崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

迷惑電話

2016年06月30日 05時25分23秒 | 旅行
私を敵対視、嫌っていると思われる人に電話を掛けた。彼が実際そう思っているかどうかはわからない。ただ最近の彼の行動から感じていた。にもかかわらず電話をした。なるほど反応の声が最初は不安気である。私が抗議でもするかと思ったのかもしれない。私は何も変わらず以前と同様通話を続けた。電話を切ってから私は大変な勇気ある寛容なことを成し遂げた気分になった。彼は私を無視したようであるが、私は気にせず仲直りを一方的に求めた格好になったのである。人は誰でも誰かを「けしからん、嫌な奴」と思う人がいるはずである。私はその時自ら声をかける方が良いと思っている。私も若い時はそれができなかったが最近できるようになった。私の間違いを謝り、相手の間違いに寛容と和解を示すようになった。自慢ではない。加齢によって、経験によって老人になることは肯定的な特性もあるように思うのである。
 昨日は別の人にも電話をした。この春大学を定年退職した彼と連絡不通になったからであった。その大学に電話して問い合わせると個人情報保護だといい、メールアドレスや電話番号などは教えてくれない。幸い大学が彼に連絡してくれて彼から連絡があったから良かったが、重要な講師依頼の件でも相手から連絡がなければ通信ができない。日本は個人情報過保護で人間関係を広げるのは難しい。わが家の固定電話はほぼ使われていない。しかし宣伝広告用の迷惑電話が時々かかってくる。選挙運動の電話もあった。いわば迷惑電話が主な感がある。日本人は厳しい個人情報保護により孤独になりがちである。迷惑電話ではなく、和解電話、職場から離れても安否確認のためにも電話は使われるようになるべきでだと思う。*写真は今朝の曇った関門大橋

ポレポレ映画会で夢枕獏氏と対談

2016年06月29日 05時16分14秒 | 旅行
私の一生に関わるシャーマニズム研究に関する対談をポレポレ映画会、東京で8月22日(月)にすることに決定した。韓国の慶尚北道清河でシャーマンの死後婚姻のクッをビジュアルフォークロアの北村皆雄氏が撮影して私が監修した映画「冥界婚」を上映後、小説家の夢枕漠さんと対談することとなった。夢枕獏さんとは面識はないが、「陰陽師」シリーズなどで知られる超売れっ子のベストセラー作家であるという紹介文が届いた。私は映画「陰陽師」を観たことがない。彼は冥界婚の映画の内容に強い興味を持ち、ぜひ参加したいと伝えてこられたという。ただ韓国のムーダンについてはほとんど知らないので冥界婚や死霊婚、ムーダンについて、獏さんが私に質問するということになるという。その中で彼が日本の中世と結びつけて、いろいろ語るという。そうすると私の理解が及ばないのでないかと思う。
 夢枕漠氏(ゆめまくら ばく、1951生まれ)氏はどんな人であろうか。小説家、エッセイスト、写真家。『陰陽師』などは映画化、漫画化、アニメ化されている。旅行や釣りなど多趣味で、作品も多種多様である。『カエルの死』『魔獣狩り(淫楽編)』『陰陽師』、SF大賞の『上弦の月を喰べる獅子』、『陰陽師II』が劇場公開される、『幻想神空海 沙門空海唐の国にて鬼と宴す』が歌舞伎化される。私も多く書いたが彼の前に脱帽、両手を上げて降伏状態になりそうである。対談は『哭きの文化人類学』の著者の私が哭きそうになりそうである。

死生観

2016年06月28日 05時05分43秒 | 旅行
 80歳を迎える友人の誕生日祝賀会を準備するために話し合ったが、88歳の祝いを公に大きくすることとなった。後から本人が来られてその旨をいうとまだ8年も生きなきゃと失望とも希望ともとれる表情をした。なぜそんな曖昧な表情なのだろうか。後8年生きる自信がないのだろうか。生きるのが辛い表情にも感ずる。いやそれよりも8年先まで生きられる保障を得たようように思われたのではないかと思われる。私は以前古希記念会を行った時米寿の話があったことを思い出す。それを長生きへの祝辞として受け取って理解している。長寿の日本社会で多くある話である。
 平均寿命が発表されるとそれまで長生きへの希望があって良かったが、ドンドン近づくと死を常に感ずるようになる。それ以上になるといつ死ぬか不安になるのではないだろうか。仏教では長寿は人生の苦海が長く、死んで解脱し極楽へと信ずる。キリスト教では永生、復活すると信ずる。シャーマニズムではあの世に行く。信仰によって、個人思想によって異なる。死生観をめぐる談話会を準備中である。*私が教会の大木の下に根分けして植えたのが大きくなったソテツ。

