崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「愛し合って」

2019年10月22日 05時25分35秒 | 講義

 昨日のワンアジアの講義のイントロでは前回の私の拙著『帝国日本の植民地を歩く』を以て行った講義についてのコメントと質問について触れた。東玲佳さんが「普通の歴史の授業では触れられない」、大屋君は反日の韓国とは今も慰安婦問題などで仲が悪い、それは洗脳教育によるものであろうが、韓国からの留学生たちは「敏感な慰安婦問題に慎重に、刺激的、不便」という意見、質問があったことに私は学問、講義の自由について触れた。韓国の延世大学で学生が教授の講義内容を訴えて警察による捜査が行なわれていることを例にして語った。授業後、韓国の女子留学生の朴ファヨンさんが研究室を訪ねて来て、決して反日的ではないことも含めて談笑が長く続いた。

 鵜澤和宏先生の講義は数人の教員も参加したが、もっと多くの教員の授業参観を薦めたい。先生は個人の「私」は無数に遡って拡張すると直接生殖に関わった先代を10代まで遡ると1024人、さらに遡るか拡大すると全ての人は「人類集団」であるという。その祖先はアフリカの黒人で、人類は「愛し合って」混血が繰り返され、広がっていったという。私は「愛し合って」という言葉に気になった。「愛」が子孫繁栄に部分的に関わったが、必ずしも愛によって子孫が繁栄してきたとは限らないことをコメントした。講義は面白い画像、明快な説明、内容は広く、深く、進行された。現在我々は多様な集団を以ていきる。「他」とどう向き合うか問題点があるが、我々の祖先は黒人であると知って、理解心を持つべきであろう。

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ある青年に

2019年10月21日 06時28分13秒 | エッセイ
 あるフェースブック友の青年の文、非常に稀な良い若者の文を読んだ。彼は韓国で地方国立大学出身の人文学・日本学を専攻したし、軍服務中の方である。思考深い名文であるのでシェアし、コメントもした。
 
 私の20代を振り返る。難しい時代シャーマニズムを研究をし、それで食べられるとは夢にも思ったことがない。ただソウル大学師範大学は、教師職が保証されていて、研究は、趣味に過ぎなかった。日本留学をして、帰国して、大学の日本学科の教授となり、「親日派」と学生たちから後ろ指された。初めての被差別経験であった。それを克服するために、日本の植民地を研究した。多くの本を出した。親日派という非難や差別を克服しようとしたが、むしろ広く深くなった。しかし、多くの良い読者を得た。その世界で反日の一番高く、強い韓国から出発し、アイルランド、南アフリカなど旧植民地を訪問し、思考した本『帝国日本の植民地を歩く』を出した。本当に人生いろいろ。
 以下は東洋経済日報2019.10.18掲載の紀行文である。
ノーベル賞
崔吉城
2003817日福岡からパリへ、翌日ソルボンヌ大学のギリモーズ教授の研究室を訪ね、秋葉隆氏の遺稿など資料をいただき、次の日にはアムステルダムのアンネフランク家、又翌日ライデン大学でブレーメン教授、ワラベン教授らと談話、インドネシア植民地展観覧、さらに次にストックホルムのウプサラ大学、そしてノーベル賞ホールに立ってみた。世界的には注目される所だが私には素朴なホールにすぎなかった。
スウェーデンに移民した友人の崔炳殷画伯はサンタクロースの世界化について一生懸命に説明した。フィンランドがスウェーデンのものを先取りし、サンタクロース商品として世界一になったことに対し、不満をもらしていた。スカンジナビア半島北部のラップ族からのものであると言っておられた。彼は韓国からの養子を題材にし、韓国語で小説も書いた。私はその本の後書きを書いた。彼は韓国から科学分野のノーベル賞が一つもないのか残念であると繰り返し話をし、高銀氏や金大中氏らの業績、作品をスウェーデン語で翻訳するなどもやっていた。
今年、日本では吉野彰氏(71)がノーベル化学賞を受賞した。日本ではほぼ毎年の事、祝賀ムード。「太陽光や風力などの変動の激しい発電技術が普及しやすくなる」という。多くの国はその日本の研究成果、回路などをコピーし、商売繁盛している。感謝すべきである。世界が喜ぶべきことである。
一方韓国ではとても残念である。「韓国では高校生が2週間インターンをして医学論文を手軽に書けるというのに…なぜ」と投稿した人もいる。しかし例年と異なる反応も現れている。「日本がうらやましい」「日本に学ぶべきだ」といった声が相次ぐ。東亜日報は、日本で科学分野でのノーベル賞受賞が24人目となることを挙げ、基礎研究を重要視している日本に学ぶべきだと書いている。そして吉野氏が実現した小型で高性能の充電池は、韓国にはなくてはならない。「日本に追いつく」「日本に負けない」と国民の対抗心を煽り、「反日や国粋主義に陥っているようではノーベル賞はほど遠い」という。日本の研究の伝統はどのように作り上げられてきたのかを知るべき、知識を作り出す過程に焦点を合わせて考えれば、研究がどのように行われているのかを見るべきだともいう。
私は韓国での大学教授の経験から言っておきたい。韓国の研究者・学者たちは政治的出世欲が強く、研究が長く続かない。高校までの教育の知識は兵役で白紙化、教授になっても政治家になる夢が強い。教授とは政治家として出世の中間点に過ぎない。大学の教授から政治家になるのは韓国では一般的な現象である。私が卒業したソウル大学師範学部の教授たちもそうであった。大臣(長官)になった先生も数名いた。李王朝の科挙の伝統である。多くの教授は定年してからは研究を止めて故郷で農園をもって余生を暮らすのが理想である。研究は労働であり、そこから早く解放されたい。
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クールジャパンcool japan

