崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

チマチョゴリと着物の交流会

2009年11月30日 05時40分59秒 | エッセイ
 下関日韓親善会主催のチマチョゴリと着物の交流会で講演をした。東亜大学へ初めて韓国から来た留学生のソンへジョンさんが日本の着物を着て登場した。私は日本の着物の構造はワンピースであり、韓国のチマチョゴリのツーピースとは異なりそれぞれ美しさを持って伝統を持っていることと、韓国のチマチョゴリの美しさと意味を説明した。参加者からチマチョゴリを着ている人を登場させて上から下まで、襟のドンジョンからチマまでその意味を解説した。襟を正す礼儀作法や民間信仰、ことわざなども紹介した。
 着物を着付けされた小園喜代子氏がソンへジョンさんを連れて登壇して日本の着物のを特徴を説明した。やはり日本でも着物の襟は重要な意味があるという。私は日本の着物の着方の難しさと丁寧な歩き方に比べて韓国のチマは靡くほど風を出す母親の象徴チマバラム(キョウイクママ)の力を強調した。昼食会を伴った歌や踊りには着物による日本舞踊、韓国のチュム(踊り)が披露されて、その特徴が表れた。写真は全員が赤間神宮を背景にして撮ったものである。
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銀杏の落葉

2009年11月29日 05時41分33秒 | エッセイ
 大学のキャンパスの銀杏の落ち葉が美しい。葉脈の線が団扇の竹節のような落ち葉を見ると一般の木の葉尖端が尖いか丸いのとは全く違って、逆で尖端が広がって枝の方が細い。楓色も黄色になっている。韓国では紅葉が美しく伝統的に「タンプンノリ(丹楓遊び)」が山で盛んであるが銀杏がその対象になることは少ない。この木は町の中に植えられて長生きをしていて、人と親しいからかもしれない。特に学者から好まれる木と言われており、大学の象徴的な木である。私の母校であるソウル大学(元京城帝国大学)には銀杏の木が多い。戦後植民地の木であるということでフランスのパリ大学の象徴的なマロニエに植え替えたが数本は残っている。日本に留学して東大の大きな銀杏の木を見て、なるほどソウル大の銀杏の木が帝国大学の象徴でもあったのかと納得した。人に近い木、漢方薬材や食用の実、そして長生きをしている。落ち葉色の美しさと実の臭さが不調和のようで、人生そのものであると悟らされるような気がする。
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自然教育

2009年11月28日 05時35分29秒 | エッセイ
 韓国から来た若い奥さんから聞いた話である。教育に熱心な韓国の人から見て日本の子供の学力が低いのは目だつようである。彼女の子供たちは日本の小学校では優秀なようであり差別云々というような話はなく、よく適応しているという。学力に力を入れる、競争させる韓国教育と日本の教育の差が現場で表れている。特に低学年においてのゆとり教育は放置、無力化教育なのか、知識注入式教育から解放されてのびのび人間を愛する教育であるのかは難しい。両方を総合的に組み込まなければならない。この点について韓国の若い夫婦と話をした。日本の教育がよいとはうなづくが、韓国社会では個人がゆとり教育に賛成しても競争社会なので結果的には子供が犠牲になってしまうというのが大体の意見である。
 その若い奥さんが隣の子供に対する家庭教育の話をしてくれた。子供が母親に悪口や顔を殴っても放置しているのを見て驚いたという。自分の夫は子供には厳しく、時には体罰もするという。日本では子供の虐待を社会で問題にしている。動物虐待も問題になるほど人権や生命観の尊重は一般的である。セックスハラスメントなど一方的に女性の方だけ尊重し、男性の方は無視されている。つまり子供や女性に対して親や男性の人権が無視されているように感ずる。バランスが取れた人権教育にならないといけないと思う。子供虐待で母親と情夫が逮捕されている。子育て中には様々な問題や悩みが起きている。しかし子育てとは動物も行う自然なことであろう。そこには愛情が基本であろう。ジャンジャク・ルソーのいうように自然教育に立ち止まって家庭教育、学校教育をもう一度考えるべきである。
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甘さ

