崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

深海トンネル

2009年07月31日 05時46分15秒 | エッセイ
 昨日「毎日新聞」の朝刊トップページに「深海トンネル」という題と写真が掲載されていた。このトンネルはわが家の窓から眺めている関門海峡の海下にあるものであり、嬉しく読んだ。私はこの270メートルのトンネルを数回歩いたことがある。もう消えたかもしれない本欄でもその感想を書いたことがある。往来しながらこれをなぜ観光化しないのだろうか、よい観光資源なのに、と思ったことがある。この観光資源を生かして観光化が成し遂げられた。
 それぞれの出入口の案内版をみて福岡県と山口県の関心の差が目立つ。北九州市門司港の観光鉄道和布刈トンネル「やまぎんレトロライン」が観光客を楽しませているという。下関は歴史的な観光資源を多く持っていながら生かせていない。聞くところでは決まり文句で「予算がない」という。否、「アイディアがない」と感ずる。新しく市長になった人は「真面目な人」というイメージで云われているが、それは悪くないが、まじめさに突飛なアイディアが加わったらもっと良い。門司のトンネルの観光化に学ぶところが多い。

老いを生きる

2009年07月30日 05時47分32秒 | エッセイ
 私の先生は高齢ではあるがほんとうに元気な方である。先生は今も論文を書いておられ、意欲を持っている方である。この頃は視力や聴力、歩きなどに支障があり、娘の介護を受けている。先生は年をとっていることを、「産婦人科の病気以外はすべての病を持っている」と言われる。娘はどうしょうもない表情をしている。先生は若い時から社会に対して鋭い批判を語ったが、いまだにその態度は変わりはない。また老いの生活に不評も多い。
 先生の「老いを生きる」のをのぞいて見ながら私自身も老いを生きる歳になったのを覚った。老いの生活は病気に掛かり易く廃れたような惨めな生活かもしれないが、良い側面もあると思う。身心ともにいろいろな欲望から解放されて本当の自由な人間になるとも感ずる。また長い過去を持っていて、「歴史古い人」として若い者には経験豊かさを生かして助言もできる。老いを惨めに受け止めるか、世俗の欲望から解放された神仙(?)として生きるかはその人の生き方であろう。

伊藤博文と安重根

2009年07月29日 05時59分40秒 | エッセイ
 私が住んでいる山口は日本の総理大臣を多く生み出すことで有名なので本欄でも触れた。その初代の総理が伊藤博文である。最近彼のカーラー写真が発表された。写真を見ながらこれからは白黒のカーラー化が可能であろうと思い、安重根のカーラー写真も登場するだろうと思っている。白黒写真の画層をカーラー化するのが一般化するとまた楽しみが増える。
 それより日韓における伊藤と安の関係はどうなるのだろうか。安氏は伊藤を暗殺した殺人者か、反植民地の英雄か。また伊藤氏は偉大な政治家か、アジアへの侵略主義者か。韓国人が北朝鮮を訪問して熱士陵や故金日成に頭を下げたことが非難されたことがある。アメリカとイギリスの間ではジョージワシントンに関して相反する評価があり、国家間には常にこのようなことがある。朝鮮半島が統一すると南北の朝鮮戦争の英雄たちは互いにどう扱うのだろうか。
 国家間の話だけではない。個人の問題でもそうであろう。小さいこと(?)で人間関係を切る人が多い。過去の過失を根にもって敵対する人もいる。人を恨んでしまう。それらの相手が多いと多いほど不幸であろう。心から許すことは本当に難しい。感情では許せなくともまず頭の中で考え、心でも複雑な葛藤の過程を経てからようやく相手を許すことができるようになるのかもしれない。

友人と金銭関係

2009年07月28日 05時37分17秒 | エッセイ
 韓国では親しい友人とは金銭関係をしないという言葉をよく耳にする。私は友情を持って協力を求められた人に多額のお金を詐欺されたことを思い出す。友情が壊れお金も損した。このような体験をした人は少なくないと思う。しかし友人と協力しなければ誰と協力すればよいのかということになる。よい友人関係が金銭関係で悪くなった話もよく聞いている。友人は金銭関係という営利を目的にしてはいけない倫理のようなものがあるのではないかと私は思う。私は金銭に営利を狙うことをしていない職業であることを幸せだと思っている。私の態度は賢明とは思えない。
 ある近所の人から聞いた話。建物の一部を修理するところがあって友人関係のある人に頼んでだまされたと憤慨していながら我慢するという。友情を利用したり粗末にしたりしてはいけないと思う。私が長く付き合っている人の中には金銭的には一方的に私が損するような人もいる。しかし私は小額かもしれないものでも彼を支援するという心で満足している。また人が好意でやってくれる場合には好意をそのまま呑みこむのではなく十分報われるように配慮しなければならないという心構えを持っている。友情や愛情は金銭関係も世俗的な営利さえも超越する。そして楽しい人間関係になる。説教的な話になってしまった。
 