2019年10月20日 06時20分25秒 | 講義

 地球温暖化、台風と大雨の大害の日本の今、太陽と地球と月の奇跡的関係という話で盛り上がった。話の中に暦、カレンダーと季節感の話、「令和」をクールジャパンcool japan、「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪冴えてすずしかりけり」(道元)から秋の月「仲秋」「秋夕」の八月十五夜「満月」の話はロマンチックであった。
 昨日金田晉先生の「楽しい韓国文化論」では「暦と美」の話であった。日本の近代化の象徴的な西暦化、時間の管理システムは植民地にも影響したが、なかなか適用されなかった。韓国ではコレアンタイム、東南アジアではゴムタイムなど一時間も遅れるなど、時間を守れない文化についてはエドモンド・リーチやラディクリフ・ブラウンなど文化人類学者の調査もある。東アジアでは日本以外に韓国、北朝鮮、台湾、中国では新旧歴の二重暦を使っており、金田先生の言葉でバイカレンダーbicalendarになっている。それを通して東アジア共同体への一助になればと提案があった。

 

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大江志乃夫の『日本植民地探訪』

2019年10月19日 06時33分38秒 | 旅行

 先日拙著『帝国日本の植民地を歩く』にコメントしてくださった山路勝彦先生からのメールで江志乃夫の『日本植民地探訪』を読むように勧められた。先生は「現在、30年たちました。先生の著書と似たようなタイトルですが、内容的には全く違い、人類学の学説史の推を考えるのに、重要と考え・・・」と勧められた。早速その本を読み始めた。北朝鮮、中国、サハリン、台湾、南洋など調査地はほぼ私と重なり比較しながら面白く読んでいる。ただ大きく違うのは私は基本的には一人旅であり、そのために苦労が大きい。
 私は今度の拙著ではサハリンについては欠落している。それには別冊として執筆中である。大江氏がサハリンを訪ねた所もほぼ一致している。また彼が1996年、私が初めて行ったのがそれより3年後の
1999年である。彼は朝鮮人たちの韓国への帰国の話、私はそれが実現する現場にいて目撃した点で接点がある。私はそれから10年弱サハリンとシベリア、カムチャッカ半島などを歩いたので自らも比較できるところがある。
 ただ不思議な点がある。彼は『非戦の思想史』『日露戦争の軍事史的研究』『戦争と民衆の社会史――今度此度国の為め』『日露戦争と日本軍隊』『兵士たちの日露戦争――500通の軍事郵便から』などの名著を書いた戦争研究者でありながら日本人に朝鮮人が虐殺された瑞穂悲劇については触れていない。なぜであろう。のどかな農村で日本人と朝鮮人が暮らしたが戦争中、朝鮮人たちがスパイだという噂で村の朝鮮人子供、男女の27人が日本人に殺され、ソ連軍によって裁判、処刑された。大江氏がこのことに触れなかったことはなぜだろう。知らなかったとは思えない。私の旅はその悲劇から始まる。

