崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国の日本食

2007年06月30日 06時10分14秒 | エッセイ
 日本では韓国の食べ物が流行っている。韓国でも日本食の人気が上昇している。それらは外食のものであり、日常食として食卓でのものではない。日本では焼き肉やキムチ、海苔などが日常の食品になっている。韓国では日本食が日常の食卓に上がるのはタクワンくらいである。このようにみていると日本食が韓国には定着しにくいといえる。しかし醤油、味の素などの基礎的な味は日本化していることはあまり意識されていない。戦前韓国全羅南道麗水で生まれ育った河崎威氏は父親が醤油工場を大きくしていたと言い、当時の朝鮮人にも多く売れたという。現在韓国では醤油の味は朝鮮伝統のアジよりは日本の味になっている。日本のキッコウマン醤油が国際化されているのを見ると日本の醤油の味の国際化の力に驚くほどである。

終戦の証言

2007年06月29日 06時25分35秒 | エッセイ
 終戦時の引揚者の証言を読んでいるうちに息が止まるような状況になった。それは朝鮮半島でソ連軍が自分の目の前で母親に性暴行することをそのまま見ていた息子の苦しい反省の文章であった。彼は当時18歳で10歳ごろの弟、そして母のそばには幼児がいた。ソ連軍兵士の一人が暴行をし、もう一人は見張りをしている。彼は武装したソ連軍が怖くて、助けてと叫ぶ母を助けられなかったことが一生後悔であると書いている。実名で書いた彼の勇気に感動した。昨日授業で丁度同年の学生たちに問いかけてみた。私自身にも問いかけたのかもしれない。戦争は人間を失格させるという意味では爆弾より怖いといえる。

犬の悪戯

2007年06月28日 06時04分03秒 | エッセイ
 犬の悪戯が酷い。高額の私の補聴器をかじって完全に壊した。それでもミミちゃんを叱らない私を家内が不思議な顔で見ている。いや私自身も不思議だと思った。本当に愛するということはこのように相手の失敗や悪戯さえも許し、受け入れることであろうか。放っておくだけでは本当に愛することではないであろう。ミミちゃんが私の気持ちを知って悪戯をしないように躾をするか、こちらが注意すべきかである。愛は相手を放っておくことではない。もう一歩積極的に相手に関心をもって納得してもらうために努力することであろう。その意味でまだミミちゃんへの私の愛情は足りないのかもしれない。

学校教育を受けなくとも

2007年06月27日 05時34分44秒 | エッセイ
 学校教育をほぼ受けてない人と数日暮らしてみて教育、教養を身に着けるということがいかに重要であるかを痛感した。その人は自分の家族以外のことには無関心で景観や文化財、音楽会などにも関心がなく、話すこともない。教育とは学歴社会と結びついて否定的な自慢話のようになることもあるが、実は学歴より教養教育が人生にとってなにより重要なものである。一昔前までは大学に教養学部があったが、本当の意味でそれが生かされず、今でははほぼなくしている。教養学部については再考すべきである。

下関港

2007年06月26日 06時23分06秒 | エッセイ
 先日韓国から来る姉を迎えるために下関港に行って待った。ゴルフ用のカバンを持っている男女が多く出た。彼らは待機している12台のバスに乗って北九州や別府に向かった。下関はその団体を一泊でも泊まるように誘う力がない。つまり下関が積極的に観光政策をしているとは感じられない。ある観光関係者に聞いたところでは下関のホテルの対応の誠意のまずさや市の観光への積極的な宣伝対策のなさを指摘している。私はまずターミナルで韓国への帰り客や向かう客が1時間以上待つ時間があるので、パネルや大型映像で下関や山口県の紹介などをして欲しいと思っている。下関が大陸への玄関の役割をとり戻す方法は高速艇やトンネルを作ることなどが考えられるが、できることから始めて欲しい。

『ヨーコの話』再考

2007年06月25日 05時42分49秒 | エッセイ
先日本欄で数回扱った『ヨーコの話』を再考する。朴仙容氏が私の読後感をある社会運動の牧師たちに披露したという。彼の話し中にかなりの反発があったようである。日韓関係の微妙な問題、そして社会運動方針に反するような態度からであったようである。ある日同席し、その話を聞いた反戦、平和運動をしている下関在住の鍬野保雄氏も私も唖然とした。鍬野氏は平和運動の一環で歩きながら平和を願うストーン・ウォークstone walkでヨーコ氏と知り合ったという。彼は、『ヨーコの話』の著者のヨーコ氏は韓国を懐かしみ、愛しているのに、韓国への入国も拒まれたという。韓国での反日感情はまだはげしく残っている。ここに鍬野氏が送ってくれた2007年1月31日KBSの文章を紹介する。
 
