崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「ふれあい」

2020年06月30日 05時24分12秒 | 日記

WTOの事務局長選挙に韓国人兪明希氏が出馬したことを巡って日韓は対立する。「韓国人であれば韓国の見方をするだろう」という考え方が根底に横たわっているといえる。WHOのテドロス氏も自国の有利な発言をしているとみる、検察人事なども党派などの所属から判断するだろう、期待されている。判事や検察などが党派、国籍などによって判断するとは思わない。WHO、WTO、UNESCOなど国際的な客観性を重要視すべき機関がナショナリズム的に運営されるとは思えない。オリンピック選手は国家のために戦うようで自分との戦いと言える。敵対、競争が激しい今の時代に近代的な教育をしなければならない。私のこのような信条から、言動が誤解されることも多い。
 昨日、日韓親善協会の専務理事の伊藤巧氏が機関誌「ふれあい」を持ってこられた。下関市長の前田晋太郎氏の「親善交流に傾注してまいる所存」の次に私の「楽しい韓国文化論」が載っている。今の日韓関係は親善交流とは真逆であり、夢語りのようである。

 


書評:李相日『帝国日本の植民地を歩く』(崔吉城著、花乱社、2019)

2020年06月29日 07時05分39秒 | 研究業績

書評:李相日『帝国日本の植民地を歩く』(崔吉城著、花乱社、2019)
私は本書を読みながら韓国の反日主義者たちが崔吉城教授を親日派とすることを理解する。私自身が如何に反日主義者であるかということにもなる。ページを紐解きながら日帝植民地史を思い出し恥辱が浮上し、総督府庁舎の<撤去>が<破壊>という認識にいたっては驚く。
崔教授は日帝植民地研究者である。欧州の大国がアフリカやインド、東南アジアなど未開発地域を植民地にしたのは、先進諸国の発展と実力が後進国を圧倒し、領土を侵略し、経済的に開発したのは種族を超えたものとして理解する。そこに人間云々と考慮する余地はない。しかし後進な<倭国>が一足早く近代化し、優位にたって先進国の朝鮮を襲い、王朝の脈を切り、総督府と憲兵隊の威圧で朝鮮語を抹殺し、創氏改名した。その流れでは朝鮮半島は日本の領土、今の沖縄のようになるほどであった。日本植民地36年は(註:実は35年も足らず)、事実だけではなく、恥辱である。
著者も反日主義者隊列に一度割り込まなければならない。客観的とか研究の次元という言い訳はいらない。<歴史的事実と感情的な真実の間>と考えて欲しい。<事実>だけ注視しては情緒的な真実を理解し難い。実際という埃は飛ばされてしまう。もっと大局的に見て欲しい。それが知的成長である。
私(李)は日韓の「事実と真実」を論じている。私は知識を科学的に整理するWisswenschaftをドイツで勉強した知識人であり、情緒と哲学のイデオロギーから物事と現実を客観的に見ており(評論活動50年)、進歩精神に基づいている。保守意識とは距離が遠い。私は日本の植民地史とは無関係、近隣関係で自由でよい。ただ私は保守反日主義者の名分を借りて極右と極左の二分論理を使ってみた。
崔教授は被植民地出身の劣等意識を伏せて、日本の権威を借りて、植民地の歴史の英雄と犠牲者を介して、植民地支配と被支配の間に、いわゆる植民地の歴史の遺物を見ている。それは揺れるアイエンディーティー、コンプレックスから中立性と客観性を借りての研究に過ぎない。仮面をかぶったに過ぎない。本人自ら植民地の歴史の証人であろうとし、さらに日韓の間で生け贄になって神話的人物になろうとする。
植民地研究は彼の突破口である。中立、客観的調査の姿勢といい、植民地の<英雄>を調べている。イェーツのような詩人、被植民地人でありながら、植民地官僚になり処刑(アイルランド独立幇助大逆罪)されたケースメント(R. Casement1864-1916)のような人物を発掘している。それはまさに崔吉城教授自身を反射投影している。
 私は、植民地問題は、謝罪と許し、中立的、客観的、研究によって越えていくべきと思う。崔吉城教授が標榜する学術中立性を評価する。容易ではない。慰安婦問題は戦争中に起きた戦争犯罪とみるのが正しい(2020.6.28)。