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太陰暦(旧暦)

2019年10月18日 06時54分14秒 | 旅行

 「令和」という年号が使われていても私はまだ親しめない。日本と北朝鮮、台湾は年号を使っている。中には偉大な指導者の誕生日などを起源とする。それだけではない。名節など中国、台湾、韓国ではまだ旧暦が使われている。古くは東アジアで太陰暦(旧暦)が広く使われたが西暦に変ってきた。まだ東アジアには旧暦伝統が生活文化にも多く残っている。金田晉先生が陰暦に注目して話されると思う。 明日2019.10.19・午後2時からの「楽しい韓国文化論」講座では人の生活と暦に関して講義がなされる。以前毎日新聞の全国誌にも報道されたことを本欄でも紹介したが、具体的な話を直接先生から聞ける。関心ある方の参加を待つ。

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下川 正晴氏の書評

2019年10月17日 05時12分13秒 | 研究業績
下川 正晴氏が拙著『帝国日本の植民地を歩く』(花乱社)を読み始めたと言いながら感想を投稿してくださった。抜粋してみる。
 
  •  韓国の「反日」を、辺境から、考える!!!
  •  「反日だ、親日だと言われ、時には『日韓の架け橋』とも言われた」人物である。そのアンビバレンツな立ち位置が、民族感情の形成史研究を平衡感覚のあるものにした。
  • 文末にサハリン在住の韓国人のコメントが載っている。「日本がそのまま支配していれば、大金持ちになっていたのに」と言ったというのである。
  • MBCテレビの女性レポーターが、独島(竹島)問題取材のために鬱陵島に出かけて、島民をインタビューした。すると、ある老女が「鬱陵島もそのまま日本領土だったら、もっと発展していただろうに」と言ったのだという。もちろん、彼女はその話を放送しなかった。笑笑

 当時私はサハリンの北の町で朝鮮人たちが討論する現場で聞いていた。日本時代、ソ連時代、ロシア時代を比べると日本時代が一番良かったという意見が多かった。ある青年が突然私に意見を求めた。調査者としては意見を出さないのが良いと思い黙っていた。ただロシアに高麗人(韓国人)が存在することは国際的に貴重だと言った。そうしたら「貴方だけ日本のような良い国に住んで、私たちはロシアに住むべきか」と激しく反論された。
 昨日1999年8月29日、サハリンでの初日に調査に歩いたところ、共同墓地、学校、花、誕生日パーティなどを撮った自作ビデーオを長く見た。少人数のロシア人を含め30余人が集まって乾杯、食事、雑談、演奏、歌、二人組のダンスから群舞、そしてクライマックスへ至るノーカット場面がリアルに映っていた。彼等の他郷暮らしの悲しさを感じていたが、見ている内に私自身の悲しに変った。それは他郷暮らしの感情ではない。私自身、酒を飲めず、酒宴など社交の場を避けて、娯楽を知らない人生、それは多くの楽しみを放棄した私の人生である。ただ研究が私の最後、唯一の砦である。しかしそれも非難されることがあり、悲しい。
 

