崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「多敵国家」

2014年06月30日 05時24分02秒 | 旅行
先週のある講義で「喧嘩」をテーマにした。文化人類学者の末成道男氏論文を参考にして日韓の例をもって`講義を進めた。彼は1980年代韓国調査期間中の1年間で47件の喧嘩を見聞きしたが、実際8件の喧嘩を見たことをもって日韓の喧嘩を比較した。韓国人は感情が激昂して、一対一、素手、裁定者や味方はなく喧嘩をしても、後を引かないなどの特徴を述べている。日本人の男子学生はグループで喧嘩、和解しても仲間にはなれなかったといった。日本人は喧嘩はなるべくせず、我慢強いがグループで行い、後を引くということが気になった。喧嘩が拡張すると紛争、戦争になるといえる。
 今日本では「集団的自衛権」をめぐる議論が活発に行われている。軍隊は韓国、北朝鮮、中国などにはあるもので兵役は国民の神聖なる義務とされているが日本が軍など云々すると脅威になる。なぜであろうか。日本は戦前世界一の帝国を目指して太平洋戦争を起こした国、いわば前科者的な意識構造があるからであろう。昨日教会で会った在日の方は戦争になったら在日は本国へ帰って参戦することになるだろう、日本が戦争をすると在日は日本の敵になるということだろうかと私に聞いた。国際時代であり、グローバリズムを叫び、無意識的に多民族国家を理想のように考えたのが「多敵国家」のようになりつつあるのではないだろうか。本当の世界市民を作る国民普遍的な教育が必要である。
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屋台文化

2014年06月29日 04時48分00秒 | エッセイ
私は韓国育ちでありながら日本でも有名な韓国食のトクボッキや部隊チゲなどは口にしない。私は屋台文化とは縁がない。屋台には不潔なイメージが強く、寄った覚えがない。屋台で豚足や鳥足の料理を食べる場面は映像などを通して知っている(写真はネットから)。屋台などの食文化を知らないような、両班出身の貴族のように聞こえるかもしれない。しかし理由は別に二つある。一つは屋台は私の世代には親しみがなかったことであり、もう一つは私が酒を飲めないところにある。屋台でマッコリーや焼酎を飲み、鳥足料理を食べながら語り合うようなロマンス(?)がないのは飲酒習慣がないからである。それだけではない。酒文化とは縁の遠い私のドライな生活になったのは生理的な要因であろう。酒を飲めない父を思い出す。その遺伝子によるものであろうか。その疑問は先週ソウルから姉に付き添って来た甥から確認できた気がした。彼は酒を飲まない。彼も私のようにアルコールアレルギーがあって酒は飲めないという。飲酒で皮膚がかゆくなる一種のアルコールアレルギーがあるのは私と同様である。そこで私は母の弟が皮膚炎で苦労し、結局それで死亡したことを思い出す。その遺伝子を甥と共有しているようである。
 ただ一種の遺伝子がパーソナリティや生き方に大きく影響しているといえる。飲酒ができないことによって、もっと多くの友人作りやロマンスが制約されたのではないだろうかと思う。融通性のない青春時代に反骨精神を貫いて、私は人を許さず傷つけたことも多かったと反省している。それを意識して性格改造(?)にもかなり努力してきた。それは遺伝子と戦うことでもあった。否、それは私だけのことではない。人間は誰しも身体的、生理的な条件や欲望と戦いながら生きる、生老病死の人生であることを悟るべきであろう。
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展示会のお知らせ「絵葉書から見る近代山口」

2014年06月28日 10時19分02秒 | 旅行
 期間:2014年7月17日~21日
 場所:下関市立美術館
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お知らせ講演「東亜大学のアジア文化交流と国際人材育成」