2009年11月27日 05時15分13秒 | エッセイ
 韓国人が日本の食べ物は甘すぎというのを頻繁に聞いている。韓国の辛さに反して日本の食べ物は甘いと言える。日本製造のキムチ、海苔巻、お稲荷などまで砂糖を入れている。甘さが美味しさを主導するものが多く本質の美味しさが分かりにくいものが多い。人間社会が甘さを探ってきた歴史は長い。15世紀ポルトガルがアフリカに砂糖を求めた植民地対象の食品になって以来、西洋諸国は植民地プランテーションとして大量生産するようになり、ブラジル、インドネシアなどはコーヒーと砂糖が有名になった。(写真はイギリスブリストルの大英植民博物館で2008年展示している砂糖などの植民地食材)日本は沖縄と南洋などでサトウキビを栽培し、比較的に砂糖が豊富である。しかし韓国には砂糖キビはなく、高粱などを長く煎じて作る「朝鮮飴」位であった。ただ戦後アメリカから軍儒品として入り、多く普及されるようになり、以降アメリカの「飴玉政策」(ごまかす、騙す)ともいわれるほど砂糖が豊富になった。苦い薬を飲む時飴玉を舐めるなどに利用し、苦さをカンプラージュするような、「サタンバリム사탕발림(砂糖塗り)という否定的な言葉がある。砂糖には否定的な言葉も多い。
 私は料理が上手くない人が砂糖を大量に使うという偏見のような感をもっている。お土産の多くの何々マンジュウなどには常に甘過ぎると感ずる。甘さが食材質の味を補助するのではなく、甘さが味を主導するように感じる。あんこなどの小豆の味を感ずることもできない。特に長崎カステラは砂糖の粒さえ残っているのが特徴と言える。甘さの高い食品には腕前が疑わしい。
 韓国や中国の料理より日本の料理は砂糖を多めに使っている。だから韓国人は日本の食べ物を「甘い」という。それは食品に限るものではない。日常生活でも甘えたり、甘やかすことも一般的である。甘さは日本人の食文化であるからよそ者が文句を言うべきではない。日本語のレトリックにも甘さが高い。中でも褒め殺しが一番恐ろしい。いろいろと甘さを若干減らしてほしい。


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辛ラーメン

2009年11月26日 03時57分48秒 | エッセイ
 先週辛ラーメンを買いに行ったが売れ切れだったので人気があることを実感した。同行した韓国人の奥さんから昨日辛ラーメンを6個ももらった。それは純韓国製のものである。日本の工場で製造されたものがスパーで売られている。家内はご飯が少し不足気味の時、スープの代わりにラーメンをよく作るようになった。
 辛味を好む韓国人に人気のある韓国のインスタントラーメンであるが、日本でも人気がある。創立者の辛氏に因んで名付けたとはいえ辛味のラーメンとして有名になった。麺の文化は中国文化といわれていてもインスタントラーメンは台湾人の発明を日本人が商品化したという。しかし普及は韓国の文化ともいえる。私は1960年代初めごろ「三養ラーメン」を初めて食べて、軍隊の訓練中に味わったそのラーメンの美味しさを覚えている。またウランバトルからイルツクへの30余時間の食堂車のない列車の中で車掌用の韓国製ラーメンを食べたことも忘れられない。「辛ラーメン」は韓国のインスタントラーメン市場で占有率トップであり、世界70カ国以上に輸出されている。
 辛さは韓国料理の象徴的なイメージになっている。もともと辛さは毒と思われ、武器に使われたという。私の子供時代には伝染病が流行ると唐辛子を燃やしていた。また韓国民主化のための学生デモに発砲された催涙弾は唐辛子のように目にしみるものであった。昔外国人とのスポーツ生中継で韓国KBSアナウンサーのリカンゼ氏は「唐辛子を食べている韓国人の強さ」を話っていたのを覚えている。実にその辛さも世界に普及している。
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小人数教育

2009年11月25日 04時44分25秒 | エッセイ
 子供の数が減る、いわば少子化から小学校などが閉鎖される。大学も学生募集に大変な時である。それよりは先生の権威が低下し、学校崩壊にまで至っているのも現実であろう。今、国を挙げて少子化対策も必死に行っている。その大体は多量化への対策である。しかしそれは移民を受け入れない限りなかなか難しい。今の教育ではアジアなどからの日本人の勤勉さと正直さの評判が、期待できなくなるかもしれない。世界的には学力競争を基本とするのに日本の教育は学力中心ではない。それは学力の低下はあっても人間関係を悪くしないという肯定的な面がある。しかし結果的には学力低下より教育そのものの低下をおこしたのである。自己管理のできない日本人が増えるのではないかという心配もある。学生は学生という自覚もなく、先生はひたすら真面目に教えることしか知らずに戸惑っている。学校の教育プログラムも変わっていくべきである。
 私は少子化には「少子対策」が必要であろうと思う。学生の個性が尊重され、質高い教育を行うべきである。大学も今後、ますます難しくなっていくようである。私は今日本の大学の少子化教育、つまり小人数教育、質高い教育への良いチャンスだとも思う。その「質」とは狭い学力の高度化だけを意味しない。国際化時代に対応できる、協力と信頼できる能力ある人の育成を意味する。
 
