イギリス植民地圏のスポーツのラグビーを見ながら数年前アイルランド旅行を思い出します。イギリスのリーズ空港からダブリン空港までのエアーバスでは通関イミグレーションもなく、警察が管理していた。ダブリンからイギリスまでは国境があるが往来は自由である。ダブリンと北アイルランドのベルファストまでの日帰りバス旅行をした。国境を意識せず往来し、道路表示板を見て国境が分かるだけであった。そこでは国境が日本の県境と似てる。それが今イギリス国会で大きい問題になっている。イギリスがEUから離脱すると北アイルランドとアイルランドの間に国境が明確になるのではないかという、不安と心配がある。
*写真ダブリンのジェムスジョイス宅崔吉城撮影
蘭類の防寒の時期になって室内は鉢物でいっぱいになった。幸福の木に花が咲き、素晴らしい香り、幸福感を満喫している。また嬉しいことがあった。歩けない愛犬ミミ用のベビーカーをいただいた。家内がミミを抱っこして散歩中出会った方からのプレゼントである。買おうと思い、店を探し歩いていた中だったのでビックリ。彼女は二匹の愛犬を飼っていたが不要になり、必要な人がいたら上げたい思っていたと話しておられた。お互いに初めての出会いなのに、、、。隣人愛、その心に感謝しながらいただいた。
留学生が多い1年生の共通科目「アジア共同体論」で家根橋伸子教授が日本語について講義した。1986年にペルー旅行をきっかけに日本語へ関心を持ち、そして日本語を外国人に教えることを専攻したというイントロからスムーズに進行された。日本語の日本精神「言霊」というナショナリズム、植民地に日本語を使ってきた話になって私の関心が高まっていった。しかし言葉はコミュニケーション、アイデンティティの創出、世界化の話にいたり、私が韓国人留学生朴花英さんにコメントを求め、韓国では日本語のタクワンを以前は使っていたがダンムジという韓国語に変えて使っているがピザやパスタはそのまま使っているということに関して3人の学生のコメント。それぞれの主張で盛り上がったが終了の鐘が鳴って残念だった。1年生の日本語の能力、内容に驚いた。
どんどん日韓関係の悪化は話題性が低くなりつつあり、これが戦後の常態であって、突飛な異常ではないかもしれない。教会の長老が私に姜尚中と同様の親日派だと悪口を言った。私は怒らなかった。そのような部類が多いから黙って聞いていた。以前拙著を差し上げても読めないと断わられたことがある。事実を確認することなく、噂で生きる人は多い。シーモール百貨店の一階では南極で鯨漁獲などの写真が展示されていて、青年カメラマンの津田憲二氏から船員として仕事をしながら写真を撮った話を聞いた。その足で4階の本屋を覗いてみた。拙著『帝国日本の植民地を歩く』が「くまざわ書店」に平積になっている。嬉しい(写真)。
李王朝時代最高の画家の25点(金弘道13点、申潤福12点)の春画を紹介し、日本の浮世絵と比較した。韓国の春画は自然の景勝地、山水、満月、妓房、中庭、サラン房、房帳、書物、盆栽などと共に描かれている。日本では版画として大量生産されたたことと比べて李朝では量的に貧弱である。韓国では儒教思想に制約され、催淫用など品のないエロティシズムの低俗な猥褻淫乱物とは峻別され、自然との陰陽調和、妓房を中心として発達した写実的な描写として価値が高い風俗画であると評価されている。美女の顔面は円く、口は小さい。細い目の下の線を省略、束髪、細長の眉、細い目、乳房と尻部が描かれている。
女性(妓生)は完全ヌードはほぼない。髪型、煙草のキセルなどをもって品を保つが、男は全身ヌードになる。女性の自然体の体は分からない。両班や僧はヌードになったり、覗きをしたりする。妓生は品を守っている感じである。民間では妓生は芸者であり、性を売るものではないというが妓生は美女、性を提供する存在であることが明らかになる。田中雅一氏の論文を思い出す。吉と不吉という観念と結びついて女性のライフコースを体現しているインドの事例、家父長的権威を脅かす、不吉やふしだらとして否定される。春画の中でも完全自由ではなかった韓国の儒教社会を見る思いである。
今日私が担当する「楽しい韓国文化論」講座では日韓の美意識を比較してみたい。まず韓国の春画ついて話す。春画は1800年を前後に儒教社会の中で妓房を中心として発達した。芸者は性を売らないと聞いている人が多いように妓生も性を売るのではなく、芸だけを売ると聞いてきた。しかし春画と浮世絵は妓生や芸者が主役として描かれている。それは日本や中国も同様である。反発する人が多いだろう。日本の浮世絵も見ていきたい。
今日2019.10.25の東洋経済日報コラムに朴仙容氏の拙著への書評が載る。日韓関係の悪化の中「韓日両国人の相互理解を進める解説書として評価」され、感謝である。