2014年06月28日 05時31分34秒 | 旅行
九州・アジア/中国ビジネス研究会
第90回研究会開催案内
日時:平成26年7月23日(水)午後6:30~8:30
場所:エルガーラ・オフィス棟 6階601-2号室 久留米大学福岡サテライト教室
福岡・中央区天神1-4-2 大丸エルガーラ東館TEL : 092-737-3111(エルガーラ・オフィス棟は天神 ・大丸エルガーラ東館と国体道路沿いで隣接するビルです)
講師 :東亜大学教授・東アジア文化研究所所長
崔吉城(チェ・キルソン)氏
略歴:1940年韓国生まれ。ソウル大学校師範大学国文科卒業後、日本に留学、筑波大学で文学博士号を取得。日韓双方で文化面を中心に活動しているが、韓国では、韓国陸軍士官学校教官(大尉)、韓国・文化広報部文化財管理局常勤専門員、啓明大学校外国学大学教授・学長/日本文化研究所長などを歴任、日本では、中部大学国際学部教授、広島大学総合科学部・大学院国際協力研究科教授などを務め、現在、下関市にある東亜大学人間社会学部教授・アジア文化研究所所長。主な著書に「恨の人類学」「植民地の朝鮮と台湾」「親日と反日の文化人類学」などがある。
テーマ:東亜大学のアジア文化交流と国際人材育成~韓国「漢江の奇跡」に学ぶ現代の日韓関係
 内容:講師のチェ・キルソン氏は、韓国の陸軍士官学校教官時代、今の朴槿惠韓国大統領の父親である
朴正熙が1961年軍事クーデターを起こし、その後大統領に就任、1970~79年政権下で推進されたセマウル運動(新しい村運動)、維新憲法、学生デモ、そして大統領暗殺という混乱期を過ごされた。その後は日本に移住して今日に至り、現在は下関に在住。「漢江の奇跡」と呼ばれた韓国の近代化の歴史の中で、セマウル運動が果たした役割は非常に大きいが、それが、日本植民地時代、宇垣一成朝鮮総督総督時代の「農村振興運動」が起源であったことを知る人は今の韓国では少ない。
ここ数年、部品産業を中心に、日本からの韓国への投資が前年の倍近い勢いで増えており、とりわけ九州企業は地の利を生かして、多くの中堅企業が韓国に進出している。今回の講演では、過去の日韓の歴史や文化を知ることを通して、新しい日韓の関係、ビジネスの構築を考える貴重な機会になるものと思われる。

会費:参加ご希望の方は以下に申込み、登録の上、当日会場入り口にて参加費1000円をお支払いください。
申込み先:(株)アジアソリューション・中山芳美 宛
電話 : 092-741-9338   E-mail : yoshimi@asol.ne.jp
         九州・アジア/中国ビジネス研究会        
主催: 一般社団法人 九州・アジアビジネス連携協議会
共催: 近畿大学産業理工学部・アジアビジネス研究会    
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私は唯一の証言者

