崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

誇示する工事

2008年07月31日 07時00分43秒 | エッセイ
 昨日退勤時間に帰宅する人の車に便乗させていただいた。交通が渋滞していて長い列ができていて逆戻る車もあったので大きな事故と思われた。私はカメラを持ってくればよかったかななどとと思った。先が見えないので好奇心が高まった。三叉路の一方の道路は通行していることに気がついた運転する友人は逆戻りし、遠回りしたが三叉路に着くことができた。渋滞の原因は交通事故ではなく道路に白色のペイント塗っていることによるものだった。こんな帰宅のラッシュ時間滞に渋滞させながら「誇示する工事」であった。 線を引く人はそれが重要である。部分的にはそれぞれ重要性を持っているが、全体の脈絡を考えないと渋滞する。社会も同様である。日本では一つのことに執着してしまい全体が流れないことが多過ぎである。全体の枠で譲ることも必要である。渋滞しないように心を使うのが本当のサービスであろう。交通事故ではなかったことに安心しながら思ったことだった。
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國際BEAUTY学会

2008年07月30日 06時18分13秒 | エッセイ
 日本の床屋の発祥地である下関の東亞大學13号館で8月4日(月)に國際BEAUTY學會が開催される。韓国、日本、中國から60余名が下関に来る。大会では金田晉、Quri、河慶然、坂井由紀子などの諸氏が自国語で発表し, 原稿は英文で配布する。トータルビューティ教室ではポスター發表(24個)があり、次のような作品がある。メークアップ(24個)、ネイール6個、ヘアー6個、スキン3個が展示される。私は韓国の帽子を賛助出品する予定である。日本芸美学会からも特別講演(井上正康氏)も行われる。午後はシンポジウムも行われる。午後東亜大学新理事長の櫛田宏治氏主宰の懇親會が開かれる。一般に無料で公開する。
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暑中見舞い

2008年07月29日 06時28分00秒 | エッセイ
 連日30度を超える暑さが続いている。暑中見舞いが往来する。しかし日の出が大部北に移っている。この先涼しい風が待っている。この暑さとは逆に寒さを向かえる。寒くなると又暖かい春を待つ。四季のある所に住んでいることに感謝する。東南アジア、赤道で一ヶ月間くらい調査したことがある。全天候の農業天国である。植物は冬に落葉することはない。しかし成長と終わりがある。いつでも稲作ができる。稲作の過程が日本とは異なる。一斉に田植えする必要がない。種まき、田植え、収穫などを一視野の中で見ることができる。
 私には変わらない暑さも暑さであるが、それよりは年中季節の変化がないのが辛く感じた。地球を暖める太陽のエネルギーは凄い。考えると暑さより寒さが怖い。
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日本人の真面目さ

2008年07月28日 06時24分38秒 | エッセイ
 試験期間中である。私はそれにも気がつかず授業のためにコンピュータとプロジェクター設定して待っているのを見た同僚が授業がないと知らせながら「真面目だ」と言った。韓国ではアホかバカといわれるべきところに真面目という褒め言葉を使っている。もちろん皮肉である。私が午前8時にキャンパスに到着するとき花壇に水を撒いている職員がいる。彼は雨で濡れても水を撒いている。イソップ寓話にでも出るような真面目な人である。私は大学時代の猛暑の中、広告の文面通りの服装で参加してアホと言われたことを思いだす。日本人の真面目さにはアホ性が含まれている。真面目な学者を「専門バカ」という。賢明すぎな人が溢れる世間の中に「専門バカ」のように研究に全力を尽くす学者によって社会が発展する。世間がそのような人の恩恵を受けていることはあまり知られていないのだろう。
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小松和彦氏の還暦