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リトル釜山

2009年11月24日 05時36分33秒 | エッセイ
 下関に来て毎年欠かず「リトル釜山」に出かける。昨日もグリーンモールではハングルの基本講座をはじめヤッサー踊りなどを楽しんだ。農業祭りでは品評会の展示があって収穫物が視線を引いた。中には大きい、本当に大きい「大根」や白菜には驚いた。女性の足を大根足と比喩するが実際女性の足よりはるかに大きく、太い。公園では20メートルほどの海苔巻を大勢の人々が並んで一緒に巻いて、それを切って参加者皆で食べても残るほどであって私も2きれ食べた。
 「リトル釜山」では例年に比して韓国の民団などの店が見当たらず幹部たちにも会えなかった。私の行った時間帯が悪かったのかもしれないが、最近民団の活動は微々になった感がする。韓国語の弁論大会に団長は欠席、昨日は文化院長も参加しないなど動向が低調している。ある人は韓国の政策の愚かさだと言っていた。日本でもデフレ景気であり、暗い経済と合わさった感がする。友人の一人が治療のため入院すると聞いて私の気持ちはさらに暗くなった。このような沈滞した状況の時こそ勇気を出し合って生きるべきである。
 
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「勤労感謝の日」

2009年11月23日 06時42分16秒 | エッセイ
 今日は11月23日「勤労感謝の日」の祝日である。大部分の国民はこの祝日の意味の「国民互いに感謝しあう」趣旨を知らない、あるいは意識しない。古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があって、飛鳥時代の新嘗祭の日が「勤労感謝の日」の元になっているという。新嘗祭とは天皇が新米を神にささげてから食する農耕儀礼の一つである。旧暦の日がそのまま新暦11月23日になった。旧暦の日をそのまま新暦としたのは韓国の「開天節」(10月3日)と同様である。私の修士論文は韓国の農耕儀礼をテーマにした。農耕儀礼は中国が起源であるが日本のものと韓国のものとは似ていると思う。祝日については山口大学で発表したばかりである。
 先週教会で祝った感謝祭はアメリカなどキリスト教の国で祝うThanksgivingデーであった。したがってわが家は2回勤労感謝の日を迎えたことになる。勤労への感謝は米国で祝う「勤労の日」(Labor Day)に通じる。この「勤労感謝の日」という意味の一つは「勤労」に感謝する意味が強い。韓国では普通「勤労」は苦痛とか、苦労という否定的な意識を持っている人が多い。しかし働くことは神から授かった義務であり喜びである。肯定的な意味でお互いに感謝して祝うのが「勤労感謝の日」の重要なことであろう。
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時間観念

2009年11月22日 06時24分31秒 | エッセイ
 時間観念は個人や国家によって異なる。先日韓国の世明大学の総長一行が来られた時の話である。総長は時間を守ることに厳しい人であり、5分前に約束の場所に着くというので、職員たちはその5分前には行くようになり、10分前には集まるようになったという。以前韓国でアメリカから来た教員が講義時間になったらドアーを閉め切ったのをみた。今、日本では学生たちの遅れや欠席が多い。時間を有効に使うか否かは人生観そのものであろう。
 昨日は山口大学で主に国家が時間や暦をどう管理するかについて議論した。元号を使用している日本と北朝鮮、名節として旧暦(陰暦)を守る中国、韓国、台湾に比して日本は新暦化されたことが明らかになった。また韓国は国慶日に反日的なナショナリズムを表している。北朝鮮が日本と似ている。それは北朝鮮は軍隊組織、訓練など戦前の日本のものを大いに踏襲しているからであろう。シンポでは旧暦の扱いについて触れ、文化論と国際化まで議論できた。大きい成果を出したと思った。
 聴衆には同僚の山本達夫准教授のお父様や萩の金優社長もいた。大学の記念品やういろうのお土産をもって新幹線駅まで送ってくれた李文相氏の車から降りて何の理由もなく転倒した。怪我をしていない、ただ疲れていたのである。遅く帰宅した。このたび多くの人にお世話になったことを感謝している。(写真:私の左から辻所長、丸本学長、西田副学長)
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湯田温泉へ

