崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国の政治祭

2016年11月30日 05時31分37秒 | 旅行

 「下野」という言葉は日本では耳慣れない漢字語である。今韓国では朴クネ大統領に向かって使っている。私は1960年の李承晩大統領の下野を覚えている。当時は政治不信はあっても李大統領にはカリスマがあった。「下野」によって世論は変わったが、その後自由化、民主化の過程は混乱状況であった。結局独裁者を招くようになり、朴正熙のクーデターにより軍事独裁時代になり、そして、大統領暗殺の悲劇、その娘朴クネ氏が大統領になって国民は失望している。このような戦後史は北朝鮮や中国は経験していない。独裁体制でまま安定している。おそらく彼らは民主主義を不信するだろう。選挙が民主主義の最後の防波堤であるがポピュリズム、人気主義により過ちを繰り返す。今の韓国は混乱と悲劇を繰り返している。
 昨日午後下関ある新聞の方から朴クネ大統領の辞任について意見を求められて驚いた。朴クネ大統領の談話は李承晩大統領の下野とはやや違う辞任表明である。政治的な空白を懸念したと思われるが野党は一斉に弾劾を避けようとする陰謀 "꼼수"だといい、弾劾の動きを続けるという。そして空白に入ろうとする。4.19革命は学生運動であって、政治家の存在は薄かった。今は政治家たちによっておこなわれる祭り式デモである。今の時点で安定してほしい。

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「運動」

2016年11月29日 05時35分51秒 | 旅行

 最近の受診により健康回復に自信を持つようになった。しかし私は障碍者である。昨朝歯科受診のために長く待っている間に歯を抜くことを懸念していた。家内は服薬中であり出血は危険といい、細かく記した。医師もその旨理解し智慧を絞って無事に治療ができた。午後は内科受診、インフルエンザ予防注射、受診結果もOKで、運動をせよと言われた。「運動」ってなに?。私に縁の薄い単語である。「動き」として理解している。加齢によりこれからは下がり道を静かに歩くだろう。今週末東京での研究会には一人で行く。大分歩き、考える。
 昨日の山口新聞コラム(2016.11.28)には「朴クネ騒ぎ」と題として次のように書いた。

 
朴クネ大統領のスキャンダル騒ぎの最中、韓国に研究調査に行ってきた。メディアの連日の報道により国難状況だと思ったが釜山行きの飛行機ではほぼ韓国人で満席、表情は平安であった。3泊の滞在中、どこにも不安な状況は全く感じなかった。食堂などでのテレビの大統領弾劾のニュース、蝋燭集会100万人などの報道に注視する人はあまりいない。ある人にそのわけを聞くとテレビだけが騒がしいとメディアへの評価は低い。
 
数日前ソウルある軍事評論家からの電話に私が「韓国は大変だね」と言ったら彼は朴クネ大統領が父親の朴正熙大統領のお陰で大統領になったのに反日的態度をとり、メディアと世論を気にしすぎ、父親の業績を顕彰せず親不孝であったので、支持基盤も失うこととなったと説明していた。彼女の4割ほど支持率は父親への支持であったといえる。それに似た話を数人から聞いた。
 
朴正熙大統領の業績の代表的な政策はセマウル運動である。一般的に韓国人は記録保存が下手、古文書が少ないと言われているが、例外的に全羅南道和順郡道荘里にはセマウル運動の実態が分かるようなセマウル運動関連資料が保管されている。そこで村の指導者たち、地域の大学教授、文化財専門委員のお話を聞くことができた。セマウル運動は日帝時代の農村振興運動のような政策だったと私の研究成果の内容の話が出た。


 

 

 

