崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

フセイン死刑

2006年12月31日 07時56分36秒 | エッセイ
 イラクの元大統領のフセインが死刑された。首に輪を掛けるまでの映像が公開された。元大統領の独裁者が罪で裁かれて処刑されるのは珍しい。多くの独裁者は無事に自然死をしたが、朴大統領は暗殺された。フセインは不運な独裁者であった。しかし彼は死を恐れたとはいえ、堂々と首吊りの輪を受け入れた。彼は神を信じた態度が伺えた。日本人の自分が神であるといった新宗教の教主の卑怯な態度とは異なって、英雄的な態度であった。彼の死が世界にまだ存在している独裁者に大きいメッセージとして働いて欲しい。冥福を祈る。

山口と政治

2006年12月30日 06時08分05秒 | エッセイ
 山口は現職総理を含めて多くの総理や政治家を多く出していると自慢する人が多く、他県からも言われている。しかし他県のある人から「山口は政治家産業が上手い」といわれて笑った。つまり政治家を多く出して道路などはよく作ってもらっても政治的には恵まれていないという。韓国では慶尚道が政治家を多く出して慶尚道中心に開発されたなどと言われるほど全羅道地方が金大中大統領を出して宿願を叶えたのだ。政治家を送ってその報いが返ってくることを待つのではなく、それよりは山口の住民自ら選挙で政策を選んで「政治を変える」という政治意識が高くなれば良いと思う。

代理母

2006年12月29日 07時47分38秒 | エッセイ
 民主党が代理母出産を認める案を作成したという。韓国の映画「シバジ」を思い出す。子供が生れないヤンバン家で姑と妻が謀議して、秘密に若い女性を連れてきて、妻が監視の下で夫にその女性と性関係を持たせて子供を産ませ、女性に報酬を与えた内容である。それには韓国社会の血統主義を批判するメッセージがある。また女子大学生がそのようなアルバイトをして社会的に問題になったことを覚えている。しかし今日本でその話を聞いて耳を疑いたくなる気持ちである。少子化対策がいろいろ行われるがなぜ外国から養子や移民を考えないのか、日本の単一民族主義を強く感ずる。

非国際化の日本のホテルシステム

2006年12月28日 06時42分14秒 | エッセイ
 集中講義のために広島のホテルで今、これを書いている。そこで思い出す。十数年の前、日本で国際会議を行なうことになり、ホテルのツイン部屋を多く予約して予算を立て、支払払おうとするとき、大きいトラブルが起きた。それは韓国や国際的には部屋中心の料金であるが、日本では個別的に人数料金で払わなければならないということで、予算の2倍になってしまって非常に困ったのである。投宿者が皆口をそろえて国際的に夫婦などがペアのツインベッドやダブルベッドを二人分で払うことは非常識だと抗議したが、ホテル側は「日本のシステム」ということしか何もいえない。今でも観光化の政策の一つとして立て直すべきではないだろうか。

今年を振り返ってみる

2006年12月27日 03時12分20秒 | エッセイ
 年末になってマスコミなどでは今年を振り返ってみる番組が多い。私としては一番嬉しかったことは二人の教え子の就職のニュースを電話を聞いた時である。一人は学部学生時代に私の助手をして日本に留学して、韓国ではなかなか職が決まらなかったが沖縄の名桜大学に決まったことであり、もう一人は中国からの留学生で博士号をとり、大連の名門大学に就職が決まったということであった。一方、一番悲しかったことは20歳半の愛犬ミミが亡くなったことである。「保身湯」(犬料理)の地で辛い思い出や日本での楽しい暮らしなどわが家族史として重要な存在であったミミがなくなったことは悲しいことである。しかし天に召されて、いつも近くいると思うと慰められる。

風邪の文化

2006年12月26日 06時13分04秒 | エッセイ
 風邪は世界的にかなり普遍的な病気である。薬もいろいろあるがまだ風邪は冬の象徴的な病気でもある。私は現地調査の時よく風邪を引いたが最近風邪を引いていない。予防の方法がいろいろといわれるが、私は冬には必ず首をマフラーで暖めるようにしている。学生たちなどに欠席の理由を見ると風邪が多い。中には風邪を仮病にする人も多いらしい。韓国ではお腹が痛いという理由が多かったが日本では季節の挨拶にも風を引かないようにとか、風邪が欠席の理由、さらに仮病としても利用されることも多いのは風邪の文化の差であるようである。

クリスマス礼拝

2006年12月25日 07時33分37秒 | エッセイ
 教会でクリスマス礼拝の中で指人形劇が行われた。操る人、朗読、ピアノ伴奏など調和をして参加者を魅了した。保育園の先生たちの活躍ぶりもよく表れた。百数十年の教会史が生きていると感じた。韓国に比べて日本のキリスト教が宣教に失敗したといわれるがそれは数の話であり、決して質の話ではない。これから数も考える宣教に向けて活躍することを期待する。

現地調査でのハプニング

2006年12月24日 07時13分26秒 | エッセイ
 「下関」学という研究会を立ち上げようとして豊浦で現地調査を行った。広島県立大学原田環教授や東亞大学の同僚の礒永助教授などが参加して大変有効な時間であった。村の入り口で全景を撮るために車を停めてシャッターを押したのに私の新品のカメラだけが作動しないハプニングが起きた。3人で順番に試みたが出来ない。結局私がチップを入れるのを忘れてきたことに気がついて大笑いになった。別の車で到着した学生の井藤からチップを借りることが出来て新品のカメラの性能を自慢することが出来た。

