崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

反日文化圏

2016年09月30日 06時11分41秒 | 旅行

 読書会のメンバーの倉光誠博士が書かれた拙著『植民地歴史を正しく見る』に関する第2回目の3ページに及ぶ書評が届いた。ここに要約する。
 韓国人の反日感情が反日文化圏で最も強く、北朝鮮より強い。政府が反日感情を増幅させた文化政策、反日教育などを実施したことが主要な原因である。その反日感情が日本との外交上の阻害要因になっている。反日感情の程度が植民地の悪政と比例するとはいえない。歴史が悪かったから現在も悪いとは限らない。植民地時代より解放以後愛国志士(?)が多く現れた。それは韓国国内の「親日派」に向かって党争のようなものである。
 言葉や映画・ドラマのなかに「言葉の暴力」が許されながら日帝残滓清算が行われている。日本の植民地の意識構造から完全に抜け出ていない。イェ―ツのことば「英国の植民地ということを意識から完全になくさない限り、自由になることはできない。」という。もっと根本的に人間として自由にならなければならない。
 著者が再三指摘することに対して韓国ではどのような反応があるだろう。倉光氏は「著者の理性を失わない勇気に対して、日本国民としてどういう形でお応えしたらいいのだろう」という。韓国人から日本人に利用されているという批評があった。さらに彼は「安重根の暗殺は犯罪か、愛国行為かについて国家、民族の違いにより真反対の評価がでるので、正しい評価というものはむつかしい」という、安重根と伊藤博文の出会いは「小説より面白い」、「安重根はテロリストである」と本音を言う。テロリストはテロリストにすぎない。政治指導者が安重根に肩入れするのは間違いであると述べている。

*写真は今朝の朝日新聞掲載のワンアジア財団の講座の記事

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ワンアジア財団の講座の案内

2016年09月29日 06時03分30秒 | 日記

 今朝の毎日新聞にワンアジア財団の講座の記事が掲載された。いよいよ今週の土曜日からから始まる。講義の進行が気になる。講師とのチームテーチングにSkypeで討論ができるようにしたい。一般市民の方々には折角の機会なので時間を作って都合のいい日だけでも参加していただきたい。

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ディベート

2016年09月28日 05時25分53秒 | 旅行

 私はアメリカの大統領選に強く関心を持っている。アメリカには数回訪問したことがあっても環境整備などの点は日本より良いとは感じなかったにもかかわらずアメリカンドリームのようなものを持っているのはなぜだろう。自問する。それは民主主義と英語への憧れだといえる。それはまた私の朝鮮戦争時代に遡る。一時的にわが村に米軍が駐屯して日本語単語交じりの英語を聞き、日本語以外の外国語の英語に関心をもった。高校時代の英語の先生の指導からは英語の関係代名詞、仮定法などで難しく嫌な感じを受けた。しかし一時期高校で英語とタイプライターの科目を担当をし、米軍将校とコミュニケーションをしなければならずブロックンイングリッシュへ、それがいまに至っている。 
 長く待っていたアメリカの大統領のディベートにブロックンイングリッシュの私は集中した。私は以前から黒人大統領、女性大統領のアメリカの歴史を期待してきている。しかし一党の長期政権は望ましくないと思い、トランプ氏にも期待している。したがって私の心は半分半分、このディベートに関心があった。その心はアメリカの国民も同様ではないかと思われる。司会者がいても多少の反則は許され、ルールはゆるい。トランプ氏からクリントン氏の話し中にわり込みが多かった。それは挑戦と防衛の90分余であった。私は今週からの公開講座の担当者として多くのチームティチング、司会を努めなければならない。不安と期待が交差している。

