崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「こいつ、まだ、生きているのかい」

2008年10月31日 05時18分30秒 | エッセイ
 アメリカ・ボストン在住の中高学校の同級生から「やー、ケーセキ(犬奴)、まだ生きているのかい」という電話を受けてとても嬉しかった。このような人権的最侮辱の言葉の羅列になぜ私は「嬉しい」というのだろうか。私このように言うのは古い中高の同級生だけである。社会的地位なども関係なく呼び捨てで対話を交わすことができる。大法院判事、財閥の会長などとの古い同級生ともそのような対話をした。その部下たちの表情から「どんな特権者なのか?」と思われているようである。
 昨日高校卒50周年文集に寄稿する原稿を送った。その編集者の友人の印輔吉君は最も親しい古い同級生であり、学生時代に一緒に新聞配達をした。彼はソウル大学卒業後、朝鮮日報に入社、2回に編集局長、社長などを経て、定年し、現在は「大記者」として勤めている。彼の推薦と思われるが朝鮮日報からのモンゴル探検隊の3人の学者に選ばれたことがあったが、まだお礼も言っていない。文集に彼など懐かしき友人たちとの楽しい思い出、いじめられた話をも書いた。我らは出世や成功、失敗とはいってもかなり性格や社会的地位なども変わった。しかし変わってない過去「学生時代」を共有している。そしてわれわれは侮辱的な悪口にも嬉しくなる。筑波大学の宮田登先生が成城大学の野口武徳先生が入院中に「まだ生きているかい」などと楽しく冗談を交えてお話をするのを聞いたことがある。今は二人ども故人となっている。
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円高と文化交流

2008年10月30日 04時52分51秒 | エッセイ
 9月のイギリスとアイルランドの調査旅行では日本円が弱く、日本のビジネスホテルの値段くらいで、特にロンドンではトイレとシャワーの共有の安いところでしか泊まれなかったが、目下アメリカの経済の影響により円高で海外旅行が楽になったようである。このような為替の変化は株価などにはもちろん影響し、人の交流の人波も変えていく。最近円安により韓国からの観光客が多かったが、急減している。一昔前までは長い間円高時代が続き、日本は物価が高いといわれた。円高ドル安傾向にある時、海外旅行ブームを引き起こした。日本は「高級シャンパン」のイメージさえあった。日本に往来する韓国人が少なかった時を反日感情があるからだといわれたこともあってが、韓国から人波がおし寄せてくるようになると日韓関係の良い時期などと言われた。しかし為替相場の動きが国際関係を左右するのである。文化云々といっても、経済が圧倒的な影響力を持っていることが分かる。「韓流」とか「逆韓流」とか文化的な交流より経済がはるかに強力である。物が精神を支配するという唯物論的なことにも思い付く。ただ経済とはいってもそこには精神文化も含まれていることを勘案しなければならない。
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日本で小学校の後輩に会った

2008年10月29日 06時29分28秒 | エッセイ
 私は韓国京畿道楊州郡で生まれ小学校4年の時朝鮮戦争が起きてソウルの蓬莱国民学校に編入した。その学校はソウル駅の裏側の高地の頂上に立っている。私は1953年に卒業し、40数回期であることを逆算すると1910年代に創立した学校である。おそらく創立が植民地の初めころであったと思われる。学校のまわりこは日本人町であったところであり、銭湯などは戦後もそのまま使用されており、私もたまに行ったことがあった。私が住んだ家はいわば「敵産家屋」(日本人の住宅)を警官だった叔父が手にいれたものである。水道と電気はあっても都市ガスは切れていた。水道もところどころ破裂して道に水が流れて冬には凍って氷坂になり私を含め子供たちは坂道で滑りを楽しむ場でもあった。その小学校で2年以上在学して景福中学校へ入った。その小学校からその中学に進学できたのは私以外もう一人、たった二人だけで大いにほめられたがその後おそらく一度も訪ねたことがない。日本の国立大学へ小学校からの卒業証明書が必要ということで親戚の方がその旨学校に連絡したら卒業に関する記録はないという。戦争で焼失したということであった。
 先日小倉でその小学校の後輩の金明相氏にあった。なんと奇跡でも起きたように嬉しかった。過去の一部分を共有したというその縁は小さくない。特に外国においてはそれぞれ縁を探り合って親しさを深めようとする人の心が理解できる。インド人がカーストで縁をつなげていくのと変わりはない。私は人との縁を常に大事にしたいと思っている。
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日本人は文盲