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竹下一氏書評

2019年10月16日 10時09分12秒 | エッセイ

 植民地統治下にあった台湾、満州、東南アジアのパラオ、フィリピン、さらにはイギリスの植民地であったアイルランド、シンガポール、南アフリ力などを訪れ、調査•見聞、思索したことをエツセイ風に記している。著者は文化人類学の領域から日本統治下の植民地朝鮮の研究を進めるなかで、戦後の韓国における反日感情について考察 してきた。「旅ノー卜」は、それを世界の植民地支配との比較でとらえる作業でもある。これらの国では、旧宗主国への反感は一般的に共通通するが、とくに韓国の反日感情の強さが際だっている。

著者は、敗戦で朝鮮から引き揚げた日本人の少なからずが「韓国人と仲良くつきあったが、日本が負けたらすぐ、それまで仲良くしていた韓国人たちが急にひどい人間に変わった」「喜んで万歳を叫ぶ韓国人たちを見て衝撃を受けた」と語っていることを明らかにしている。日本人が受け止めたこうした青天の霹靂は、当時の朝鮮が独立を踏みにじられた植民地であることを意識できないことから中には、韓国人が裏切ったように感じ、「今度会ったときは、ただではすまさんぞ!覚えておけ」と、恫喝して引き揚げた者もいたという。

戦後の日本為政者やメディアは、こうした植民地朝鮮を見下す意識を清算しないままできた。そのため、その残滓は国民のなかにも存在している。そのもとで、韓国の民衆のなかには、日本がいつまた同じ態度で侵略 するかも知れないという疑念を払拭できないできたといえる。韓国民衆のなかに歴史的に蓄積されたこうした感情は、これ までも教科書問題や靖国参拝問題、さらには自衛隊の入港などをめぐっても表面化してきた。

著者はこれに関連して、日本の為政者は敗戦したが「敗北」を認めてこなかったことに着目し、本来なら敗戦は「社会を根本的に変える」ことなのだが、そうならなかったと指摘している。それは、「大量虐殺した原爆を投下したアメリと被曝した日本が今、北朝鮮の核問題に直面し、それぞれ思いは違うであろうが足並みをそろえているという。

韓国においても、八月一五日は「解放記念日」だが、それを期して「独立した」とはいえず、新たな民族的な抑圧のもとに置かれた事実を「重く受けとめる必要性」を強 調している。それは植民地から解放された後、「戦後指導者たち、南北の民族分断を固め、朝鮮戦争、独裁軍事政権への暗黒の道を辿る」ことになったが、「(韓国は)反独裁民主化によって独立への道を歩ん」できたからである。

伊薄文を暗殺した安重根は、日本では殺人者として処刑されたが、韓国では抗日独立戦争にお ける義士として英雄視されている。これと関わって、アイルランドの独立 運動家•ケースメントや、フィリピンで「独立運動の父」と称賛されるホセ•リサールについて、 それぞれ宗主国イギリス やスペインからは反逆者とされ、大逆罪で処刑さ れた事情に迫っている。

著者は、韓国の「反日」感情の源泉は植民地統治にあるが、植民地支配下の「抗日」とは区別された戦後のものであり、それは韓国国民が民族的に統合して「親日派を処断し、種を絶たねばならない」という愛国主義的な意識だと指摘する。また、「反日」という言葉は直接日本や日本人を指す言葉でもなく、おもには韓国内の親日派に向けられたものだとものべている。

さらに中国では教科書などで、日中戦争当時の占領者、日本軍国主義者と現在の日本人を、政府と国民を区別するようにしているが、「韓国ではそのような区別がうまくいっていない」とも提起している。この点は、最近の徴用工問題をめぐる韓国の民衆運動が「反日ではなく反安倍」を掲げ、為政者と民衆を区別する様相を明確に示して いることともあわせて、深める必要があるように思われる。(「長周新聞」2019.10.14)