「帝国日本の植民地を歩く(花乱社)」だ。民族的なエゴのないニューカマーの著者(崔吉城教授・東亜大学)の力作。反日・親日に対する新しい視点のアプローチだ。アジアには反日文化圏と親日文化圏があると著者は言う。反日文化圏は朝鮮半島から大陸へ広がる。中でも韓国の反日感情が一番強い。台湾や南洋などには親日文化圏が広がっている。台湾では植民地時代の日本文化が日常の中に残り、台湾総督府の庁舎は中華民国総督府に利用され、観光スポットになっている。対象的な反日韓国の朝鮮総督府は植民地化された屈辱の象徴、存在を放置できずに破壊した。なぜ韓国の反日感情はそれほど強いのか。著者は反日の本質を理解するために植民地を研究、現地を訪ねて直接見聞きしている。帝国日本の植民地だけでなく、列強の植民地も歩き、その地その地の事情・事例を挙げ、その意味を考察しているが、著者自身が反日だ、親日だと指差され、憎しみの対象にされたこともある。韓日の「かけ橋だ」と言われ、嬉しく受け取っていると、突然その立場から突き落とされた苦い経験も多いようだ。著者を中立な人と評す人がいる。問題意識は強いが、文中には中立や客観性を意識した言葉の繕いはない。誤解を恐れる記述もない。植民地を歩き、見たまま聞いたままを考え、韓国人の反日感情の根源を探求し、韓日関係の悪化原因を率直に綴っている。韓日両国人の相互理解を進める解説書として評価している。
日韓関係が悪くなり、日本人の韓国への関心はより高くなったのではないだろうか。昨日熊本学院大学の芝教授が来られ3回目のインタビューに応じた。「韓国人の意識構造」という質問、具体的にはシャーマニズムと朱子学が韓国文化へ影響していることに関してである。彼は私の論著などを多く読んで、自らまとめながら早口で質問で攻めてくる。私はシャーマンの神憑り現象の「脱魂」現象が韓国の芸術に大きく影響した、つまり激しさと気絶、気を失うような文化現象が著しいと説明した。韓ドラでも激し喧嘩の場面が多く、気絶現象も多く、家庭に「清(救)心丸」を常備薬としておくことに触れた。彼は大いに納得して興奮するような表情で質問が連発したが、次のお客さんグループが来られ音楽会の話が話題になった。遅くまで続いた。韓国では激しいデモ、鄭教授が逮捕されたというニュースが深夜入った。*写真はメロディー音楽企画の香河冴子氏ら
私は学生時代に李朝時代の宮中儀礼などを文献で調べて卒論などを書いたが、昨日は史実の実態を見たような気分だった。日本は天皇制、年号などを持ち続けている不思議な国とも感ずる。天皇は御言葉で「憲法、象徴」と言われ、史実が現実に生き続けていると感じた。一方それがナショナリズムの強化になるのではないかと憂いをもつ。韓国の極端な国粋主義、日韓関係は悪化を深めている。ナショナリズムの対決、グローバリゼーションの逆行現象、危険になっている。
天皇即位式を「日王」として韓国では伝えられた。憲法の政教分離原則違反にあたるとも言われている。しかし私は天皇の世襲制は能力主義の理想に反するという面を懸念する。他面、尊敬と愛などがあれば良いとも思う。我々は能力主義で父母を評価はせず財産を相続する。国家には権威と権力の両面がある。国家は権力と権威で調和されるすべきである。
昨日のワンアジアの講義のイントロでは前回の私の拙著『帝国日本の植民地を歩く』を以て行った講義についてのコメントと質問について触れた。東玲佳さんが「普通の歴史の授業では触れられない」、大屋君は反日の韓国とは今も慰安婦問題などで仲が悪い、それは洗脳教育によるものであろうが、韓国からの留学生たちは「敏感な慰安婦問題に慎重に、刺激的、不便」という意見、質問があったことに私は学問、講義の自由について触れた。韓国の延世大学で学生が教授の講義内容を訴えて警察による捜査が行なわれていることを例にして語った。授業後、韓国の女子留学生の朴ファヨンさんが研究室を訪ねて来て、決して反日的ではないことも含めて談笑が長く続いた。
鵜澤和宏先生の講義は数人の教員も参加したが、もっと多くの教員の授業参観を薦めたい。先生は個人の「私」は無数に遡って拡張すると直接生殖に関わった先代を10代まで遡ると1024人、さらに遡るか拡大すると全ての人は「人類集団」であるという。その祖先はアフリカの黒人で、人類は「愛し合って」混血が繰り返され、広がっていったという。私は「愛し合って」という言葉に気になった。「愛」が子孫繁栄に部分的に関わったが、必ずしも愛によって子孫が繁栄してきたとは限らないことをコメントした。講義は面白い画像、明快な説明、内容は広く、深く、進行された。現在我々は多様な集団を以ていきる。「他」とどう向き合うか問題点があるが、我々の祖先は黒人であると知って、理解心を持つべきであろう。
地球温暖化、台風と大雨の大害の日本の今、太陽と地球と月の奇跡的関係という話で盛り上がった。話の中に暦、カレンダーと季節感の話、「令和」をクールジャパンcool japan、「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪冴えてすずしかりけり」(道元)から秋の月「仲秋」「秋夕」の八月十五夜「満月」の話はロマンチックであった。
