「昭和の日」、連休の始まりの日とされる昨日、チャリティコンサートを鑑賞した。東京芸大出のソプラノの松原典子、ヴァイオリンの漆原直美、ピアノの穴見めぐみ の3氏のコンサートでは楽しみ、幸せな時間であった。ホールは音声空鳴など音響が良い。一曲も歌えない者としてこのような高級な音楽を楽しめるようになったのはどういうことだろう。田舎ではシャーマンの歌や民謡しか知らない私がソウルに転学して、古典音楽を知り、ショックであった。田舎で聞いてきた歌に偏見が生まれた。単調なメロディと歌詞中心の歌を低級のものと思い、歌詞を詠むような歌謡曲などを無視するようになった。高校と大学では名曲に関して熱心に勉強した。そして私は一曲も歌えない音痴になった。昨日はほぼ歌詞を脱した名曲の時間であった。音痴が名曲を鑑賞したのである。
最近いただいた本の中には著名な民話研究者、私とは面識のないフェースブック友などからのものがある。昨日、親しさをもっている島根大学名誉教授酒井董美先生からの『マイカー人生』が届いた。なめらかな文章、私の日本語読本にもなりそうである。80の人生、どう変わってきていらっしゃるかに注目して読んだ。PCをこなす、年賀状を止めるなどの項目が並んでいる。私とは年齢的にも近接しており、関心事が多い。私とは共通点が多いが対照的なことがある。先生は徹底的に地元を生きる人であり、それに比して私は放浪者的であるといえる。
先生の傘寿(80歳1935年生)の話に目が止まった。去年私の友人が80歳になり傘寿記念会を準備のために仲間と相談したが、皆が曰く、今は長生きの時代だから大きくお祝いするのは88歳に延期することとなった。本人は言った。88歳まで長生きすることへの励ましの言葉は感謝であるが、その時には祝ってくれる人も老齢になり祝う力がなくなるだろうとちょっと残念そうであった。
フリーライター伊東順子氏から同人誌の『中くらいの友たち』を送っていただいた。伊東氏はフェイスブックの友から出会った方であり,すでに本欄で著書を紹介したことがある。本書は韓国暮らしの縁を持つ人たちの同人たちの文が載っている。私としては彼らの韓国体験を読み楽しむ一時である。途中驚く文に目がとまった。昨日読書会で紹介し議論した。十五代沈壽官氏の「1990年暮れのこと」である。
弘益大学大学院受験の為ソウルにいた
院長面接は何事もなく終え、引き続き総長との面談に臨んだ。
「君がここで学ぶ2年の間に、400年の日本の垢を洗い流し、韓国の魂を腹に入れてほしい」
僕は、失意の中で意を決して総長に告げた。「私はこの大学に入学しません。従ってマスコミの取材も受けません」。
そう告げると椅子をたち部屋を出た。
短気だということか、英雄談か、ハンマーで殴られたようなショッキングな節である。韓国のメディアには沈壽官は誇りの朝鮮人後裔、「名誉総領事」として韓民族の民族主義の象徴的な存在と盲信している。しかし日本人は沈壽官は全く純粋な日本人であると信じている。渡来人は皆韓国人あるいは朝鮮人と思うべきでなのか。ある韓国人たちは天皇を含め日本人は朝鮮人であると思っている。民族をはるかに超えている彼に総長の言葉はいかに幼稚な言葉であろうか。
昨日は韓国からお客様一行を迎えた。戦争への懸念は全く感じられず歓談しながらも私は北からの挑発があるのではないかと気にしたが無事、一応安心した。米国の警告が有効であっただろう。北が屈服した形になった。ケネディーのキューバ事態を思い出す。まずトランプ大統領に感謝すべきである。夜韓国の大統領候補たちの討論会を視聴した。画面上には同時にネットの投稿の落書きや悪口などが流れ、民意として表れた。やはり軍事問題にはサード配置が問題とされ、韓米戦時作戦統制権が話題になり、コリアパッシングkorea passingつまり日中米などが朝鮮半島の軍事問題を論ずる時韓国を排除して行うことを意味する。自主権を持つ韓国が北朝鮮のように火遊びで「火の海」に対決をするのか、憂いがある。私は日本に住み日本語の不便さを感じ、韓国語で楽しむ。しかし、時には韓国語が聞き取れることによる不快さも感じている。つまり、韓国語が解らなければ聞くことが無い、聞きたくも無い不快なことも聞こえてくるのである。
