崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

日韓文化交流の計画

2013年01月31日 05時16分01秒 | エッセイ
 昨日下関市の文化振興財団の関係者たちと新年度の日韓文化交流について話し合った。韓国の大都会の釜山市と日本の辺境地の下関市とは姉妹関係であり、対等な交流は難しいと思われるかもしれない。しかし規模にこだわらず歴史や文化の面では活発な交流が対等に行われてきている。毎年釜山市から通信使行列などで100人を越える人が派遣されて一時市全体が賑わう状況で楽しまれている。下関は映画、文学など全国的に知られており、 関釜連絡船は100年以上の歴史をもって釜山と往来している。
 私の文化交流の提案が肯定的に前向きに受け入れられて議論し、進行させていこうということになり、嬉しくなった。金大中大統領の日本文化の開放、「冬のソナタ」以来日韓関係が最高潮であったのに李明博大統領によってこじれたことはとても残念である。しかし民間レベルでの交流はまだ盛んであり、友好関係はそれほど低下していない。
 私は提案しながら二つを強調した。一つは山口と朝鮮半島の歴史、植民地時代の日本人村、当時炭焼き来られた韓国人のことに触れた。黒井に在住の歌手李陽雨氏をピックアップして「炭焼き文化」を発掘していくこと。もう一つは東亜大学の留学生たちの活力で市民との交流のイベントを推進することである。大学に戻り留学生と日本人学生との交流会に参加して盛り上がった雰囲気で、日韓交流の活発さを感じた。「これで行こう」という確信ができた。

匙加減

2013年01月30日 06時18分17秒 | エッセイ
 他人に好意をもって行った行動が誤解されたり相手から悪く思われて返ってきたりすることは誰でも経験があると思う。最近私も好意を持って行なったことがむしろ悪く思われ不快な思いをしている。このようなことは政治家たちはもっと多く経験しているのではないだろうか。有名な典型的な例としてはイエスのことが挙げられる。彼は人類愛を叫び歩活動中に捕まって十字架につけられて処刑された。私は信仰も信仰であるが、彼の人生から慰められることが多い。善意、好意によるものが失敗、反って自分に悪い結果として戻ってきた辛い時イエスを考える。
 私は小さいこととして人に好意をもって行ったことが誤解されるケースが多い。おそらくそれは私だけのものではない。ただ私が過剰に考えているのかもしれない。そのことを考えて、反省してみたい。自分の好意、善意が正しいか、それが相手にも正しく伝わったのかを検証すべきである。問題は相手が知っているだろうという、暗黙の前提が間違っている場合があるのではないか。つまり善意、好意は問題がないが、それを正しく伝えたのかである。積極的に伝えると自慢や傲漫となり、消極的になると不理解、誤解になる。その微妙な程度、距離を適度に把握することが大事であり、それが実に難しい。しかし、社会生活の基本であるといえる。昨日人類学者の鵜澤氏と談話で新しく日本語の「匙加減」を教えてもらった。私だけの話ではないと思い、ここに記しておく。

陰暦では時間が遅くて(?)

2013年01月29日 05時20分41秒 | エッセイ
小倉在住のドイツ語専門の赤毛先生がフェスブックに書かれた文を見つけた。そこに載っていても時々知らず失礼することがあるが、今度は早く気が付いた。「おつかれさまです。Koreanistikの古いファイルから1982年(S.57)九州史学会研究発表要旨が出てきました。「沖縄・韓国の比較民俗学的視角」(啓明大学校崔吉城)と題するものです。数次にわたる現地調査をもとにした実証性のある内容とお見受けしました。もっとも、門外漢の自分としては「琉球弧」といったmythologischなロマンに魅かれますが。」。実は当時韓国からパスポートが間に合わずこの会議には参加できず家内が代わりに参加しました。
 また小生のブログへの今朝早く黒羊氏のコメント(2013-01-29 03:03:51)「信仰の伝道することではなく、知識として宗教理解の教育はもっと必要である。今年から下関市では「下関文化らく~ざ(楽座)」というのが開催されますが、この様な場所で、宗教理解の講座が開かれても良いように思います。」にも感謝である。
 古いスクラップの中から広島の「中国新聞」に私が当時広島県立広島女子大学の原田環教授と対談した記事を見つけた。二人とも若かった写真が懐かしい。原田先生とは共同編集や教育と研究などで長い間協力関係にある。私は広島大学を定年して東亜大学へ移った。彼は去年定年の時多くの蔵書の一部を私が所長を勤めている研究所へ寄贈をしてくれた。離れて暮らしてもその距離感は感じない。親しい友人でも信頼性が薄い場合があり、逆に遠く離れている人からでも信頼されることもあり嬉しい。多くの読者とは距離を感じることなく文通ができるようになった。韓国では旧友が多いが、高齢になってインタネットで文通もできない。久しぶりに韓国から遅れながら年賀状がメールで送られてきている。日本では正月が過ぎ、バレンタインデーを迎えるが、中国文化圏ではまだ正月までは随分の日数が残っている。新年なりすでに一月も下旬になって早さを感じているが、陰暦では時間の流れが遅く感じられて(?)それも良いとも思える。(写真は「中国新聞」2001.7.27)

