崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

チリ中部でM8.8の地震

2010年02月28日 05時57分15秒 | エッセイ
2010年2月27日午前3時34分(現地)、チリ中部でM8.8の地震が発生し、その津波がハワイや日本までも警戒されている。ハイチで甚大な被害が出たがそれより大きい地震が発生した。M8.8とはどのくらい大きいかは日本ではよく実感できるだろう。単なる対岸の火ではない。現地ではまだ曙の時間にもなっていないのに大難を受けた人々に慰労の声を送りたい。ラジオでニュースをキャッチしてすぐテレビを付けてみたがスケート競技や食べ物の番組がいっぱいであり、地震のニュースは出ないので、CNNで視聴した。テレビ画像は悲劇の大極の戯劇のように映ってきた(写真はNew York Timesから)。常に地球上は悲戯劇の劇場であることと感じた。
 そんな時、韓国から故金石出の未亡人であり、世襲巫として人間文化財といわれている金有善氏が亡くなったという悲報が伝わってきた。40年前から私の良い研究対象者であり、親戚のように付き合いをさせていただいた方である。彼女は私にはいつも心優しくしてくれたのを覚えている。数年前公衆浴場ですべって怪我をして歩けなくなった。数年前夫の死霊祭のクッの現場で座って踊っていたのが最後に会ったことになる。1969年当時私がまだ20代被差別巫集団に会い、以来長く村々を歩きまわりながら調査をし、多くの報告書を書いて、博士論文を書くことができたのである。今日がお葬式と言うが、死霊祭には参加して冥福を祈りたい。

金妍児

2010年02月27日 06時56分59秒 | エッセイ
昨日自宅で一人でテレビの生中継の金妍児に集中していた。ルールも良く知らないので予備知識としてトリプルアクセルやループなどを調べてみた。チャイコフスキーの白鳥の湖水でも聞いているように金妍児の柔らかい技を音楽とバレーの調和の美しさに魅せられて見ていた。完璧に演技を終えた時、私は感動して嬉し涙が出た。スポーツよりよい芸術による感動であった。
 私は韓国の民族主義者ではないと自他ともに思っていたが、その感動は純粋な芸術のためとは言えない。多くの日本人は浅田真央のフリーに感動したはずである。私は彼女に若干の不安定性を感じた。やはり回転ジャンプが乱れた。韓国では金妍児の視聴率より浅田真央のものが高かったという。それは追い越されはしないかという不安等によるものかも知れない。
 韓国は金メダルを6コ取得したのに比べ日本は無であることは日本ではあまり報道されない。それより世界の多くの人々に美しいスポーツ芸術を放映することの意味が大きい。私には金メダル競争のようなオリンピックには否定的な態度が残っていたがこれを機にイメージを完全に転換したのである。写真はテレビ中継から撮ったものである。

政治と金

2010年02月26日 05時37分42秒 | エッセイ
 せっかく政権交代ができた途段、与党が政治と金の問題で困惑している。先日テレビアンカーマンの鳥越俊太郎氏が「毎日新聞」に寄稿したことに同感している。彼によると検察が法律を権力行使として使ったことを経験的に知っているところから検察を不信するという要旨である。私は韓国の大邱で家内の財政身元保証の件で入国管理局にクレームを言ったことがあった。その直後家内が主婦たちに日本語を教えたことが出入国管理局法違反だということで1980年代初めころ300万ウォンの罰金になったことを覚えている。当時家内と同じように日本語や英語を教えていた人がかなりいたが罰金を支払ったのは家内だけであった。
 その話を聞いたある人が言った。彼は警察に睨まれて自転車で配達するプロパンガス容器のサイズが数センチ大き過ぎたことで違反になったという。信号違反や道路線などを1センチも違反したことがない人はないだろう。睨まれたら捕まろうという社会は律法主義、原理主義、権威主義、独裁主義の悪い社会であろう。
 検察や警察の行為自体が法律に反することではなくともその動機が不純なのは悪い。不正を正すのは社会正義であるが、法律をどこに適応するかは彼らの本当の人間性、モラル、社会正義による判断であろう。法律を専門とする人に本当の人間教育が必要である。韓国の民主化と戦った弁護士たちに感謝するのはなぜであろうか。聖書には「罪のない人はこの姦婦に石を投げなさい」という。