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下関歴史博物館へ

2016年11月28日 05時44分45秒 | 日記

 姜信杓夫妻と一緒に礼拝出席、彼らは元カソリック信者、最近プロテスタントへ、熱心な信者である。伴奏はなかったが李恵蘭牧師の先導で讃美は十分であった。ご夫妻の讃美歌もよく聞こえた。食事の時は私がもう一つの説教だと冗談を言いながらご夫妻を紹介し、姜氏にお祈りが指名され、純粋な心、優雅な声で祈られた。礼拝終了後早速下関歴史博物館へ、古城副館長が迎えてくれ二人の学芸員が案内して下さった。新築したばかり、観覧者がいっぱいの中、通信使、吉田松陰、高杉晋作などについて説明を聞き、通訳などをした。毎週講師を迎え、案内まで苦労ではないかと言われたが、いや、それは楽しいお付き合いの時間であると答えた。
 夕食の時には過去と未来の話が多かった。過去をよく覚えていても現在のことは忘れっぽいと言う。ソウルの路面電車の話、恩師の話などが多かった。同窓生とはその時代に再現される。私は同窓生からニックネーム、ナルコニ(老人)と言われたというと李牧師はそれは「高齢」学者への志向を意味したのであろうと解釈した。正解とは思いながら無反応。船着き場で強く握手、姜信杓夫妻といつまた会えるか寂しさが湧いてきた。知人のタクシー運転手中村氏が重病で入院というので慰労の通話でさらに心が重くなった。

*写真はタクシー運転手青木氏が撮ってプリントして持ってきたもの。
 

 

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オリンピックによる共同体

2016年11月27日 05時38分00秒 | 講義

  下関港に表れた姜氏夫婦はまず私の健康回復に驚く表情をした。彼も80歳で健康な学者、名家に生まれ育ってアメリカ留学し、多くの職場を移りなら国際的に活躍した友人である。人情と研究のバランスが取れている人、彼は私と韓国文化人類学会創立何周年かの記念に講演したと言う。しかし私は覚えていない。彼は人との絆を大事にする人情の深い人、この度久しぶりに教壇に二人が登場した。主題はオリンピックであった。彼は初頭を日本語、そして本学の魏鐘振准教授が通訳を務めてくれた。
 オリンピックには肯定的、否定的両面の機能があるといい、まずリフェンスタール・レニー監督の1936年ベルリンオリンピックの映像でマラソン優勝者の孫基禎氏が当時、朝鮮人でありながら日本人として出場。このことから植民地の負の遺産の話をした。大東亜共栄圏の悪夢があり、東アジアでワンアジア共同体は不可能であろう。しかし肯定的な面がより多いと。クベルタンが主張したオリンピック精神によってスポーツ教育の重要性を強調した。ギリシャ古代オリンピア遺跡では平地でデルファイ神殿、その上に劇場、その上に運動競技場の配置について宗教、芸術、スポーツの総合的な意味を語った。オリンピックは開催都市が主であり、国家が主ではないと指摘した。しかし国旗を持つこととなりメダル競争のイメージが強い。アベマリオと小池の写真で日本は宣伝が上手いといわれた。
 私は国家宣伝のような行事よりスポーツ種目自体の中でスケートや水泳などが音楽や舞踊を取り入れるような変化があることを指摘して議論したかったが国家の行事の総合芸術化の議論になった。二人の学生がコメントを発表、オリンピック中休戦、自分との闘いなど重要な点が指摘された。またフェースブックから台湾の頼氏のコメントもあったが議論する時間はなかった。いずれ講義の中で議論を続けたい。私は広く深く、なお新鮮な講義であったと高く評価した。後に私の研究室では市民から東亜大学の学生のレベルが非常に高いといわれ、嬉しくなった。教員の研究力も高いということを付言した。


 

 

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人間は機械の付属品?

2016年11月26日 04時54分20秒 | 旅行

 昨日は釜山外語大学の日本語担当の教授二人が訪問(写真)。韓国政府から重点大学として支援を受けているという話を聞くだけであった。衰えていく日本の大学、旺盛な韓国の大学が対照されるような話だった。若い青年韓国と老年日本の比較のような話だった。韓国もいずれ老いを知るはずであると寸評した。私はワンアジア財団支援講座の講師の姜信杓氏から旅券期限切れの連絡があり、来れないかも知れないと、話が続く中でも不安であった。しかし夕方ようやきく通話ができた。異常なし、意外にも今朝下関港に着くという。彼は「心配はいらない」といい、乗船することができたといい、安心した。しかし発表原稿はハングルのものが1枚、準備を急がなければならない。 周りの人たちは旅券の期限切れをたった1日で更新することは不可能だと言っていた。しかし私は可能性を信じた。以前私もを韓国で同様なケースで、2時間で更新してもらい出国、国際的に体面を守ることができた体験があるからである。規律、規制、律法の遵法精神の厳しい日本社会ではありえないというのは分かる。ここで考えなければならない点がある。機械化や電算化している時代になっていく、そのような社会に発展していく。つまり機械化と電算化されていくほど人間の存在は薄くなっていく。しかし機械化の中にも人間は存在すべきである。状況によって評価と判断、決心する人が必要である。それは機械化の中の人間、厳しい規制の中の例外であろう。社会は機械化していく、人間は機械の付属品とされていくのか、ほんとうに人間が機械を管理しているのだろうか。これを知る日本人はすぐ遵法精神がない、後進国と思いがちである。あくまでも人間性、人類愛は失ってはならない。