「聖戦」

2013年01月28日 05時34分09秒 | エッセイ
日本の企業がアフリカで石油や天然ガスの開発の過程でイスラム武装勢力による人質事件で日本人10人を含め8カ国の外国人40人弱が死亡した。そもそもイスラム過激派の聖戦信仰が後ろに横たわっていることを理解すべきである。それが再発防止であり、日本のアフリカなどへの進出のためにも必要であろう。テレビや新聞などで「聖戦」ジハードという言葉を聞き、読むと多くの人は異様に感じ、また多くの人は日本の戦前の皇民化政策と大東亜戦争でよく聞いたことを思い出すであろう。つまり現在では聖戦という言葉は異様である。
 イスラムの聖戦については以前本欄で触れたことがあるが、『コーラン』に神の道のために奮闘せよという「奮闘」「戦争」から「異教徒との戦い」「防衛戦」として使われている。聖なる経典の教えからの「聖戦」は「聖」の暴力であることを理解してほしい。子供の時から宗教化、教化、教育によって人はそれなりの人になりうる。
 日本は1937年日中戦争の勃発以降皇民化運動(天皇の臣民)で学校では「忠良ナル皇国臣民」の教育、国民精神総動員運動、愛国班をつくらせ、宮城遥拝、神社参拝、「国旗」掲揚、皇国臣民の誓詞斉唱、愛国日などで聖戦に参加した。終戦後それらから解放されて教育によって現在日本人は自由民主主義を享有している。しかし北朝鮮では戦前が連続しているような感がある。私は教育に携わっている者として教育の怖ろしさも常に戒めている。
 聖戦思想は怖い。しかし怖いからといって逃げるわけにはいかない。グローバル化している時代において、いつどこで聖戦が起きるかもしれない。日本では宗教や信仰というものはオカルト、オウム真理教のように思われ、避ける傾向が強いが、信仰の伝道することではなく、知識として宗教理解の教育はもっと必要である。私は日本宗教史の科目を担当しながらイスラムのコーランなど、先週は聖戦について講義した。他の宗教への理解を求めてのことである。

私の日本語

2013年01月27日 05時30分57秒 | エッセイ
ネット上でダウンロードした注付きの小説「金色夜叉」を読みながら昨日書店で新しく「金色夜叉」を購入した。その作品を読んでいると話題にしたらある女性から「古文なのに大丈夫ですか」と聞かれた。また昨日ある友人からも私の日本語はネーティブではないからと言われた。この話は外国出身者の日本語は決して完全にはなれないことであり、私は納得する。それは同時に日本人の外国語も永遠に言葉の壁を越えられないということを意味するだろう。さらにその外国語への意識は言葉だけの話ではなく、日本人の他者意識ともつながる。私は以前本欄で「私の日本語は下手である」と告白したことがある。今度の新著では「日本人の日本語も問題」という趣旨の長文を載せようとしている。その一つが「日本人の日本語も下手」ということ、特に日本の文字である漢字とスピーチのことである。
 フェイスブックの「友人」竹中英俊氏は「朝日新聞」の記事を引用しながら日本語の文について書いているhttp://www.facebook.com/hitakenaka。「1946年当用漢字の告示」は日本人が漢字を「楽に読み書き」するようになり、ローマ字化を阻むようになったという。漢字を制限してその漢字だけの識字率が高いが、実際漢字が無限に使われており、クイズの対象にもなっている事実を私は「文盲率が高い」と皮肉った。漢字の読み方が多くて煩雑であることは語彙の豊かさも意味し、必ずしも否定的に思うことではない。しかし「漢字」は日本国の文字でありながら読めない人が多い国は世界で他に例がないだろう。語彙の問題は漢字を使わなくても可能であることはハングル化した韓国の例をみても参考になる。日本語の表現表記の向上を話題にしながらもその記事が良い文になっていないと竹中氏は指摘している。同感であると思いながら自分の文を再読する。