2008年07月27日 06時29分32秒 | エッセイ
 分厚い小松和彦氏の還暦記念論文集が送れてきた。彼は妖怪の研究で多くの著作を出している。妖怪は迷信ではなく、日本人の想像力であると意味づけたのは新鮮である。いつも若々しい思われる彼も還暦になった。私だけ歳をとるように感じたが彼も還暦だといわれるにはまだ早く感じる。昔私の学生を留学生として彼に頼み、指導していただき、学位を取得させていただいたり、彼の弟子と私が付き合ったりし、目下私の弟子である韓国世明大学校の金弼東教授が小松先生のところの国際日本文化研究センターで招請者として研究をしている。今度多くの弟子たちが作った立派な論文集には浮葉氏など懐かしい名前もある。
 ついでにいうと、今私の古希記念論文集が広島大学卒業生たちが準備している。また韓国の有名出版社から著作集出版の話も申し込まれて嬉しい一方、歳を強く感ずる。それより今書くべき原稿に集中しており、他に神経が回らない現状が幸せである。
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翻訳研究会

2008年07月26日 07時04分16秒 | エッセイ
 川嶋擁子ワトキンズさんの北朝鮮から引揚げの体験記、"So far from the bamboo grove"(1986)が日本語でまだ出版されていないが、その続編の"My Brother, My Sister, and I"が西村淳子氏によって翻訳されている。その原稿を持って語り合う研究会が立ち上がった。11月来日シンポに向けて準備を兼ねて私も喜んで参加してる。
 私はスウェーデンの友人からノーベル賞受賞作品の詩集を共同翻訳を頼まれているのを棚上げにしていることに気がついた。文学作品、詩の翻訳とは言葉より感情を表現すべきであろう。外国語と日本語には言葉の基本概念は共通しても、それが持つ第二、第三の概念は異なる。たとえば「父」といっても母の夫という意味は同じであって日本の「おやじ」はかなり違う。つまり翻訳は文化や社会の翻訳になるのだ。文化庁長官の青木保氏の翻訳文化論がその意味の著書である。
 私は西村氏に単なる文字の翻訳を超えてその意図するものを伝えるような創作をしてほしいと注文した。立派な翻訳を期待している。
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櫛田宏治教授理事長就任挨拶

2008年07月25日 06時08分31秒 | エッセイ
 櫛田宏治教授の東亜学園理事長の就任挨拶は経営の厳しさにもかかわらず素晴らしい教育のビジョンが述べられて歓迎された。私はこの大学では「研究」を奨励するような言葉を初めて聞いて感動した。彼は少子化については最後の一人まで質の高い教育の提供とアカデミズムを強調した。一般的に地方の私立大学は少子化現象に経営の困難さを任せるような態度があるが、彼はそこに「挑戦」challengeと「変化」changeを訴え、アメリカの大統領の演説を聴くように勇気づけられた人は私だけではないだろう。
 中には東亜研究所の設立の提案もあって、研究と教育という真の大学教育精神の復活を感じる。新理事長就任にあたり構成員たちは「変化」すべきだと思う。ほぼ同時期に私が13年間勤めた韓国・啓明大学校に私が尊敬する申一熙氏が総長に就任した。彼は地方の大学を全国的な有名大学に成長させた。彼こそ変化と挑戦が信条である。私は二人の指導者に期待し、今後が楽しみである。
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通り魔事件

2008年07月24日 06時21分37秒 | エッセイ
通り魔事件が続いて起きている。夜の人のいないところの犯罪とは対照的に昼の繁華街などで不特定な人への殺害事件である。復讐として殺害が個人的というならば、「相手は誰でも良い」ということは社会へのメッセージがあるといえる。犯人は未成年か未熟な人が多い。人口1億何千万の中でそのような犯罪をマスコミが扱うならば限がないだろう。マスコミは事実と同時に「劇性のあるもの」を主に扱う。犯罪には劇性がある。そして犯罪も劇化する。
 日本人は真心で自殺するということで「自死」といった人がいるが、三島由紀夫のように伝統的に切腹の文化を持って劇的に自殺した人もいる。演劇などは死をもってエンドになるか、あるいは死因のところからストーリーが始まる。が、日本の切腹は死に方、そのものが劇のようなものである。一生刀をもって生活し、刀で死ぬという侍の文化は今大通りで不特定な人に向かって刀を振り、舞うショーとして残っている。
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狂牛病患者の日本、「対馬はわが領土、太平洋も譲れない」