2008年10月28日 05時01分38秒 | エッセイ
 大学生にも漢字検定試験をさせる大学もある。漢字は中国をめぐる漢字文化圏の文字であるが、北朝鮮、ベトナム、韓国もすでに捨ててしまって中華文化圏以外には日本にしか残っていない。その意味で漢字は日本語の文字そのものであり、日本の文字であるはずである。考えてみると自分の国の文字の読み方などを大学生に検定させながら勉強させなければならない、クイズにも出るほどであるということは漢字が完全に日本語になっていないかあるいは「日本人は文盲であるか」のどちらであろう。私は特に学生の名簿をみて出席を点呼することが難しい。国民が文字を読めない文盲政策が日本の国語政策ではないかとも思われる。日本はまだ万葉集時代の連続のようである。
 韓国でも漢字を国語として混用してきた。日本の万葉集の読み方に似た新羅の郷歌などはあっても近代以降日本のように漢字混用してきて、専門家をはじめ多くの人が漢字をなくそうという議論が長く続いた。私も一時は反対運動の方に向いたことがある。しかしタイプライターやコンピュターの普及によって国民が自然にハングル専用になってしまったのである。
 日本では「漢字なしでは微妙な表現ができない」とかいう空論が多い。韓国のようにハングルを専用しても問題がないこと、むしろハングルでも表現がいろいろと工夫されて豊かになっている。分かち書きもせず、漢字に依存せざるを得ない日本の漢字混用政策は極端に言うと文盲政策である。韓国の事例を見て国語政策を改革すべきであると思う。
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送別会で挨拶

2008年10月27日 06時46分32秒 | エッセイ
 在日小倉教会でYMCA理事長小林省三氏の送別会があり、礼拝に参席した。彼は古くから在日広島教会の教友であって彼が小倉に転勤した。その後、私も下関に住むようになり近くなった。小林夫妻は小倉教会の信徒になった。御夫婦は日本人でありながら在日教会の信徒になり東アジアとの交流に貢献した人として高く評価されながらも在日教会ではマイノリティとして長老になれなかったことは私は残念だと思うが、彼らは本当のキリスト教の眞心で信仰生活をしている。在日や日本の教会でもまだ民族などを超えていない。
 彼はYMCAで日本語学校教師課程を創立した人であり、そこを定年して広島へ帰ることになった。私は定年の先輩として挨拶をした。定年が「仕事から解放か」、「仕事(職)を失うことか」の感じ方は人それぞれだとは言えるが、その二つの混合の感情を韓国語でシオンソプソプハダ、すなわちさっぱりして未練のあることである。これからは人に頼り、神様に頼ることが多くなり、精神的により自立した生き方が可能な新しい時期を迎えるのではないかと語った。韓国料理の盛大なパーティが続く中、帰宅して日韓結婚夫婦の家族5人を迎えて話の花を咲かせた。
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西山淳子氏のコメント

2008年10月26日 06時18分51秒 | エッセイ
 一昨朝のブログについて中学校の先生である西山淳子氏のコメントが届いた。

  崔先生はとても優しい先生だと思います。でも、学問の上ではとても厳しい姿勢を学生たちは感じているに違いありません。ただの優しい先生ならば、学生はついてこないと思います。私も先生のようになれたらと思いながら25年間馬齢を重ねてしまいました。