純粋なる敗北主義

2009年07月27日 05時47分48秒 | エッセイ
 今日は1953年7月27日朝鮮戦争の休戦記念日である。日本ではその日のことを覚え、記念する人はいないであろう。しかし私にとっては忘れられない日である。その年、私は中学校に入学した。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発して丸3年過ぎたこの日に休戦か停戦になった。日本の植民地、大東亜戦争から解放と終戦によって独立したと思ったら朝鮮半島が38度線で分断された。そして朝鮮戦争が3年間も続いたのである。
 朝鮮半島の悲劇は「休戦」「停戦」によって続く。それらに比して「終戦」は勝利と敗北がはっきりする。戦後、韓国と北朝鮮の政府はそれぞれ朝鮮戦争を「勝利」だと宣言した。つまり敗北ではない。韓国は民主国家を守るのに、北朝鮮は社会主義を守るのに勝利したということであろう。しかし戦争を起こしたことや統一できなかったことへの失敗は認めなければならないのに純粋なる敗北主義は存在しなかった。そして今も南北は互いに脅威である。
 日本では「終戦」とは言っても「敗戦」とは言いたくない人もいる。しかし戦後の日本は敗北を認め、復興へ、そして「戦争をしない」ことを憲法で守っている。しかしアメリカでは「正当な戦争論」(Michael Walzer)が論じられている。私は強く脅威として感じている。

サバティカル

2009年07月26日 06時41分19秒 | エッセイ
 台湾からある学者のお見舞いメールをいただいた。彼女は大学のシニア教授としてサバティカルで研究調査をしているという。サバティカルとは、6日間働いた後、7日目は安息日とする旧約聖書に因んで長期間勤続者に対して職務を離れる長期休暇制度である。彼女のメールを見て羨ましく感ずる。私は大学で40年以上勤めてもそれには恵まれなかった。8回も職場を変えたこともあるがそれを強く求めなかったこともあった。
 彼女も職場や仕事から一時的に(大体1年)解放されることであろう。しかし彼女はサバティカルで台湾で調査をするという。より集中的に研究することである。外国から日本にサバティカルで来ている人をみると様々である。本当に経済的に恵まれた環境で精いっぱい楽んで帰国する人もいるし、精一杯研究していく人もいる。
 もしサバティカルという制度が研究を中断させるのなら悪い制度であろう。昔私が推薦して良い環境を生かせず帰国した人を思い出す。人生においてせっかくのよいチャンスを生かせないことは心痛いことでもある。

洪水

2009年07月25日 06時33分56秒 | エッセイ
 山口に大雨が続いて十数人も死亡している。網走に住んでいる家内の兄から心配の電話も来た。この雨が北海道に行くニュースが流れている。なぜ先進国という日本で洪水で人が死亡するのであろうか。
 洪水とは人類歴史からも自然災害の代表的なものである。聖書をはじめ世界的には洪水神話が広く分布している。洪水によって汚い俗世の天地が開闢して新しく変わる、世界は千年毎に変わるという「千年王国」という信仰である。韓国では王朝(李氏朝鮮)が500年になると鄭氏が現れ、政権が変わるという民間信仰があり、李朝では『鄭鑑録』が禁書にもなった。
 山口は総理を多く送りだす県でもあり、戦後一党政治が50年以上も続いた自民党に変化のメッセージともいえる機運が広がっている。洪水を眺めながら大変な変化が日本にも起きるのではないかと不安と期待感を持っている。

女性天国

2009年07月24日 06時15分28秒 | エッセイ
 私の所持していた病院の診察券が女性(F)になっていることがわかって男性(M)に直してもらった。私の申し出に男性である証明なしで簡単に直してくれた。昔韓国の公証所で妻の身元保障をする時に私が夫だと言ったらそれは簡単に認められないと言われて、法律を扱う人に失望したことを思い出す。
 病院の待合室には女性が圧倒的に多い。昼の高級レストランでも女性ばかり、百貨店の高級なコーナーも女性用が圧倒的に多いことは常に感じていたが病院さえ女性が多いとは・・・。男性は仕事などで病気になっても我慢する人が多いかとも思う。男性は女性より短命である。日本の女性は美味しいものを食べながらおしゃべりを楽しみ、健康をよく管理して世界一長寿の国になったのかもしれない。健康、長寿が叶うなら私の診察券は女性(F)のままでもよいと思ったりした。