金妍児と浅田真央

2010年02月25日 06時38分40秒 | エッセイ
 バンクーバー冬季五輪の映像が多く入るが日本中心であり、韓国側のものは少ない中、フィギュアスケート女子のショートプログラムで韓国の金妍児(19)と浅田真央(19)が大きく取り上げられた。今度の五輪は主に個人競技と言えるものばかり。複数で滑っても、合戦的なゲームではない。得点によって勝負が決まる。ライバルがいてもライバルに邪魔されることはない。それについて金さんは「マオの演技が私の演技に影響するとは思わなかった」という。
 浅田選手が「仮面舞踏会」と金妍児の「007」は別々の演技であった。スポーツ芸術を審査によって決めるのは音楽コンテストのようなもので、それなりに楽しい。特に二人が並んで立っている表情は勝負の感情が表われず美しいものであった。北半球に隣国間の中良さが世界的に広がる瞬間であった。また続けて見守りたい。

携帯電話

2010年02月24日 06時35分08秒 | エッセイ
 携帯電話を英語ではcellphone、mivile phone, carrying phone、handphoeなどという。一般的なのはcellphoneである。それはセル(細胞)式に区画された地区ごとに低電力の無線局を置いた移動電話システムであるというかなり技術的な名称である。私にはhandphone「手電話」が良いかと思われるが名称も使いやすさが勝ちである。
 携帯電話は私には子供の時の夢がかなった玩具感覚が強い。実際子供や若者文化として定着しているようである。人によっては固定電話を優先して携帯電話を限られた人にだけ知らせるが、いずれ固定(fix)から移動(move)へとなるだろう。珍しいパーソナリティのように携帯電話を持たない人もいる。しかしこの「携帯文化」を拒否することはできない。
 昨日携帯電話を持たずに外出してしまった。一瞬無重力状況を感じた。通話は人のものを借りてすることはできたが、持っていないこと自体がさびしく、不安さえ感じた。電話番号、日程などの情報が入っているからではあるが、それより体の一部として機能しているようにも感じた。物体が生体に合体するのは人によってはぺースメーカー、メガネ、義歯、補聴器、義足、杖など無数にあるかもしれない。今後、セル(細胞)式電話は生体の細胞や脳味噌の機能をしてくれるようになっていくかもしれない。「携帯文化」に関して新たに認識したの一日であった。

「道化」

2010年02月23日 06時18分56秒 | エッセイ
『日本人の幽霊』の著者である歌舞伎研究の第一人者である諏訪春雄先生から先日新著『鶴屋南北』が送られてきた。厳しい身分社会であった近世に出身であった南北(1755-1829)は歌舞伎(狂言)作家として成功した。昔2度歌舞伎を鑑賞したことがあったが面白さや意味が分からず見たので、本書を読んで面白さを感じた。社会倫理が乱れている時代に恨み、殺人、復讐、幽霊などをテーマにして笑いを引き出す作家の「道化」の過程や作品が分かりやすく解釈されている。中には皿一枚をわり、とがめられ、虐待されて自殺する。幽霊がである。ディケンスの「クリスマスキャロル」を思い出す。
 私には二つの言葉が目にとまった。一つは道化ということばである。著者によると仏教用語であるが、遡って高天原の暗闇の中から笑いを誘う踊りによって秩序を取り戻したということである。日本の笑いの文化の伝統と奥深さも分かるように感じた。もう一つはと芸能の関係である。私は若い時を調査をしたのが学問や人生に力になった。3月末にはその地域を訪ねて講演をする予定である。彼らの信仰と芸能を語るつもりである。懐かしい旅行になりそうである。