 彼女の長い間の経験を踏まえたコメントとして受け止めたい。学生への優しさと厳しさの両面を同時に持つべきだということであろう。学生に限らず人間関係においても両面を持つべきであろうと思う。韓国では「熱情」「温情」「冷情」「無情」などのことばが頻繁に使われている。この「情」は愛に替えても良い。場合によっては相手を愛するからこそ冷たくすることもある。名作映画シェーンのラストシーンでは友人が殺されると知った人が彼をその場に行かせないためにわざと喧嘩をして暴力で彼を倒してその危険なところには行かせなかった。それが人を感動させる。「温情」と「冷情」は裏表である。
 
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生け花は女性独占か

2008年10月25日 05時33分27秒 | エッセイ
 山口県の有名な画家と生け花の展示作品を鑑賞した。花器、枝、花と絵など、季節が表われ、掛け軸と調和した大きい作品が多く、水準も高い。私は一つ一つの作品の前に立ち止まって集中して鑑賞し、美しさに感動した。ふと周りを見ると観覧者も結構多いとわかった。しかし、展示場全体に男性は私一人だけであることに気づいた。違和感もあった。日本では男性にも花を生ける人がいないわけではないのに、鑑賞する人は女性専用のようであった。生け花は「女性の文化」といえるのだろうか。
 韓国では男性は生け花などには手をつけるものではないという固い社会慣習がある。しかし私は若い時Herbert Read著Meaning of Artなどを読み、花が好きで1960年代末金ジョンシュン生け花教室を覗いてみて、自習して趣味としているのでこの場に立って感動しているが、このことが女性文化への侵入か、男女別のある枠を犯しているかのようにも感じた。韓国では家政学がほぼ女性に独占されているようであり、発展が遅いと思った先輩学者の故金東旭氏が服飾の研究書を出した時、ある著名な女性学者から「男の研究だから細かくない」と批判されたことを覚えている。しかし今金氏の研究は女性専門家たちの貴重な先行文献になっている。生け花の美しさも女性だけのものにしておくのは、男性にとって「もったいない」感がする。それは幸せに関するものであるからである。男性も花を生け、生け花を鑑賞しながら幸せを積極的に共有すべきであると思う。
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「厳しい先生」「やさしい先生」

2008年10月24日 06時13分27秒 | エッセイ
 昨日ある学生たちと対話中に私の教員としてのイメージが「やさしい先生」ということがわかった。つまり日本人の学生にはやさしいと感じるいうことであろう。しかし韓国の大学では逆に「厳しい」と言われた。カンニングや成績など厳しく管理して校内では「厳しい先生」として有名になっていた。今では当時のことを反省するところも多い。今のように変わったのはなぜだろうか。年をとったことや国も変わって遠慮するところも多いからかもしれないが、なにより教育への熱心さと方法が変わったのが大きい理由であろう。当時私には韓国で教育を通して国を変えようとする私なりの愛国主義のようなものがあった。それでも世間からは「親日的」などと悪く言われた。しかし自慢話のようなことをいうならば私は信念を持って世間と戦いながら教壇では熱心に正直と勤勉を語り、実践した。常に学生たちが私の良いサポーターであった。日本では教育システムや社会状況が異なっており、その方法を変えたのである。学生が自立していくように助力するという教育方法に変えたことによって「やさしい先生」という評価にかわったようである。
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医術は「人術」

2008年10月23日 06時08分17秒 | エッセイ
 昨日は医療工学部の学生に、以前広島大学院で私が指導した中村八重氏の博士論文を中心に生命倫理について講義をした。完全「死」、死体の「人格」と葬式、生体の変形や移植と死者処理、クローンなど問題点を数多くあげて講義した。あまりにも大きい問題に学生たちは唖然としていた。医療に携わる人は特に生命や人権を意識しなければならないと強調した。
 その直後歯科に行って治療台で目を閉じていろいろと振り返ってみた。子供の時には松の実を剥くペンチで歯を抜かれたことがあった。中国少数民族で道端で抜歯するのも見たことがある。私は20年ほど前に韓国から日本に転職して来た時、一本の歯が動いて抜かないといけないが歯科に行く時間がなく、そのまま名古屋へ引っ越してきて、さっそく歯科に行った。抜くと思った歯を細いはり金で止める処置をしてくれて未だに使っている。常に感謝している。当時の歯科医療の質が日韓でかなり大きい差があると感じた。しかし日本の中でも歯科の差は激しい。それは設備の差であることもあるが、もっとも基本的には歯科医師の技術の差である。それは医療を勉強する学生の差からくるものであろう。古くから医術は「人術」「仁術」とも言われているように医術が倫理観をもって行われることを望む。
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医術は「人術」

