崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

教育改革

2006年08月31日 09時24分18秒 | エッセイ
 数年前中国で聞いた話である。ある人が日本に留学している学生に日本では金稼ぎはどうしているのかと聞いていた。私がフォローしてなぜ留学生に勉強や研究のことではなく、そのように質問するかと反問した。彼曰く日本では勉強するものがないと言ったのだ。日本でも多くの中国人の留学生は研究よりアルバイトに関心を持っている。アルバイトが問題ではなく、日本の大学で学ぶことがないこと、日本人の先生は積極的に指導していないという話をよく聞いた。
 安部議員が教育改革の話の中で現在日本の教育が良いという人は一人もいないと言った。勉強に熱心ではないなど、いろいろと指摘があると思うが私は何より愛と正義感がないことが問題だと思う。倫理などは古臭いかもしれないが人間の本質から倫理教育は必要であると思う。

君の名は

2006年08月30日 08時19分25秒 | エッセイ
 戦後の連続ドラマのヒット作「君の名は」を衛星TVでみている。視聴者にとって「冬のソナタ」と「君の名は」はかなり似かよっているということが分かる。純愛、善い人と悪い人の登場人物、リアルティの弱いロマンス中心の設定が今からみると古くさく感じる。ドラマの表現法はかなり変わっても純愛への心は変わっていない。今、このドラマを放映するのは、むしろ人間が純愛を軽視してきている現代社会への批判的な心が潜在しているかもしれない。

韓国のマスコミの盗撮

2006年08月29日 06時39分57秒 | エッセイ
 ある友人の有名人と電話で話をした。講義の教室の中に潜り込んで講義内容を盗撮して韓国で報道したと憤慨していた。最近日本でも教権がだびだび犯されることはあってもこのようにひどいことはない。日本ではテレビのやらせが問題になったこともあったが、韓国のテレビ報道の一部は秘密警察的に暴力を振っているということを聞いて驚いた。情報化時代とはいえ、スピード優先だけではなく、人権や倫理を守りながら発展して欲しいと切に思う。

弟子からのアドバイス

2006年08月28日 09時49分08秒 | エッセイ
 私が靖国神社について書いたことについて世間から非難を受けているということで、昔私に日本学を学んだ弟子から電話を受けた。彼は私の日本研究からの発言ではなく韓国学に戻って、靖国など話題にしないようにして欲しいような内容で語った。しかし、私は20年以上、日本の植民地に関して研究した者として靖国の専門家ではなくとも、靖国問題に触れることは当然であると思っている。専門家であっても要領のよい人は沈黙するか間接的に扱っている。それは卑怯と思う。靖国は私の研究において、宗教と植民地という二つの問題が接点になって関連している。私は韓国や日本というボーダーを越えて考えている。したがって私の発言についてどちらかを味方と決めて応援するような世間的な見方で親日、反日云々されるのは心痛い。

親の責任

2006年08月27日 07時48分27秒 | エッセイ
 事後事件の報道の仕方をみると原因を探すためというか、一方的に会社や行政機関に責任を取らせるように焦点が当てられている。シューレターなどの事件もすべてがメーカに問われている。使い方の親の責任はあまり触れられていない。使い方の責任もあるわけである。このように考えていくと包丁も作れない。パチンコで遊ぶために車に子供を放置するなど親の責任であり、厳しく問われるべきである。しかしパチンコ店側で見回りをして子供の命を救ったという報道があった。今の日本社会を見ると教育も意味をなさず、倫理もなく、このままだと犯罪は続くだろうと心配する。 

学者とは良い職か

2006年08月26日 07時40分09秒 | エッセイ
 昔同僚であったある学者の婦人が夫の仕事ぶりをみて学者は良い職業だといってくれた。その理由としては自由時間が多いからだという。つまり職務時間が少ないということである。彼女は夫が適度に教えて自分の時間を楽しむところばかりみて言っていると感じた。しかしそれは間違いである。サラリーマンは退勤してからは自由である。しかし学者は24時間体制で研究し、教育を考えるので自由な時間があるようでないのだ。夫が妻に見せる自分の仕事があまり負担のないように思わせていることは研究熱がないことからきたものではないかと思う。私にはそんな余裕はない。