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「冷水」文化

2016年09月27日 04時44分41秒 | 旅行

 私が日本に住み30余年日本化されたものはなんだろう。自分ではなかなか意識しにくい。食生活はまだ日本化されたとは思えない。ただお茶を飲むのは完全に日常的になって私の日本化といえる。お茶文化は日本文化だけではない。昨日台湾台中市在住のフェースブックの友達である頼瑞濱氏からお茶が届いた。彼は私の本の愛読者にもなっている。私は台湾のお茶文化を共有、広くアジアの文化に触れた気分である。
 韓国・朝鮮にはお茶文化が欠如している。現在は伝統茶として流行っているが、コーヒー文化より遅く流行ったものである。高麗王朝までは朝鮮半島ではお茶を宗教的な供え物として「茶礼」があったが李氏王朝の儒教政策によって消滅した歴史がある。中にはお茶を好んだ学者の茶山がいた。しかしお茶文化は消えてしまった。お茶文化から「冷水」文化に変わった。「冷水を飲んで心を一新する(냉수 먹고 속 차린다)」ということわざのように現代の韓国人は温かいお茶から冷たい水を飲み、気分を一新して躍動するようになったのかもしれない。
 

 

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夏は雑草の季節

2016年09月26日 05時01分00秒 | 日記

 昨日早朝教会の生けた花の手直しに行った。前日に生けた花が萎れて新鮮さがなくなっていた。庭にまだ咲き残っている木槿の花、韓国の国花のムクゲの花を剪定するように切って生けた花で手直した。福岡から来られた牧師の李恵蘭氏が平安の神(God of peace)の聖句を以て「常に喜べ」と説教をした。私はクリスチャンになって半世紀以上、数十回も聞いた内容であるが実行し難しい話である。礼拝後私が生けた花の品評会のようになった。花に関心を見せた人は主に女性、「男(私)が生けたとは思わなかった」と称賛する女性もいた。
 夏は雑草の季節かも知れない。花が少ない。熱帯地方では花が少ないように感じたことを思い出す。考えてみると季節の花への認識が異なるかも知れない。秋に菊花、菊は栽培花の代表的なもの、鉢物から切り花まで広く多く使われている。菊花は一輪挿しよりは盛花、カーペットのような礼式用のもののデザインによく使われる。結婚式、葬式などに広く飾られる。菊が終わり紅葉になる。紅葉は材料にはなってもメインにはなれない。そして季節はやがて白雪に変わっていく。私の髪も白くなっている。

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泣いた

2016年09月25日 04時19分12秒 | 日記

 なぜか皆が泣いた。朝鮮戦争で朝鮮半島の北の港である興南から家族が分かれて避難し、釜山の国際市場で生きてきた人の一生を描いた劇映画、それは感動的であった。「国際市場」や朝鮮戦争の記録映画ではない。戦争の悲劇をそのまま描写したものでもない。英雄的な人物の英雄談でもない。戦争、鉱夫、看護婦、家族など庶民の一人が辛い時代を貫いて生きてきた話である。主人公トクスは私と同年であり、私の自叙伝のようなものであり、多くの韓国人が共有するものである。さらに普遍的な作品といえる。それに感動して泣いた。すでに北からの避難民の生活ぶりを描いたトスンという女性像があり、トクスの男性像と双璧になっている。
 私と共有するものとしてドキュメンタリー的に見ては違和感がある。爆弾の火炎と煙は私が戦争中見覚えているものとは違う。当時の言葉ではないチョクパリダ(恥ずかしい)、恋人をオッパ(兄さん)、前髪のファッションなどは時代を知っている人に違和感がある。でも咸鏡道の方言などが上手くこなされており、懐かしくその時代を味わうことができた。感想としてはなぜ題目が「国際市場」か、「戦争の悲惨さをしらずに生きた在日の方が幸いであった」と言われた。最終的に私の研究室で10人が感想を語り、さらにそれぞれ矢印交差の混談、にぎやかで騒音的なクライマックス、それを韓国語ではナンジャン(乱場)という。