2009年11月21日 06時06分33秒 | エッセイ
 山口大学時間学研究所長辻正二氏の主催で行われる「東アジアの暦と近代化」の打ち合わせのために湯田温泉に初めて来た。駅に降りて案内の地図上、駅の近く「足湯」というところを「現在の位置」と思って歩いてホテルを探したが遠回りになった。数人の方が足を湯に入れているのを見て私が足湯を「足場:現在位置」に錯覚したことが分かった。それ以外には温泉町とはいっても別に特徴はない。川端康成の小説に描かれたようなトンネルを超えて行く雰囲気が全くない。また日本に来て間もないころに熱海温泉に行った時のような印象もない。韓国の温陽温泉も都市化して温泉文化のにおいがしないのと同様である。しかし人々の脳裏には風呂と温泉文化のイメージがインプットされているようであり、人々が集まって来るのであろう。
 東京から帝京平成大学現代ライフ学部教授の中村士氏、中国の貴州大学教授張聞玉氏、台湾から淡江大学未来学研究所長の陳瑞貴氏と、そして私は韓国からの立場の参加になっている。私が準備のために購入して読んだ『時間学概論』の山口大学の著者たちが参加して嬉しかった。監修者の辻正二氏、「物理の時間・宇宙の時間」の筆者の藤沢健太氏、「時間の哲学:時間の流れとタイムトラベル」筆者の青山拓央氏、「時間とそのリズムを記録する地球」筆者の鎌田祥仁氏、「昔という時間,古 (いにしへ) という時間」筆者の森野正弘氏、他に人文学部の民族学専攻の坪郷英彦氏などと歓談した。
 ホテルの屋上の共同風呂に行ったが意外に小さく、外の夜景も見えない。コンクリートの上に古い温泉のイメージを保っているだけであった。
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マテオリッチ

2009年11月20日 05時24分43秒 | エッセイ
 元同僚であって有名な地理学者の川村博忠氏が訪ねてきた。彼は1935年朝鮮京城に生まれ、広島大学文学部史学科地理学卒業、山口大学の教授、東亜大学教授を歴任した人である。彼は戦前戦後の朝鮮と引き上げの時の話をしてくれる。昨日の話では彼が先日韓国人旧友の二人を案内したのに一人は慶北大学名誉教授であり、拙著の読者でもあったという。昨日は1602年マテオリッチ作「坤與万国全図」に関する元ソウル大学教授の李燦氏著の本を持って来られた。その地図は韓国に1本、日本に2本と筆記本が30ほど残っているという。大阪の「北村所蔵本」を先日直接見ることができたという。鎖国時代において世界に関して日本人は関心が高かったといえる。地図には魚などの絵を描き入れてある。日本人の記録と保存の優れていたことを意味する。
 私の関心はその作者であるイタリア人のマテオリッチである。彼はカトリックの宣教師でもある、彼は北京に長く住んでおり、朝鮮から彼を訪ねた学者を通して韓国にカトリックが伝道されるようになったことである。私が1980年代書いた『韓国の祖先崇拝』で1780年代にカトリック信者たちの殉教について触れたこともあって、だんだん話が盛り上がった。マテオリッチは中国で中国式の名前(利瑪竇)や服装までしていながらキリスト教の神を中国語で「天主」「上帝」と訳した『天主実義』は有名であり、私は高校時代に歴史の教科書で習ったことを思い出した。川村氏によると西洋の宣教師は日本に来ては日本を蔑視したので日本式の名前を作らなかったという。しかし朝鮮に来た宣教師たちは朝鮮式の名前を作るのが一般的であるので私はその事情が分からなかった。本当に楽しい勉強会のような時間であった。
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交通信号体制