이상일씨 서평

2020年06月29日 05時50分16秒 | 研究業績

 다섯 번이라 써 보낸 나의 책에 대한 이상일씨의 글을 내가 번역하여 출판사 등에 보냈다. 이씨는 서울대 독문과를 나오고 독일에서 유학한 저명한 연극평론가이다. 사진2019.8.7 서울

이상일 선생님
마지막 부분까지 읽어주시고 평을 보내 주셔서 감사합니다.
나의 마지막 보루의 우정이라고 여긴 분의 글이라 믿고 읽었습니다.
나와 같이 1965년경 부산에 갔을 때 내가 어떤 무당이 신문에 난 기사를 
가지고 항의를 한 난처한 때에 이선생님이 중개하여 
<세상에 알려짐으로써 문화재가 되는 것이라>는 말로 그들이 납득하고
 김석출씨가 <나는 4대 무당아들>이라고
선언하여 메디어에 자주 등장하고 인간문화재가 된 것을 잊지 않고 기억합니다.

 한국인으로서 첫 서평을 접하고 당황하고 있습니다. 
나의 연구의 중심점을 지적하여 주신 것 아무도 그런 지적이 없습니다.
내가 식민지와 피식민지 사이의 희생자 연구,
 아주 중요한 주제라고 계속하고 있습니다.
그러나 그 것을 지적한 평자는 없습니다.
 나에게 총을 쏘는 듯 <가면을 쓴다>는 표현은 일본에서는 놀라운 글입니다. 
지면 제한에 번역이 부드러워 지고, 일본 출판계에서는 관용되지 않은 표현이 많습니다. 
36년이라는 것은 한국인들이 말하기 때문에 일본인들이 사용하지만 실은 35년도 2주 정도 모자란다고 일본 학자들이 비웃을 뿐입니다. 식민지란 국제적 용어를 <강제 점령>이라는 것,
식민지보다 훨씬 경미한 의미인데도 .... 
내가 일본에 온지 오래 되어 한국 말에 <꼰대>라는 뜻을 몰라 모욕적이라고 여겨서 사전을 찾어 보았습니다. 
출판사를 통해서 아마존에 게재하려고 원고를 축약 번역하였습니다. 
읽어 보시고 괜찮으시다면 허락하여 주시기 바랍니다.
  갖나온 나의 논문에서 나는 식민지 시대위 아키바, 그의 제자 임석재, 그리고 이두현, 이즈미로 이어져 일본으로 유학하게 된 것을 자세히 논했습니다. 
최길성

마지막 결론을 그대로 소개한다. 