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公開講座のお知らせ「オリンピックとマラソン」

2016年11月25日 06時59分41秒 | 講義

 べルリンオリンピックの記録映画を見る。日本植民地朝鮮の青年ソン・キジョンとナム・ソンニョンがマラソンで1等と3等で入ってくる。これは植民地朝鮮で途方もない波紋を立てた。日章旗抹殺写真で東亜日報は廃刊された。ソンギデイ(日本式発音)? ソン・キジョンか? オリンピック マラソン記録に「日本人」と記されている。戦後韓国は「韓国人」として修正を企てる。負の遺産である。韓国人の精神的トラウマである。慰安婦、創始改名、東方遥拝、朝鮮出兵(1592-1598),閔妃殺害、キリスト教弾圧、日韓合邦、明治維新、脱亜論など。加害者は簡単に忘れて、被害者は決して忘れられない。大東亜共栄圏の悪夢がワンアジアを可能にするのか。ぜひ会場で耳を傾けてほしい。

姜 信 杓 (仁濟大名誉教授)
「スポーツとオリンピック」

時:2016.11.26 午後2時半から4時まで無料
場:東亜大学13号館202号

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私の地縁、学縁、血縁

2016年11月24日 05時37分42秒 | 旅行

 数人の方の斡旋で釜山の東亜大学の総長と会った。私は総長に関して何の予備知識もなく、ただ下関の東亜大学と同名であることで親善訪問したのである。博物館では70年史、発掘資料の展示などを見て圧倒された。行く車内で同大学の金粉淑教授から彼がソウル大学国文学科出身であることを聞いただけであったが、韓錫政総長との面談の時間は楽しかった。それは韓国式の出会いであった。
 彼は私に関する情報を多く持っていおられた。まず彼は私の著書から私の名前を知り、満州映画に関する文を覚えている。ソウル大学の彼の先生たちと私の友人、知人の話で人脈の探索が始まり、私の教え子の蔚山大学の魯成煥教授から聞いた話から広がる人脈、また昔私の慶南大学の同僚であった韓錫泰氏が彼のお兄さんであることなど話は無限に広がった。彼の私への誉め言葉は「崔先生のところで勉強した人は全員教授になる」ということである。多くの弟子を生み出したことが称賛された。地縁、学縁、血縁などが総動員したような人脈の話であった。私は彼に親善のための講演を頼んだ。彼は総長という行政とアカデミズムのバランスが難しいことばを漏らした。私は老後のためにも楽しい学者の道をやめないようにアドバイスを残して空港へ向かった。空港で私の所持品の中の真鍮の靴ベラがX線検査に引っかかってボーディングカードをチェックされ、それを戻してもらったような、ないような、その過程で紛失しておお騒ぎになり、結局のところ再発行してもらった。

 

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慰安婦文玉珠記念館

2016年11月23日 06時48分29秒 | 旅行

 朝食は友人の郭病院理事長の郭東灌氏夫婦と豆もやしスープを食べながら、時局談をした。韓国の朴大統領のスキャンダルで政局が混乱することで弾劾などの過激な動きには私も否定的であった。1年任期を待つしかないのではないかという意見であったが、このような人は少数右翼に過ぎないと非難されるという。ソウルの知人の軍事評論家もほぼ同様な意見であった。朴クネは父親の影響で大統領になっが親日だと非難されるかと懸念して反日的態度をとってきたので朴正熙氏の偉業を顕彰もしなかったので支持基盤を失ってしまったという。私も同感である。今の時局は政権争奪戦に過ぎないという意見もある。メディアは煽動道具に過ぎない。
 10時からは慰安婦文玉珠記念館を観覧した。窓口の女性は私を知っているというのでびっくり。彼女は啓明大学時代私が指導した仮面劇サークルの学生であったという。嬉しい再会であった。その時代を浮かべながら話をしている内に学生観覧者たちが入場し、中断したりして断続的に談話を交差しながら資料と情報収集に協力を願った。写真、映像、説明文など、特に森川万智子氏のインタビュー調査の映像を見た。ロッテ百貨店ではビビンバをご馳走り崔鐘星氏の運転で釜山へ。プサンでは張竜傑と彼の娘さんに会った。彼女はイギリスで奉仕活動、アメリカで語学研修をし英語の先生、日本語もかなりのレベル。弟子たちの崔仁宅、張相彦、張竜傑と娘らさんと一緒の夕食は数十年若返った気分であった。

