韓国と中国でキムチの寄生虫の問題で論戦を交わしたのも記憶に新しい。日本では「白い恋人」「赤福」などの食品不正が問題になっている。中国で豚肉に段ボールを混ぜた饅頭が話題になって中国の食品不正が悪いMade in China中国製全般をイメージダウンしている。特にアメリカには中国の食品・薬品、食材が多くのマーケット占有率を持つ中、アメリカの中国への批判は激しい。ニューヨークタイムスは10月29日ヘッドラインで中国で食品不正者774人が逮捕されたと報じている。どの国でも食品不正はあるのだろうかと思ってしまうが、特に中国は大気汚染など環境問題が実に大きいのが現状である。
接待し、接待を受けるのは人間社会の基本な人間関係であるのに、そこに不正が生まれ、友好を交わすべく美しい人間関係が否定される。接待問題で、守屋氏への国会喚問のラジオ中継を聞きながらいくつかのことを考えた。まず質問者と応答者の品格の差である。前者は高い位置から叱咤する態度である。主に国民を楯にして攻撃する。内容とは別に応答者の態度には気が抜けるように感じた。
もう一つは出世とはなにか、つまり強力な権力を握って高い地位にまで登ってから下落することは悲劇であろう。ほんとうに何をしてもうまくいかない人の生活は少し惨めかもしれないが、悲劇ではない。出世はある意味で悲劇の要素が多いと言えるのである。
また日本国防政策に守屋氏の業績は何もなかったのだろうか。その業績はただの業務と評価されている。もし彼がもっと偉くなった時はその業務が功績として褒め讃えられるのであろうか。この事件に限らず、大きい業績より小さい(?)失敗が過剰に叱咤される。
もう一つは出世とはなにか、つまり強力な権力を握って高い地位にまで登ってから下落することは悲劇であろう。ほんとうに何をしてもうまくいかない人の生活は少し惨めかもしれないが、悲劇ではない。出世はある意味で悲劇の要素が多いと言えるのである。
また日本国防政策に守屋氏の業績は何もなかったのだろうか。その業績はただの業務と評価されている。もし彼がもっと偉くなった時はその業務が功績として褒め讃えられるのであろうか。この事件に限らず、大きい業績より小さい(?)失敗が過剰に叱咤される。
わがマンションの名前が横文字の英語とフランスの単語が四つにもなっている。マンションは建って3年も過ぎたのにまだ近くのタクシーの運転さんも知らない人がいるようである。ある来客は近くからタクシーに乗って探すのに時間と料金がかなりかかったという。覚えにくい、呼びにくい長い名前であることと同じような名前がいくつかあるからである。隣の「つくし」という喫茶店がより有名であり、「つくしの横」というのが分かりやすいという。下関では大型のマンションにも大きな看板はあまり目立たない。会社もしかり。個人の住宅も探し難い。郵便配達や宅配の方々も大変だろうと思う。我が家は自宅に来客が多い。タクシーできても近くの近所のマンションで降ろされてさらに道案内をしたり、迎えに行ったりする羽目になる。
昨日朝鮮学校で授業を参観した。一つの学年に生徒一人しかいクラスもあった。学校全体40数名という。少子化と在日離れが酷い。小学一年生の「国語」(朝鮮語)の教室には男女二人の生徒に女性の教師が素晴らしい授業を行っていた。私が担当している韓国語のクラスよりレベルが高った。先生の発音も正確で、道具の利用なども良かった。しかし他の教室で使われている授業用語としての朝鮮語はいささか問題点があった。教師たちの朝鮮語は朝鮮半島の南北や他の海外の朝鮮民族の朝鮮語とは通じにくい「在日朝鮮語」であり、理解しにくい、あるいは理解できないものが多かった。早く、ネーティブの協力を受け入れることが必要であろう。そのほかのいろいろなイベントは地域の住民との交わりもあって楽しく、そしてすばらしいものであった。
下関市田中町の長周新聞の存在さえ知らなかったが、先日取材を受けて初めて知るようになった。1955年に創刊、50年以上の歴史を持っている地方新聞を下関に住んでいるのに知らなかったことを恥ずかしく思った。私は記者に日本の新聞が右より、左よりになっているのはおかしいと言ったことがある。すぐ文化面半分ほどに私の研究状況と周辺事情が記事化された。実に客観的で内容的にも充実したものが書かれていた。後になってある方の情報によるとその新聞は客観性のないとはいうが、それをそれほど感じなかった。私の思考が偏ったからかもしれない。とにかく知っておきたかった。昨日新聞社を突然訪ねて、編集局長の案内で創立者の福田正義氏などに関する記念展示をみた。福田氏の「独立、民主、平和、繁栄、民族文化の発展」の努力がよくわかった。写真の中には占領中の在日朝鮮人達の朝鮮学校閉鎖に反対する大規模なデモのものもあった。興味深々であった。今日は朝鮮学校の授業を参観する予定である。