『東京物語』

2013年01月26日 04時55分20秒 | エッセイ
1953年小津安二郎監督の『東京物語』を鑑賞し、昨夜のNHK広島TVの金曜スペシャル「尾道人情物語り」を連続して鑑賞した。前者は年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京して尾道に戻り母が亡くなり、葬式を済まして父親を残してサッサッと帰る息子や娘たち。非常に平凡な日常をドキュメンタリーのように細やかに描写して、家族の絆と、その喪失を予告している作品である。亡くなった息子の嫁の紀子に再婚を勧め、独身を通すか、不安を打ち明け、涙を流す紀子に、周吉は妻の形見の時計を与える。日本の家族や社会の変化、特にその変化の中に愛の希釈化していく寂しさを語っている。しかし昨夜の番組では尾道の坂道に住んでいる人たちは薄れた隣人愛の絆で生き続ける話である。尾道を歩いた私の記憶と二重三重にダブって社会の変化を感じている。伴侶を亡くして一人で海を眺めていきる老人、子供を叱る価値観の「孝」もない社会にただ生きる道を、多くの人が立たされている。人生を考えさせられる名作と思った。

講演「金色夜叉」と「長恨夢」

2013年01月25日 06時19分00秒 | エッセイ
先日田中絹代塾で講演したものが長周新聞に報道された。この新聞は歴史は長くても特殊な思想偏向を持っているような下関の地方新聞である。下関に住むようになって以来定期購読している。主に文化面に目がいく。特に竹下一氏の記事は要領よく正確にまとまれていて、多くの愛読者がいる。私に関する記事などもそうである。ここに先日の記事全文を紹介する。

日本と韓国の描き方の違い:講演「金色夜叉」と「長恨夢」崔吉城教授が二つの映画を解説

「金色夜叉」と「長恨夢」と題する講演と映画上映が20日、下関市の田中絹代ぶんか館で開催された。
 講師の崔吉城・東亜大学教授(東アジア文研究所所長)が、尾崎紅葉原作の『金色夜叉』(1937年、清水博監督)とその韓国版とされる『長恨夢』(1968年、申相玉監督)の二つの映画を比較しながら生活習慣の違いや監督の技法を解説。シェークスピアのような「多くの人人の内面の反省を迫る」作品とは異なり、「金権主義と恋愛」や「社会的に成功したが金で堕落する問題」などを通俗的に描いた小説、ドラマだが、それを通して文学、映画、ドラマが持つ普遍性についての論議となった。崔教授は、未完成で終わった新聞連載小説『金色夜叉』が昭和には入って映画や新派劇となって影響を与えたこと植民地朝鮮でも趙重桓が翻案した『長恨夢』が『毎日新報』に連載され、幾度か映画化され今なお「李守一と沈順愛の悲愛物語」として広く知られていることなどを紹介した。
 また、「金色夜叉は日本帝国の文学、映画などが植民地に大きく影響した典型的な事例だ」と指摘。戦前の日本の植民地統治下の映画製作について、満州では映画を作られたが、台湾や朝鮮では作らせず、日本国内や朝鮮総督府で作った」が、戦前のフィルムが残っていないことにも触れた。金色夜叉はダイヤモンドに目がくらんだ女性を「超明治式の婦人」として描いたが、韓国では、自分の過ちを真底悔やんだ「烈女物語」として改作されている。
 崔教授は、「今は著作権が問題なるが、当時は世界的外国の文学作品をもとに、その国の実情に即して創作るる「翻案文学」と言うジャンルが存在したこと、「翻案小説は多く商業性と植民地的特性を反映する。とくに商業性は近代に目立つ特徴で、翻案は創作的技法の一部として活用された」と指摘。金と結婚をめぐって通俗的に描く流れは、今の韓流ドラマにも通底するものであることも論議になった。