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セマウル運動関連資料、綿花

2016年11月22日 04時34分44秒 | 旅行
  一般的に韓国人は記録保存が下手、村には古文書が少ないといわれている。しかし非常に例外的な村がある。その村を紹介案内してくれたのは金熹台全羅南道文化財委員であった。私一行が和順郡道岩面道荘里会館に着いたのは朝の9時過ぎ、意外に木浦大学校教授の李京燁氏が来られて待っておられ、村の金凡淳会長と 金聖寅,沈洪燮,邢先根の諸氏の歓迎を受けた。私の同年の金凡淳会長と は「同年」であることですぐ話は熱くなった。金聖寅氏らは郷土文化遺産や全羅南道無形文化財の民謡、 綿花を多く栽培してきた村の歴史、セマウル運動の実態が分かるような写真、セマウル運動関連資料の70~80年代の行政公文書および生活道具が保管されていると状況を説明してくれた。織物道具、豆腐作り、餅つき、カマス作りなどと文書などが総合的に現地に保管されていることは驚きであった。
 村の歴史が生きている現場を総合的に研究することに私は李教授や金委員に協力を要請した。セマウル運動によって村の生活が変わったのか、質問には否定も肯定もしない。なぜであろう。氏は朴大統領の稲の品種改良は当時フィリピンから輸入したこと...を指摘し、日帝時代の農村振興運動のような政策であったという。私が研究、主張したものが知られたのか、彼自身の考察であるかは確かではない。山に囲まれている村の中には細い川が流れている。それが村の生命脈のように感じた。この生きている村の歴史に関心をもって日記を書く人を紹介してくれというと正面に座っている会長とお兄さんが日記を書いて有名であるという。話は本当に盛り上がった。3時間半高速、大邱へ、中村八重氏と歓談、研究の話はまだ続いていた。일반적으로 한국인은 기록 보존을 소홀이한다고 하는데, 특히 마을에는 전해지는 고문서가 적다고 한다. 그런데 대단히 예외적인 마을이 있다. 그 마을을 소개 안내해 준 것은 김 희태 전라남도 문화재위원이었다. 우리 일행이 화순군 도암면 도장리회관에 도착한 것은 아침 9시좀 지나서인데, 의외로 목포 대학교 교수인 이경엽씨가 오셔서 기다리고 있고, 마을의 김범순 회장과 김성인, 심홍섭, 형성근씨 등 여러분의 환영을 받았다. 김범순 회장과 나는 「동갑네」인 것으로 바로 이야기가 뜨거워졌다. 김성인씨 등은 향토 문화 유산이나 전라남도 무형문화재의 민요, 목화를 많이 재배해 온 마을의 역사, 새마을운동의 실태를 알 수 있는 사진, 새마을운동관련 자료로서 70∼80년대의 행정 공문서 및 생활 도구가 보관되어 있다. 상황을 설명해 주었다. 직물도구, 두부만들기, 떡치기 등과 문서 등이 종합적으로 현지에 보관되어 있다.
 마을의 역사가 살아 있는 현장을 종합적으로 연구하고 싶다고 이교수나 김위원에게 협력을 요청했다. 새마을운동에 의해 마을의 생활이 변한 것인가, 질문에는 부정도 긍정도 하지 않는다. 왜일까. 박정희 대통령의 벼 품종개량은 당시 필리핀에서 수입한 것을 지적하고, 일제시대의 농촌진흥 운동과 같은 정책이었다라고 한다. 내가 연구, 주장한 것이 알려진 것인가, 그 자신의 고찰일지는 확실하지 않다. 산에 둘러싸여 있는 마을 안에는 작은 개천이 흐르고 있다. 그것이 마을의 생명선처럼 느꼈다. 이 살아 있는 마을의 역사에 관심을 가지고 일기를 쓰는 사람을 소개해 달라고 말하니 정면에 앉아 있는 회장과 형님이 일기를 써서 유명하다고 한다.
 