 최길성교수의 <제국일본의 식민지를 걷다>는 식민지배의 일본 제국주의 사슬에서 벗어난 보수꼰대 반일주의 세대인 나나 최교수의 첫째 <사실과 진실>토의, 둘째 국수주의적 국학자들, 주로 민속학자들이지만ㅡ의 최교수 친일파론에 대한 학문적 반격, 셋째 최교수의 잠재의식 속에 깃들어 있을지도 모르는, 식민지배세력 제국주의 일본에 대한 피지배민족 조선인(한국인 포함)의 컴플렉스, 그 열등의식이 사회과학이라는 학문(Wissenschaft)연구의 탈을 쓴 식민지학으로 돌파구를 찾은 것 아닌가 하는 의구심ㅡ,넷째 그의 저서에서 풍겨져오는 중립적, 객관적 학문 자세 가운데 들어나는 <희생자=제물>론과 스스로를 제물로 바쳐 마침내 <영웅>으로 재생, 부활하는 식민지 출신 인물 행적에 쏟는 열정(예증; 제국일본 식민역사와 직접적인 연관이 없는 영국과 아일랜드의 정치적 주종관계와
 예이츠 같은 정서적 진실 탐구의 시인 예술가 상, 그리고 무엇보다도 모순된 생애 ㅡ 피식민지인이면서 식민관료로 처형(아일랜드 독립 방조 대역죄)된 로져 케이스먼트 (R. Casement 1864-1916)같은 인물의 발굴은 바로 최길성 교수 자신의 행적에 대한 반사 투입으로 간주할 수 있다.
다섯째 <제국일본의 식민지를 걷다>라는 표지 그대로라면 한국36년 제국일본 식민통치 기간(사실의 시간)은 광복 70년 역사의 꼭 절반 밖에 되지 않는다. 그런데 왜 그 얼마 안 되는 식민의 역사가 70년, 80년, 1백년이 지나도 멍이 되고 응어리가 되고 상처가 되어 조선반도의 트라우마가 되어 계기만 생기면 증오와 반일의 감정으로 폭발하는가.
    나는 식민의 역사는 사죄와 용서로 지워졌으면 한다. 그렇게 안 되면 중립적 객관적 학문적(과학적) 업적으로 정리되어 넘어 갔으면 한다. 그러기 위하여 최교수가 표방하는 학문적 중립성을 높히 평가한다. 그러나 그 학문적 중립성이라는 것이 그렇게 쉽지 않다. 본인도 의식하지 못 하는 사이에 강자편에 서서 보게 되기도 하고 약자를 무시하기도 쉽다. 더욱이 최교수처럼   일본에서 학문연구의 단초를 배우고 얻은데다 마침내 일본에 귀화하여 그들에게 동화됨으로써 <식민지 연구>라는 그의 연구 주제도 자기도 모르는 사이에 <친일적이지  않을 수 없게 되지 않는다는 법이 없다>는 나의 완곡한 의구심을 풀어 주기 바란다. 
 여섯째 제국일본의 미화, 그리고 추악의 역사 잡아떼기 수법은 국제외교술에서나 <사실적으로> 효과를 볼 수도 있다. 그러나 그 점에 있어서 중국 난징 30만 학살사건 같은 것은 <진실의 역사>가 안 될 수 있다. 나는 남징학살 사건이나 위안부 문제는 식민역사 속에서 다룰 것이 아니라  전쟁 중에 일어난 범죄행위, 곧 전쟁범죄로 다루는 것이 옳다고 생각하는 보수꼰대 반일론자이자, 이웃과 가까운관게를 유지하기 희망하는 진보적 자유주의 글로벌 세대임을 밝혀 둔다(2020.6.28)

 


「愛の不時着」

2020年06月28日 06時09分52秒 | エッセイ

PC終了の時「強制終了」で数日に書いた原稿が見つからない。長く工夫しても復元できない。韓国の友人から拙著への厳しい書評、「反日になってみて」という。ギブアップの一日であった。韓国ドラマ「愛の不時着」の寄稿の新聞コラムが届いた。そのドラマよりも劇変する南北関係に呆れた。文大統領が朝鮮戦争記念式で北へ隣人愛を語り、終に日本が朝鮮戦争から経済復興したと一句、トランプが手にした聖書、コーランのジハードから自爆などこの世は無知が横行している。