非暴力主義運動を

2013年01月24日 05時23分24秒 | エッセイ
 アルジェリアの人質事件で多くの犠牲者を出した。日本人は安否不明の1人、死亡が確認された日本人は計9人になった。人の命を盾にした人質に対して殲滅撲殺によって多くの犠牲者を出したという報道が蓮日続いており、心が痛い。誠に残念な事件である。その悲惨残虐の状況から死者確認さえ難しいという。テロや人質は人命を賭ける悪い暴力であり、それを根絶しようとすることは当然であろうが、それが難しい。戦争であれば勝利と敗北で終わらせることができるが、テロであれば対応が不可能である。防衛しかなく、それが難しい。その対策のためにテロの本質を明らかにすることが重要である。
 今度の人質の武装勢力とはリビアの政権崩壊から生じたものと言われている。過激派の後ろ楯はイスラムの「聖戦」という信仰や思想があることに注目すべきである。そしてイスラム過激派の武装勢力はなぜ人質事件を起こしたか、根本的に分析して欲しい。今から数十年前までの近い歴史では多くの被植民地において暴力的な民族運動が多く、今も正当化されている。なかにはインドのガンジーのように非暴力主義の運動家として有名な方もいる。本当に偉大な人物である。

麻生太郎「延命治療」

2013年01月23日 03時41分51秒 | エッセイ
麻生太郎財務相が社会保障制度改革国民会議で「いいかげんに死にたいと思っても生かされてしまう」と延命治療を否定する発言が問題になっている。私は政治家の妄言、失言を問題にする風土を批判する文を本欄でも触れたことがあるように、今それを問題にするわけではない。特に本人が「個人の人生観を述べただけ」と言ったので、彼と同年代の私も個人的には似ている人生観を持っていながらも、社会倫理として重要な話であるから考えてみたい。
 まずこの世にはどんな人間が生きるべきか、生きる資格があるかという生命倫理を考えることである。萎れ死んでいく人、生まれなかったら良かったような人は生きる資格がないのかという問いである。この地球には健康な人だけが生きるのであろうか。極端に言うと働く能力者、立派な体格者、美人天国を理想とするのか、と問われる。この世にはすべての生き物が生存する資格と権利がある。
 このような価値観や生命倫理は大学生時代に哲学の時間などで教養として認識している。教養科目を無視して専門科目ばかり中心の教育制度の改悪、教養のない指導者を産出、教育の終末、それが終末医療を担当するという。「人を殺すな」という戒め、人それぞれ完全な存在である。病者や障害者、犯罪者も生きる資格と権利があるという認識に基づいて政策を立てるように提言したい。

形見分け

2013年01月22日 05時31分28秒 | エッセイ
家内の姉から夫の形見分けが届いた。生前愛用したマフラーである。綺麗にドライクリーニングして新品のようなものである。彼が生前愛用したものを思い出として早速巻いて愛用することにした。先日講義で日本の形見分けについて触れた時中国の留学生は嫌な表情をした。日本ではどうであろうか。一人の日本人の女子学生は絶対嫌だという。日本では死者の生前の衣類や持ち物を近親者などに喪が明けてから分与する習慣があるが、それは無くなるのではないかと思った。韓国では死穢観念が強く死者が愛用したものは不浄があり、祟るという信仰があり、死者が使ったものの多くを死の直後燃やす慣習がある。その不浄については私の韓国語、日本語、英語、フランス語の論文がある(『韓国民俗への招待』風響社)。
 宗教的には死者の遺品には不浄という観念があるが、(韓国では)社会文化的には「垢」のついた祖先の思い出とも言われている。日本では垢とは汚いものと思われるが使った痕であり、証である。韓国のシャーマン儀礼では死者が着た服は死者の象徴、あるいは供物になっている。村の境に立っているチャンスンやソナンダンには上着のジョゴリの汚れたドンジョン(襟)を捧げる。この死者の汚れた垢は不浄なものではあるが、一方では人が着用するために作られた文化遺産という脈絡からも解釈できる。私の住んでいる近くに垢田という地名がある。偉い人が訪ねたという民間起源説がある。今不浄を浄化する処置が多く行われるが、垢の遺産を尊重することも考えなければならない。