船舶の煙・汽笛

2006年08月25日 07時26分22秒 | エッセイ
 一昔前までは煙は親しいものであった。李孝石のエッセイに「落ち葉を燃やしながら」というものがあったが、高校時代に読んだものが今でも印象に残っている。藁葺きの家の煙突から煙が出るという,のどかな農村は画家の素材であった。舟の汽笛と煙も美しい風景であった。しかし海辺に住んでいる今、汽笛と煙が騒音と排気ガスの公害であることを痛感するようになった。乗用車などの排気ガスと警笛の規制をしても大型船舶の排気ガスや汽笛は門司港と下関市を一発で汚すことを考えるとシー・ポリュション(海公害)を真剣に考えるべきだと思う。

門司港中国人不法入国

2006年08月24日 20時30分00秒 | エッセイ
窓から見下ろせる門司港で中国人不法入国者が捕まったいうニュースがある。数日前北海道の漁師が海上でロシア側の警備船から攻撃を受けて死亡した事件が起こった。海では国境が曖昧であり、国境を越えやすい。海には海流があり、魚がそれによって移動する。そして漁師たちも動きながら魚を採る。その海の流れは自然であるが、人間の移動には不法、攻撃されるなど不自然さがある。古くは海は自然さを持っていたはずであり、それが今の言葉でいうと国際化(?)であったのである。

昔の友人を思う

2006年08月23日 07時21分42秒 | エッセイ
 甲子園野球決勝で日本人の野球への関心が如何に高いかを感ずる。すぐプロになったら年収数億になるという話が回っている。資本主義の極まりである。ここで中学生時代を思い出す。私の友人で野球狂がいた。当時彼はボールのカーブピッチングや作戦など野球の面白さを私に教えてくれた。しかし彼の練習時間は長く、成績が落ちていった。彼の両親が野球を中止させようとして私を呼んで一緒に話をした。私はおそらく止めるように言ったはずである。しかし彼は止めず両親との関係は悪くなり、不良少年になって学校の器械を窃盗することによって退学となった。その両親の理想とは名門大学に入って、いわゆる出世して親孝行してもらうことであった。
 今話題の焦点になっているピッチャーの斉藤さんの両親、兄弟の関係の上で、野球に大成功したことを見て、昔の友人の不幸がものすごく悔く思い出される。

韓国が軍事通信衛星発射

2006年08月22日 19時04分33秒 | エッセイ
 韓国がチームスプリット軍事訓練などをすることに対して、北朝鮮が脅威を訴えている。しかし今日、韓国が北朝鮮を関す出来る軍事通信衛星を発射した。いわば韓国の軍国化である。中国や韓国は軍国化していく。日本は強く軍国化を非難すべきである。しかし紳士道であろうか、日本は非難をしない。韓国は日本の軍国主義を、しかも死者儀礼の靖国を非難する。中国も同様である。私は軍国化が脅威だと思い、日本はもちろんこのような韓国や中国の軍国化、北朝鮮の核などに平均感覚のある視線を以て注視する必要があると思う。日本の「軍国主義」と中国や韓国の「軍国化」いずれ脅威になる。

真理と真実とは

2006年08月21日 07時05分08秒 | エッセイ
1996年のジョンベネ・ラムジー(JonBenet Ramsey)ちゃん(当時6歳)殺害事件で、17日、容疑者がタイで逮捕された。この事件は、ミス・リトル・アメリカに選ばれたこともあるジョンベネちゃんが、同年12月26日にコロラド州ボルダー(Boulder)の自宅の地下室で他殺体で発見されたもので、当時は両親の犯行が疑われていた。彼女の両親は犯人逮捕につながる有力情報に10万ドルの懸賞金を提供する旨を発表した。母親のパトリシアさんは犯人として疑われたまま死亡した。
 秋田の畠山の事件と似ている点があるが犯罪になっている秋田の件より親が犯人として疑われるという方がもっと辛いと思う。世間にはこのような事件が如何に多いかと想像する。この時代にほんとうに真理と真実があるのだろうかと失望するばかりである。