昨日も家内と一緒に印刷所で仕事に夢中であった。今朝の今時間帯が戦争勃発の危機といわれる。朝からニュースに注意している。朝鮮人民軍の創設記念核実験が強行される可能性で緊張が高まっている。北の「無敵の力がある」という盲信はどこから来るのか。多くの韓国民は北朝鮮が如何に弱い国であるか知っているから大敵にはならないと思い、それほど怖がらない。ただ怖いのはアメリカの「戦争」に対して北朝鮮の「テロ」の反撃が怖い。私は大学生の時聞いた有名なハングル学者崔鉉培氏を思い出す。崔先生はハングルの「・」音をめぐる論争のために朝鮮戦争避難中の汽車の中でも論文を書いたという。ライバルの李崇寧先生から聞いた話である。私は戒めとしている。
久しぶりに礼拝に出席した。宇部教会の韓国出身の崔栄信牧師の説教は「復活信仰」であった。説教では神、聖書が最も重要であり、寄りところであり、権威と主張が中心である。説教と講義の差を感じた。以前は講義も説教のように一方的であったがかなり進歩し交流的になった。私の講義もかなり変わった。全受講生のコメントを読んで感想や修正の意見を書き、コメントを話しながら返すことから始まる。学期全体のシラバスを考慮しながら映像、パーワーポイントで説明、さらにみんなで討論する。楽しい。
朝鮮半島の南北関係について読売新聞から取材を受けた。話題は朝鮮半島の緊張感である。今、世界、日本に溢れている緊張感が、北が「主敵」と言っている韓国人にはないという滑稽な状況である。同席した韓国からのお客様も韓国人は戦争という言葉に慣れているせいか、戦争を予想しないと返事が返ってきた。ソウルと平壌は200キロ、数分の内の爆撃が可能な話が長く続いた。アメリカは攻撃(戦争)に強くてもテロには弱い。攻撃の目標を武器とするアメリカと人を目標とする北朝鮮のテロとは嚙み合わない虐殺になり、悲惨なことになるだろう。
大学の近くの友人が経営する介護関係の会社「ひまわり」に寄った。中国、台湾、韓国との貿易もしており盛業中である。多くの店が廃れていっても病院や介護関係は健全である。穴見社長は意気揚々と発展ぶりを語ってくれた。同行した中国からの留学生の林楽青氏はこれから中国との貿易展望を語った。それに社長は夢膨らむ話が大きくなると夫人が謙虚なことばで修正する。進歩と保守の夫婦のイメージが面白い。韓国からオムツを輸入し、台湾へ杖を輸出している。最近中国の富裕層が10万円もする高級な杖を買って行かれたという。お土産として高級、高額のものが人気があるという。杖は高齢者向けのプレゼント用として贅沢でお洒落な商品として人気があるというが、韓国人には杖は障碍者のイメージが強く、それほど好まれない。しかし、必要とする方にプレゼントをしたときはとても喜ばれた。杖の文化も異なる。
激しい雨の音、避難指示や避難勧告の音が一気に春から脱皮したような昨日、私は研究所で楽しく談笑をしていた。東京の新聞デスク全国版で活躍されていた方が下関へ一線記者として赴任された女性と長らく話をした。彼女は私たち夫婦に対して予備知識を持っておられた。私は国境の港文化について、下関、石垣島、稚内など船による小規模の国境貿易などを強調した。流域を転々とするだけではなく、彼女を通して絆がつながり、縁が広がってほしい。
4月15日は金日成の誕生日で緊張の祝祭日であった。一般的に言って死んでから死者が祖先になるのが東洋の祖先崇拝であるが、誕生日を以て記念し、英雄化するのはアメリカワシントンなど西洋の考え方である。金日成はスターリンや毛沢東と同様にミイラ式に保存されている。死んでも生きているというように年号と記念日にもなっている。日本と北朝鮮は非常に似ている。日本の天皇制は歴史上確固不動なものであり、「退位」といっても天皇の数が増えることになるようである。