「長恨夢」

2013年01月21日 06時00分04秒 | エッセイ
 予定通りに「長恨夢」(申相玉監督、1969)を上映した。1時間ほど前に田中絹代塾の会場で準備しているうちに観客が満員になっていて本番の前に1937年の「金色夜叉」の映画を流しながら勉強会のように始めた。尾崎紅葉の小説を読みながら映画をみてから韓国映画の「長恨夢」を見て、分析した。日本人では貫一とお宮の恋愛とダイアモンドを知らない人が少ないように、韓国人では李守一と沈順愛の「ダイアモンドか愛か」を知らない人がないほどポピュラーな話の根源である小説、映画、歌などを聞きながら見ながらの長い時間をかけて準備したものの研究発表のような時間であった。映画から見る日韓文化の違いを探してその意味を映画を早送りや停止画像で説明するなど比較して説明した。討議には字幕と弁士関係、翻案というジャンルに関する時代性、映画音楽などに関するものが主であった。多くの人が集まって関心を見せて下さり、嬉しかった。広島や福岡からも講演を誘われている。もっと分析すべき点も多く出ているので準備をさらに深め、新著になることを目指している。皆で本を書くような気持ちで映画講座を立ち上げたい。その本題は「映像から見る日本帝国」と仮につけてみた。読者からの意見を求めたい。(写真は聴講者たちの表情)

人生はドラマではない。ただ自然なまま、「未完成」だけである

2013年01月20日 04時51分23秒 | エッセイ
 今日は田中絹代塾で尾崎紅葉の『金色夜叉』の翻案映画「長恨夢」について語る予定である。作家の病死のために原作の小説は未完であった。後に小葉によって完成続編が出て、さらに韓国で翻案の形で創作された映画について話をしたい。今日のテーマはその文学の話ではなく、1937年清水監督の「金色夜叉」と1969年申相玉監督の「長恨夢」との映像の比較分析である。しかし問題になるのは、その未完成の話が避けられないことである。完成や完結とは作品やもの作る意図や形式であり、自然なものではない。
 人生に完成があるだろうか。人生の命と死は神様によって左右されているのかもしれない。人によっては生き方に目的と達成の完成ということがあるかもしれない。しかし作家から見ると昔話のように「あるお爺さんとお婆さんが仲良く幸せに暮らして死んだ」のようなハッピエンディングな完結は面白くないだろう。バリバリ仕事をした人が年をとって衰弱していくような非ドラマチックに消えていくような人生が一般的である。このような人生の結末は作家の注目を引くことはないだろう。ただ作家による不自然な結末があるのではないだろうか。シューベルトはシンフォニーのソナタ形式に合わない「未完成」をつくり、また多くの作曲家が曲末の処理を創作したのである。
 貫一が宮を恨み、憎悪であったのに宮を許して再結合することはつまらない結末になるという読者が多いだろう。しかし韓国の「長恨夢」では再結合の結末になっている。最近の人気韓流ドラマは新派調の通俗的なハッピエンディングにしているのと同様「つまらない」。人生はドラマではない。ただ自然のまま、未完成のままであろう。

人質「敵の手も借りる」

2013年01月19日 05時30分56秒 | エッセイ
 多くの人は平和のために反戦の思想を持っている。戦争は平和を壊し、命を奪うからである。世界大戦などは避けられるようになったが大困難なテロや人質事件が時々起こっている。世界的に大変困っている問題である。子供の誘拐、拉致など破廉恥な事件が世界各地で起きている。いまアルジェリアの天然ガス関連施設がイスラム武装勢力に襲撃され、多くの外国人が人質になって死傷をしている。
 私は人の命を盾にする事件、特にイスラムという宗教を背景にした事件として許せない。命や人権を尊重する国が先進国である。アルジェリアの迅速な対応は良いが命を最優先する日本、アメリカ、イギリスなどの意見を受け入れて対処すべきであると言いたい。非常に不思議な思いもある。アルジェリアとマリはフランスの植民地であった。そのマリがフランス軍に支援を要請して、空爆を行ったということである。私はフランス植民地の影響を見るためにイギリスでアフリカ植民地研究者に会って意見を伺ったことがある。それはフランスが植民地に同化政策を取ったとされており、日本はその植民地政策を参考にしたと思って調査しようとしたからである。植民地朝鮮の『朝鮮』にはアルジェリアのフランス統治についてしばしば掲載されている。今のマリとアルジェリア政府が旧宗主国であるフランスに軍事的に支援を要請したということは韓国などではありえない異様な状況と言える。本当に困った時は敵の手も借りる。それが普遍的なことかもしれない。