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社交的だと言われた

2016年09月24日 06時09分41秒 | 日記

 瞬報社は下関にあるよい印刷所、二度目に訪ねてポスターを受け取った。ネットを通せば、早く郵送で出来ることは知っているが、ネット上では人が見えない。地方では質が良くなく、値段は高いと言われ、私も経験的に知っている。それでも私は地元を優先したい。それで失敗も多い。しかし、この度のポスターは気にいった。地元の人の紹介や推薦はほとんどが人の縁によるものであり、仕事や働きの質が問われることがないのが普通である。それは地方創生のためではなく、人間関係を大事にしたいからである。
 地方に住みながら人間関係のネットワークを広げていくのは楽しい。昨日櫛田学長から社交的だと言われた。考えてみたら青少年時代には決してそうではなかった。心理学を勉強し、そして文化人類学で現地調査を行うことと年輪によるものと思う。中には付き合い難い人もいる。嫌われているだろうと思う人もいる。しかしいつの間にか消えていく。何故だろう。愛のキリスト教、シャーマニズムの呪力が作用しているからかも知れない(笑)。

 *写真は昨夜教会の礼拝堂に生けた小品

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「アジア共同体」

2016年09月23日 05時38分13秒 | 旅行

 「アジア共同体」の公開講座の開始が近づいている。ただ個別の講義を並べるわけではない。提供者側と受講者側の総合理解が必要である。アジアと共同体は何を意味するのか考える、その全体の構想を貫いていくように考えなければならない。アジアは世界の中の一部であり、「アジア化」を意味するのではない。つまり国際化やグローバル化の「か」に対置する分裂的な地域中心の団結などを意味するのではない。半世紀ほど国際化とグローバル化を叫んできた。その結果民族主義やナショナリズムが強化されている。国際化という言葉が平和主義を指すようであればナショナリズムは競争、喧嘩、不和を指すような現象が多く起きている。
 共同体の概念も曖昧である。内向けの団結、和気あいあいを強調するように感ずる。しかし東アジア共同体論の多くは生産ネットワークなど連携協力を強調している。「アジア共同体」といえば戦前の「大東亜共栄圏」を思い出すかもしれない。そして日本からの発信ではなく、中国からの発信が望ましいという主張もある。それには民主主義欠如社会主義国家からの発信はどうだろうという批判もある。今日中韓の関係は良くない。古代文明発祥地、漢字・儒教文化圏へ戻るのではなく、それらも基礎要因として検討すべきであろう。政治的には鎖国であっても技術と文化は開放され越境している。国境が障碍か絆か講座を通して一緒に考えたい。
 

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休日が邪魔

2016年09月22日 04時46分27秒 | 旅行

 新学期の講義が始まった。この度は文化人類学の受講生は少ない。初めてのことである。中に中国からの留学生の李さんが強く関心があるという。対話式の講義を行った。彼女は日本文化が中国と異なるという。日本と中国の文化が共通するものはなんだろう。それは漢字である。それは日本語を学習する時非常にメリットになる。しかし服装やファッションなどで中国的なものはない。なぜないのか、私の質問は続いた。見えないものではあるが中国人として味覚と臭覚を持っている。それによって日本での食材を持って中華料理を作るという。それは立派な文化論であった。
 公開講座のポスターをこの地域で最も有名な印刷所へ依頼しており、メールなどで相談したが、突然会社に訪ねたが快く迎えられ、仮印刷したもので相談することができた。家内のラストチェックでミス発見、修正したものが出来上がって、帰宅してメールで確認した。すぐ作業が終わると喜んだ時「明日(今日)は休日」と知り、休日が不便だと感じた。働く高齢者は休日に感謝するがまだ私にはそれが邪魔と思えるのは幸せなことかも知れない。
 

 

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「国際市場で逢いましょう」

2016年09月21日 05時35分26秒 | 旅行

  海外に住んでいながら時々私を批評・非難する文を投稿する人が日本に来るという情報があって、会いたいと投稿した。彼は韓国で生まれて世界を転々として移り住んでいる方である。そんな彼の話を聞きながら戦後の時代を共有したいからである。ただ一緒に座って話してみたい。しかし彼は意外な反応をした。なぜであろう。私は1959年にある大学新聞に「西部戦線異常なし」について評論を発表したことを思い出した。戦争中に二人の敵兵が同じ穴に落ちて同志となる場面である。私の人生観は変わった。
 今週土曜日は「楽しい韓国文化論」で市民と一緒に映画「国際市場で逢いましょう」を鑑賞する。主人公のドクスは朝鮮戦争の混乱の中、父と妹と離ればなれになり、避難民として国際市場を舞台に生活する。避難する場面では思わず目を逸らしながらも画面を注視した。私は生活が貧しかった韓国の現代史をドクスと共有している。その自分史のような映画を通して、辛い人生を振り返ってみたい。