李香蘭の歌

2009年07月23日 06時06分28秒 | エッセイ
 先週末九州大学で公開上映した「兵隊さん」に李香蘭が軍部隊に慰問公演に行き、歌っている場面がある。彼女は当時の中国人、満州国の服装をしていた。聴衆の中には彼女に関心のある人もいてコメントや質問もあって、その一人の斉藤氏から「『北京の子守唄』だと思います。念のため、「北京の子守唄」の音源も添付しておきます。ちなみにこの「北京の子守唄」は当時人気だった古賀政男が作曲した曲です」というメールをいただいた。私は戦後韓国戦争の時、村に駐屯した米兵のレコードを聴いて耳でおぼえたのが後に李香蘭の歌であることを知った。
 映像を見せて視聴者からいろいろとコメントを聞きながら私の研究がプロ(professional)であろうかと思うことがある。一般的には専門外の人が口を挟む余地のないほどの研究がプロの仕事と思われるが私の専門という文化人類学は一般人の常識と非常に近くて素人と専門の区別が付き難い時もある。しかし学説や分析の方法などが一般の人よりプロといえる。最も専門と思われる医師の専門領域といえる注射も糖尿病患者の中には自ら行う人もいる。本当はプロと素人の境界は明確ではない。程度の差において資格を付与することもある。この度聴衆から多くの情報をいただいて、これから分析が楽しくなりそうである。

捕鯨会社の社長と歓談

2009年07月22日 05時14分03秒 | エッセイ
 捕鯨会社の社長とクジラについて長く歓談をした。私にとってクジラは異様なものである。中学校時代に学習の一環としてソウルから釜山まで行って巨大なクジラの実物をみて驚いたのが今までのクジラについてのイメージの全部である。メルビルの名作「白鯨」の小説と映画を通して、私の見学のイメージは少しは増幅されたかもしれない。
 私はクジラの生態はいまだわかっていない。クジラは多量の魚やプランクトンを食べるので魚を保護するにも捕鯨は必要だという。日本近海で捕れるクジラ類を乱獲しない程度に「調査捕鯨」するという。つまり方法や捕獲頭数などについて、各国・各団体のコンセンサスを得て行う「国策捕鯨」であり、商業捕鯨とは異なるという。
 それより私が彼の話に関心を持ったのはクジラ文化への彼の理解と情熱、そして合理的な経営方針の話である。彼は福岡の炭鉱地で生まれ育って、50代まで製材会社を成功させ、後に捕鯨に全力投球してきたという。経営においては能力主義と競争原理が主なようである。私は大学経営は特殊といえ、教育、そして共同体の特性を生かしながら行う点が異なるだろうと言った。成功者には信念と情熱が共通している。

「海の日」

2009年07月21日 04時36分23秒 | エッセイ
 7月20日は「海の日」である。この海の日の祝日は世界唯一日本にしかない。海辺に住んでいる私は平安な気持ちを持たせる海に常に感謝している。考えてみると海は悲惨な場でもある。近くにある関門海峡は源平合戦の場所、そして犠牲者になった平家一族の墓もある。昨日も水の事故で死亡した人が多くいた。韓国人は日本人より海を恐れている。水に溺れて死んだ人は怨霊として信仰される民間信仰がある。
 数世紀前までは海上権を持つ国が、スペインの無敵艦隊が世界を支配はじめ、植民地を持ちはじめ、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスなどが次々世界の地図上を植民地に染めていった。遅れながら日本も日ロ戦争で主に海軍の力で勝利し、植民地を持ちはじめ大東亜戦争に至ったのであった。
 私は「海の日」を日本の国民の祝日としていることをはじめて耳にした時、違和感を持った。しかし、「海の恩恵に感謝する」という平和的な趣旨を聞いて安心した。

