崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

著者を売る

2018年03月31日 05時27分54秒 | 日記

 執筆に没頭夢中になっている私の健康のために(?)散歩がてらドライブに誘われた。長府や唐戸の街道の桜が満開。車窓から鑑賞、田辺氏の事務所にお邪魔、先日の記念会で市議員のよし子氏が乾杯の音頭をしてくださったことへのお礼を述べた。田辺氏ご夫妻にはいつお会いしても嬉しい。帰り道に明屋書店にはじめて寄ってみた。山口新聞のコラムに寄稿中の鳥本志津代氏に声を掛けたかった。彼女は書店員として入社する前は、長府店の一ファンとして来店する側だったが、スタッフとして働くというエッセーを面白く読んだので声を掛けたかった。残念ながら非番の日だった。その書店に拙著『慰安婦の真実』が並んでいた。全国の書店で並べられている感があった。私も自分に必要な本を探した。多くの売られている本の題だけでは気に入った本がなかなか見つからない。本の題よりは著者の品格が気になる。「本を売るのではなく、著者を売る」という明石書店会長の言葉を思い出した。2冊の本を手に帰宅した。 


BBC,日本の花見 'hanami'

2018年03月30日 06時10分53秒 | 日記

人事異動

2018年03月29日 05時43分39秒 | エッセイ

 昨日辞令交付式に参加するよう電話があった。定年となる教授からメールが来た。人事異動の情報が新聞を埋めでいる。栄転や左遷があるだろうか。職位の上下、地理的に遠近などが移動の原理として作用する。別れと出会いがある。中には紙一枚でどんでもないところに飛ばされる人もいるかもしれない。私も多く経験してきた。転勤される人に一言いっておきたい。単身赴任をして、臨時にその場に行って、浮いた存在でいて欲しくない。是非、家族も一緒にその場に根を下ろして生活をして欲しい。時間を無駄に消耗してはいけない。転勤で点々としても、愛情と人間関係の広がりに挑戦してほしい。遠くに飛ばされる人もいる。それは左遷か栄転か考えるチャンス、そしてそれを生かす生き方をすべきである。


証言testment

2018年03月28日 05時44分13秒 | 日記

 昨日韓国から新しくきた留学生たちが研究室を訪ねて来た。留学生も日本の学生も新入生が多く増えたという話を聞いた。韓国の名門大学に合格した学生も来ている。嬉しい。佐川氏の証言の映像が流れる。証言はイエスの証言testmentのように純粋さと正義感がなければならない。それが信頼、信仰される。嘘と真実が混ざっても表情が変わらない、顔が赤くなる子供の顔により純粋さと良心がみえる。この証言を聞いて話し言葉への不信感が高まった。トランプ氏の言葉は乱暴かも知れないが信頼性がある。


萩から下関へ

2018年03月27日 06時07分36秒 | 旅行

 ホテルで朝、多くの人を見送った。萩から下関へ帰る道は迷った。運転は朴と平井の両氏の交代、私の風水的な感覚と道路表示板への感覚が多かった。道に迷って美祢に着いた。以前花見に来たことのある黄正吉氏宅を訪ねた。桜名所にある家、全くの突然の訪問、幸運にもにチャームのベルに奥さんの声。感激と爆笑の出会い、延々と談話、拙著へのコメントもあった。日韓両方の政府関係者が読むべき、客観的であると高評してくださった。昼食は、家内も加わって下関、満珠荘。

*写真は藤川氏撮影


「対談」

2018年03月26日 05時36分22秒 | 旅行

 萩至誠館大学に着いたのは会議時間のかなり前であった。会場探しを兼ねて自然豊かな大学キャンパスを見物もした。ソウルから来られた平井氏と合流、会場へ、会長の原田学長が現われ、会員20余名、下関から懐かしい顔の藤川氏夫婦らが来られ、定刻に比較文明学会「対談」が始まった。私から「小倉先生へ」という題で質問から始まった。小倉氏は私が「吉田先生」と言った「先生」という言葉に韓国人から言われたのは異例であること。朝鮮侵略の思想者として扱われる吉田をどうして「先生」というのか、私曰く、朝鮮の儒学、朱子学、実学と言われても近代的な思想にいたらなかったこと、その教育がこの萩で始まったことには注目すべき、さらに教育者として意義は評価されるべき、客観的ではない学者は学者の資格がないと断言した。そして小倉氏から慰安婦問題への質問、私は日韓どちらも味方をしない。どちらかを応援する面白さがない。しかし注目はしている。萩の友人金優氏が読んだが著者の意見がないのが不満のように語ってくれた。萩には韓国からの観光客が増えて嬉しいと言う人もいた。来るのを喜ぶだけではなく、その何倍も韓国へ行くことを考えて欲しい。その往来が自然に日韓関係を友好にする。私は戦争賛美ではなく戦争から教訓を生かして、学問や教育に臨んでいると主張した。延々と長い懇親会、中牧会長と友情を深める時間であった。