                                                      ドラマ「愛の不時着」

「愛の不時着」。3日間、集中して鑑賞した。ドラマより急変する劇的な韓国、NHK朝の番組で漫画家、東村アキコ氏は「韓国は面白い」「韓国ドラマは面白い」「韓国が好き」だと言っておられた。韓国のドラマの面白さの根源はその社会、政治状況そのものからであろう。38度線、休戦線、軍事境界線から悲劇と緊張のJSA、トンネル等々、板門店旅行が盛んに行われたが今では薄れていく。しかしポイントは変わる。死線ともいわれた軍事境界線、DMZの緊張感、天然動物保存云々、風船も風に乗って飛んで行く。
 ある日、突風によるパラグライダーの事故で、北朝鮮に不時着した財閥の娘、彼女を隠して守るうちに愛するようになる北朝鮮の中隊長李大尉の絶対極秘ラブストーリー。彼は身体的に強い、ハンサム、心優しく相手に心配りをする。ピアノ、美しいスイスの景観など「冬のソナタ」に似た構造、その続編のようである。ただより広く、複雑、舞台は南北韓、中国、スイスの国際舞台が広がる。
 パラグライダーで竜巻に会って気が付いたら越北していた女性、北朝鮮での生活は囚われの身であり、敵対しながらも頼らざるを得ない。身分を隠しながら北朝鮮の素朴な人々との交わる生活ぶりが描かれる。
 ドラマは進む。脱北者が混在するソウルへ、喜劇と悲劇の繰り返し。脱北などによる往来や交流が多い韓国、南北の政治問題が絡む。銃殺事件などを経て生き残る。南北のそれぞれの人々から協力が得られ、お互いの無事を確認しての南北への離別。数年後スイスで音楽と美景の中での再会、冬ソナより国際化、濃い愛の物語りである。ハッピーエンディング。
ドラマでは朝鮮半島が一つの舞台として、既に統一されたような気分になる。南北往来の希望の実現化も夢ではない。ゴム風船による軍事対決への現実の緊張もドラマが十分表現している。このドラマはルポライターやノンフィクションで見ても良い。南北の生活が似て異なる
「ドラマ」では(方言?)韓国語と朝鮮語が混用している。文法などが根本的に異なるわけではなく、主にアクセントとボキャブラリーが異なる。言葉だけでは南北の差がそれほど表れず北朝鮮の乞食と韓国のジーパン服(乞食式流行)が比喩的に経済格差、否、笑いを誘う。貧富の格差には聞こえず、ただ面白い。脚本、演技、プロデューシングなど素晴らしい。
韓国の財閥の頭首の宮殿のような豪華さ、父が王座のような椅子、会長らの出入りにヤクザ式行列などの権威主義、北朝鮮の暴力的権力構造の独裁。南の競争主義エリート出世主義、北の血統人脈主義が対照的である。いずれも競争の激しい朝鮮半島社会の共通点が明らかになっている。
20年ほど前に3回も観てきた北朝鮮の情景から私には、現実とドラマが交差混同して映ってくる。男性主人公はなかなか泣かない。終盤で彼は大きく泣きくずれる。我慢した私もそうであった。耳に地滑りのような悲痛な感動が湧いてきた。


筆談

2020年06月27日 05時24分33秒 | エッセイ

 私は主にPC作業をして日々を過ごしている。メール、FBの数グループ, Blog、Twitter、ライン、遠隔講義、執筆などを行っている。時間、範囲、人間関係も広くなっている。それらに返事、対応、そんな中、アメリカ人との英語での交流も楽しい。
 私は今、江戸時代の3人の日記を読んでいる。筆談が多く行われ、それは今の私に似てると思う。筆談は普通の話す会話とは違う。楽しみが異なる。訴える筆の力がある。筆談は残る。遠慮が少なく、非礼になるほど、文は正直に、訴える力がある。ネットで非礼な文、辱説も多い。メディアもその類、怖い。


ピーク・アウト

2020年06月26日 06時54分02秒 | 講義

読書会で私の遠隔講義をリハーサルのようにしてみた。15分弱の自分のスライドショー講義を聞かせ、私も聞いた。気恥ずかしく、ちょっと嫌な感じであった。日本人の死生観、自殺、自死、切腹、自決、心中(一家心中)、文学者の自殺、統計などに関する内容。世界的に日本、韓国は自殺者がやや多い。特に日本は子供の自殺が多い。古くは文学者の自殺が多い。
 自殺の「自」、自由意志とは何だろう。私は生き方と関連して今流行する外来語ピーク・アウト、廃れ行く、追い込まれて自殺するのではなく、華麗なピークで死ぬこと、政権末期で辞任するのではなく、人気絶頂の時に死ぬ心、そこに自由意志があるのか。自殺の精神、本当の侍精神など、この機会に深く考えたい。クリックすると新しいウィンドウで開きます

 


6.26 70주년 성대한 축하

2020年06月26日 06時37分58秒 | エッセイ

 어제는 6.25 70주년 성대한 축하식이 있었다.  미국대통령 등 22개국 유엔참전국 정상들이 보내온 영상 메시지가 상영됐다. 북이 남을 폭파하고 곧 전쟁이라도 날 듯하다가는 문 대통령이 <전쟁을 끝내야 한다> <사이좋은 이웃이 되길 바란다>고 했다. 너무나 어떨떨한 상황이다. 일본에 대해서는 적대 반일을 조이면서 <평화와 번영>을 말한다. 한반도 뉴스를 들으면 어느 개인이 이랬다 저랬다하는 식이다. 예전 말로 우물가의 아주머니들의 수다같은 말들이 연이어지고 있다.  