2008年10月23日 06時07分00秒 | エッセイ
 昨日は医療工学部の学生に、以前広島大学院で私が指導した中村八重氏の博士論文を中心に生命倫理について講義をした。完全「死」、死体の「人格」と葬式、生体の変形や移植と死者処理、クローンなど問題点を数多くあげて講義した。あまりも大きい問題に学生たちは唖然としていた。医療に携わる人は特に生命や人権を意識しなければならないと強調した。
 その直後歯科に行って治療台に目を閉じていろいろと振り返ってみた。子供の時には松の実を剥くペンチで歯を抜かれたことがあった。中国少数民族で道端で抜歯するのも見たことがある。私は20年ほど前に韓国から日本に転職して来た時、一本の歯が動いて抜かないといけないが歯科に行く時間がなく、そのまま名古屋へ引っ越してきて、さっそく歯科に行った。抜くと思った歯を張り金て止める処置をしてくれて未だに使うようになった。常に感謝している。当時の歯科医療の質が日韓でかなり大きい差があると感じた。しかし日本の中でも歯科の差は激しい。それは設備の差であることもあるが、もっとも基本的には歯科医師の技術の差である。それは医療を勉強する学生の差からくるものであろう。古くから医術は「人術」「仁術」とも言われているように医術が倫理観をもって行われることを望む。
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少子化と質高い教育へ

2008年10月22日 06時09分20秒 | エッセイ
 学生の少ないクラスを覗いてみてさびしく感ずる先生も多いと思われる。ある大学経営者から少子化による大学経営が難しくなっている一般的な話を聞かされて、私は今こそ大学の質をあげるチャンスとして逆利用する時である言った。大学は規模を縮小しなければならない。コンパクトな規模で質を高める教育体制にする必要がある。少子化はマイナスの意味しかないわけではない。少人数の教育が大学の原風景とともいえる。学生と一対一で個別で質の高い教育をする。そのためには素晴らしい教育者と研究者を兼備した「先生」の存在感への回復が優先であろう。
 数日前ある研究会で高名な先生が自分の弟子にコーヒーを入れてあげながら「砂糖は一スプーンでいいか」と聞いている現場を私が見て「良い先生だ」と冗談をした。大学が学生一人一人の人権を尊重する人間関係、そしてレベル高い研究成果を教えることが望ましいと思った。少子化に苦しむ大学はいち早く、改革を行うべきであろう。
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朝鮮学校問題再考

2008年10月21日 07時13分26秒 | エッセイ
 昨夜ある集まりで韓国の牧師が在日「朝鮮学校」に関して日本政府への政策提案が発表された。在日研究者が多い中、韓国からの発表ということで意味があった。学校制度と差別の問題を別にすることはできないように日本での朝鮮学校の事情に触れた。しかしそれは簡単ではない。本欄でも時々指摘したように根本的な問題は正規教育と特殊教育の差をどうするかという問題点にぶつかる。朝鮮学校は6,3,3年、正規の教育課程をもって行っている。日本政府が朝鮮学校を特殊な民族教育といって正規の学校と認めないというなら中国など外国の正規教育を認めて編入や留学も認めている現状とは矛盾する。公正とはいえない。
 ちょうど今朝の新聞には政府が各種学校を含めて認めるような教育法を改善すると報じられている。この際日本政府はこのさい在日朝鮮学校の実態を認めるべきであると私は期待する。一方朝鮮学校の側も闘争ばかりの激しさと暗さから方向を変えて差別とは別な次元で客観的な話に耳を傾ける態度を取ってほしい。そして長く持ち続けた民族教育を共生や国際化に調和する教育を行って欲しい。
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喧嘩の見世物