BONT CHINQ

2010年02月22日 05時49分41秒 | エッセイ
亀松氏宅から夕食会に招かれて行ったら膝を折って挨拶をするフランス人の男性がいた。名前はクリストフという。日本に来て20余年と言う若い青年である。日本と日本文化が好きで高校卒業して来日したという。しばらくして教会の小川牧師家族の5人が来られた。テーブルには料理と人で満員、満杯になって盛り上がった。早速牧師の祈り、ビールで乾杯した。韓国では牧師がお酒を飲むというと大変な騒ぎになるに違いない。坊さんが肉を食べない禁忌も厳しい。
 ふぐ料理のフルコースはふぐちりおじやで〆であり、デザートとしてコ-ヒ―とケイキがでた。私に配分されたものには運よくBONT CHINQとフランス語らしい文字が書かれていた。フランス人はフランス語だが意味があいまいと言うのでその表示札を観察した。その裏には日本語の小文字が書いてある。全員注目の中、一瞬緊張の雰囲気、私が読み上げた。「食べれません」。大笑いになった。笑いと幸せを運んでくれた美味しいケイキであった。 

KFC

2010年02月21日 06時15分52秒 | エッセイ
 昨日家内の出勤時間の前に駅まで送ってもらって新幹線に乗る時間を長く調節して大阪で昼食をとった。ケンタッキーチキン(KFC)看板が目に入った。イギリス、アイルランド、南アフリカなどで一人で調査で歩いた時口にあったメニュだったので懐かしく思って入った。しかしこの店も二度目である。
 「日本人類学の歴史」の研究会(代表山路勝彦)はこれで3年間の最終回である。これから執筆して本にする大変な仕事が残っている。夕食は居酒屋「百番」での飲み会だった。最初は静かなコーナーであったが時間の流れによって学会などの裏話が盛り上がり、私は亡くなられた泉晴一、堀一郎、古野清人、桜井徳太郎、野口武徳等など諸氏の思い出、そして日本での苦労話をした。周囲の席がうまり、煙草の煙が騒音にのって寄ってきた。われわれの歓談に逆風であろうか。こちら私たちのトーンも高くなり、居酒屋ホールの雰囲気はこれから盛り上がるような時に翌日にも研究会が続くので解散になった。
 私は朝食から夕食まで米は一粒も口にしていなかったことに気がついた。しかし満腹・満足であった。写真は右から山路、崔、飯高、角南、関口

遅すぎの年賀状

2010年02月20日 05時44分27秒 | エッセイ
 昨日2枚の年賀状が届いた。一人は日本人の人類学者の鈴木文子氏、もう一人はパリの日本文化館長の中川正輝氏からである。2月下旬、旧正も過ぎたので遅すぎの年賀状である。鈴木氏は「迎春」「旧正月」としている。中川氏とはパリで会って以来文通をしているので年賀の言葉が入っている。
 この「遅すぎ」のような年賀状を頂くのも良いものである。元旦の日に合わせてあせって書いたり束ねて送られてきたものに目を通す如く読むよりは味わいもあるし考えると便宜性もある。「迎春」は春を一日で迎えるわけではないし、きちんと読める年賀状にもなる。「遅まきながら本年もよろしくお願いいたします」もいい。何よりお正月を二回迎えたような嬉しさを感じた。