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韓国光州

2016年11月21日 05時06分10秒 | 旅行

 釜山行きの飛行機はほぼ韓国人によって満席、韓国は大変だと誰も思えない平安な旅人たちであった。飛行時間40分という短い時間、隣席の日本女性に声を掛けた。熊本から韓国旅行、旅行の話より熊本地震被害を受けた話、車3台が潰された写真など悲惨な状況を見せてくれた。韓国の朴クネ不安騒ぎと熊本地震の状況がアンサンブルになって聞こえて、不安状況の中の旅行と矛盾するような気分であった。
  迎えに来てくれたのは崔鐘星氏夫婦、奥さんの金氏の乗用車で光州まで3時間半、ホテルプラダに着いたのは6時ころ、意外に長興から李永松校長が先にいらして待っている。久ぶりの嬉しい再会、間もなく金喜台氏が来られた。私は1年ほど前に大手術を受けて死境を迷ったが今は完全回復して忙しい中の調査旅行であり、協力を求めた。我夫婦と家内の姉など6人が参加して東園食堂で焼肉とタコの鍋物を李先生にご馳走なった。私の古い研究フィールドワーク地であり、縁の深い長興には寄れず今日はセマウル現地に行って現況を見て、大邱へと移動。遠い旅になる。忙中閑、閑中忙が交差する。

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ナショナリズムから脱出

2016年11月20日 05時42分23秒 | 講義

 週5日労働ということで土日は休日であるのは国民のリズムである。その休日をどのように暮らすかはさまざまである。休息が多いかと思われるが土日ごと労働する人も多い。ワンアジア財団支援講座を土曜日に設定したのは一般市民が参加できるように工夫したが、市民も忙しくは参加できない。昨日は8回目の講座が行われた。今までアジア共同体の構築への必要性や希望が多く語れてもその方法については言及が少なかった。鄭俊坤博士が語った個人主義化、個人がイデオロギーなどから解放されることは大きい提案であった。私はそれを紹介しながら今回の「ナショナリズムからの脱出」に期待を込めて講師の上水流久彦氏を紹介した。
 彼は広島大学大学院で博士号取得、そして、さまざまな研究プロジェクトに協力してくれた。去年「文化人類学」にて私にインタビューしたことなど彼とは長い間の人間関係が結束している。彼は台湾の植民地について研究領域を広げ、深化している。子弟関係を超えて研究の同志、協力関係者でもある。彼は植民地「日本」の扱われ方の違い、その違いはなぜ生じるのか?それは戦後の状況であると前提して民族性の違いだろうか?対日感情はどうつくられるか?歴史記憶主体、文明との関係、経済的、文化的、政治的諸要因を検討した。民族というアイデンティティをどう超えるか。
 そこに韓国啓明大学の中村八重氏がSkypeで登場してコメント。韓国では最近日本の浴衣を着る行事なども行われるように変化が見え始めたと伝えてくれた。中国の女子留学生の呉勉勉さんは中国人は台湾人を嫌っていないが台湾人は中国人を嫌っていると、また日本人が「美味しい」と言うことばは信頼性がないとコメント。韓国からの女子留学生の金ドウヨンはオーストラリアに留学したこともありグロバールに生きることが難しいと言った。常に時間厳守をモットーにしているのにこの講座ではじめて5分ほど時間をオーバーする討議であった。

