崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

応援と味方

2006年04月30日 17時28分45秒 | エッセイ
 スポーツを見ながら心から応援することがある。それは最初からどちらに応援するか決めているわけではない。面白さで、大体弱いほうを応援している。最初から決めているということは応援ではなく、味方であろう。私は日韓のスポーツを応援する時も同様である。これについて韓国の人から愛国心がないと見られたことがある。民族や家族は運命的に味方の対象であり、応援の対象ではない。その点私は無情な心の持ち主なのかもしれないと反省している。

横田めぐみさんの母親

2006年04月29日 11時54分04秒 | エッセイ
 横田めぐみさんの母親が全国的に拉致された方々の救済を求めて、涙ながらに訴える姿は心が痛い。ついに国際的にも登場し、ブッシュ大統領と面談もできた。拉致やテロなどがいかに人を傷つけるか痛感できる。これらのニュース見るたびに戦前の悲惨な状況で犠牲になった被植民地の犠牲者たちの家族が訴えるところにも耳を傾けて欲しいと思う。私が今、出版に向けて準備中の著書は日本人が朝鮮人を集団虐殺した事に関するものである。この事件はほとんど知られていない。世間に知られることもなく、その家族にさえ知らせず、葬られているものである。拉致問題もこのように表出されるまで多くの時間を費やしてしまったが、被植民地の犠牲者問題を含む、これらのことが一日でも早く解決することを望む。そして再び起こさないで欲しい。
 横田めぐみさんの母親の限りなく繰り返される泣く画像を見るたびに不幸を感ずる。ある韓国人が自分の息子を殺した殺人者を許したというニュースを思い出す。この事実はかなり話題になった。彼は許すことによって救われたという。彼はクリスチャンで後に牧師になったという。

学生と芝の上で

2006年04月28日 05時28分23秒 | エッセイ
 昨日学生と芝の上でのんびり話をすることができた。懐かしき芝の感触を思い出した。しかし学生たちは芝の上に直接座ろうとしない。なにか敷物を敷かないと座れないようである。韓国で学生たちと、芝の上にそのまま座って楽しく野外授業をしたことを思い出した。今の学生とは時代のギャップがあるのか、また日韓の家庭教育の違いかと考えている。自然に触れることにもこのような微妙な差がある。

小林綾子との対話から

2006年04月27日 12時27分32秒 | エッセイ
 先日述べたように小林綾子氏と同席した時、映画のエピソードを聞いた。彼女が目が見えない人の役をする時、目隠しをして練習したという。そして見えないということの辛さを味わって演技をしたという。努力している俳優であると感じた。私は風呂場で目を閉じて物を探して見て、障害を身近に感じた事があることを話た。 広島大学では時々目隠しをして歩く練習をする学生たちに出合って社会福祉科の学生だと実感した。障害者を扱った韓国の映画「マラソン」を再び見た。保護者の母親の執念が強く出ている。母は他人と変わらない健常者の息子にしようとしたが、マラソンでは他人より優秀な成果を達成した。それでハッピエンドである。母が自分の息子は「他人と変わらない」と学校の先生に強弁している。そして息子の好きなマラソンに夢を持たせて二人で努力する。人間はは身体的な条件で標準は無いはずである。障害があっても不完全な人間ではないということをあらためて考えた。

大型書店のオープン

2006年04月26日 22時22分16秒 | エッセイ
 下関に比較的に大型書店がオープンしたというので行ってみた。しかしそれを生かしていけるかと心配である。つまり下関の市民が本を買って本屋の経営に寄与できるかという余計な世話である。今の学生は本をあまり買わない。出版事情も悪い。
 学生たちはまともに本を買って読むことはしないが、ネット上では結構読んでいる。本をコピーしてネットに乗せて読ませると結構読む。最近私は講義内容もネットを利用して学生にPCで読んでもらう方法をとっている。時代は変わるもの、それに載るしか方法がない。

民俗学を勉強しようとする学生

2006年04月25日 22時19分54秒 | エッセイ
 大きい講堂で講義が終わった時ににある女子学生が残って、私に自分は民俗学を勉強しようとしてある大学に受験したが失敗してむしろ私に会えて幸いであると語ってくれた。学生は大学でよい先生に出会うことが大事であるが先生もまたよい学生に会うことが大事である。去年一年間は適応するのに苦労したが今年は明るい表情をする学生も多く、楽しい。人々は大学教員は長い休みがあるうらやましい職業だと言うが実は長い休みより学生と共にいる時が幸せな職業なのである。 

黄砂

2006年04月24日 22時19分23秒 | エッセイ
 海辺に住んでから船の排気ガスや騒音など公害に神経を使うようになった。乗用車の排気ガスを厳しく規制しているけど船はどうなのだろう。大型の船は1回の排出で海峡を汚す。それより地球環境の問題がある。
 今日は黄砂現象が酷くて向こう側の門司港がボケて見える。中国とその西地域からの黄砂だという。中国だけではないが中国の広い地域の黄砂が韓国や日本まで及ぶのである。つまり中国大陸は日本の黄砂の重要な源泉である。自国の弊害だけではなく、地球の環境問題になっている。私は小学校の時中国は古代から「治山、治水」政策を重要視していると学んだ。しかしまだその成果を出していない。韓国は朝鮮戦争の後、山野が荒廃したが短期間で克服した。中国などで緑化運動が望ましい。
 