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「君が代」

2019年10月16日 05時33分01秒 | 日記

 日韓親善協会のメンバーの88才、小園氏らが研究所を訪ねて来られた。帰宅してカナダとのバレーボールの試合を楽しく視聴した。始まる前に「君が代」が斉唱された。聞く度に「君が代」は異様に感ずる。世界の多くの国歌は応援歌や唱歌のように聞こえるが「君が代」はリズムがほぼなくテンポが遅い、失礼ながら葬送曲にも感ずる。他方クラシックに似て、私はいつの間にか名曲のように感ずるようになった。世界的に聞ける人は多くても歌える人は国民に限らている。国歌は国家を越える力が弱い。世界化は難しい。国歌、国花などはただのシンボルであり独占ではない。「美」は普遍的なものである。その美の力は世界化していく。

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「焚き付け」

2019年10月15日 06時31分16秒 | 旅行
韓国ドラマはテンポが速くて良い。曺は「検察改革のための焚き付け役割ここまでです」と辞職した。焚き付けという言葉は、聞いては知っているが私には忘れられたことばである私の故郷の田舎言葉で<炒り食べて釜を破る」という諺がある。軽く楽しんで大きい禍を招くの意味だ。韓国は日本明治維新以降、アジアで戦<革新 - 民主主義と経済発展」の奇跡を起こし成し遂げた国である。ところが、悪役権力者登場し、「統一と反日」という世論を煽り社会揺さぶっている非常に危険である。
 統一により国土倍増するとして、中国のような大国大韓民国という<>意味がない。ベトナムのように統一しても社会主義国家としては困る。大英帝国GreatBritain小国となった。しかし、その影響は、歴史、香港などにまだ大きく残っている。統一ではなく、民主主義国家を保持発展させることが大事である。北朝鮮と共存交流で良い私は尽くした」「私は今、人の市民に戻る」というの台詞、それは<韓ドラ>クライマックスであり、まだハッピーエンド残っている。
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불쏘시개

2019年10月15日 05時29分50秒 | エッセイ
한국 드라마는 템포가 빨라서 좋다. 조국씨는 '검찰개혁을 위한 불쏘시개 역할은 여기까지입니다'라고 사직했다.  '불쏘시개'라는 말은 들어서는 알지만 나에게는 잊혀진 시골말이다. 우리 시골말에는 <콩 볶아 먹다가 솥을 깬다>라는 말이 있다. 가볍게 즐기다가 큰 것을 망친다는 뜻이다. 한국은 일본의 명치유신 이후 아시아에서 전후 <혁신- 민주주의와 경제발전>을 기적적으로 이룬 나라이다. 그런데 악역의 권력자가 등장하여 통일과 반일이라는 명목하에 여론 조성을 하여 정권을 쥐고 사회를 흔들고 있다. 매우 위험하다.
 통일로 국토를 두 배로 한다고는 하여도 중국과 같은 대국에 대해서는 대한민국이라는 <대>는 의미가 없다. 베트남처럼 통일되어도 힘들다. 위대한 영국Great Britain도 소국이 되었다. 그러나 그 영향은 역사에, 지금 홍콩 등에 아직도 크게 남아  있다. 통일보다는 민주주의 국가를 보전 발전시키는 것이 소중하다. 북한과는 공존 교류가 좋다.  "저의 쓰임은 다했다.  '이제 저는 한 명의 시민으로 돌아간다'. <한드라>의 크라이막스, 해피 엔딩이 남아 있다.
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学園祭

2019年10月14日 06時03分58秒 | エッセイ

 学園祭に寄るために大学へ、駐車場へ入れない。人が集まらないようになっている。7階の私の研究所の窓から見下ろし、他のスペースを見つけた。言っておきたい。櫛田学長室に寄った。拙著『帝国日本の植民地を歩く』を手にしていらしての感想、「タイムリーであり面白くて手放せない」とのコメント、感謝した。詳しくは聞けないが、親日・反日が日韓関係を最悪にしている時タイムリー、実体験に基づいて書かれたというコメントと受け取った。テレビなどに出ている大学の先生は「教授」「特任教授」などの肩書をもって、研究や教育とは縁の遠い世間話ばかりされており、がっかりさせられる。せっかくなので専門を生かしたお話をお聞きしたい。