2008年10月20日 06時36分13秒 | エッセイ
 小倉韓国語弁論大会は弁論、寸劇、詩の朗読などあり多様であった。さまざまな韓国人との出会い、特に食べ物の美味しさが話題になっている。私は審査評でこのモデルをもって全国化の可能性、讃辞の勧めの言葉を語った。しかし舞台裏では在日とニューカマーの喧嘩があった。二人はともに人に尊敬されるような人格者だと思っていた人たちの口論喧嘩を見た。演劇を見るような表情や人格の変を見て驚いた。2百万の金銭関係による喧嘩であるが、両側ともにその十倍や数百倍も損したような気がする。
 日本ではドラマ以外にはこのような言語暴力の喧嘩を見たことがなかったので大変ショックを受けた。私は別の意味で面白かった。表舞台(弁論大会)で「好きです」「美味しい」「面白い」などの「演劇」が行われる反面、裏舞台では「このやろう殺すぞ」という悲惨な「実劇」が行われていた。一種の立体ドラマをみたような面白さもあった。喧嘩は本人のたちの解決方法であり、見世物でもある。
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鳥取とトトリムク

2008年10月19日 06時10分54秒 | エッセイ
 新幹線新山口駅で同僚であった日本地理の権威者である川村博忠先生に偶然に会って、同じ列車に乗って、地名に関して質問をして講義を聞くように勉強させていただいた。彼は広島大学へ、私は大阪民族学博物館へと別れた。万博公園の中を歩きながらドングリが落ちているのを拾って秋を感触した。子供の時、山にドングリを拾いに行き、母が作ったドングリのムク(どんぐりの澱粉でコンニャクのように作った食品)の味を思い出す。今では韓国で一般化されたものである。しかし日本では古くは地方によっては食べたが現在は食べない。ただ鳥取県がドングリの食品を開発したと聞いている。韓国語でドングリをトトリというので、鳥取の発音と似ていることから語源を韓国に求める人もいるようである。またトトリムクが好きな韓国人観光客を誘致しようとする観光政策ともいわれている。学会では探検、蕃語に関する二人の発表を聞いて、韓国の留学生金弼東夫婦に御馳走になって帰りの新幹線ではコンピュターを開いて文章を書いた。車内で居眠りができず疲れが極に達した。日本人は世界的に居眠りの達人だと思う。帰宅したのは夜11時過ぎだった。それでも私は寝つくまでは読書、テレビ、ラジオへのプロセスが必要であった。
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嬉と悲の交錯

2008年10月18日 06時03分57秒 | エッセイ
 韓国の姉妹大学から学生18名と引率教授が東亜大学を訪ねてきた。私は迎えに出てそのバスに同乗してマイクを持ってバスガイドの役割をして下関の観光地の朝鮮通信使上陸地と赤間神宮などを紹介し、朝鮮学校にも寄った。朝鮮総連山口県委員長が迎えてくださり、授業参観をさせていただいた。東亜大学では理事長などの通訳者役もした。気持ちよく訪問者を送って、研究室に戻ってお土産にいただいた韓国の辛ラーメンを同僚が作ってくれてキムチと美味しく食べた。
 その直後、私が一般人にボランティアをしているところから無礼な言葉を聞いた。毎日楽しんでいる韓国のテレビドラマの狡賢い女性を思い出した。韓国の人の悪役は表面から現れて正面から喧嘩する。日本のドラマとは大いに異なる。日本のホーム(ソープドラマ)では悪役が喧嘩せず相手を困境に追い込む。しかし古くは日本でもチャンバラのような闘いがあったようである。私が思うには近代以降「遠慮精神」を屈折的に教育したことに因んでいるようである。柳田国男は日本人の泣くことを抑制するようになったのもそうであるといっている。
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