朝鮮戦争70周年

2020年06月25日 06時39分34秒 | エッセイ

梅雨入り、メディアでは戦争の話が始まる。沖縄戦から、故外間守善先生が語ったつらい体験が学問の底力になったことを、毎日新聞の1ページコラムで書かれていた。大東亜戦の原爆と終戦の記念の長い話、これからも続くだろう。それはただ過ぎた話ではない。北朝鮮の爆破とビラの話で私は多くの過去の事を思い出す。
 今日は記念日である。私の人生に最も影響ある不幸な出来事であった。38度線近い農村で生まれ苦戦の最中でも生き残ったことに感謝する。その辛い体験は拙著『朝鮮戦争でうまれた米軍慰安婦の真実』(ハート出版、2018)に詳しく書いた。その体験は私の研究と人生に強く影響している。


無味・無情の会議

2020年06月24日 05時15分57秒 | 講義

 久しぶりに大学院会議、全員マスク状況、私もマスクをした。「顔がない」「体面がない」「表情がない」、マスクにより表情のない会議、無味・無情の会議であった。視聴から聴聞へ、味のない会議であった。高齢者の86才超、現役バリバリの村山正治先生と研究室でマスクを外し、距離をおいて活発に話をした。東京生まれ、京都大学、アメリカ留学、九州大学、同僚になるまでの長い人生談が縮約された。純粋な人、研究と教育に今も生き生き現場に立っている。私も韓国生まれ・・・話は盛り上がった。彼は韓国には行かれたことがないとのこと。マスク、仮面を外して純粋な体面の時間であった。楽しかった。


崔吉城「植民地研究の断絶と継承」

2020年06月23日 06時04分12秒 | 日記

 本欄は私の日記でもあるので時には辛いことも書くようになる。昨日は拙著英語訳の文をネットで読んだアメリカ人から「オーマイガット」賛嘆のメールをいただいたばかり、韓国の友人から最悪の内容のメールもいただいた。曰く、日本に留学したことから親日になり「反日主義者の奴ら」に非難されるようになったことが理解できるという。悩んでいる。研究者と非研究者、そして国家間の差によるものである。
 1980年代に巨文島で植民地調査、1990年朝鮮総督府刊行資料の『朝鮮の風水』を訳書出版してから非難されたことを振り返ってみる。当時は植民地研究はタブー、それを壊し、以降日韓において植民地研究が盛んになって来たのは研究史から確認できると思う。今も韓国では植民地研究で裁判問題を抱えている方、「反日種族主義」を主張して侮辱的に非難される研究者たちもいる。長い時期、広い視野から執筆を続けるしかない。先日出版された植野弘子・上水流久彦氏編『帝国日本における越境・断絶・残像』(風響社、2020)に寄せた論文の崔吉城「植民地研究の継承と断絶」を読んでいただきたい。


日本文化論で「食べ物」

2020年06月22日 06時40分25秒 | 講義

 遠隔授業の日本文化論で「食べ物」について話題にした。営養、味、食材、文化などに触れた。特に和食の「生食と粘り気」について触れた。学生たちの反応が面白い。二人の中国からの留学生の文を要約して紹介する。
 2年生鄭重さんは日本の食べ物は 中国の味とは違い「慣れない」。甘く、辛くない。日本料理は食品の元の味を維持する。さっぱりしている。日本の朝食は単調な感、中国では市内に無数の朝食店がある。都市ごとに特色がある。一般的に中国では一人でレストランで食べることはなく、みんなで一緒に食べる。日本ではホームシックになる。
 3年生の鞠衛テイさんは日本料理は「精緻」「美観」である。中国の料理は「色、香り、味」が全部そろっている。日本食は「色」と「形」を重視している。寿司、ティー、ラーメン。料理とは美味しさが本当である。
 今私が精読している。18世紀の朝鮮通信使の3人は日本食は「味が薄い」「おおむね甘い」「辛くない」「笑うべき」という。当時日本では朝鮮料理に注目、「きみすい」(キムチ)の作り方が解説された本も刊行されていた。

 