2014年06月27日 05時21分08秒 | 旅行
 私の故郷は38度線の南側に近い小さい村である。その付近で同時期に生まれた3人の人類学者が出た。一人は亡くなられ、もう一人は戦争勃発の時当地にいなかった。その村で私より年配の方は姉を含め2,3人の女性しかいない。よく知っている売春婦であった人も亡くなった。私は10歳頃に朝鮮戦争の悲惨な状況などを体験した。姉は隠れていたので慰安婦などの記憶は薄い。先週ソウルから来た時にその慰安婦の話を含めていろいろ話したが高齢になり大部忘れたようである。今は私が唯一の証言者だと思った。
 私は時々直接体験した国連軍の性暴力に基づいて数編の論文や口頭で発表した。私はいつの間にか証言者のようになった。人の証言を聞いて調査などをしていたが、私が証言者のようになったことは不思議に思うことがある。ある意味ではすべての人は唯一なる証言であろう。生々しい記憶の話をする時、悲惨な状況も面白く語るのではないだろうか、また話をつなげるために想像を含める部分があるのではないかと感じられることもある。多くの記憶で思い起こせないもの、忘れたものもあり、証言者の資格はないかもしれない。その分、記憶が精選されていくのではないかと考える。
 私の米軍の性暴行に関する口述『これでは困る韓国』(1997年、三交社)が出版されて10年過ぎの数年前に韓国のMBC「刑事手帳」でウソツキ「新親日派」とされたことがある。しかし、真実、事実は何より強いことが明らかになっている。昨日NYタイムスや日韓の新聞などに朝鮮戦争で米軍によるレイプ事件が頻発した基地村が報道された。戦争の時敵側の女性を性暴行すると思ったが、米軍兵は我側(韓国)の女性を略奪した。敵側の北朝鮮の女性を暴行したかどうかは知らない。
 私は日本軍「慰安婦」については当時のことは知らない。ただ最近慰安婦たちの証言を聞いたことがある。このようなことは戦争に付きものであろうか。戦争で殺されたことが最も悲惨だと思う。これは非難されるかもしれないが、ある人は交通事故では死亡より重傷が嫌だという。戦死で処理されるのではなく、死者への意識が本当の人権思想の源であろう。
 慰安婦問題で外交しようとすることでブーメラン自繩自搏,。いわば従軍慰安婦像と並んで「基地慰安婦像」もたてなければならない。慰安婦、拉致をカードにする幼稚な政治は止めてほしい。

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『日本軍慰安所管理人の日記』

2014年06月26日 05時28分21秒 | 旅行
 半年以上かけて読んだ。いわば『日本軍慰安所管理人の日記』(安秉直氏訳本)を読了した。すでに韓国語や日本語で訳された文(木村幹本)があるが、カタカナ入りの韓国語の日記をもって、議論しながら確認や修正を行い、倉光氏が訳した。本題から「日本軍」を外すべきであると思う。
 日記を書いた人は3万9千円(現在4千万円ほど)韓国に送金して帰国する。この日記はそこで終わっている。おそらく戦況が緊迫状況になり帰国することとなったと思われる。本文にはこの日記以外に「稼高日記帳」とか「稼業日記」ということばがあり、他に当時の日記が残っているかもしれない。この日記ですべての慰安所の状況が分かるとは言えないが、少なくとも軍との関係は直接的な関係ではなかったことは分かった。戦争とセックス、軍とは何だろうと深く考えさせられた。
 私は戦争自体が大きい「犯罪」と思うので、「正しい戦争」論を否定している。特に日本が内地や外地(朝鮮、台湾、満州など)を含め中国、東南アジアの諸国、南洋群島そしてインドとモンゴルなどまで海上ではアリュサン列島から太平洋まで世界一の帝国を作ろうとしていたことに驚く。戦争は内外に大きく、多くの犠牲者を出す。戦争が犯罪というならそれを防ぐための「正義軍」といえるのだろうか、生命保険的な存在であろうか。中国や韓国は強い軍隊を持っていながら日本のことを非難する。
 私は30年近く韓国の国民として兵役義務を果たしてきた。昨日は朝鮮戦争の勃発の記念日であった。悲しく複雑な気持ちであった。目下日本も軍の存在について議論している。軍が侵略者か、生命保険的存在かは永遠の疑問である。
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“ヤジ”(野次)