「教権保護だ」

2018年03月25日 06時43分57秒 | 講義

 私はに教壇に立っている者として前川氏の中学校での授業を文部省・国会議員が干渉したことは非常に気になっている。授業や講義は保護される教権がある。教育学講義で聞いた基本教養であり、「授業は神聖なもので侵害されるものではない」。日本では教権はほぼ宗教的に通用されているが、韓国では教育的な意味が強い。昔私がが勤務した時、陸軍士官学校では教卓にマイクが設置され盗聴されていた。
 
最近韓国・中央大学で教授が授業の中で「慰安婦」に触れて説明したことがメディアに取り上げられ話題になった。大学側は講義中に事例として言及したのは「教権保護だ」と明らかにした。前川氏の授業に自民党議員、文部省が関与したのは教権に関する知識が乏しいと言えざるを得ない。


小倉紀蔵氏と対談

2018年03月24日 06時07分05秒 | 研究業績

 明日萩の至誠館大学で小倉紀蔵氏と対談する。何が話題になるのか、何を聞かれるのか。準備した文章を読むのか。否、考え方を「生の言葉」「自然な言葉」で話し合いたい。今証言や喚問が話題になっているが、多くは書いた文を読むか口演する。我々の生活言葉は純粋、真実なものである。時には誇張や嘘っぽいもの、不分明、失言、妄言のようなものもある。しかし我々の生活の基礎は生の言葉である。真実があるから言語生活が成り立つ。フロイドは「失言」slipこそ本性だと指摘した。国会中継は主に棒読みが多いが、拍手やヤジなどがあって生の感がある。証言は真実の言葉で、自然な言葉によってなされるべきである。生の言葉や記憶は信用されないのか、証明がなかなか認定され難い。文書、特に「公文書」だけが主な資料とされている。しかし自然な言葉が無駄とされていけない。

比較文明学会北九州支部・関西支部&至誠館大学合同集会の開催について

ご参加の程、よろしくお願いします。

〇 日 時 :2018 年3 月25 日(日)14:15~16:35      申込不要 

〇 会 場 : 至誠館大学 明教館1号棟(102教室)

〇 入場料:無料

〇 テーマ :いま、朝鮮思想史を語り合う

〇 プログラム
 司会 吹田市立博物館長 中牧弘允(比較文明学会関西支部長)
 14:15~14:20   挨 拶   至誠館大学学長 原田憲一(比較文明学会会長)
 14:20~15:50   対 談   京都大学大学院人間・環境学研究科教授 小倉紀蔵
              東亜大学教授・広島大学名誉教授 崔吉城
 16:00~16:30  質疑応答
 16:30~16:35  閉会の辞 九州大学大学院教授・板橋義三(同九州支部長)
 18:00~20:00    懇親会@ホテル美萩

 〇 対談者プロフィール

小倉紀蔵:1959 年東京生まれ。東京大学卒業。
ソウル大学校哲学科大学院博士課程単位取得退学。専門は東アジア哲学。著書に『朝鮮思想全史』(2017 )、『北朝鮮とは何か』(2015 )、『心で知る、韓国』(2005 )、『韓国は一個の哲学である』(1998 )など多数。
崔吉城:1940 年韓国京畿道生まれ。ソウル大学校卒業。
成城大学大学院博士課程修了。文学博士。専門は民俗学、文化人類学。著書に『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』(2017 )、『植民地の朝鮮と台湾』(2007 )、『哭きの文化人類学』(2004 )、『恨の人類学』(1994 )など多数。

 


ピアノ練習

2018年03月23日 05時39分23秒 | 日記

 昨日権藤博志氏が私の講義を撮影したものを読書会で鑑賞し、留学生白君を助手として編集作業を付託した。留学生と日本語、外国語に関する問題点に絞って話した様であり、教育用の参考映像として提供したい。
 先日返礼
商品から選んだピアノ練習用の楽器を持って今練習している。音痴の私のもう一つの挑戦、研究の始まりである。楽譜と音の一致の教育を受けてない私、中学校と大学で理論的には作曲の基礎まで試みたことがあるが人文系入試中心の教育では音楽の基礎はない。趣味としては笛などを吹いたりしたがピアノは全く触れる機会がなかった。しかしいつも簡単にできると思っていた。それはタイプライター、コンピューターのように文字を見ないで指で覚えて打てると思っているからである。笛を吹くには息や音声の延長で微妙な調整が必要であるが、ピアノはタッチだけで十分だと思っていたが、実は音程などがはっきりしており、ハーモニーになど、より複雑なものがあると思い始めている。


大学卒業式

2018年03月22日 07時03分56秒 | 講義

 寒い春、朝から多くの人と会った。毎年迎える大学卒業式であり、例年のことであるが、懐かしい顔が去っていくという寂しさも感じた。中には学部の学生の韓国のドヨングァン君、渡辺雅之君などが賞を複数授与され、修士の前田よしみさん、そして私が指導した林楽青氏などの顔があった。学生の母親や卒業生たちと記念写真も撮った。研究所の研究室には多くの人が出入りした。夕食は林、前田による謝恩夕食会を楽しんだ。数日間日本の財務省の改ざんに関する嘘隠しの力弁から離れての時間であった。卒業生たちが社会・世俗へ出て適応、学ぶことが始まるだろう。卒業生たちが世俗化されるのではなく、彼らがこの不正なる世俗世界を正す革命者になって欲しいと切に祈った。 