(前略)この本が最初にアメリカで出版されたのは随分前である1986年の事です。しかし、なぜ急に最近、この本が韓国で話題になったのかと申しますと… この本は米国で中学校の英語教材として採択されたのですが[ヨーコの話]の内容をめぐって一部韓国系生徒と保護者らが強く異議を唱えたからです。これらの話が報道を通じて韓国に知られるやこの問題は韓国内に飛び火「加害者であるはずの日本軍の蛮行については一切、言及がなく韓国人だけが悪く描写されている」という意見から始まり、段々加勢者が多くなるにつれ「韓国人のイメージを意図的に歪曲している」という単純で感情的な意見の方に傾いていきました。  そこで先週私はこの本を入手し読んでみました。読んだ感想としては、韓国内で憂慮されているよりずっと良い内容でした。一方的に韓国人が悪く描写されているのではなく、悪い日本人も良い韓国人も登場します。一貫したテーマは混乱期の「人間の狂気」と「反戦」です。ではこうなった事態の責任は誰にあるのでしょうか?
 しいて言うならこの本を教材に採択したアメリカの教育関係者です。アメリカの平均的な中学生の歴史認識ではこの本は荷が重過ぎます。アメリカの教育関係者はもっとアジアの国々の微妙な歴史感情を勉強する必要があるのでは?





ボッタリ商人

2007年06月24日 05時41分46秒 | エッセイ
 ボッタリとは韓国語で風呂敷の意味、つまり風呂敷や鞄などを持って歩く商人を意味する。定職ではない商人の、たとえば大学の非常勤講師などもそのように表現する。下関ではボッタリジャンサという言葉をよく聞く。それは関釜フェリーで往来しながら行商をするおばちゃんたちを指す。20人弱の在日韓国人が多く、韓国人もいる。日本人はほぼない。
 これはいわば日韓国境を挟んだ商売といえる。韓国からは海苔などを、日本からはゴマ油などを持って行って売る。しかしどちら側からでも免税品である酒やタバコが主な商品である。それは法的に一人1カートンか2カートンに限られているので持っていない客に頼んで税関を通過させる。私も頼まれて断れずやってあげたことがある。これが客に迷惑をかけている。ある関係者の人にそれに対応する方法があるかと聞いたら下関の経済にプラスになるので強く規制はしてないという。人に頼むことなど迷惑にならなければ国境商売はあってもよいと思う。私はいろいろな国境で商売するのを見て知っている。一度頼まれれたものが税関で引っかかて辛い思い出も持っている。

『植民地の朝鮮と台湾』が届いた

2007年06月23日 06時06分21秒 | エッセイ
 昨日県立広島大学の原田環教授と共編した『植民地の朝鮮と台湾』が届いた。台湾が1895年植民地化されて15年後朝鮮が植民地された。台湾が50年、朝鮮が35年、つまり台湾が15年長く日本帝国の被植民地であった。植民地政府日本は両国に対してはおおよそ同化政策や創氏改名など同様な植民地政策をとった。しかし戦後の両国の旧宗主国である日本に対してかなり異なる態度をとっている。
 本書は台湾と朝鮮を対照して編集されたものである。しかし直接比較には至ってないものもある。したがって私は読者が比較しながら読むことを期待している。戦後韓国は植民地は絶対悪としている。その意味ではイギリス、フランス、オランダなどが悪の軸であろう。植民地歴史を国際的な視野から比較していこうとするのがこの本の出版の本音である。
「朝鮮引揚者と韓国」(藤井賢二)、台湾東海岸における漢人・アミ漁民と沖縄漁民の接触」(西村一之)、「植民地朝鮮における日本語教育の近代的側面」(山田寛人)、「台湾総督府の『種族』・言語認識」(冨田哲)、「『放送教本初等国語講座』に見る『国語』教育」(上田崇仁)、「台湾庶民地支配にみる訃聞の資料的価値に関する一試論」(上水流久彦)、「神社参拝反対と殉教」(グレーソン)、「台湾で神として祀られた日本兵」(山路勝彦)、「植民地朝鮮におけるキリスト教」(崔吉城)、「植民地における日本仏教による台湾地域への布教」(松金公正)、「井上角五郎・今泉秀太郎の甲申政変遭難記」(原田環)、「大正期の在日ヒーロー」(鄭大均)

民主主義は選挙だけではない

2007年06月22日 05時30分52秒 | エッセイ
 最近、日本の国会で議案の強行通過をみると非民主主義的なことを強く感ずる。与党側は民主主義的に選挙で選ばれた議員であるので強行しても良いと考えているようである。それは大変な錯覚である。民主主義は選挙だけではない。むしろ会議や政治過程などが民主主義的に行われるべきである。その民主化は政権交代にあると思う。両党政治によって政権が時々変わらなくては日本の民主主義は定着し得ないのではないだろうか。