2008年07月23日 06時34分46秒 | エッセイ
 釜山シンポのメンバーと乗ったバスが日本総領事館前で信号待機中に異様な垂れ幕を目撃した。「狂牛病患者の日本」という3行の横書きの垂れ幕を見つけメンバーたちが珍しいと写真を撮った。その横にはもう一つのものがあったがバスは過ぎてしまった。それらの後ろにはデモ隊に対応しようとする警察バスとともに武装した警察の姿も見えた。このような日韓関係の危機感の中でも市内を歩くと日本人を歓迎するムードがある。
 日本に対して抵抗する発言をした学者も個人的には親日的な話が多かった。特に印象に残ったのは韓国中央博物館長の崔光植氏の話である。高麗大学学生たちが飲み屋で歌う歌詞が「対馬はわが領土、太平洋も譲れない」というが、メロディーは日本の軍歌だというのだ。私はそれに万歳三唱も日本製であるといった。「万歳」というのは中国や韓国の文献にもあるが、それを三唱というように形式化したのは日本である。日韓にはこのように文化的に混合したものが多い。それは文化的には明確な境がないものも多いからである。この事実が真の国際化かもしれない。
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炸醤麺(ジャジャン麺)

2008年07月22日 06時19分00秒 | エッセイ
 韓国人が海外で食べたくなるのがジャジャン麺である。韓国では最もポピュラーな麺料理である。韓国風の中華料理の炸醤麺の麺料理である。釜山シンポのエックスカーションの終わりに上海街(テキサス村)の華僑中学校を訪問して、中華料理で韓国式中華料理の一番のジャジャン麺を勧めた。豚肉と黒い味噌で混ぜた麺の料理で生のタマネギに酢をかけたものに黒い味噌をつけて副食として食べる。台湾人や台湾研究者には体験の昼食であった。出前商売と安い値段などで韓国に定着した中華料理である。辛くないので子供が好むメニューでもあり、早くから味をおぼえているので完全に韓国化されたものである。外食だけではなく、インスタントや缶詰などもあり、家庭料理にもなっている。海外の韓国人が多く住むところではこのメニューが人気がある。韓国では麺料理は北部のものであったが朝鮮戦争以後避難民たちによって冷麺などが韓国でも流行し、ジャジャン麺も現れた。私にとっては自分の食事の歴史を味わう昼食であった。
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豪華なシンポ

2008年07月21日 07時14分20秒 | エッセイ
 豪華なホテルで盛況なシンポを終えた。台湾と日本から初めて韓国を訪問する学者たちに良い印象をもって欲しかった。日本の研究費で韓国の高級施設を利用してよい学問の成果を出したので私は満足している。これからその成果をを持って次の台湾で行う時にはそれを生かし、さらに研究を深め続け、成果を公表することによって業績を残し、それを踏まえた研究がこれからの若い学者によってさらに進められていくことになろうと思うと楽しくなる。
 経費負担は少し多く、心配なところもあるが、準備委員たちの献身的な努力と会員たちの協力で最後まで退席する人もなく討論が盛り上がり、すべてが順調に行うことができたことに参加者の皆さんに感謝している。特に広島大学時代の弟子たちに感謝している。
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釜山シンポ