2009年11月19日 04時59分10秒 | エッセイ
国道2号の山の谷交差点付近の交通渋滞の緩和、交通安全の確保を目的として下関市一の宮地内において、拡幅に伴う舗装工事を行っている。しかし今出勤退勤で交通渋滞が激しい。その渋滞は工事によることではあるがそれより信号調整が適度になっていないようである。昨日6時ころ帰宅のために乗ったバスでその状況を観察した。2号線に合流する車線を優先しているので一般乗用車たちはその車線を迂回する人も多い。一般道路の青信号は30秒で2号線の青信号が150秒になっているのを測って分かった。一般道路は2車線を1車線として30秒しか青信号がない非合理的な信号体制が問題であることが分かった。国道優先するのは理解できるが工事中の状況を勘案して調整する必要があると思う。その専門的な技術は別としてこのような渋滞を運命のように受け止めている運転手たちが可笑しい。先日中国長春で信号にあと何秒で信号が変わるかという時間を表示しているのを見て良いと思った。この問題点を知って来年3月31日までバスで帰宅するのが辛い。しかし完成した時を楽しみにもしたい。交通渋滞を通して地域の道路事情や信号体制に関心が深まるのではないだろうかとも思ってみた。
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小倉志郎氏の書評

2009年11月18日 06時11分46秒 | エッセイ
 映画監督前田憲二氏発行の季刊「ハヌルハウス」27号(2009年11月)に拙著『夫婦が書くエッセイ―日韓を生きる』の小倉志郎氏の書評が掲載された。以下文末の部分を転載する。

 (省略)この本を読むと、今では、夫婦ともども、日韓の言語や文化の違いを暮らしの楽しみの一つとして生きておられるような印象さえ受けた。
 この本を読んであげで、私の日韓文化の違いについての認識は格段に高まった。しかし、ここでは触れなかったが、日韓の国境や文化の違いにかかわらない、普遍的な人の生き方についても、著者から教えられるところも非常に多かったことを付記したい。そういう意味で単に国際結婚の成功例と言うだけでなく、もっと広い意味での人の生き方の参考書としてすばらしい本だと思う。
 著者夫婦のような生き方をする若者が増えることを希望する。それが現実になるためにも、この本が若い人びと、また、その親の世代の人々が読むことをお奨めしたい。私は今後、この本を座右の書のひとつとする予定である。
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釜山射撃場火災

2009年11月17日 05時07分00秒 | エッセイ
 釜山射撃場火災で日本人7人が死亡したという。日本人に人気のある観光ポイントの一つであることを初めて知った。日本人の韓国観光は一般的な概観的な観光から、より具体化して、射撃を楽しむ、ゴルフを楽しむなどを含む観光になっているようである。射撃と言うとハンティングという趣味だとばかり思っていた。ドラマ、映画、マンガなどホラー物にはピストルや射撃が頻繁に出て、関心のある人も多いのだとうなづくところもある。
 今度の射撃場の映像からは銃は玩具ではなく、実物のようである。射撃場が繁華街の室内で行っていたことには想像を超えた。そして火事で修羅場になったのである。昔韓国の団成社という映画館で映画の上映中、火事になって実劇のようになったのを思い出す。射撃、火事、救助劇がホラー劇のようにニュ-スが伝わっている。私が繰り返して書くように私は子供の時射撃を楽しんだこと、軍隊訓練中に射撃し、週番士官としてピストルを所持した時のたくましくなる気持ちまで体験している。楽しさと危険性をよく知っている。特に快楽は危険であることも忘れないようにしてほしい。
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小さい文化生活

2009年11月16日 05時44分05秒 | エッセイ
昨日は教会の感謝祭であった。牧師がマスクをしたまま説教し、信者たちもマスクをした人が多く暗い雰囲気のなかキリスト教会の大きい行事の感謝祭を行った。感謝のメッセージもないことは初めてのことで戸惑った。感謝祭とは1620年の秋にイギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住した人たちが最初の収穫を記念する行事から由来したものである。彼らは先住民を招待し、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる。プリマス植民地で最初に祝われた1623年教会で礼拝を行い、神に感謝を捧げる宗教的な意味合いが強かった。
 礼拝後石川氏の主導で謎解きゲームでも感謝祭の由来でプリマスという地名が出た。数年前わが夫婦が川島擁子氏宅を訪ねた時そこを紹介されたことを思い出し、彼女らの感謝祭を行っている様子を想像した。教会のグループ・ゲームが行われた。テーブル毎に用意しているミカン、リンゴ、柿などを手にして重さをはかる問題であった。われらのテーブルでは卵の重さ50グラムを基準に答えて当てることができた。
 毎日新聞社が送ってくれたチケットをもって村岡氏、堀氏を誘って下関市美術館に開かれているピカソ展を観に行った。ピカソの絵からは美しさよりなんとか活力を感じた。コーヒーを飲んだ。なんと忙しい中に大きい文化生活(?)でもできたように満足した。
 

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