「通声祈祷」「黙祷」

2016年06月27日 05時02分00秒 | 旅行
今、もう一冊を執筆中である。なぜクリスチャンの私がシャーマニズムを研究しているのかと多くの人から質問されるところから始まる。「韓国のシャーマニズムとキリスト教」(仮題)としたい。冒頭に金東里氏作の小説(映画)「巫女図」について触れている。この小説はシャーマンが霊力をもって盛んだった村にキリスト教の復興牧師が来られて伝道集会などをしていき、村がキリスト教化していくことを描いたストーリーである。母のナンイはシャーマン、息子のウクはクリスチャン、二人は祈りをめぐって葛藤しているところが面白い。シャーマンは祭物を供え歌舞などを伴う儀礼の中で祈り(祝願)をするが、日常的にはしない。しかしクリスチャンの息子はシャーマニズムは迷信と思い、母に邪気が付いているのでお祈りで治療をしようとする。一方シャーマンの母はクリスチャンの息子が食事前など日常的に祈ることを見て、雑鬼が付いているので追い払うべきだと思う。そして葛藤が起きる。
 私もクリスチャンになってから一番抵抗があったのは教会でのお祈りであった。韓国では多くの人は教会でアーメンやハレルヤという声に抵抗感をもっている人もいる。昨日私が出席している教会で韓国人の女性牧師が説教をした。私の意識の中には牧師とシャーマンが混在していた。母のシャーマニズムと教会の牧師がいつも同一線上に浮かび上がっているからである。昨日は牧師が1ッ分間の「通声祈祷」を言い出し、信者たちが大声で混成斉唱のようにそれぞれ声を出して祈った。一昨日の日韓親善協会では1ッ分間の「黙祷」とは真逆で対照的であった。発声と沈黙の対象である。祈りは世界的にも多様である。その様式は異なっても神に願うことが核である。
지금 또 한권의 책을 집필중이다. 왜 크리스천의 내가 샤머니즘을 연구하고 있는가는 많은 사람들로부터 질문받는 점에서 시작한다. 「한국의 샤머니즘과 그리스도교」 (가제)로 할까 싶다. 초입부에서 김동리의 소설(영화) 「무녀도」에 대해서 쓰고 있다. 이 소설은 샤먼이 영력을 가지고 왕성했던 마을에 그리스도교의 부흥 목사가 와서 부흥회 등을 해, 마을이 기독교화해 가는 과정을 그린 것이다. 어머니 낭이는 샤먼, 아들의 욱는 크리스천, 두사람은 기도를 둘러싸고 갈등하고 있는 점이 재미있다. 샤먼은 제물을 바치고 장단가무가 없이는 기도(축원)하지 않는다. 일상적으로는 기도하지 않는다. 그러나 크리스천의 아들은 샤머니즘을 미신이라고 여기고, 어머니에게 악마가 붙었다고 기도로 치료하려 한다. 한편 샤먼의 어머니는 크리스천의 아들이 식사 전에 등 일상적으로 기도하는 것을 보고, 잡귀신이 붙었거나 정신병으로 생각하고 귀신을 쫓아내려 한다. 갈등이 일어난다.
 나도 크리스천이 되고 나서 가장 저항이 느껴진 것은 교회에서의 기도이었다. 한국에서는 많은 사람은 교회에서 아멘이나 할렐루야라고 크게 소리내는 것에 저항감을 가지고 있는 사람이 많다. 어제 내가 출석하고 있는 교회에서 한국인 여자 목사가 설교를 했다. 내 의식 안에는 목사와 무당이 혼재하고 있었다. 어머니의 샤머니즘과 교회의 목사가 언제나 동일선상에 떠오르고 있기 때문이다. 목사는 1분간의 「통성기도」를 인도, 신자들이 큰 소리로 혼성 제창과 같이 각각 목소리를 내서 빌었다. 그저께의 한일 친선협회에서는 1분간의 「묵도」를 했는데 아주 대조적이다. 발성과 침묵의 대조이다. 기도는 세계적으로도 다양하다. 그 양식은 달라도 신에게 바라는 것은 같다.