バスと電車

2010年02月19日 05時27分55秒 | エッセイ
出退勤にバスと電車を利用することが多い。昨日はとても寒い日であったが、バスに乗ろうと思い、20分くらい歩いてバス乗り場にようやく着いたが、時刻表が変わってその時刻のバスはない。その時間帯には1時間に1回の運航になっており、1時間も待たなくてはならない。そこから電車に乗るために駅へのバスに乗った。そこでよく知っている夫人と偶然に出会い、バスに乗ったわけを聞かれ、私も彼女に朝からなぜお出かけするのかなど自然な会話を交わした。彼女は体操をするために行くという。夫たちが出勤する時間帯に体操という言葉は私には異様な感がした。
 韓国では月の明るい夜に体操(달 밤에 체조)をすると表現をする変人の俗語がある。今は夜間競技なども普通であり、人の生活のリズムも多様化している。私も起きてからぶら下がり運動や深呼吸をする。数分の間の会話で彼女は下車し、私は駅に行ったが大部待たなければならない。待合室では居眠りする人もいた。突然ある老人が近づいて紙を見せる。一瞬物乞いと思ったが道を聞かれた。外見で人を見たことを反省した。
 運転免許を取らなかったことを後悔しながらもバス、電車などで意外な人との出会い、人の車に便乗させていただく楽しみなどもあると自から慰める。

割り勘

2010年02月18日 05時30分53秒 | エッセイ
 清華大学から金俊君が旧正の新年挨拶に中国から来た。韓国への帰国者への送別を兼ねて昼食会を行った。中国人、韓国人、在日など12人であり韓国人が新しくオプーンした韓国式大衆食堂へ行った。大型テレビでは韓国のテレビがそのまま見れるようにしており、韓国の食堂、味も在日の焼き肉とは違う。
 まだ知られておらず、昼時間でも客が少ない。私にとって気になるのは店の男性主人である。彼は手伝うこともなく、挨拶することもない。一般的に韓国の食堂では男性主人は飲食店に積極的ではないことを表す。エプロンでも掛けて仕事をしながら客への接待することが望ましいが韓国の男性にとってそうなるにはかなり時間がかかることだろうと思う。
 私は大勢の人の昼食ではあってもまとめて私が払うべきだとおもっていたが在日の人が金を集めて割り勘式になったのでお客さんの分と自分の分を払っただけだった。日本語が下手だと言われており、まだ割り勘にも抵抗があり、自分で全部払いたいという気持ちは、やはり私こそ韓国人男性であろうと思った。

ブレーキ

2010年02月17日 05時02分12秒 | エッセイ
 バンクーバー五輪で日本がスピードスケート男子五百メートルでメダルを手にした映像を見ながらスピードの早さを痛感する。私は子供の時、冬には古い包丁を下駄の裏側に付けて貯水池の氷上ですべったことを思い出す。巧みに滑ることはできるが停止するのが難しく、下駄の先端に4本くらい釘を打ってその釘頭で停止するようにした。その田舎の手作りスケートですべっていた私はソウルでスケート靴で氷上を走れるようになった時はほんとに嬉しかった。中高時代は凍った運動場ですべった。大邱に住んだ時は家内と一緒に凍った池上やスポーツセンターなどですべった。
 スケートの面白さはスピードである。スピードはブレーキがあるから出せる。車もスピードがあり、ブレーキが重要である。トヨタ自動車のブレーキが問題となって世界を騒がせているようである。ブレーキはスピードそのものともいえる。人も力のある時、止める装置が必要である。権力を持っている時ブレーキが必要である。欲心が旺盛な時こそブレーキが必要である。力が抜けた道端に転がるのはみじめである。トヨタがブレーキで問題があることはまだ力があるということである。回復を祈る。