ノムヒョン大統領が親日など歴史を真相糾明する委員会を設置して親日派といわれる人の財産さえ国家が奪ったことは報道された通りである。その一環として金大中事件の真相も究明し、その報告書が出た。その結果によると韓国政府が日本政府に謝罪しなければならないが、韓国政府はこれを植民地歴史とすり替えて、謝罪しないかもしれないと報じられている。「真相」とは事実factであり、真理truthをもつものであり、それは場合によって自分に不利になったり、損したり、傷ついたりすることである。真相究明や客観的な態度は場合においては身内や仲間を傷つけることもありうる危険なものであることを覚悟しなければならない。真相究明委員会の客観的な究明に讃辞を送りたい。
私の広島大学院時代の学生であった崔錫栄氏が鳥居龍蔵の旅行記を韓国語に訳して出版した。崔氏は朝鮮総督府の文化政策、特に巫俗に関して博士論文を書いた。以来精力的に研究活動を続けている。著者の鳥居は徳島出身で小学校も卒業せず、独学で東京帝国大学教授なった実力派の学者であった。植民地圏内では軍などによる助力を大いに受けて調査を行った。しかし、植民地主義者として韓国では注目されていない。韓国・国立博物館には当時彼が調査旅行で撮った38、000個のガラス版写真乾板があるがまだ活用されていない。
韓国で本書が翻訳されたのは植民地主義を超えて研究の必要性を物語る重要な意味を持つ。鳥居が調査旅行したところは大部分が私が最近調査旅行して書いた旅行記「東アジアを歩く」(亜細亜文化社)とオーバーラップする。その部分は拙著と併せて読んでいただければ幸いである。
韓国で本書が翻訳されたのは植民地主義を超えて研究の必要性を物語る重要な意味を持つ。鳥居が調査旅行したところは大部分が私が最近調査旅行して書いた旅行記「東アジアを歩く」(亜細亜文化社)とオーバーラップする。その部分は拙著と併せて読んでいただければ幸いである。
70歳を過ぎた韓国の友人の李相日氏から久しぶりに電話がきた。数日前、私が電話をした時、奥さんが彼は演劇観覧に行ったと言った。彼は演劇学の専門家であり、特に大学を定年してから旅行と演劇など文化生活を悠々と過ごしている。彼がこの夏に拙宅に来て、私になぜ仕事をするのか、つまり研究と教育を続けてするのかと問いかけた。私は他に人生を楽しむ心とその方法は知らないからと答えた。彼は私に自分に見習えといった。しかしそれは簡単ではない。時間の余裕があって、それを楽しむことはその人の人生観によるものである。私は常に時間に余裕があるとそれに埋没され、怠け者になるのではないかという憂いを持っている。人は時間の余裕によって創意的になり、また怠け者にもなり得る。
私の今秋の読書三昧一番は先日読み始め、中断となった川嶋擁子氏の「ヨーコの話」の続編ともいえる著「My Brother,My Sister and I」を完読した。読みつかれた眼には涙がいっぱいで何も見えなかった。なぜこのように感動を受けたのだろうか。彼女の終戦後の体験がおそらく私の人生と多くオーバーラップするのと関連すると思う。放火犯とか、貧しさゆえに学校では泥棒と疑われて、それが晴れるまでの辛い日々、また父親の帰国を迎えるまでの彼女たち3人兄妹の生活は人を感動させる。彼女がアメリカで住むことになったのは「亡命」する心に似ているように思われる。当時の日本は決してよい社会環境とは思えない。いくら経済大国と言われても差別やいじめがある社会はよい社会とは言えない。この本では残念ながら許すことや和解、寛容は出ていない。それは文学的作品として教科書的であるから省かれたのかもしれないが私には日本人の人間関係そのままの表れだと思われる。
この作品は彼女の人生全体を物語るものではない。彼女はこのように暗い要素を持っているが、また一方では朝鮮生まれ、日本で英文学を専攻し、アメリカにおいて作家になった成功物語りの主人公でもある。その意味でこの作品は彼女の自叙伝ではない。「ヨーコの話」を問題にした在米韓国人たちは間違いなくその作品を誤読、誤解しているのである。
この作品は彼女の人生全体を物語るものではない。彼女はこのように暗い要素を持っているが、また一方では朝鮮生まれ、日本で英文学を専攻し、アメリカにおいて作家になった成功物語りの主人公でもある。その意味でこの作品は彼女の自叙伝ではない。「ヨーコの話」を問題にした在米韓国人たちは間違いなくその作品を誤読、誤解しているのである。