関広域日韓親善協会の総会

2016年06月26日 05時28分07秒 | 日記
 昨日大学の研究所に出勤し、下の階の教室でアジア市場経済学会の大会が開かれたので傍聴した。日本住宅メーカーの積水ハウスと味の素が海外進出するためのマーケティング戦略などが面白かった。文化人類学では何十年か前日本人のブラジル移民により住宅のスペースなどが話題になったことを思い出してそのようなことは考察されるかと質問もした。座長の一人である日本大学の高橋章氏と本学の滝田氏を交え私の事務室で話をした。高橋氏はキリスト教の研究者であり、ワンアジア財団の学識者として関与しており後期から始まる公開講座支援に助言もいただいた。
 午後6時からシーモールパレスで開かれた下関広域日韓親善協会の総会に来賓として招待され「祝辞」として演壇に立った。その祝辞では挨拶抜きで昨日が6.25、朝鮮戦争の勃発の日であることから戦争、その経験を書いたが中には米軍慰安婦についても触れて韓国や在日から誤解されているのではないかと思っていること。そして日本に向けて、被爆をもって戦争を起こした責任、罪について触れて、両国の挟間で生きている在日が二重犠牲になったことなども含め、物事を中立、客観的に理解することが日韓親善の基本的な態度ではないかと力説した。皆の表情は少し堅くなったようであり、失礼をしたかと思ったが、もう一人の来賓として祝辞を述べた下関市の国際課長の安永尚史氏から意外な賛意で勇気ある話だと褒められた。参加者の多くの方が私のFBなどの愛読者であり、私が病気だったことなどよく知っており和気あいあい、日本舞踊、李陽雨の歌で祝辞雰囲気が高調し、カラオケに続た。

「離脱」

2016年06月25日 06時27分08秒 | 旅行
 昨日の世間話に私は世間知らずのような感がした。銭湯などのお湯の中に生き乍ら垢を食べる魚がいる(ドクターフィッシュ)ということは初耳、また元アメリカの大統領のクリントン氏が奥さんに自分と結婚してファストレーディになったというと彼女は他の男と結婚したらその男が大統領になったはずと答えたというジョークも初耳であった。如何に私が世間離れしていたかと思っていたところイギリスはEUからの離脱が決まったというニュースが入った。本当にショックであった。
 移民や難民問題があってもヨーロッパは世界化地球化を健全に歩んでいくという漠然と信じていた私は大きく失望した。地球上の大発見以来西欧諸国は植民地そして近代化に貢献してきたことも事実である。その分イギリスなどは世界を支配してきた。それは政治的なことだけではなく科学や教養ある文化生活の面でも世界の夢を牽引するということであった。欧州が住みよい理想郷と思われ移民や難民の目的地とされたのが最近の現象である。それを克服していくとを待つ気持ちであったが「離脱」を選んだ。運命共同体を選挙で決めるのは良いが、本当に望ましい結果だったのであろうか。

「武陵桃源」

2016年06月24日 05時13分24秒 | 旅行
 下関で広報関係の業者との話の中に、私が前回研究所主催で「慰安婦」に関する講演会を広報したがどのメディアも報道しなかった。ただこのブログやフェースブックによるお知らせのみで100人弱の市民が参加したことを話をした。彼はメディアに対して地方(田舎)の人というのは新しいこと、変わったことには否定的でネガティブで、非常に「保守的」であると意識しているからであろう指摘した。それを日本に与えると今参院選の最中であるが、「変わるか」「このままが一番」か、それほど変わることが期待できないだろう。保守的な住民によって地方の活性化はできないだろう。政治政策の「地方創生」はキャッチフレーズに過ぎない。地方の人の「このままが一番」という田舎意識を改革しなければ地方創生はできない。
 地方が廃れていると危機感を持っている人もいる。しかし地方の人自身は改革を嫌がる保守的な生活を希望するのではないか。保守的なことは必ずしも悪いことではないと。その保守的な人ってどんな人だろう、私は気になった。今地方には空き家を壊し「田舎」、昔の田園風景に戻りつつある。人口が減って排気ガスや公害も少なく、「武陵桃源」とされていく。地方の人はそれを望んでいるのではないだろうか。*写真は湯布院