2014年06月25日 03時53分07秒 | 旅行
 “ヤジ”(野次)とは何だろう。一種の聴衆の反応であろう。心理学的にはフィードバックという反応ともいえる。日本では音楽など演奏会などでも拍手など反応が少ないといわれるが、国会討議などでは野次を飛ばす人が多い。品のないことと思いながらも一つの反応として許されてきた。時には司会者から注意されることがあった。しかし今度女性蔑視の野次が問題になり、野次自体を問題視するところまできている。興味を抱き、面白半分に騒ぎ立てるなどといった行為、質問者と答弁者とのやりとり以外の人の反応である。議論上ヤジが一定の効果があることもある。つまり当事者同士で議論をしている時、第三者の反応ともいえる。それを含めて全体がパフォーマンスともいえる。民主党政権の時自民党議員のヤジは特に激しかった。その下品な野次飛ばし部隊が政権を握ってからジェントルになった。ヤジは政権をとる手段にもなっているのだろうか。
 日本の古典劇でも脇役や韓国のパンソリのツインセなどは演劇の効果を高め、楽しい。品のないやじは正式な発言ではない。むしろ否定的なヤジから肯定的、積極的なヤジへ、討論などが楽しく進行されるものであって欲しい。規制を作り、罰する。そして規制緩和を繰り返すような人間関係の運用がもっと問題である。












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韓国の自殺

2014年06月24日 05時18分53秒 | 旅行
姉を見送るために港に行った。関釜フェリーの乗客が50人弱であり、あまりにも寂れた雰囲気は日韓関係の冷え込みを端的に表している。閑散とした光景を見ながら政治家たちの所為だとつぶやいた。姉は80台半ば、日本植民地時代に慰安婦の話を聞いたことがあるかという質問に全く聞いたことがないという。ただ最近出た話であろうと。私は多くの植民地経験者へのインタビューでも一件も聞いたことがない。20万ともいわれる数字はどこから出たものか考えた。姉との話は近い親族や村人の話が主であった。A家の3人兄弟の話、長兄の子供の二男が以前自殺したこと、今度は四男が自殺した。最近また次男の長男夫婦が自殺したという。その夫婦は息子の事業のために保証したが失敗し個人タクシーも営業できず失望して練炭ガスで自殺したという。隣のR氏の長兄も自殺したという。その他の一人も自殺、なぜ小さい村の出身の人が自殺したのか。話を聞きながら韓国の自殺率が高いのことを実感した。
 考えてみると私も高校時代に自殺を考えたことを思い出す。小学校の同級生の一人は自殺した。私は誰でも一度くらいは自殺を考えることがあろうと思っていた。日本では作家の自殺と切腹の伝統があった。私は文学者の傾向とも思い、日本で講義するようになって自殺をテーマにした。しかし日本の私の講義を受講した学生たちは一切自殺を考えたことがないことを知った。「忠良なる臣民」として国家のために命をささげた国民から遠く変わってきたといえる。今安倍総理中心に憲法を考えていて、中国や韓国は「忠良なる国民」を作ろうとしていると憂いを表現する。戦争を避ける「非国民」を作り、命の大切さを保つ国民教育が必要である。
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「人との出会いで人生が変わる」

2014年06月23日 04時56分03秒 | 旅行
 
 成城大学院時代の同級生の駒澤大学教授の白水繁彦氏が我が家へ。彼は下関で行われた学会に参加してから寄って下さったのである。二人の接点は1972年に遡る。二人には共通点があった。彼は佐賀出身であり、金持ちの子孫が通うような坊ちゃん大学へ入ったことでの苦労話、私は親同士の戦略結婚のようにソウル大の恩師と泉先生との話で成城大学に留学することになった。私は言語障害者のように日本語が全くできず学費の高い大学に留学してしまったのは日本に来て初めてわかった。
 二人の出会の接点はそこにあった。もう一つの接点は意外にも日本語の不通からであった。当時もう一人の留学生がいた。アメリカからのモース氏、彼も日本語ができなかった。私はモース氏とブロークンイングリシューで話をせざるを得なかった。それを見た白水氏は二人が英語で議論できると思ったらしい。白水氏はラジオの英語講座などで勉強しながら付き合ってくれた。私は留学初期に彼に通訳のお世話になり、それからもっとも親しい友人になった。彼は後にアメリカから奨学金を得てアメリカへ、英語で講師などを務め、現職に至ったのである。彼はその始発点に私の存在があったと言ってくれた。私は如何に不備な留学であったか後悔したが、彼をはじめ、国際的に多くの友人を作る幸運でもあった。二人は「人との出会いで人生が変わる」と結語、夕食をともにしながら楽しく、充実した時間を過ごした。
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テレビの報道が問題