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「楽焼」

2019年10月13日 05時58分36秒 | エッセイ

 一般的に日本の陶芸は中国や韓国より遅れているというイメージがある。しかし昨日の「楽しい韓国文化論」で東亜大学の松尾伊知郎氏は日本の陶芸が中国や朝鮮半島から影響されたことを前置きにして、現在日本の陶芸は世界的に注目されていると語った。それは高温で焼く技術というより「楽焼」という800℃内外の低温度の施釉陶が世界的に注目されていること。主にデザインなど芸術性と実用性による調和によるものである。中国からの影響で有名になったイギリスのCHINA磁器、今は日本の磁器が世界的に注目される。
 彼は言う。日本は中国や韓国に比べてその歴史が浅く400余年しかないが、大事にして持続的に発展させてきた結果だと。私はお茶文化や染めもの文化など、韓国では断絶してしまって、新しく日本から輸入して伝統文化を復元していることなど、韓国文化財専門委員として体験したことを以て補なった。

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私の恩師の任晳宰先生

2019年10月12日 06時07分38秒 | 研究業績

 2週間ほど校正に大部時間を費した。近刊となる本に共同執筆者として論文を書いたものである。文を書く時は文や思索の流れに沿って書き走るので文献や参考資料を気にしない。後に校正が煩雑になるのが私の書き方である。この度の論文の要点は植民地時代の日本人の朝鮮研究が戦後どのように評価され、継承されたかに関するものである。校正の中で県立広島大学の上水流久彦さんからこれもとても貴重な話ですね。驚きました」といわれた。なぜであろうか。私の恩師のこと、私事でもある。私の恩師の任晳宰先生が一九三八 年朝鮮総督府機関誌『朝鮮』に寄稿した「朝鮮の説話」を真木琳というペンネームで書いたことである。誰も知らない私の恩師任晳宰先生の当時の筆名が真木(任せるの意味の音読み、家族も知らない)名前の琳であった。私が先生に文化人類学を教えていただいた1960年代に聞いて後に確認することが出来た。しかし反日感情が強いので発表を控えてきた。先生の論文の冒頭に「恩師秋葉教授」と記しており、私はその恩師の弟子である。

 

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山路勝彦先生の書評

2019年10月11日 18時00分17秒 | 研究業績

関西学院大学名誉教授の山路勝彦先生の書評

『帝国の植民地を歩く』、ありがとうございました。興味深い内容で、一気に読み通しました。以下、読後感を述べてみます。

「戦後、半世紀をはるかに超えているのに、韓国においてはまだ多くの国民の意識構造の中で植民地は終わていない」(p.26)という問題関心から出発した本書は、1970年代まで主流を占めていた植民地研究、具体的には井上清、遠山茂樹、家永三郎、大江志乃夫らの左派的、もしくはレーニン主義的立場の研究とは隔絶の差異を見せつけている。結論的に言えば、ホセ・リサールやガンジーを例に挙げながら、「植民地政府の恩恵を受け」つつ、彼らの内面的には「裏切りと報恩の葛藤が存在し」ていて、だからこそ一層、「民族主義的」立場を止揚して「人間の平等と平和を追求する」(p.176)立場からの歴史記述が必要だ、と説くことにある。この主張こそが、本書に一貫した立場である。この立場に賛同したうえで、いくつかの話題を取り上げてみたい。

1) 本書では、中心課題に植民地当局が建立した文化遺産の評価づけが大きな比重を占めている。ここで、評者が見聞した話を付け加えてみたい。中国東北部の長春には満州国皇帝の溥儀の宮殿が現存していて、今では観光名所になっている。しかし、この宮殿は仮の建物であって、終戦まじかには本宮殿を建てようとして、今の長春駅から南へ数キロの場所に敷地(公園)を用意し、その土台造りに着手していた。しかし、敗戦により計画は頓挫する。戦後、中国政府は、幸運にも残っていた設計図をもとに本格的な宮殿を建立する。現在、広大なその公園には復元された宮殿が威容をもって建っている。2010年、評者が吉林大学を訪れた時、そこの大学の先生に、こう質問した。「韓国では総督府の建物は日帝残滓ということで取り壊されたが、なぜ中国ではわざわざ復元したのですか?」その先生は笑って、「たぶん、もったいなかったからでしょう。」