研究会のお知らせ

2016年06月23日 05時12分47秒 | 旅行
釜山の東亜大学校の先生と学生たちが下関の東亜大学を訪ねてきて同名大学同志の研究会を行う。引率教授の李学春氏は国際法が専門で、ドイツ留学とオーストラリアの客員教授などの国際派、趣味のサックスフォンはプロ級の方、一昨年下関・リトル釜山祭りに演奏に来られた方である(写真下関ライオンズクラブ)。彼が基調講演を行う。雇用者の労働者へ不法解雇などをめぐる問題に関する日韓を比較する。市民にも公開する。

<日韓大学院国際関係研究会>
主催:東アジア文化研究所

時:2016. 7. 8(金) 10:30∼ 15:00
場:13号館102号教室

歓迎辞:櫛田宏冶学長
答辞:李学春
趣旨説明:崔吉城
参加者紹介:(韓)東亜大学国際法務学科院生10名、学部生10名、教授 3名
       (日)東亜大学国際学科生20名、院生4人
基調講演:李学春(東亜大学校教授)*通訳は柴田さん 卞さん

「不当労働行為制度の日韓比較」(要旨)

団結権保障構造は憲法上韓国と日本は原則的に同じである。労働紛争を予防するために国家が介入する政策を反映している。日韓において団結権行使の範囲が異なる。韓国ではその範囲を制限することができるが、日本は何の制約もない。韓国では労働者の自由が民法によって保障されている。日本では一般的に団体交渉の拒否ができないが、韓国は団体協約締結義務まで規定している。日本の労組法は不当労働行為の救済命令を履行強行できるが韓国ではそうではない。

 連絡先 東亜大学東アジア文化研究所 mail dgpyc081@yahoo.co.jp


ナムル料理

2016年06月22日 05時35分46秒 | 旅行
韓国のナムル料理は多様である。日本全土の日当たりのよいところにごくふつうに見られる雑草のニガナがナムルになる。日本では雑草か漢方薬の材料にしかならないニガナ(씀바귀)を韓国では食用とする。それを知っている人は少ないだろう。多年草の草で目にすることは多いはずである。ただそれほど認識されていない。しかし韓国ではその根が料理されているのを子供の時からその苦い味で知っている。しかし葉を食べることは最近姉から知らされ、早速家内が料理を作った。食べてみて美味しい。ナムルのメニュが増えた。苦味が好まれる韓国、甘味ばかり溢れている日本のなかでは新鮮味がある。
 日本ではニガナといえば花として紹介されているが、韓国では根と葉が食材となる。以前本欄では中国での花食が多いと書いた。ニガナについて日本では花の鑑賞、韓国では葉と根の食、中国の花食とは対照的である。また甘味食文化の日本ではこのニガナナムルが流行ることは稀であろう。花を鑑賞するか、根まで食べる文化の差は著しい。高崎山のサル公園、今全国的に蛍が観光化されている。虫がテーマになり、歌われ、親しまれ、その鑑賞が観光源、収入に繋がっている。私は蒸し暑い真夏の夜に妖怪が出そうな恐れと神秘的な蛍が商売になるとは思わなかった。虫が文化商品化とされるのも面白い。