2014年06月22日 05時13分59秒 | 旅行
 私の誕生日を祝うためにソウルから来た姉と甥を迎えるために港へ。朝食はわかめスープ。ほぼ1週間韓国式の誕生日祝い食のわかめスープが続く。1年ぶりに会う姉は元気、300坪ほどの家庭菜園で初収穫の野菜などが食卓に上がった。80代半ばでも元気の秘訣は野菜栽培であるようである。老後には旅行と菜園が2大趣味と言われるが旅行では消費、菜園では収穫がある。マンションで室内菜園などやってみたい。
 山口県下関市(会場:生涯学習プラザ)で行われている総合観光学会に参加した。想像もつかなかったサプライズ、成城大学留学時代の友人の白水繁彦氏に逢った。鈴木晶氏の観光による日中関係については講演のように発表であった。中国で作られる映画は日帝植民地時代の虐殺ばかり、日本に来てみて日本を肯定的にみるようになる。その逆も同様であろう。日本のテレビから得た中国への悪いイメージも中国観光で認識が変わるという。韓国も同様であり、共通するのはテレビの報道が問題であるということである。
 夕食は日韓親善協会の副会長の石本氏、広域日韓親善協会の会長に新任された友松氏 常任理事の伊藤巧氏、楽しい韓国文化論の講師の奈良氏と一緒に新任のお祝いと事業計画を相談する場となった。奈良氏は3人の娘の母親でありながら活躍中。3回目の「楽しい韓国文化論」講座を秋に実施することとした。協力者として私の弟子を推薦してくれといわれたが、奈良氏の教え子であり、私の教え子でもある梅大生の学生の名前が浮かんだ。
   
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「河野談話」の検証

2014年06月21日 05時53分10秒 | 旅行
 「河野談話」の検証で韓国側が反発している。昨夜BSプラムニュースで検証の主役の山田宏議員(写真)、歴史学者の秦郁彦氏、国際政治学者の金慶珠氏の議論を聞いた。まず慰安婦の問題を巡る河野官房長官談話の検討では談話が事実に基づいてない政治的妥協によって作られたという経緯があるということである。事実に基づいていないが外交的に日韓関係を良くしようとしてきたということである。それが長くいかないことが分かれた。私はまず秦氏が歴史学者であるが日本史味方から語るのか、金氏が国際政治学者としても韓国政治味方から発言をするのか注意しながら聞いた。金氏の自己主張の強さで全体の討論が効果的に進行されない感があり、ビート武のバトル番組のようになったのは残念であった。
 西欧先進諸国や日本が植民地や戦争をしたことは確実である。それだけではない。長い歴史には戦争が多かった。したがって平和を求めるのは当然である。喧嘩や戦争は恨み、憎悪から起きるのは誰しも知っている。平和や人権という名目を借りて人や国を憎むことはもう一つの戦争へと向かうことになる。日韓両国が敵対関係を作りながら平和と和解を主張するのは非理である。歴史を利用して憎悪し、関係を悪くするのは稚拙なことである。
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「天使の罠」