昨日金田晉先生の「楽しい韓国文化論」では「暦と美」の話であった。日本の近代化の象徴的な西暦化、時間の管理システムは植民地にも影響したが、なかなか適用されなかった。韓国ではコレアンタイム、東南アジアではゴムタイムなど一時間も遅れるなど、時間を守れない文化についてはエドモンド・リーチやラディクリフ・ブラウンなど文化人類学者の調査もある。東アジアでは日本以外に韓国、北朝鮮、台湾、中国では新旧歴の二重暦を使っており、金田先生の言葉でバイカレンダーbicalendarになっている。それを通して東アジア共同体への一助になればと提案があった。
先日拙著『帝国日本の植民地を歩く』にコメントしてくださった山路勝彦先生からのメールで大江志乃夫の『日本植民地探訪』を読むように勧められた。先生は「現在、30年たちました。崔先生の著書と似たようなタイトルですが、内容的には全く違い、人類学の学説史の推移を考えるのに、重要と考え・・・」と勧められた。早速その本を読み始めた。北朝鮮、中国、サハリン、台湾、南洋など調査地はほぼ私と重なり比較しながら面白く読んでいる。ただ大きく違うのは私は基本的には一人旅であり、そのために苦労が大きい。
私は今度の拙著ではサハリンについては欠落している。それには別冊として執筆中である。大江氏がサハリンを訪ねた所もほぼ一致している。また彼が1996年、私が初めて行ったのがそれより3年後の1999年である。彼は朝鮮人たちの韓国への帰国の話、私はそれが実現する現場にいて目撃した点で接点がある。私はそれから10年弱サハリンとシベリア、カムチャッカ半島などを歩いたので自らも比較できるところがある。
ただ不思議な点がある。彼は『非戦の思想史』『日露戦争の軍事史的研究』『戦争と民衆の社会史――今度此度国の為め』『日露戦争と日本軍隊』『兵士たちの日露戦争――500通の軍事郵便から』などの名著を書いた戦争研究者でありながら日本人に朝鮮人が虐殺された瑞穂悲劇については触れていない。なぜであろう。のどかな農村で日本人と朝鮮人が暮らしたが戦争中、朝鮮人たちがスパイだという噂で村の朝鮮人子供、男女の27人が日本人に殺され、ソ連軍によって裁判、処刑された。大江氏がこのことに触れなかったことはなぜだろう。知らなかったとは思えない。私の旅はその悲劇から始まる。
「令和」という年号が使われていても私はまだ親しめない。日本と北朝鮮、台湾は年号を使っている。中には偉大な指導者の誕生日などを起源とする。それだけではない。名節など中国、台湾、韓国ではまだ旧暦が使われている。古くは東アジアで太陰暦(旧暦)が広く使われたが西暦に変ってきた。まだ東アジアには旧暦伝統が生活文化にも多く残っている。金田晉先生が陰暦に注目して話されると思う。 明日2019.10.19・午後2時からの「楽しい韓国文化論」講座では人の生活と暦に関して講義がなされる。以前毎日新聞の全国誌にも報道されたことを本欄でも紹介したが、具体的な話を直接先生から聞ける。関心ある方の参加を待つ。
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韓国の「反日」を、辺境から、考える!!!
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「反日だ、親日だと言われ、時には『日韓の架け橋』とも言われた」人物である。そのアンビバレンツな立ち位置が、民族感情の形成史研究を平衡感覚のあるものにした。
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文末にサハリン在住の韓国人のコメントが載っている。「日本がそのまま支配していれば、大金持ちになっていたのに」と言ったというのである。
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MBCテレビの女性レポーターが、独島(竹島)問題取材のために鬱陵島に出かけて、島民をインタビューした。すると、ある老女が「鬱陵島もそのまま日本領土だったら、もっと発展していただろうに」と言ったのだという。もちろん、彼女はその話を放送しなかった。笑笑
当時私はサハリンの北の町で朝鮮人たちが討論する現場で聞いていた。日本時代、ソ連時代、ロシア時代を比べると日本時代が一番良かったという意見が多かった。ある青年が突然私に意見を求めた。調査者としては意見を出さないのが良いと思い黙っていた。ただロシアに高麗人(韓国人)が存在することは国際的に貴重だと言った。そうしたら「貴方だけ日本のような良い国に住んで、私たちはロシアに住むべきか」と激しく反論された。
昨日1999年8月29日、サハリンでの初日に調査に歩いたところ、共同墓地、学校、花、誕生日パーティなどを撮った自作ビデーオを長く見た。少人数のロシア人を含め30余人が集まって乾杯、食事、雑談、演奏、歌、二人組のダンスから群舞、そしてクライマックスへ至るノーカット場面がリアルに映っていた。彼等の他郷暮らしの悲しさを感じていたが、見ている内に私自身の悲しに変った。それは他郷暮らしの感情ではない。私自身、酒を飲めず、酒宴など社交の場を避けて、娯楽を知らない人生、それは多くの楽しみを放棄した私の人生である。ただ研究が私の最後、唯一の砦である。しかしそれも非難されることがあり、悲しい。