日本は大国か

2006年12月23日 10時04分06秒 | エッセイ
 日本留学してからまもなく、1973年夏与論島調査団に参加し、韓国の一般教養月刊雑誌「セント」10月号に寄稿した拙稿を見つけて読んだ。私は当時学生として新幹線には乗らず、特急列車で東京から鹿児島まで23時間掛ったと書いたが編集者が13時間に直したこと、日本がそんなに長い国とは思わなかったからといった編集者の言葉も思い出した。福岡から東京までが朝鮮半島の全長に当たるので日本がかなり長い国であることを私も日本に来る前までは知らなかった。その大きい国、日本は今全国的に流通や商業などが同一化されている。しかし人材の差は激しく、偏在している。建物などは中央と同様であっても、それを経営する人の質の差は大きい。それを克服することが本当のよい政治であろう。

首謀者が罰を逃れた

2006年12月22日 06時35分37秒 | エッセイ
 終戦直後におきたサハリン朝鮮人虐殺の訊問の書類を読んでいると、ソ連当局は一番の首謀者を処罰せずに7人を死刑をしたことに疑問を感じる。なぜ彼が罰を逃れているかはまったく見当つかずにいた。実は世間では首謀者が罰を逃れるのが一般的なのかもしれない。私は首謀者が早く自決したのでないかと思ったが刑事過程では必ず記録が残ると言うのだ。また逃げてしまって行方不明になったのか、それも逮捕のためにも記録には残すのが普通と言う。裁判訊問の書類を翻訳中の徐氏が走ってきた。ロシアドキュメンタリー作家のコンスタチン氏が死刑者に含まれいるのではないかという記録を見つけたという。しかし名簿に名前が載っていない。まだ解釈に行き詰まった。法務に詳しい人に聞いたらソ連側がスパイとして利用するために一切の記録を残さないことが考えられると言う。もしそれが本当であれば朝鮮人たちがスパイだとして殺されたが、殺した人がスパイになる皮肉なことになる。そのへんをあきらかにするために、さらに資料を探してみようと思っている。

お歳暮に思うこと

2006年12月21日 06時24分07秒 | エッセイ
 年末になってお歳暮とか年賀状などを交換することが多い。ある人はそれを形式主義だと無視し、ある人は感謝の心の交換として大事にする。昔ある学生に「感謝をすべきである」と言ったら彼が言うに「人はそれぞれ自分の利害や職務で人に良いこともするので特に感謝することではない」と反撥した。
 昨夜ある人からお歳暮と感謝の電話がきた。彼は学校の校長であり、十年前私からある大学に非常勤を紹介してもらってちょうど10年になったということで感謝しているということであった。彼に感謝と驚きと同時に私へのメッセージが大きいと思った。私こそ人から多く恩恵を受けているのにそれを忘れてはいないかと。実に私は多くの恩恵を忘れている。この年末に人への感謝を深く考え、大事な時期にしたい。

差別を語る在日

2006年12月20日 06時00分57秒 | エッセイ
 下関で大工をしている徐氏は元朝鮮籍者として朝鮮学校や朝鮮大学でロシア語を専攻した。私は彼にロシア語裁判関係文書を訳してもらっている。昨日彼は労働中昼休みを利用してきて新しい内容について説明をしてくれた。彼は何回も必用機関に問い合わせや図書館を利用して翻訳している。真面目で純粋な文学が好きな人で、私は彼とプーシキンやチェーホフなどのロシア作家に関して議論するなど楽しく付き合っている。このような人がロシア語を教えることが出来ず大工をしていることは不思議であって尋ねた。彼は日本の差別社会にについて堂々と語った。その話を聞いて、とても辛くて,怒りを覚え、そして悲しくなった。

ラジオ深夜便

2006年12月19日 06時28分35秒 | エッセイ
 先日東京で行われたシンポがNHKラジオ深夜便で深夜1時台で放送された。意外に聞いた人が多い。聞いた方のほとんどは年輩の方である。加齢と共に生活リズムが変わる。私は中年頃からも早寝、早起きの習慣があり、それが加速化して最近は9時頃寝て4時頃に目が覚めてラジオをよく聞いて5時からはコンピューターの前に座るように変わった。NYタイムスのヘッドラインを読み、メールを確認する。6時半にはラジオ体操の音楽が流れる。それが流れるとチャンネルを変える。それを聞くと植民地時代に姉などがやらされていたこと、戦後私は小学校で国民体操としてやったこと、夏休みには村人が朝早く集まって一緒にやらされたことを覚えている。それが厳しく嫌だったので聞きたくないかもしれない。

バプテスマを受けた

2006年12月18日 05時39分06秒 | エッセイ
 2006年12月17日夫婦がそろってバプテスマを受けた。下関バプテスト教会から温かく迎えられて感謝している。結核末期で大学を休学して田舎で療養中、同宿者であった精神病者を訪ねてきた牧師に祈ってもらって、そのキリスト教会に導かれ1960年韓国永楽教会で洗礼を受けてクリスチャンになってから二度目の悔い改めの儀式である。残りの人生を神に奉げる生き方をしたいと決心したからである。長い間、韓国教会や在日教会に所属していたが、韓国系教会の民族主義から開放され、クリスチャンとして国家を超え、日本の教会の中において韓国キリスト教会との交流を考えている。

「ゴミ海流」

2006年12月17日 06時36分27秒 | エッセイ
 温暖化が地球規模で問題になっており、またアジアでは大陸から黄砂が例年のように飛んできている。さらに狭く東アジア特に中国や韓国からは「ゴミ海流」で困ったという話を聞いている。南海から北上する海流の黒潮とは違って韓国や中国から日本に押し寄せてくる海流が「ゴミ海流」であるというのである。一昔前、日本の産業ゴミを韓国や中国に送り、まだ北朝鮮やロシアにゴミや中古車を輸出していた。ゴミはすでに大きく国際化されている。これに関しては環境問題として慎重に扱うべきである。