ヘレンケラーを知っているか

2006年04月23日 21時40分42秒 | エッセイ
 中山節夫監督、小林綾子出演の山口映画センター製作の試写会で、「ヘレンケラーを知っていますか」を鑑賞し、懇親会では監督と俳優小林氏といろいろと話ができた。小林氏は去年アメリカコロンビア大学に語学研修に行って韓国人と友人になってメールで通信し、映画の中の韓国人の言葉を吹き替えをしているという。韓国語でも話をして楽しかった。つい先日まで日本では韓国ブームがあったが、このブームはいろいろな場面において根を下ろしていると感じた。要は韓国側でよりフリーな日本ブームが起きて欲しいと思う。

スウェーデンの作家から

2006年04月22日 11時22分19秒 | エッセイ
 スウェーデンでこのエッセイを愛読してくれる作家崔炳殷氏が私のホームページを開いてみながら電話をしてくれた。1万キロ離れたところからのコメントは嬉しいものであった。彼は韓国済州島のハンラ山の山頂にある白鹿潭にスウェーデンから白い鹿を送って牧場を作るのが夢であって「白い鹿」という題目の小説を、ヨーロッパの韓国系新聞に長い間連載した。また、韓国語の文学作品をスウェーデン語に訳して出版してノーベル賞候補にする努力もしてきており、金大中大統領の受賞時にも大きく協力した人物である。私はこの世の垢に汚れていない作家であり、画家である彼が大好きである。

風刺漫画

2006年04月21日 18時09分27秒 | エッセイ
 イスラムに関して講義を始めるにあたって去年の9月30日に、デンマークの『ユランスポステン』新聞が、イスラム教の預言者・ムハンマドの風刺画を12枚掲載したことを扱った。ムハンマドの過剰な髭など、特に頭が爆弾という描写も、イスラム教=テロリストというイメージにしているが、イスラム教ではその内容の侮辱より“偶像崇拝”禁止という宗教的な意味において、イスラム諸国が反発した。その抗議に対し、『言論の自由』という世俗的な理由で対応した。
 漫画で自由に描けることは『言論の自由』がある国であろう。韓国では独裁政権時代に大統領と似た顔のコメディアンが出演を禁止されたこともあり、特に今の北朝鮮では将軍様を漫画で書くことは出来ない。日本はどうであろうか。日本では天皇、国旗などへのタブーは強く残っている。つまり聖域はそれぞれの国家、社会にあることを理解することが必要であろう。


思いやり

2006年04月19日 06時25分17秒 | エッセイ
 先日名誉教授になったことに関する文章を読んだ広島大学の卒業生で現在沖縄のある新聞社に勤めている人からお祝いのメールが届いた。またある人からは花をいただいた。多くの人々からお祝いの言葉をいただいた。また新著と関連して山口新聞に紹介され、福岡のある所から講演や雑誌社からの執筆依頼などがあったりしてしている。その反応、心使いに感謝している。そして、自分はどのくらい人のことを思いやってきただろうか、気配りをしてきただろうかと反省した。これからはもっと愛情をもつように努めなければならないと思う。

人類愛

2006年04月18日 06時24分23秒 | エッセイ
 今、日本では愛国が話題になっている。私のように愛国主義の中で育った者としては古臭く、懐かしく感ずる。戦後の日本では戦前の「忠君愛国」を思い出さない教育をしてきた。しかし被植民地であった戦後の韓国は「忠君愛国」を捨てず「国是」として生かしてきた。それは植民地政策というより儒教精神として受け継がれて行ったのである。ナショナリズムを強化し、反日思想を生んで来た源泉ではあっても、親を大事にし、人を大事にすること、正義感を持つことが出来た。日本は「忠君愛国」の教育をしていなかったことは良かったが、人を愛するという普遍的な人類愛の教育もしてこなかった。私は韓国にて若い世代に教育を受け、そして教育をした者として日本の教育に人類愛の教育の欠如を強く感ずる。今、「国を愛する」というところを「人類を愛する」というようにすべきではないだろうか。

名誉教授とは

2006年04月16日 22時21分09秒 | エッセイ
 定年をしても広島大学の近いところに住みたいと思い、大学まで歩ける距離の近くに家を構えた。しかし定年してからは学校が近いのが心理的に負担を感じるような期間があった。今は下関に住んでおり、広大とは離れて縁がなくなったと感じていたが、昨日広島大学名誉教授の称号が送られてきた。図書館など学校の施設の利用に関する案内も入っている。突然広島大学との縁が蘇ってきて、また西条の家に戻りたいという気持ちが強くなった。定年退職する前までは名誉教授は単なる名称に過ぎないもののように感じていたが、今の私には大きなプレゼントであると感じている。家内の嬉しそうな表情がその気持ちをより強めたようにも思うし、また、老化に伴い、自分自身が社会的に、あるいは健康的にも弱くなったことをも意味しているのだろう。

朝鮮総連関係者の話

2006年04月15日 06時53分47秒 | エッセイ
 朝鮮総連関係者と長く歓談をした。彼は日本が次々問題を拡大していくことは正常化する意思がないのではないかと言っていた。私も彼の意見に同感である。このような拉致問題は完全な解決は今の時点では無理だろう。昔朴大統領は国民の反対にも屈せず日韓国交正常化を断行した。場合によっては世論を斬って人気が下がっても長期的な展望をもって判断する、歴史に残ることを断行することが偉大な政治家であろう。

韓国の差別廃止

2006年04月14日 06時21分56秒 | エッセイ
 韓国の純血主義は民族主義へ、ナショナリズムへの原動力になっていることは間違いない。しかし韓国人がアメリカに200万人もおり、そこで民族差別に対抗しなければならない時代になっていることから、その純血主義の見直しを計っている。韓国ではアメリカ国籍の黒人と韓国人の間に生まれたスポーツ選手を「祖国の英雄」とし、また国際結婚への差別を禁止する法律まで考慮しているという。韓国が国際化によってより良い社会を作っていくことに感動している。