木浦からの引揚者の集会が昨夜新幹線新山口駅前のみやけホテルで行われた。七十代半ばの当時の木浦商業中学校1年生24名が参加して懐かしがっていた。一昨年には母校を訪ねて、同窓生である元韓国大統領の金大中氏と記念写真を撮ってきたものなどを含むアルバムなど、多くの写真資料を持ってきて話が盛り上がった。その場面を東京からビジュアルフォークロアの三浦庸子氏が撮影した。私は国立民族学博物館の研究会からの帰りに参加し、一緒に参加した李永松教育院長と同僚の礒永さんと車で遅く帰った。車にはの木浦会の代表の林和男氏からもらった棗の木の苗木を乗せてきた。これからはこの木を生かすために心配りをするつもりである。
1972年日本に留学に来たばかりで出会った人の顔は忘られない。指導教授の堀一郎先生から古野清人先生、そして末成道男さんの紹介で原弘子先生、アメリカの我妻先生、櫻井徳太郎先生などを思い出す。特に櫻井先生はご自宅まで招待してくださった。そこで山折哲郎先生、宮田登先生と同席し、御馳走になったことを昨日の出来事のように覚えている。昨夜国立民族学博物館で研究会後の夕食会で櫻井先生が最近亡くなられたことを聞いて、悲しく思っている。先生とはシャーマニズム研究者の先輩、同士としてで交流をよくしていただいた。大分ご無沙汰していてこの訃音を今知って申し訳ない気持ちでいっぱいである。最近日本でシャーマニズム研究が低迷な感じがするのも、このようなシャーマニズム研究の大家が去っていくこととも関係があるように思われるる。おくればせながら桜井先生のご冥福を心からお祈りいたします。
金木犀の香りでキャッパス中がいっぱいである。花の香りは最高のお洒落である。化粧品の中でも香水は高価で洒落たものである。香水が品格を高めるような時期とは違って、今の時代では香水が一般化しており、香りを乱用するようになった。汗臭いのが普通であるような運動選手からも香水の香りが強くした時は異様な感じさえする。洗濯、トイレ、化粧、薬品などに香りを過剰に使っている。20年ほど前、わが家の庭に金木犀の木を植えた。花が咲いて、香りが強く長く続いて家の中も外も終日香りが漂い、我慢できず、かなり枝を切り落としたことがある。いくらいい香りでもあまりにも強かったり終日だと我慢ができないことを知った。
昨日卒論発表会でスポーツの国際化における国籍の問題が出た。試合のために国籍を変えた選手がその目的達成後元の国籍に復帰したり、二重国籍で活躍するなど国籍を利用することが問題として指摘された。離婚や結婚などの制度に縛られる人がいる反面、その制度を利用するような人もいる。一般的には国籍はその国おいて国民として生活する人のアイデンティティである。それを簡単に特定な目的に利用するのは問題であり、また一方それに反して文化的にもなじみのない国の国籍を維持するのも問題であろう。
私も視聴した亀田の問題が視聴者よりマスコミで熱をあげて報道している。あるTVが悪役の演出を刺激したのではないかという意見もある。昔韓国ではレスリングで日本人が反則するのをみて韓国人が怒って、視聴率が高くなり、スポーツナショナリズムが高調した。しかし選手の一人の張氏が実はその試合は勝負は決まっていたこと、演出であること、そしてそれを守らなかった側に反抗し、その演出が明らかになり、視聴率がトン底に落ちた。ボクシングは演出のないスポーツとして視聴率が高い。少しでも演出性があったとしたら大きな問題であろう。その点、注意して明らかにすべきである。
先日アメリカの自宅を訪ねてお世話になった川嶋氏からボール箱いっぱいお土産が届いた。ガラス製品の飾りや調味料入れ、ガラス工場の宣伝案内冊、チョコレート、2袋の胡桃、洗顔石鹸、ドライフルーツなどには袋ごとに説明が細かく手書きしている。また箱の中には1994年版 MY Brother, My Sister and IがCape Cod で2007年9月30日Most respectとサインした著書が入れられてあった。この本は話題になった1986年版「ヨーコ話」の続編のようなもので京都でごみ箱を漁ったり拾ったりして乞食のような生活ぶり、火事などの話から始まる戦後引揚者としての苦労を物語っている。先日「ヨーコの話」の日本語の草稿を見せてくれた時捨てる紙の裏に書いたものを見せてくれた。彼女が今度届けてくれたその本から私は辛かった終戦と朝鮮戦争の時の出来事を思い出す。私は彼女の戦争体験、清教徒キリスト教精神に感動している。彼女の生き方に朝鮮戦争を体験していること、そしてクリスチャンとしての私にも共有できる部分がかなりある。