「寂しい退場」

2016年06月21日 05時37分54秒 | 旅行
 舛添氏の寂しい退庁の映像を見て民主主義の勝利か、口を揃えてのイジメだったのか、日本人の人生観、世界観をみて考えてしまった。彼が強弁した都政にはそれほど影響はなかったのか。知事とかトップのポジションの職務はそれほど重要ではない。官僚制度がシッカリしているので名誉職のようなものであろうか。今大勢の論調は「弁明が悪かった」という。彼は険しい表情で最後の登庁、「寂しい退庁」のセレモニーもなく、都庁を去ったという。私は舛添要一氏の表情をみて都民に「あなたはなにを感じているか」と問いかけたい。追い出した貴方たち自分自身はそれほど「清廉潔白な人」であるのか、反省すべきであろう。ここまでの拙文を読むと私が悪い人を弁護するようにと思われるかもしれない。が、退場の場面は人生を深く考えるべきであると思う。寂しい退庁より人生の「寂しい退場」を考えているからである。栄光と希望をもって戦った人生の道、その幕を閉じる時が必ず我々の前にくる。死をどう迎えるか。あの世に行くという人もいる。還生、復活を信ずる人もいる。後世があるのか。ないのか。寂しい退場は誰にもある普遍的なものである。今度の知事退庁は政治資金という世俗的な問題であったが、それを越えて都民に与えたものがある。それは人生観に大きい教訓が授けられたということである。

別府と湯布院

2016年06月20日 06時37分11秒 | 旅行
一般の日本人のように温泉好きではない私は日本に住み30余年になるが別府と湯布院を観光したことがない。私を誘った人もいたが気が向かなかった。高崎山のサル動物園に誘われ、昨日東亜大学看護学院の村田、前田の両氏の運転案内で我が夫婦は一日満喫した。九州地方に雨100ミリという天気予報にも関わらず8時前出発、別府湾一望の頂上に立った。梅雨の隙間の山と雲のコンビの自然の調和はすばらしく、見下ろせる別府市、立命館大学など来て良かったという賛辞はまだ早いと。そこから市内方面、待望の名物、高崎山のサルに会いに行き、エレベーター、リフト、高崎山自然動物園のサルが見える。本場には動物園の職員が説明、サルは人が脚を開いて立っている間を通って餌を食べる風景、壮観である。サルの世界では餌、交尾、群れ、ランク付けなど人間の本能のようことを語ってくれた。私はポケットのボールペンさえカバンに入れて完全武装解除の状況で立って1時間が流れるのを知らずに見入っていた。 村田氏は声が大きく、マイクを持たずとも拡声器のように大声で説明が詳しく面白い。彼は声が大きいことで最近演劇にも登場したこと、経験豊かで櫛田薫氏の伝記を書く計画などを面白く語る。彼は事務力もあり大学を改革してくれそうである。私はサルに会えて目的達成、帰りたくたくなったが彼は「地獄に行きましょう」と誘った。天国か極楽ではない地獄の、湯煙の現場「海地獄」を見て驚嘆した。九重の山を走り湯布院の金隣湖の傍に駐車、二階の天井棧敷という軽食レストランに入り、遅い昼食時間、注文したものを待つ間、村田氏の大きい声が不思議に小さい。自然の大きい声も調節できるものか、手話交じりの囁きの対話、食後街歩いた。祭り風景のように大勢の人が歩く。温泉が多く、それが元になっているが、芸術の町である。温泉といえば下駄と浴衣の風紀紊乱という私のイメージが逆転した。真夏に温泉町を歩く異様感から上層部への上層感、贅沢になってガラス工芸を買った。山、海、温泉などが生かされた別府湯布院観光は素晴らしかった。