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『雀様が語る日本』

2016年09月20日 05時23分30秒 | 旅行

 まだ先のことと思っていた日程が近づいてくる。具体的には時と場であるが、それより何をもって考えるかという思考のことである。読書は良いがテレビなどメディア媒体が邪魔をする。人の話を聞くのも良い。丸山教会で宇佐神正海氏の創造に関する3回連続、研究会があるということで参加した。彼は84歳の耳鼻咽喉科の医師であり牧師である。宗教と自然科学の接点を持つ方である。聖書は聖霊の予言であり、説明書に過ぎないというのが趣旨、ヨハネの黙示録を歴史年代記的に自由放任>律法>福音へ人類史の信仰的な進化過程を例示した。そこには信仰はあっても科学は感じない。ある人は「盲信だ」と言った。参加したある牧師は難しいと囁いた。
 夜郵便が届いた。山口大学の名誉教授、参議選立候補者であった纐纈厚氏からのお手紙と2冊の本が同封されている。読書感想は後にすることにし、私信ではあるが拙著『雀様が語る日本』(新典社)と『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』に関するもの、本格的な書評といえる内容である。私にとって勇気づけられたコメントであり、本欄の読者にも公開したい。

(前略)『雀様が語る日本』は、先生の御人柄が随所に惨み出ていて、とても清々しい思いを抱かせて頂きました。韓国と日本とを跨ぐ先生の歩みをリアルに追体験させて頂くことができました。特に、「I雀様「日本人」を語る」では、先生の本当に濃密な人生の歩み踏まえつつ、鋭い洞察力と温かい眼差しから綴られた文章は、日本への愛情溢れる内容でした。日本人である私にも、いま一度日本人としての自覚と責任感のようなものを痛感させられた次第です。
 韓国と日本の文化比較考として、多くの気付きを頂戴し、目から鱗が落ちる思いに駆られました。なかでも、「八 日本はもう先進国ではない」と「九日本はまだ先進国である」の節は、とても印象に残りました。何を基準にして「先進国」とするかの問題に、人間の成熟さを指摘され、併せて相互扶助・相互信頼・相互批判が担保された社会こそ、私たちが目指す社会である、と説得力ある文章で諭されているように思いました。
 「Ⅱ 雀様「文化」を語る」は、先生の広範な行動範囲と多様性を大切にされる視点からする本当に豊かな文化考であり、先生の博識ぶりに感動すると同時に、あらゆる事象に先生の個性溢れるアプローチから、ユーモアをも交えながら淡々と語られた章に思いました。なかでも、先生が本当に多くの方々と交流され、豊かな歩みを築かれていることに、研究者・教育者として後輩の我が身を思い返しつつ、なお一層精進しなければならない、との思いを抱かせて頂きました。
 御著書に登場する山口大学教育学部の卒業生である古川薫先生とは、私も著書を頂戴したり、謹呈させて頂いたりの御付き合いを頂戴しております。昨年には山口大学創基200周年(山口大学は1815年創設の藩校である山口講堂を源流としています。東大と東北大に次いで日本の国立大学では三番目の古い大学となっています)の折り、古川先生には基調講演をお願した縁もあり、その後には大学教育機構長(副学長)として共通教育の責任者であった私か古川先生に大学での講義をもお願いしたこともございます。また、山大の図書館長であった私は古川先生にお願して、先生の著作150冊ほどを寄贈頂き、大学には「古川薫コーナー」を設置しています。200冊以上の著作を出版されている古川先生の御仕事を知る上でも、山犬図書館は希有の存在になっていると自負しております。
 また、李恢成先生には、私か理事を務める植民地文化学会(会長は元法政大学教授の西田勝先生)の学会に二度ほど御登壇をお願し、取り分け李先生の『北であれ南であれ我が祖国』をも俎上に上げさせて頂きながら、深い議論させて頂いたことがございます。私も国内外を通して人との交流を大切にしていきたいと思っております。先生の交流の多様さや深さには、到底及びませんが、交流を通して学問や人間を豊かにしていくこが出来るのだ、と先生御白身の体験を踏まえて仰っているように拝読致しました。
 Ⅱの章を拝読していて、政治学者でもある私にとりまして、特に学ばせて頂いた個所がございます。それは、「一七 司法と政治」(pp.203-210)と、「一八 戦争と平和」(pp。211-231)の二節です。「専門家然とする政治家たちが践雇する国会中継を見ながら、私はいつも諦めることなく民主主義を望んでいる。」(p.208)との下りに、痛く感動致しました。私も劣化する日本の民主主義を何とか成熟させたい、との一念で参議院への出馬に踏み切った経緯もございます。また、権力の横暴ぶりに、「鬼が金棒を乱暴に振っているような感がある。」(p.210)と鋭い指摘をされているのにも全く同感です。 
 「一八 戦争と平和」において、先生の歴史認識の深さが随所に垣間見えて、とても充実感を覚えました。「敗戦を教訓に、日本は完全に「敗北」したと認識すべきであろう。」(p.226)とか、「当時の日本人は敗戦しても「敗北」はしていないと考えたのだ。」(同上)との御指摘は、私の近現代日本政治史研究のひとつの到達点でもあるだけに、“我が意を得たり”、の感を持ちました。
 この他にも先生の講義方法など参考になりました。私も山大時代に副学長として文科省と交渉を重ねながら、当面は共通教育授業を対象にして、アクティブラーニング方式の授業形態を積極的に導入し、文科省から一億円余の予算を出して頂き、固定机から可動式机をメインとする教室へと改築作業を進め、学生のプレゼンや学生間のコミュニケーションに便宜を図る機材を設置することに成功しました。(後略)