韓国の反日と黒人人種運動

2020年06月21日 06時04分08秒 | エッセイ

 拙著『帝国日本の植民地を歩く』を韓国の友人、ドイツ演劇研究者李相日氏に送った答申メール、客観的研究だが「難しい本」のようであると言う。
 韓国の「反日」が「反英」への現象が起きている。韓国の反日が黒人人種運動、反植民地運動、拙著『帝国日本の植民地を歩く』で扱った問題。私は韓国の反日から出発して広島、南京、台湾、パラオ、アイルランド、南アフリカなど、反植民地の歴史を辿って触れたが今それが的中した気がしている。
 南アフリカ共和国では19世紀植民地政治家セシル・ローズ(Cecil Rhodes)が記念されていること、シンガポールではラッフルズが記念されていることを指摘した。歴史を遡って破壊、保存、歴史が分かり難くなった。テレビを視て驚いている時、大阪市立大学の堀まどか氏が「先生が論じておられたセシル・ローズ!今月9日にはローズ像の撤去を求める大規模なデモが行われ、参加者らは「像を倒せ!」「植民地解放!」などと訴えたと「微妙な話だ」と書いてくださった。
 


インタビュー

2020年06月20日 06時16分27秒 | 日記

 記者とのインタビュー、久しぶりの取材であった。彼は6年前に行った絵葉書展示会に来られ、佐波川の船の橋の写真を紹介する私の写真入りの記事を報道してくれた貞松氏。今執筆中の通信使の中の話題で思い出す船の橋の話、私の話は飛んで広がった。私は地元の縄張り意識や郷土愛の強いここ下関の地域史に関する研究と鈍感なメディアの話から住みよい町だへ逆転、完全に放談になってしまった。昨日、関釜フェリー50周年の話ではコロナで完全に貨物船となって困っている貿易商人・友人を紹介して帰宅した。


ビラ

2020年06月19日 06時57分37秒 | エッセイ

ここ下関にも風船ビラが落ちたことがあった。毎日新聞記者の案内で、それを拾った小学生をインタビュー、記事になったことがある。韓国の登山する人が風に飛ばしたもの、日韓の距離が如何に近接しているかということであった。そんなものが火種になって南北連絡所が爆破された。
 対北ビラ50万枚をはじめ、パンフレット、1ドル紙幣2,000枚、メモリカードを風船に入れて飛ばしたという。支援団体もあり大規模、内容も 「偽善者キム・ジョンウン」「ゴミのような畜生」など悪口、偉大な指導者の不倫出生の秘密などに関する情報などとして、具体的に明示されている。金与正氏も読んだのであろう。
  私は韓国戦争当時、ビラを拾って読んだことがあるが、農民たちはあまり関心がなかった。ところが、今回巨大な爆発、花火のように爆破が起こった。日本のメディアは、エキサイティング戦略戦術のように騒いている。私は違う。オープン、南北対話などが北朝鮮の独裁体制に危機感を与えるからだと考えている。


삐라

2020年06月19日 06時24分20秒 | エッセイ

이곳 시모노세키에도 한국 전단이 떨어진 때가 있었다. 매일신문 기자의 안내로 그것을 주운 소학생과 인터뷰 기사화한 적이 있다. 등산객이 보낸 것, 바람에 날려 온 것이 한일간의 거리가 매우 근접해 있다는 것이다. 그런 전단이 화단이 되어 남북연락소가 폭파될 정도에 정치적 문제가 되고 있다. 
  한경닷컴 기사에 따르면, 대북 전단 50만 장을 비롯해 소책자, 1달러 지폐 2,000장, 메모리카드를 풍선에 넣어 날렸다는 것이다.  ‘위선자 김정은’ 을 비롯해 <쓰레기 같은 개새끼> 등 욕 뿐만 아니라 출생 비밀 등에 관한 정보 등 구체적이고 노골적인 것이다. 읽을 거리가 되는 것은 물론이다. 그것을 김여정도 읽은 것이다.
 나는 한국 전쟁 당시 주어서 읽은 적이 있으나 농민들도 별로 관심이 없었다. 그런데 이번에 엄청난 폭발 불꽃놀이처럼 폭파가 일어났다. 이곳 일본 매체들은 흥미진진 전략 전술적인 것처럼 메디어에서 떠들어댄다. 나는 개방, 남북 대화 등이 북한의 독재체제를 해한다는 위기감에서 온 정책적인 것, 존속을 위해서는 개방이 위험하다는 것을 의미하는 것이라고 생각한다.