姉と語る朝鮮戦争

2016年06月19日 05時26分59秒 | 旅行
昨日は全国的に暑かったと言うが下関は涼しく感じた。ソウルから来た姉を見送るために港に行った。来るときは関釜フェリーに客が10人ほどしかいなかったと聞いたので私は近い将来フェリーがなくなるのではないか心配をしていたが、昨日の釜山行きは200人を超えるように見えて安心した。姉は数年前に大腸手術をしたが生まれ故郷の親族などで最高齢者になって元気である。夫の戦傷遺族年金と住宅の周りの土地で農作物を作り母子二人が生活をしている。長男は多種多様な職業、仕事をしたが大きい夢を果たすことができず60代半ばになっている。それについて本人と姉は物足りないと思っている。今その長男が母と一緒に住みながらしっかり介護などをして親孝行をしている。私は姉に言った。あえて息子に感謝すべきであると。高齢者になって息子の介護を受けていることは幸いである。
 私は朝鮮戦争の時の話を話題にしたが、悲惨な思い出話はしたらがらない。多くの戦争体験者たちがそうであるように姉は父親の人格や豊かな生活したことを主に子供に話はしていたようである。女性の戦争体験と10歳ころの私の戦争体験とは記憶の差が大きい。それは性別の差でもある。最新の拙著に朝鮮戦争のことを書いたが書き漏れたもの、思い出せなかった話が実名で語り盛り上がった。甥は二人の戦争談を黙って聞いていた。なぜ子供にその話をしないのか。子供は聞く耳もたないし、聞いてもわからないからか。その反面姉は弟の私の話は子供たちにたくさん聞かせてきたようである。姉は年中畑で私の好物を計画的に作っていると言う。突然私の幸せの話になった。

「やさしさ」

2016年06月18日 05時35分36秒 | 旅行
猛暑と旱魃が続いている。校舎の隅軒下におかれている観音竹が枯れるか気になる。ベランダの鉢に水をあげながら雑草にもジョウロウの水先をあてる。私のやさしさであろうか。夫がアルスハイマー病の介護する「八重子のハミング」それは「やさしさ」と言われた。私にその優しさが足りないと反省させられた。若い時チャーミングな彼女に自分の上着を抜いて書けるか、マフラーを首に巻いてあげるが、年をとっていくにつれて介護とは難しいだろう。昨夜試写会でみた佐々部監督映画は男たちその「やさしさ」を問いかけている。その優しさは恋愛、結婚、恥と苦難、幸と不幸、試練などを共にしてきて作り上げてきた堅い「絆」から出来上がるものであろう。萩と下関のロケ―、知人の佐々木正一氏などのエクストラなどで親しみを満喫した。原作者、俳優のトークもあった。帰宅しては夜空の花火に見て歩いた。
 朝から大学へ、反田昌平氏の「戦争と難民」の発表、堀まどか氏のコメントで行った。反田氏は毎日新聞社東京本社社会部で防衛庁担当時、陸上自衛隊のイラク派遣に伴い、隣国クウェートで取材したという。米国・同時多発テロ後、アフガン戦争、イラク戦争、シリア内戦、イスラム国(IS)の誕生、シリアからの大量の難民が欧州(EU)へと大筋を語ってくれた。堀氏のコメントに触発され、30余人全員参加のような討論会ができた。暴力と宗教、テロとゲリラ戦、引揚者と難民、テロと戦争、イスラムと日本の多神教など多くの話題が登場し、予想をはるかに超える猛暑を抑える猛熱な討論会であった。

研究会開催案内

2016年06月17日 05時16分55秒 | 旅行
東亜大学東アジア文化研究所/研究会

日時 :  平成28年7月 30日(土)14:00 ~ 16:00
場所 : 東亜大学13号館7階710号室
テーマ: 戦争と難民
講師:反田昌平氏 毎日新聞下関支局長

[講師プロフィール] 
 1991年、毎日新聞社入社。東京本社社会部で検察庁などを担当。防衛庁(現・防衛省)担当時は、陸上自衛隊のイラク派遣に伴い、隣国クウェートで取材。2011年4月から西部本社報道部副部長を経て15年5月から現職。

[講演概要] 
 2001年9月11日に発生した米国・同時多発テロ後、世界はテロとの戦いに突入したといわれる。アフガン戦争、イラク戦争を経て、イラクでは誕生したイスラム・シーア派のマリキ首相とイスラム・スンニ派による抗争が深刻化した。これに加え、隣国・シリアでは内戦が激化、イラク、シリアの国境付近を中心に権力の空白地帯が生まれ、イスラム国(IS)が生まれた。
 インターネットを通じた宣伝や異教徒の迫害など、フランス国内で発生した大規模テロなど、ISの脅威は今も大きい。内戦を逃れるためシリアからは大量の難民が欧州(EU)に流れ込み、大きな問題となっている。
 9・11以降、テロの現状や問題と課題、深刻化する難民問題について、中東、欧州の現状を語る。

会費:無料