その時、中国と韓国とで植民地遺産の扱いが違うのに、評者自身は戸惑ってしまいました。もっとも、歴史遺産は時の政治権力によって扱いが違います。1983年、中国の済南・曲阜にある孔子廟に行った時のこと。文化大革命が終わって7年後です。孔子廟内にあった康有為 (清朝末期の開明派)の銅像は無残に打ち砕かれたまま、そして東岳大帝を祀る岳帝廟はいまだ修復ならず、という状況でした。「文革四人組」による「四旧」打倒の爪痕、いまだ癒えずという状況は悲惨さを感じさせました。こうしてみると、時代によって、時の政権、権力の在り方によって、文化遺産は残されたり、復元されたりするものであって、韓国でも、いまは「日帝残滓」ということで破壊されていても、後世には復元されるのかも知れません。問題は、後世の人間が、いかなる歴史認識を持って植民地建造物に普遍的な美的価値を与えるか、ということになるでしょう。

2) この件で言えば、シンガポールのラッフルズの記述は興味がそそられました。軍政の問題と切り離して、文化遺産に関して本書に付け加えていえば、ラッフルズの業績は偉大です。ラッフルズ・ホテルはその一つですが、このほかラッフルズ博物館の存在も重要です。本書では触れられていないので、いささか補足しておきたい。ラッフルズを記念して命名された、この世界的に有名な博物館は、戦時中に危機に瀕しましたが、図書文献や展示品の散逸を防ぎ、その窮地を救ったのは、日本人学者の貢献でした(田中館秀三1944『南方文化施設の接収』、山路勝彦2004『台湾の植民地統治:無主の野蛮人という言説の展開』)。こうした学者の献身的行為でラッフルズの名は今もかがやき、文化遺産は守られてきました。文化遺産という観点から、こうした学者の存在は闇に消してはいけないと思いました。

3) アイルランドのケースメントの歴史的位置づけは、日本人には馴染みが浅かっただけに、貴重な紹介です。70年代の日本で紹介されても、植民地統治に加担した人物の典型として片付けられてしまうでしょう。ここで思いされるのは、独立宣言(3・1)の唱道者で、かつ建国大学(満州国)にいた崔南善であり、有名なダンサーであった崔承喜です。こうした人たちが、ケースメントとともに、再評価されるのは、「善と悪」との二分法では歴史は語れないという基本的事柄があることです。

本書の一番の評価点は、この論点を真正面から論題に据えたことにあります。植民地統治者と一般住民との間に立つ人物、すなわちコラボレーターに光を与えることによって、歴史記述はいっそう深みを増してきます。こうして、21世紀、人類学者が組み立てる歴史研究がさらに発展し、「善悪の彼岸」に到達できるよう願っています。本書が、そのための導き手になることを期待してやみません。

東京新聞 広告10月11日

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「学問の自由」

2019年10月11日 05時56分18秒 | 講義

 私は先週、講義で世界で反日感情が一番強い国、韓国から世界へと講義した。私の長い間の研究成果により新著『帝国日本の植民地を歩く』を以て語った。多くの学生たちや一般人から高評を得たが、数人の韓国からの留学生が語ってもいない「慰安婦」を挙げながら「聞くのが不便であった」とコメントを書いた。韓国の延世大学で講義中に「慰安婦」について語った柳教授が警察に捜査されているというニュースが気になる。1960年代陸軍士官学校で講義した時、ある生徒の密告で友人の申栄福講師が死刑囚になったことを思い出して、韓国は本質はそれほど変わっていないと感じざるを得ない。
 真理の探究の学問の自由、研究の自由が保障され、研究成果の発表など研究行為が韓国の延世大学では難しいということになる。
憲法で「学問の自由」「大学の自由」が守れるか。延世大学は世間では名門というが本当か否か注目したい。

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