究室で夏の下関全国大会の打ち合わせをした。彼は下関彦島生まれ、名門の西高校を卒業して東大へ、同大学で教授をされ、現在は帝京平成大学の教授である。彼の故郷下関にはお母さんが住んでいらっしゃる。故郷とのパイプを太く持っているという。そして彼が代表となっている総合観光学会をこの夏6月21日(土)22日(日)に下関市で「下関観光の可能性」を行うための打ち合わせをした。李良姫教授と西高校の同窓生であった倉光誠氏を紹介し、顔合わせ会になった。
生まれ故郷を離れて行って故郷との縁を持ち、このように学会などを行うということを聞きながら新鮮な感を持った。私は故郷には両親の墓があっても故郷とは縁は遠く、ただたまに墓参りに行く程度である。世代交代になり親族とも縁がなくなり、ただ子供時代の生活史の場として記憶の故郷になってしまった。中国や韓国では都会に出て出世して、故郷に錦を飾るのが夢だった。陶淵明の「帰居来辞」に“やがてみすぼらしい我が家が見えてくると、 喜びで胸がいっぱいになり、駆け出した”(現代語訳引用)。私はその縁を切ってしまったのか、切られたのか、気がついてみると縁が遠くなっている。故郷を離れて住んでも本当に「住めば故郷」であろうか。演歌のような「他郷暮らしの寂しさ」であろうか。
生まれ故郷を離れて行って故郷との縁を持ち、このように学会などを行うということを聞きながら新鮮な感を持った。私は故郷には両親の墓があっても故郷とは縁は遠く、ただたまに墓参りに行く程度である。世代交代になり親族とも縁がなくなり、ただ子供時代の生活史の場として記憶の故郷になってしまった。中国や韓国では都会に出て出世して、故郷に錦を飾るのが夢だった。陶淵明の「帰居来辞」に“やがてみすぼらしい我が家が見えてくると、 喜びで胸がいっぱいになり、駆け出した”(現代語訳引用)。私はその縁を切ってしまったのか、切られたのか、気がついてみると縁が遠くなっている。故郷を離れて住んでも本当に「住めば故郷」であろうか。演歌のような「他郷暮らしの寂しさ」であろうか。