古川薫先生に面会

2018年03月21日 06時09分48秒 | 日記

 昨日は強風雨の中、安岡病院に行った。行く途中で梅光大学新築工事の現場を見下ろし、大学発展のために努力する様子が伝わる。海岸のリゾートホテルのようなロケーション、すべてのスタッフが挨拶、親切、それは経営方針のように感じた。人文・自然環境が理想的、経営など羨ましく思った。古い知人である安岡病院の吉岡陽子氏を通して、古川薫先生に面会を願った。先生はベレー帽、サングラス、正装して、奥様の押す車椅子で、フロアーに現れた。お元気になられて大学で講演をお願いするなど話をした。下関に来てから先生とは講演、対談など多くの時間をともにできたことに感謝を込めた面会時間だった。

 


偽り(?)の政治

2018年03月20日 05時35分29秒 | エッセイ

 友人の文化人類学者の末成道男氏から「おくればせながら」と頌春メッセージが届いた。貧血で入院したが今はお元気であるというお便りが嬉しい。葉書の余白に本欄FBの愛読者であること、「あれだけ広く深い内容は発信するのも大変なのでしょうね」と書いてあった。なんと励まされる言葉であろう。
 ロシアではプーチン氏が4回目の大統領当選、習近平国家主席100%当選などのニュースをみて、冷戦時代の構図に戻った気がする。韓国が38度線から休戦線・軍事境界線が赤と白の境界線として大事にすべきだと思った。しかし最近の状況では韓国や日本も不安である。韓国の「親北」が境界線を壊すのではないか、日本の偽り、誤魔化し(?)の政治が独裁化するのではないか、不安が湧いてくる。王朝時代の奴隷臣民史が長かったので市民の「臣民」へはそれほど抵抗がないだろう。民主主義のマジノ線を引くべき時である。


「日本の風俗史」

2018年03月19日 06時18分00秒 | 研究業績

 今まで好評の中、ある研究者から献本をいただいてお返しとして最新拙著『慰安婦の真実』を送ったら「慰安婦に関心がないがこれから勉強する」というメールが届いた。書評や反応、批判なども含めて検討したい。新年度には国際日本文化研究センターの井上章一先生主催の研究会の共同研究員になる予定である。「日本の風俗史」がテーマ。私はできれば性風俗、特に慰安婦問題をあつかいたい。政治や噂を越えてトライしたい。関心ある方が参加し、討論ができればと思っている。関心ある研究者の参加を願う。*写真はbook.off古本屋で見つけた拙著の「雀様が語る日本」


「わろてんか」

2018年03月18日 06時41分19秒 | エッセイ

 私がPCから離れず執筆に夢中になりすぎな状況をみて健康が気になった家内の進めで外出することとなった。権藤夫婦を昼食に誘った。模様替えの最中でも喜んで応じてくれた。韓国ドラマジャイアントを夢中で見ているとトーンを高め勧められた。帰宅して早速ネットで最終回を見た。1970年、釜山。両親と兄妹と共に幸せに暮らしていたが、金塊密輸に巻き込まれてしまった。兄妹は生き別れになり、復讐などのストリーである。実話に基づいていると勧められた。相当はまっている。それは私たち夫婦も多くの韓国ドラマにはまったことがある。NHKの朝ドラ「わろてんか」では戦時中の慰問公演や映画検閲など私の研究の参考になるので見ている。ドラマや映画は基本的にはフィクションで歴史教科書ではない。描かれた真実やメッセージを読み取って楽しむのである。今は「黄金色の人生」にはまっている。ストリーや構成も良いが、何より俳優の心理的な演技に引かれている。心配なのは無理なハッピーエンディングである。人生すべてがハッピーエンディングでは少ない。金日成、毛沢東、スターリンなどの独裁者だけかもしれない。


おめでとう「林楽青博士」

2018年03月17日 05時40分27秒 | 研究業績

 今週火曜日に開かれた大学院委員会で私はいつになく緊張した。中国からの留学生の林楽青氏の博士論文「満洲映画の研究」の審査の最終会だったからである。私が報告し、投票などの過程をへて、無事に認定された。なぜ緊張したのかというと彼がが総力を上げて努力したので将来、学者への道を展望し、期待しており、映像資料が多く残っているのに書誌的な研究が多く、それを超えた研究を私の夢も含めて指導した結果を待つ気分だったからである。21日の卒業式を楽しみにしている。私から記念品を上げようと準備している。私は日本留学して博士課程に入ってから受理されず13年間まち、結局他の大学で論文博士になったことを思い出し、学生には公平に対応しようとして多くの学生を指導してきた。*写真は昨日林氏から送られてきたボールペン。