「ナドリ通信」への寄稿文「負の遺産と日韓関係」

2013年01月18日 05時24分09秒 | エッセイ
 昨日の毎日新聞(下関版)の朝刊に西嶋大法氏の取材を受けた記事「映画で文化の違い解説」という見出しで写真と共に掲載された。「翻案」(人の総作品を使って背景や人物などを変えて創作した作品)をもって日韓文化の違いを探る作業を要領よく趣旨が効果的に報道された。
 昼過ぎ福岡で韓国通として日韓関係の橋渡し役の板井一訓氏が「ナドリ通信」21号を持ってこられた。そこには私の寄稿文が載っていた。忘れかけていたものを改めて読んで自分で新鮮だと感じたりした。以下全文を紹介する。

 作家田中慎弥氏が「歴史とか戦争をストレートに書くのはつまらない。一人の人間の体験をきちんと書けば、結果的に歴史が出てくる」(文芸春秋を引用)と述べていることが私の心に残っている。丁度私が研究中のテーマが植民地や戦争そのものを対象としているのではなく、それを体験した方々を対象としている意中を彼が述べた感じがする。
 2009年3月山口県周南市八代村の弘中数実氏(90歳)にインタビューしたことがある。彼は中国でソ連軍に逮捕され、シベリアを経由してカザフスタンに強制収容された。4年後に帰国して「浦島太郎になったようだった」といい、物価が高いのに驚き、親族の子供たちが大きく成長したのを見て年月の長かったことを実感したと語っておられた。彼は収容所時代を堂々と語り、悲しくも残酷にも語らない。
彼は収容所の話を青春時代の良い経験を語るように明るい表情で語った。彼は自分の辛い過去を昇華して生きてきておられると私は感じ、ショックを受けた。なぜなら既存の大量の証言集は悲惨な記憶と平和主義による言説を訴えているが、それとは異なるからである。既存のインタビューや証言を読み直すべきであろう。
 私も朝鮮戦争などの辛い記憶を持っている。人によっては恨として持ち続けるかもしれない。また、人によってはそれを若い時の多くの経験や体験と一緒に混合してその人の生き方に影響している。悲惨な戦争をノスタルジアのように語る人もいるが、その方については、戦争や略奪などを反省しない破廉恥な行為として非難する人もいるかもしれないが、その必要はない。確かなことは過去や歴史は当時そのもの、そのままではないということである。
国家も悲惨、悲劇的な歴史をもっている。終戦から67年、その近い過去がそのままの歴史ではないはずである。日韓関係には植民地からの負の遺産としての歴史がある。戦後の歳月はその負の遺産に影響されてきた。歴史を政治的なカードにしてはいけない。




キモノは美しい

2013年01月17日 04時48分07秒 | エッセイ
 年中でもっともキモノ姿が溢れるのは成人式の日である。キモノは美しい。襟と帯などの後姿も美しい。日本舞踊は後ろをよく見せる。ワンピースは身体全体を一つの布でカバーし美しく見せるように作られている。ワンピースは南方的であるが、韓国のチマチョゴリはツーピースが基本であり、上着と長いスカートが合わさった形になっている。上のジョゴリと下のチマ(スカート)バチ(ズボン)は別の色で組み合わせるのが普通である。キモノの襟は首の後ろ部分に着かないように後ろに引っ張りかげんにして着るが、ジョゴリでは襟は首にくっつけ保温的に着るのが「襟を正す」ことになる。キモノの帯はワンピースを区切る効果を出し、飾りの意味がある。キモノの下の部分はスカートではない。草履を履いて歩き方は小幅になる。
 韓国のチマはスカートに似ているが、バチの上に巻く方式であり、はくものではない。下着のようなバチを隠すように、その上に巻いている。したがってチマ姿の歩き方はリズミカルな美しさがある。韓国のブランコや踊りは美の極みとも言われる。歩くことでチマから出る風「チマバラム」が吹く。子供の教育のために学校を頻繁に訪ねる母、教育ママをさす。男はチマに包まれているということは男弱をさす。処女大統領は国民の「教育ママ」になりそうである。キモノには長袖、振り袖など未婚か既婚かが区別される。それによって男性が未婚女性へ関心を表す。下着文化は無かった文化にパンツやブラジャーなど下着文化が入ってきて、今百貨店の下着フロアーは通るだけで恥ずかしい。芸能人や一般流行もドレスやキモノとは逆に下着文化(露出)へ走るようである。