友人になること

2009年07月20日 04時47分26秒 | エッセイ
 人間関係で、「友人」という関係を日々の生活から考える。友人と共にいる時間は平安で、平易な時間、楽しい時間であり、別に規制や形式もない。しかしただ一つ厳しい倫理がある。それは断絶や裏切らないことである。つまり信と愛のルールと言えるかもしれない。その意味では友人になることは安易なことではない。私は友人になるにも難しい義務があるように考える。
 私には最近まで三羽烏のようにしばしば会って談話したり仕事も一緒にしたりした友人がいた。その中の一人がここを離れる時、送別会をしたがもう一人が忙しいという理由で参加できなかった。私はその欠席をとても残念に思っている。送別されて韓国に帰国した友人がいなくなり大きい穴が空いたように感じているが、もっと大きい穴は欠席したその人である。彼とも遠くなった感があるからである。
 私もいろいろな会議に欠席したりして失礼なことが多いが、なぜ彼のことにそれほどこだわるのだろうか。それは「友人になる条件」を考えさせられたからである。友人や恋人になることは他の人間関係より楽しい反面、厳しい倫理があるはずである。友人や恋人から殺されることも多いからである。
 

九州大学で講演とシンポ

2009年07月19日 06時18分01秒 | エッセイ
 昨日は猛暑の中、九州大学で基調講演として「国策・プロパガンダ映画のむこうに」という題で講演して「植民地時代の映像をどう観るか」というシンポジウムでパネラーとして語った。会場は満員であった。シンポの司会は西日本新聞の平原奈央子氏、パネラーは有馬学教授、下川正晴教授であった。私は戦後の反日韓国で日本の植民地を研究しはじめ、さらに視野を広め、世界的に植民地を研究する中、良い映像資料がありながら研究されていないことから映像に関心を持つようになった経緯をまず語った。日本植民地政府は植民地朝鮮のプロパガンダ的、あるいは朝鮮植民地の状況を広く宣伝するために映画を作成しており、それに関心を持ったこと、そして「志願兵」「朝鮮海峡」「兵隊さん」を3本セットで公開する意味を語った。
 「兵隊さん」は私個人として面白い作品である。私は陸軍大尉として陸軍士官学校の教官をした経験からその訓練の内容が日本の「兵隊さん」のものとまったく一致するところに驚き、「懐かしく、面白く、感動した」と語ってしまった。当然反論があると思った。そこにこの作品は「つまらない作品だ」と下川氏が発言した。期待した通り論争になりそうになったとき聴衆から多く手が挙がった。引揚者の証言的な意見と作品の見方にプラスになるものが多かった。私は人々が「つまらないもの」を研究しているかもしれない。シャーマニズム、植民地、捨てられた映像、そして数々の私の論文のテーマがそうかもしれない。

山口テレビで録画

2009年07月18日 05時13分34秒 | エッセイ
 下関には満州映画協会で勤めた曽根崎明子氏(82)が住んでいる。しかしこちらのマスコミの関係者も知らない。否、知っているかもしれないが、報道はしていない。地方のマスコミは地方からの地方発信より中央発信のものによる傾向が強いことは本欄でも時々指摘したように一般的な傾向である。中央誌などに報道されると刺激されて取材するのが普通である。
 この度山口放送KRYのPDは下関にこのような人物を発見して、地方が発信するという姿勢からプログラムを制作するという。満州映画協会は1936年に設立され日中戦争、太平洋戦争期において国策映画を多く製作した。現在中国長春の映画製作所として観光化されている。去年見学したが、詳しく倉庫なども見たいのでこの夏、曽根崎氏と同行して担当者に協力してもらい、撮影したい。
 宣伝映画の「宣伝」は悪く言われるがそれはその時代だけのことではない。先入観なしで植民地作品を鑑賞してほしい。

「兵隊さん」

2009年07月17日 05時33分46秒 | エッセイ
 明日九州大学大学院で最近韓国で発掘された映画「兵隊さん」を日本で初めて一般公開、上映し、私は「国策・プロパガンダ映画の向こうに」という題で講演する予定である。ソウルから朝早便で福岡へ飛び、竹田仰教授と平原奈央子記者(西日本新聞)と打ち合わせをした。7月13日西日本新聞朝刊にはこの講演会とシンポジウムのパネラーである大分県立芸術短期大学の下川正晴教授が7段で「植民地研究の新たな視点」という論説を話題にしながら宣伝効果などに話を進めている。これから定期的に公開しながら研究会で議論していくことも検討した。
 今度は宣伝が思いのほか多く広くなったようであるが、参加者数は予測未知である。この度は博多の文化レベルを知ることができると思っている。参加者の数、つまり文化への関心は都市の人口規模とは比例しない。たとえば大阪と京都では市民の文化への関心度は京都が大きく参加者も多い。韓国でいうならば釜山と大邱を比較してみると前者が後者より人口が2倍以上であっても教育や文化レベルは比較ならないほど低い。港町の人はお金に関心が高く忙しい。個人も文化活動にどのくらい時間と金を投資するか、立ち止まって考えてみる必要があるのではないかと思う。