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事故

2016年09月19日 05時24分22秒 | 旅行

 教会の教壇に生け花をすることになって、あらかじめ基礎的な準備をしておいた。そして昨朝礼拝前に教会の庭に満開したムグゲの花を切って完成させようと思っていたが私が着いた時には激しい雨で花は倒れしぼんで使い物にならなかった。華麗さを見せようとしたができなかった。教会では生け花は仏教の供え物とは違って飾りにすぎない。しかし私にはそれは信仰的なことに近い。
 朴米雄牧師の説教のテーマは「事故」であった。つまりキリスト教に出会ったことはその人にとって大きなアクシデントにあたり、人生観が大きく変わることだという。私は内村鑑三がキリスト教に入信してから世界が変わって見えたという告白を思い出した。韓国伝道へ成功したアンダーウッドの日記の話なども語られた。高齢化社会、老人向けの伝道の可能性を訴えた。
 夕方私のマンションの下で交通事故が起こった。すさましいサイレンの音にびっくりして下を見ると、乗用車がガードレールを超えて逆方向を向いて止まっていた。事故車の中をのぞく姿は見えても救助活動は難しいようである。10人ほどの救助隊たちが車体を力で動かし、救急車が着き、動きは速くなり傘をさして見守った人も同乗し行った。2体のクレインが車を移動させた。交通整理、現場掃除まできれいにして行った。私は終わるまで記者の取材のように撮影しながら観察した。聞くところによるとこの事故で命に別状なし。しかしこの事故で関係者は現実に何かが変わるはずである。
  

 