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「韓ドラ」막장드라마

2016年11月19日 05時23分20秒 | エッセイ

 「韓ドラ」が品のない茶番劇を指すように転落している。テレビコメンテーターたちが朴クネ大統領騒ぎを「韓流ドラそっくりだ」といった。冬ソナ以来韓国のドラマにはまった人が増えつつ流行したこと、韓国から流れ出るドラマ、音楽など韓国文化が海外へ進出するという標語である。韓国人がプライドを持っている言葉、肯定的、積極的な意味でつかわれる「韓流」という言葉が卑下され、汚れていくのに気が付いた。「韓国でもマクチャンドラマ(막장드라마)と卑称されるが、海外でも韓国ドラマへの評価は低くなっていく。
 韓流ドラマに限らない。韓国の政治も韓流ドラマ막장드라마とされる。学生革命により民主化が進んでいる韓国が今メディアに翻弄され混乱を起こしている。アメリカ大統領選を例にして中国や北朝鮮は民主主義選挙の矛盾を宣伝し、独裁がいかに政治を安定化しているかを自慢する。もう一つの例に韓国になるだろう。国民が投票で選んだ大統領、野党とメディアに先導される、まだ民主主義の歴史が浅いとしか言えない。私は戦後史を体験した者として、今100万人デモというものをデモとは思えない。ただの「乱場」「まつり」「祝祭」と感じている。「下野」の意味も知らない愚衆、シリアのアサド大統領に呼びかけて欲しい。「下野」の英雄は李承晩である。
 

 

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<お知らせ> 

2016年11月18日 10時09分07秒 | 講義

<お知らせ>   ワンアジア財団支援講座8回

上水流久彦(県立広島大学准教授)「民族構成とナショナリズムからの脱出

東亜大学の13号館202教室  2時半から4時まで

 

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『アーロン収容所』

2016年11月18日 06時07分05秒 | 旅行

 下関に移り住み学問的に一つの幸運といえば倉光誠氏との出会いである。彼は温厚な医者で韓国語ができる。それだけではない。彼は適切なアイディアと幅広い読書、ものを深く考えてコメントしてくれる。昨日は会田雄次氏の『アーロン収容所』で「英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきた」「ソ連に抑留された人びとのすさまじいばかりの苦痛は、新聞をはじめ、あらゆるマスコミの手を通じて多くの人々に知られている」と、紹介しながらイギリス人の残酷さを紹介してくれた。
 私は日本軍がマレーシアでイギリス人捕虜の時計や飾り、宝石などを奪取する映像を見せた。日本人は誰一人日本軍がソ連軍のように野蛮的なことをしたとは思っていない。会田氏はイギリス人は家畜を殺す文化の残酷さをもっているという。私は日本人が生きている魚を解体する場面を見るのを楽しむこととはどう違うか、日本人の虐め文化はどうであろうかと疑問を投げた。中国から来た留学生の宮さんの中国賛美(?)に私が加勢、蒋介石軍隊が性暴行した人を現場で裁判、処刑する映像を見せた。国民党軍隊の規律が厳しいのか、あるいは中国人、中国文化が人道的なのだろうか。

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「絵葉書から見る近代朝鮮」

2016年11月17日 05時59分25秒 | 旅行

 昨日の気象予報では寒さが強く報じられたが、よき秋晴れの日であった。ソウルから来られた方は日本は温かいという言葉を連発した。私の研究室で『絵葉書から見る近代朝鮮』(全7巻)の最終編集会を行った。ソウルから民俗苑洪鐘和社長と朴昊遠顧問、執筆者の浦川氏、総監修者の私が参加して日本文、韓国文、英文の検討、なにより重要なのは本題では熱く討論した。韓国文では「엽서로 보는 근대조선」、Post Cards of Modern Koreaときめた。日韓のフォント調整、地名表記など細かい作業が夕方まで続いた。新年早々発行を予定している。朝鮮以外に日本、満洲、樺太、台湾、南洋群島、その他30万枚以上の帝国の絵葉書の研究の出発点となると思う。これからその研究にも力を尽くしたい。監修文で次のように記した。 

 絵や写真を見るのも良いが絵ハガキには単純な画報や写真以上の意味がある。絵はがきは他の媒体とは違った特性がある。今のように映像が優先されるメディア時代を先行した媒体が絵ハガキである。より重要なことはその余白に個人的な通信が入る点であり特に魅力的だといえる。情報が少ない時代に先んじる画像媒体としての役割をしてきた絵ハガキを私たちは今どのように見てるのだろうか。当時の生活文化をリアルに見せている。当時日本人たちは植民地であった朝鮮文化の何を見て何を感じたのだろうか。私はこれを基に日本人が世界的な視点に立ち、積極的で肯定的に朝鮮文化を知ることを望んでいる。本書が道路の発達と観光、郵便制度の変遷、意識されなかった地方文化の発掘と再認識、今生きている伝統文化の源泉として活用されることを望んでいる。*写真左から浦川、洪、朴
 
 

 

 

 

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