2014年06月20日 04時53分16秒 | 旅行
 昨日は遅ればせながら誕生日祝いのサプライズ、友人から生ケーキや多くの人からお祝いのことばを受けた。
 日本領海での韓国の軍事訓練ニュースがテレビで流れた。このようなニュースは韓国のテレビとも比較して視聴した。新聞もネット上このように比較できる。韓国や中国はもちろん日本でも安倍総理を「危険人物」と言う人が多い。民衆が政治に影響する力があるかが注目される。私は最近ニュース情報はネットと新聞が主のであり、テレビは主にビデオを見る感覚になっている。テレビだけでニュースを聞くと偏頗的に感ずるからである。
 テレビでは連続ドラマなどを楽しんでいる。今楽しんでいる連続ドラマ「天使の罠」は韓国では放映が終わったもの、それを日本で録画テレビのように放映していている。短いニュースと天気予報意外にこのようにドラマや演芸ものが多く、このようなことを極端に言うならばテレビがビデオショップ化しているとも感ずる。
 今楽しんでいるドラマは愛憎を表現している。悪賢い男が交通事故で意識をなくした場面があった。彼は意識が戻ってからもしばらく意識不明なように装って家族などの話を聞いて都合の良い時点で覚めたようにして不利な立場を有利に転換させる。三流小説のようなものとも思われるが私は大きいメッセージを受け取った。人が死の直後に遺族や弔問客の話を聞くことができるというならばどうであろうか。また、死んでも愛憎されることを前提にするなら生き方も変わるのではないだろうか。
 ドラマなど「映像文化」が中心になることは現代化されたと思われるが、実は文字という記号文化から離れるということであり、子供や犬猫も映像には反応するような単純化される。つまり「印刷文化」(小説など)から考える習慣がなくなっていく傾向にあるといえる。
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読書会に佛教大学の鈴木文子教授参加

2014年06月19日 04時45分52秒 | 旅行

 昨日毎週行っている読書会に佛教大学の鈴木文子教授が参加した。彼女は現在一年間ソウル大学の研究教授としてソウルに滞在しており、福岡大学の研究会に参加、そして昨日は私たちの読書会に参加したのである。私の誕生祝に純綿のしゃれたシャツもいただいた(写真)。彼女は修士課程の時から一緒にフィールド調査に同行し、島根大学の時代には私が集中講義に行ったこと、科研の共同研究など数多く一緒の時間があった。昨日はその思い出を話す時間はなかった。
 読書会では鈴木氏が韓国に滞在しながら見て感じたことを聴いた。彼女はまず日本でメディアを通して知って感ずるほど韓国は「反日一色ではない」と言った。民主主義社会であり、多様な考え方、意見が存在するということである。たとえば西大門刑務所の展示も日本侵略時代以降の大韓民国時代のものも展示されており、一方的に日本時代だけを強調するものではないと指摘した。私は広島平和記念館が「被曝一色」であるのとは異なるのではと反応した。彼女が延世大学で行われた研究会に参加して慰安婦問題も多様であると知ったという。
 目下韓国で朴裕河教授の『帝国の慰安婦』が出版禁止の裁判所訟までなっても反対グループも多く強いと私も知っている。しかし学者が研究活動ではなく、社会運動家になるようなことは残念であると思う。社会運動になると一つの意見を単純化して強く貫徹させなければならない。そうなると多様な意見を聞くことも難しくなる。昔は自分の学説を守るために無理に主張を一貫した学者が多かった。学者は時には学説を修正、変更することもできる。朴裕河教授が世間からアカデミズムへ早く復帰することを祈る。それは弱くなるためではなく、真理を求める偉大な作業を続けて欲しいからである。
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誕生祝いの感謝

2014年06月18日 05時58分48秒 | 旅行
昨日は私の誕生日、初めて家内と二人だけの誕生会だった。若干さびしかった。家内が作ったわかめスープの食事であった。毎年ソウルから姉と甥が必ず来たがパスポートの関係で間に合わず、今週末に来ることになった。しかし早朝から誕生日祝いは多く、感謝であった。韓国の親族や弟子からの国際電話(張)と花(中村、写真)、宇部の弟子の李氏から肉と饅頭、在日キリスト教会の鄭牧師のメロディ入りのメッセージカード、鹿児島毎日支局長三嶋氏からケーキ、福岡の板井氏からお土産、同僚の松井、山本の諸氏、多くの学生たちが祝いのことば、歌も歌ってくれた。フェースブックには国会議員の江島潔氏、県議員の曽田氏をはじめ多くの友人、知人の祝い文などで感謝、照れくさく、後期高齢者へ進入しているとも感じた。
 その加齢を意識しながらお祝いを受ける誕生日祝いのなか二つの講演(東大と日韓親善協会)の依頼を受けた。後期高齢になっても活用されていることに感謝である。福岡キリスト教会の牧師の権寧国氏が亡くなられたという悲報を伝えてくれた人から私の健康を気にする言葉もあった。定期診察では正常といわれた。元気で皆様と有益な時間をもっと持ちたい。以下はFBから…