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韓国の沐浴文化

2016年09月18日 05時10分14秒 | 旅行

 日本に留学した時ある日本人の医者から韓国人はキムチを食べ「ニンニク臭い」、風呂をしない「汚い」といわれたことがあった。当時私はそれが差別とも感じずどうしょうもなく、聞き流した。私はソウルの北方の田舎の農村生まれ、ソウルに転校した時、都会と農村の差に驚いた。また日本に来て驚いた。私の田舎での生活は歴史的年代記によると旧石時代や青銅器時代に似ていた。使い古して、でこぼこのなくなった石製のすり鉢を釘で打ちなおすのも鍋を直すのも面白くみた。朝鮮戦争中戦車、飛行機を初めて見た。人類史的に言うならば何万年の歴史が私に縮約されて迫ってきた。当然ショックを受けた。中学時代には糸電話遊びをした私にとって今のスマートフォンもショックである。それにまったく無関心な人、使いすぎの人とは人類史的に言うと数万年のギャプがあるだろう。
 昨日の「楽しい韓国文化論」も楽しかった。日本では行政的に津々浦々で文化講座がある。大学で一般市民のために講座が開かれることは中国ではできないと聞いたことが耳に残っている。昨日石本会長がイントロ、私が講師を務めた。韓国の沐浴文化と日本の温泉文化を対比して説明し、今は多くの日本人はキムチが好き、韓国に垢すり風呂の旅に行く。北村皆雄氏製作映像「韓国温泉めぐり」(30分)を放映、韓国で死後、あの世に行くために洗霊祭をすること、私の不浄の意味に関する研究を紹介した。
 韓国の温泉はほぼ日本植民地時代に開発された。歴史ある東莱温泉は日本植民地期に銭湯化、料亭、娯楽、遊興、酒、妓生、賭博の街になっていた。1970年代釜山市が行政的に温泉風潮を消すために商業地化、アパート団地にした。今温泉観光のために復元させようと、その伝統を消滅させた釜山市がいかに文化政策的に劣っているか、と聞く。開発に文化政策が重要であるかを改めて思った。

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日本人のハングル読者

2016年09月17日 05時24分22秒 | 日記

 最近は仕事が多く、連休などの休日が嫌になる。私のメイン情報欄であるホームページが消えておりご迷惑をかけている。15年ほど前、自作したものを何度も修正して発信したが今不能になっている。昨日自力で必死に回復させようとしたが無理、業者に任せることとなった。復帰まで費用と数日がかかるという。しかし私は複数のチャンネルを持って発信している。東アジア文化研究所と東亜大学のホームページ以外にもブログ、フェイスブック、ツイッター、新聞コラム、著書など。何より口コミ、会話が楽しい。研究会、講演会、公開講座、講義…。
 本欄の文が長いというご意見をいただいて短くしようとしているが、書きたいトピックが多く困っている。寄贈した韓国語の拙著へ日本人のコメントが嬉しい。山田寛人氏の第二のコメントがFBに書かれている。

최길성"식민지 역사 바로보기"민속원, 2016(崔吉城『植民地の歴史をまっすぐに見る』)を読む。第1部第3章「被害意識」を読み、「事実」と「評価」のちがいについて新たな視点を得た。

この章の冒頭で取り上げられている、ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ『竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記』(ハート出版、2013年)は未読だが、「終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつかせぬ、愛と涙のサバイバルストーリー」という紹介文がある。

この本の中には日本人引揚者が朝鮮人から筆舌に尽くしがたい暴行を受けた場面が出てくる。それに対して、朝鮮人側からは猛烈な反発があったという。加害者であるはずの日本人が、被害者であるはずの朝鮮人から、そんなことをされるはずがないというわけだ。広島の平和記念資料館に対する朝鮮人の反発も、それと根は同じだ。加害者であるべき日本人が被害者であってはいけないのである。

〈事実〉と〈評価〉は分けられないところもあるが、それでもやはりきちんと分けて考えないと、こういうとんでもない話になってしまう。もちろん、被害という事実が生じれば、誰にどれだけの責任があるのかを問うために評価をする必要はある。しかし、責任を問う前に、被害は被害として目をそらさずに見つめるべきだろう。

〈事実〉は過去に起きたことであり変えられないが、〈評価〉は未来を変えていくための原動力となる。だから、人は〈評価〉に血眼になる。自分が望む〈評価〉をつくり出したくなる。しかし、事実は事実、被害は被害として認めたうえで、より良い未来をつくるための〈評価〉に進んでいかなければいけない。

著者は、敗戦という事実を認めようとしない日本人について「敗戦は悲惨なものではあるが、「敗戦精神」から社会を根本的に変えていくこともできる」(89)と述べる。事実を事実として認めるのは当然の大前提であって、そのうえで、どのように評価をして、どのように社会を変えていくのかが問われるのである。