一遍上人の念仏

2010年02月16日 05時26分56秒 | エッセイ
 1997年ロシア、イルクツクの正教会調査、1998年ハバロスク韓国教会中央教会での礼拝、2000年サハリン正教会のクリスマス礼拝と2001年連合聖歌礼拝などを私が撮影したものを昨日編集した。正教会ではイコン(聖絵)、ロウソク、焼香、聖歌などによって礼拝が続く。私が長く信仰生活をしてきたキリスト教(プロテスタント)からは表面的に見えたが映像を編集しながら救われる感がした。それはキリスト教が精神的に悔い改めて生まれ変わるという信仰的な奇跡ともいえる変化を宣言したルーターの改革によるものである。しかし多くの教会の礼拝ではその本義をキャッチできず聖書の箇所をこじつけるよう説教が多い。私がカトリック教会で感動したのは説教ではない儀式であった。形式的な儀礼から解放されてきたキリスト教から形式主義への逆戻りであろうか。
 先週博士請求論文の「一遍聖絵」の分析を読み審査を行った。一遍は10歳のとき母が死ぬと出家、父の死をきっかけに還俗し、再び出家し、各地を転々としながら修行、民衆を救うため「信不信」をえらばず念仏札を配り始める。踊り念仏を始めた。踊り念仏で極楽浄土へと導いた。観念的な思惟よりも、ひたすら南無阿彌陀佛の六字の念仏を称える実践に価値を置いた。皆誘惑の事をも打ち捨てて念佛すべし。「捨ててこそ」念佛の行者は智慧をも愚癡をも捨て、ただ空なる者の心に立ちかへりて念佛し給ふべし。
 念仏はインド仏教をはじめ世界的に広く唱えられていたが、それをもって奥深く悟った一遍はやはり聖人であると思った。彼の「信不信」はキリスト教さえ含んでいる。「国民が…」という政治家たちに聞かせたい。

昨日は旧正月

2010年02月15日 05時35分17秒 | エッセイ
 昨日は旧正月、広大時代の弟子たち、韓国から中村八重氏、名古屋から上田崇仁氏、広島から上水流久彦氏が下関まで来てくれた。私は旧正月とは意識していていなかったのに韓国語でセヘボクマニバダセヨ(새해 복 많이 받으세요)との新年挨拶は嬉しかった。この日がただの偶然と思ったが新年祝いの意味も兼ねていたのが分かった。
 彼らは私の古希記念論文集の編集委員でもあり、今年6月19日下関で献上式を行う予定で会場など、下調べのためにきた。我が夫婦も付いて歩いた。ある場所では下関の料理人たちから歓迎された。その中の一人が昨日運転中下手くそな日本語で語る私の生放送を聞いたという。朝鮮戦争で苦労したという「苦労した」が「殺した」と聞こえて驚いたという。初めて日本に来たのが40年前、住んで20年歴でまだ日本語が下手と言われたので言葉の才能がないとも思った。しかし焼き肉店のヤスモリの店長自身は在日でありながら韓国語が下手、全く日本語が母語になっていて私の下手な日本語が良かったとの寸評であった。日本語をマスターする前に言葉自体が乱れる年ころになっている。帰宅して家内に弟子たちが来てくれるなど「私は幸せな人でしょう」と自己自賛を誘う言葉に家内は大げさ反応する。それにも感謝する。

生放送

2010年02月14日 07時25分27秒 | エッセイ
下関グリーンモールの焼き肉店「やすもり:大邱食堂」で中四国ライブネットで昨日午後6時から8時までラジオの生放送に参加した。谷本ディレクターを始め6人のスタッフが細かい準備と進行によって行われた。男女二人のMC高橋良、青木京子氏の紹介と解説に私が加わって焼き肉文化論を語る形式であった。肉を焼きながらもマイクが口元に付いているので、放送中は食べることはしなかった。途中から店の主人の富下氏が登場して裏メニューなどを紹介しながらトンチャン(糞腸)ナベを直接料理をした。私は初めて食べてみたが韓国のビビンバのようなものである。
 1時間前からMCなどと音声テストなどをしたが私はリハーサルは断った。先に話をしたら本場では面白くないからである。二人のMCとは普通に話をしていたが、秒読みになり本場の時間の定刻から二人はまるで変身したように明るい表情で活気に溢れて元気よく語るので可笑しかった。谷本氏の指示板に沿って音楽、本社のアナウンス、CMなどの時間にトイレに通うことができた。東亜大学入試案内のCMが数回入った。広島RCCラジオ以来長く話をしたのははじめてであった。ただその時間帯がバンクーバーの冬期オリンピック開幕式とダブっていたので聴取率はどうだったんだろうか。