崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

悲劇と悲惨

2009年05月26日 05時45分01秒 | エッセイ
 先日映画関係者たちに会った時、私は日本で放映される多くの韓国ドラマは美人、豪華な住宅、劇的変化、無理なハッピーエンディングなどの近代文学以前の特徴を指摘した。ある韓国の映画監督は日本のアカデミー受賞作品「おくりびと」さえ知らなかったのでびっくりした。彼は韓国ドラマが日本で受けいれられるように努力することを強調していた。ギリシャ文学の悲劇が評価された文学史などは全く否定的な韓国ドラマが、私にも、多くの日本人にも「面白い」と感じられるのはなぜだろう。それも評価すべきである。
 多くの独裁者は悲惨な死に方をして去っていくのが正道のように考える人は多い。しかし金日成のようにハッピーエンディングでフェイドアウトする人も多い。またその息子もそうであろうと思われる。昨日本欄では蘆前大統領の死について触れた。トップリーダーを最高位の幸せのポイントとすれば彼の死は悲惨であったといえる。それが悲劇化するためには正義を追求したはずの彼が政治的に死に追い込れた恨みが強調されなければならない。世俗的な英雄が悲惨な死のメカニズムによって宗教的な神にもなりうるということを書いた。私は韓国ドラマにはない悲劇性を彼の死から感じている。