2008年07月20日 06時43分54秒 | エッセイ
 韓国人は猛暑を釜の中のようでだと表現する。その釜山で朝鮮と台湾の植民地研究者が50人弱集まって議論した。カーテンを開くと海雲台の景色が広がる。外では熱さと韓国の竹島の問題で二重に熱くなっている。研究者やオブサーバーが日本語で発表会やテーマに非難する発言もあって韓国で行われている実感があった。しかし日韓関係の友情は変わりなく、太いパイプでつながっている。この会議には韓国中央博物館官庁の崔光植氏夫妻が参加して祝辞も述べてくださった。お二人は1986年に家内から日本語を習ったことがあったので家内に会いたくてきたという。家内は参加できなかったので懇親会でも何度も家内の話が出た。友情で作り上げた人間関係はこのように人の心に残る。私は学問も愛する過程だと思っている。常に両立を考えている。
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韓国行き飛行機で

2008年07月19日 06時22分58秒 | エッセイ
昨日韓国釜山行きの飛行機の隣席には二人の若い女性が座って韓国語の新聞を開いて学んだ実力で読もうとしているので私が話しかけた。すぐ隣の方は宮崎から来られた坂口さんという方で韓国語を独学で勉強して韓国の友人に会いに行くという。私は韓国語で話しをして、彼女の隣の湯之前さんに通訳するように勧めた。彼女の韓国語は独学とは思われないほどでかなりの水準で会話ができた。彼女が私を韓国人と十分思ったところに私は日本のパスポートを出した。二人は不思議な表情をした。私の存在がわからなくなったのである。私は今大学で韓国語を教えていることを話した。彼女たちは同席の縁について何度も感謝した。われわれはまるで若いときの恋愛の始まりのように話が盛り上がった。そして飛行機から降りた私は彼女たちとの楽しい時間から離れて、それこそ「釜」のように暑い猛暑の「釜山」の暑さにさらされた。
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汽笛

2008年07月18日 06時36分55秒 | エッセイ
海辺に住み始めてから船の汽笛が騒音として気になるようになった。以前は船の汽笛が遠い異国への旅心を誘うものであったが、最近早朝の汽笛は騒音と感ずるようになった。数日前関門海峡の付近で汽笛が5,6回もなった。煩くて船を肉眼で確認した。日本のひびき丸という船であった。視野の悪いときの汽笛は2分以内一回という決まりがあるようであるが、乱発である。
 蒸気機関車の汽笛はしゅっしゅっぽっぽっという音で歌われる。音風景として録音している人もいる。しかし鉄道付近の住宅はその騒音で安くなり、辛い暮らしになる。現在蒸気機関車はほぼなくなっており、懐かしく思っている人も多い。音や音楽は音の美しさによる芸術である。それが過剰であれば騒音に過ぎない。今私には若者の音楽はうるさいと感じるものが多い。居酒屋は騒音が好きな人が集まる場のようにも感じている。人はあまりも静的状態では不安を感ずる。ある程度の騒音は必要である。しかし今はそれを超えている状況である。
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合歡木、ねむの木

2008年07月17日 06時53分49秒 | エッセイ
 今ねむの木の花が満開でいる。ほぼ野生のものであり、気がつかない人が多いかもしれない。私の恩師宅の庭には大きなねむの木があってタクシーの運転手さんに大きなねむの木があるお宅として知られていた。広島に住んだ時は庭にその木を植えたが今は屋根まで伸びている。この木の花はさわやかなピンクであり、貴婦人のような感がする。昼は強いひざしに熱帯植物の根気を見せるが夜になると力が抜けて葉っぱがしぼんでしまう。まるで熟眠しているようである。私の先生はこの木が夜には夫婦が仲良く一緒に寝るから合歡の木だと説明した。民間ではこの木を庭に植えると家庭が和睦するという。
 日本では合歓というより「眠る」木といってもよい。ベネディクトは日本人の居眠りを日本人の「快楽」といった。不眠症の人が多い国から見て日本人の車内などでの居眠りは私にも不思議である。講義中居眠りする学生が多いことには異常に神経を尖らしている。「青年よ、覚醒してください」と語録を残したい。
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