若者の遊び場

2007年06月21日 05時50分45秒 | エッセイ
 昨夜ある社長と市会議員と共に食事をしながら下関の活性化についての話題がでたが、その中で気になることがあった。田舎には若者が少なく、廃れていくといいながら若者への政策がないという。特に下関には若者の遊び場がないという。つまり東京の原宿のような若者のファッション街が形成されていないだけではなく若者がデートを楽しむ場所もないということである。新人類とか無秩序な街が若者の幻夢の都会として吸収力を持つ。一方高齢の方は田舎を懐かしく思い、回帰現象が起こる。そして年齢層によって偏在する傾向がますます深化するのではないだろうか。若者が集まる健全な盛り場をどう作るかは難問である。

懐かしさ

2007年06月20日 05時59分25秒 | エッセイ
 日本には植民地であった台湾、韓国、旧満州、サハリンなどからの引揚者の組織があり、全国的な連合会もある。最近私は朝鮮半島からの引揚者たちと会って話す機会が多くなった。彼らはあちらが生まれ故郷やふるさとだと言う人が多い。それは植民地云々ではなく、純粋な「懐かしさ」からである。その懐かしさは韓国側からみると植民地帝国の支配を懐かしむということはけしからんと思われるかもしれない。日本人からみても植民地を懐かしむというのは人に注目されることはない。
 しかし懐かしむことは伝統文化やふるさとなどへの愛情でもあり、ある意味では文化活動の原動力でもあり、普遍的な心理である。私は今、その懐かしさに眼を向けて研究をしている。

長門仙崎港で引揚者に関する調査

2007年06月19日 06時29分23秒 | エッセイ
 昨日家内の運転で堀氏などの同行で山口県長門仙崎港で引揚者に関する調査をした。そこは金子みすずの記念館なども有名である。まず市役所の支所というところで『歴史の証言』(長門市、平成7年)などを購入した。展示されている引揚者の写真などを撮影した。金子みすず記念館は意外にも立派な展示をしていた。大漁で魚の霊を慰める心が詩として人の心に響く。なにより引揚者の証言録を読んでつぎの調査の予備調査として満足している。

6月17日は誕生日

2007年06月18日 06時13分40秒 | エッセイ
 16日は父の日、17日は私の誕生日である。朝鮮戦争で戸籍が焼かれて新しく申告して決めた日なので正確ではない。もともと旧暦の6月17日だと言う。韓国でも学生たちが祝いに来てくれたので食事を一緒にするようになって、日本では名古屋、広島、下関で毎年留学生中心に誕生日という名目で食事をするようになった。
 昨日は広島から3人の中国からの留学生と5歳の女の子が朝5時半に出発して10時ごろに我が家についた。5歳のシンちゃんが保育所で中国式の苗字で呼ばれることを嫌がっていたことや親が立派な人になれと言った時、普通の人になればよいと答えたなど、子供の話題で話が一気に盛り上がった。ミミちゃん(犬)と遊んで連れて行きたい、別れたくない表情をして手を振りながら帰って行った。その後教友たちがたずねてきて祈ってくれた。また新聞社や韓国教育院からの友人たちとは主に私の生まれ故郷の38度線と朝鮮戦争について私の姉と一緒に米軍の性暴行の話の証言が夜遅くまで続いた。残念なことは慶南大学校張竜傑教授の4人家族が予定していたが全家族が交通事故で入院して来れなかった。健康回復を祈る。電話、メール、花などの贈り物に感謝している。

Mariage

2007年06月17日 05時25分07秒 | エッセイ
結婚式場にMariageと書いてあって英語のmarriageの誤字と思って直すように電話をしようとした。その直前に確認したところ私が無知であることがわかった。英語ではないフランス語、しゃれた外国語で結婚式場で使う言葉である。私にはこのような知識や誤解は多いはずだと反省している。それが知識のレベルであれば確認して直せるが、人生観などもそうだとしたら・・・と思うといまさら直すことは難しい。直すにはもう遅すぎだからである。しかし大間違いはやはり直すべきである。

漢字の読み方

2007年06月16日 05時56分16秒 | エッセイ
 漢字文化圏では中国文化圏以外には日本だけが漢字をしっかり守っている。北朝鮮とベトナムは戦後すぐ漢字をなくしたが、韓国では最近IT化によって漢字がほぼ完全になくなった。しかし名前などはまだ漢字を使用している。日本人の苗字はおよそ10万、韓国は230しかない。日本の苗字は多様である。韓国人は日本人の名前を漢字の意味で読む習慣があり、日本人の苗字の意味が韓国には異様なものが多い。たとえば「犬養」は韓国人にしてみると犬を蔑視するので異様に感ずる。戦前に朝鮮半島に住んだ日本人の田尻氏のエッセイに彼女が子供の時代に韓国の子供から「尻」と呼ばれてばかにされた。それでその韓国人の名前が金玉出であるのでキンタマ(金玉)と言い返したという。そのエッセイを読みながら日韓の名前、漢字の文化の違いを感じた。