著者は、事実を事実として認めない態度に対しては、それが日本人であろうと朝鮮人であろうと、手厳しい。一方、広島の平和資料館と、韓国の独立記念館・中国の南京大虐殺記念館を比較することで〈評価〉の問題も扱っている。どちらも被害の事実を伝える博物館だが、前者は核廃絶という人類全体の平和を目指す方向性があり、後者は加害者に対する憎しみを助長する方向性がある。

どちらの〈評価〉が良いというものでもない。「展示資料が事実だとしても、資料の選定などを通して事実の変造あるいは創造が生じ得る」(89)。つまり、その博物館が、どのような未来を目指しているのかが、〈事実〉を示す展示にあらわれるのである。さらには、そうやって作り出された展示をどのように見るのかも問われることになる。

著者を〈左〉か〈右〉かというように二項対立的に捉えようとする読者は、この本を読むと頭が混乱することになるだろう。しかし、事実は事実として認めたうえで、どのように評価していくべきかというふうに考えることのできる読者は、得るところが大きいだろう。

 山田氏の書評で、これからは韓国語そのままで日本人の読者を持つことのできる時代を予兆する。日本には韓国語を知っている人が多いから。以前ソウルで韓国語で出した本が日本語訳になって韓国より日本でより多くの読者に出会ったことを考えている。韓国語の『한국인의 한(韓国人の恨)』は真鍋祐子氏によって多くの読者に出会うこととなった。

*写真:植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策―朝鮮語を学んだ日本人

植民地下の朝鮮で、日本人を対象としたさまざまな朝鮮語試験が行われていた。 朝鮮総督府による、教師や警察官などを対象とした朝鮮語奨励政策の実態を、幅広い資料群の分析を通して考察した書。
推薦:崔吉城(元広島大学教授)
山田寛人著
■A5判・上製・268頁
■ 定価4,800円+税
■ISBN978-4-8350-4155-1
■ ’04年6月刊


 

 

 

 

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야마다 칸토씨의 투고문

2016年09月16日 10時56分08秒 | 日記

이하는 식민지사가 야마다 칸토씨의 투고문이다.

최길성 『식민지 역사 바로 보기』 제1부 제5장 「식민지와 피식민지의 사이에서」는, 조선처럼 이웃나라가 식민지화된 예로서 아일랜드를 들고 있다. 글의 촛점 인물은 아일랜드 출신 로저·케이스먼트(1864-1916)이다.
대영제국의 관료로서 아프리카와 남미 등지에 근무한 사람이다. 영국에서 보면 피식민지인, 아일랜드에서 보면 식민지 지배자적인 존재이었다.그는 당초 영국 관료로서 충실하게 일하고 있었다. 식민지에서의 영국 등 제국들의 인권침해의 참상을 세계에 알렸다. 사직하고 나서 인권보호 활동, 아일랜드 독립 운동에 몸을 던진다. 결국 영국의 반역자란 대역죄로 처형된다. 아일랜드에서도 배신자, 식민지주의자로 불렸다. 재평가된 것은 사후 약50년이 지난 1965년이다.
한국에서도 마찬가지이다. 이러한 입장의 사람이 친일파, 즉 배반자 취급을 받는다. 저자는 「저항적 민족주의가 사실은 패배주의의 잘못된 인간상을 만들어 낸다」라고 하였다. 「식민지사의 표면을 문제로 하지 말고, 사람들의 패배주의적 가치관이나 태도가 문제이다」라고 케이스먼트 등의 예를 들어 설명하고 있다.
케이스먼트처럼 피지배자측과 지배자측에서 서서 평가하는, 즉 2항대립적인 선악의 가치 판단이 위험하다는 것을 지적하고 있다. 케이스먼트는 보편적인 인권사상에 의해 재평가되었다」고 저자는 지적한다. 현대사회에 있어서도, 이러한 2항대립적인 선악판단에 휘말리는 경우가 많다. 그의 무덤을 방문한 저자는 「나도 50년후라도 이해해 주는 사람이 있다면 행복하다고 생각한다」라고 감상을 기록하고 있다.(최길성 역)

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