 김상규、Su-jin Lee、藤原義嗣、板井 一訓、姜善恵、平井敏晴、村上紀代恵、堀まどか、朴仙容、김봉섭、澤野美智子、浮葉正親、江島潔、串崎徹、井上研二、小川裕司、磯部賢治、……(敬称は略させていただきます)

 有難うございました。
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「私の生け花」東洋経済日報2014.6.13寄稿文

2014年06月17日 04時38分20秒 | 旅行
 私は子供の時から遊戯が下手で外へ出ないで家にこもりがちで親などは心配し、女の子のようだといわれ恥辱(?)を感じたことも多かった。ソウルに転学してからは部屋で読書などをする時間がより多くなった。そんな私には趣味がないと思っていた。いわば男性の趣味といえばゴルフとか登山とかスポーツ系のものや、将棋、囲碁などであり、よく話題になるものである。私の趣味は生け花である。
 韓国では男性は生け花などには手をつけるものではないという固い社会慣習がある。それでも私は生け花に関心を持つようになっていた。1960年代末、私が務めた事務室の前にあった「金貞順生け花教室」を覗いてみることがあって、しばしば自習して趣味とした。このことが女性文化への侵入か、男女別のある枠を犯しているかのようにも感じないこともなかったがやはり好きだった。
 留学してから日本で生け花が盛んであることを知った。ある日韓国からの留学生たちの研究会が山奥の施設で行われ、私も参加し、朝の散歩道で草花を切って朝の食堂のテーブルを飾って拍手を受けた時、私の趣味は生け花だと宣言してしまった。生け花の美しさや楽しさを女性だけの世界にしておくのは、男性にとって「もったいない」感がする。それは幸せに関するものであるからである。男性も花を生け、生け花を鑑賞しながら幸せを積極的に共有すべきであると思う。
 人間には花を美しく感じてきた長い歴史がある。屏風には花鳥が描かれたものが多い。花を描き、歌い、詩を吟味するなどの歴史を踏まえているから花が美の対象として視野に入る。しかし花はただの「屏風の中の花」ではない。その中身は食べた味や香りなどが含まれた懐かしさもある。今私が懐かしく思うアカシアの花は韓国では日本植民地の「悪カシア」といわれたが、私にとってはあくまでも「花は花である」。
 ロシアの花屋を思い出す。そこでは24時間開店している。零下30度の冬でも花屋では深夜でも売っている。深夜でも恋人と会い、訪ねる時花は必須のものであるからである。日本でも都会では花売り自動販売機もあるが、我が家の周りでは急に花が必要になっても時間帯によっては入手が難しい。以前、前日に花を購入できず、教会の庭に咲いている赤いバラと名前も知らない薄茶色の葉、そしてソテツの葉、金柑の枝を切ってきて生け、意外に満足、評判を得た。
 朝の散歩に剪定鋏を持って行き、枝や雑草を観察し、切って持ってきて生けるのは楽しい。私には生け花の免許はない我流である。日本の花流でいえば池の坊に近い。称賛されなくともよい。我が家には年中一本も花がないという時はないと言える。お客さんからは家内の技といわれることがあるが、私が生けたと言うと意外な表情をする。大学の学長から時々大学の行事に演壇を飾る生け花を依頼されることがある。喜んで主にキャンパスに咲いている花を使って季節感を出すようにしている。






































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