馬関祭り

2006年08月20日 18時47分59秒 | エッセイ
 下関の馬関祭りに行ってみた。釜山市と下関市が姉妹関係を結んで30周年になる記念行事も含め、多様なプログラムで楽しめる大規模な祭りである。新聞によると16万5千人の人出と推定した。その中に日韓文化の交流公演もあった。韓国から200人が参加した。韓国の扇舞に感動を受けた。
 朝鮮通信使の行列も見たが見事なものであった。それに期して長府博物館で「朝鮮通信使行列図」が特別展示されているので観覧した。数日前に中川氏からお預かりした北川歌麿の通信使の絵を思い出した。博物館の学芸員の古城氏の解説を聞いて通信使の資料に関して情報を得ることが出来た。今まで通信使に関してはあまり関心を持っていなかったが、急に関心が高くなった。これから通信使図の画面を分析みたいという研究熱も発生じた。

A級戦犯とは

2006年08月19日 07時09分39秒 | エッセイ
 A級戦犯の戦争責任についてさまざまな論争がある。東京裁判の結果を持って
ABCなどで峻別して戦犯だけに戦争責任を取らせるつもりのようである。大東亜戦争当時大勢の人が戦争を賛美した人も今はむしろ犠牲者だという論理である。卑怯である。韓国では戦争賛美の短い文章を書いた人さえ親日派として扱われている。しかし多くの人は反日的ではなかった。戦後全国民反日愛国主義者化されただけである。
 日本の戦争責任には全体の「日本」にあるはずである。積極的に戦争を反対した人くらいは責任から逃れるかもしれないが日本国民全体、それも主に現在の政権にあるはずである。戦争を止めなかった国民全体が反省する立場を明らかにするのが良心的であり、問題解決の近道であろうと私は思う。

萩見学

2006年08月18日 06時44分34秒 | エッセイ
 昨日明治維新の発祥の地の萩見学をした。吉田松陰は日本を広く旅をしながら実学の必要性、幕藩体制への批判によって流配され学問と教育に専念して時代を変えた英雄である。しかしそれによって日本の明治維新=朝鮮植民地という否定的な見方をすることも出来る。
 萩の歴史と伝統文化を生かして吉田松陰の村塾に因んで地ビールの「村塾ビール」を開発して成功した金優社長の案内で現場を見てビールを試飲した。30度を超える暑さでのビールは最高の味であった。金社長と萩大学の先生である奥さんの案内で吉田松陰の村塾も見学したのである。お二人の姿に私はこのような方が成功するだなと感じ、また心温まる思いで帰宅した。同行の李先生ご夫妻と共有出来た貴重な時間も大切な思い出となった。帰宅途中案内していただいた角島もすばらしかった。調査ではないまったくフリーな観光は日本に来て始めてである。

靖国神社参拝の問題

2006年08月16日 07時42分53秒 | エッセイ
 昨日は靖国神社参拝の問題が広く話題になった。参拝に関して意外に日本の若者の支持が多い。それがナショナリズムである。つまり戦争を経験していない人々がナショナリズムに敏感であることは韓国や中国でも同様である。私は韓国のナショナリズムを警戒する本も書いたが、一番怖いのは日本のナショナリズムである。
 そのナショナリズムを刺激したのは中国である。中国が現実的に軍国化していきながら靖国を軍国主義化と非難した。日中関係正常化の時には植民地賠償はいらないと寛容の言葉をいっていながら、最近死者儀礼である靖国を問題にして日本のナショナリズムを刺激したのは愚かなことであろう。
 中国人に日本の総理が靖国参拝をするのを見るより「総理の車が交通信号で待っている場面」を見てくれといいたい。少なくとも中国にくらべてはるかに民主国家であることを意味するからである。
 国家統制の強い中国のマスコミは自由がないことを私は経験的に良く知っている。中国と日本ともくらべても韓国は反政府デモで政府を倒して民主主義を作っていった国にある。中国のマスコミを日本と韓国のものと同様に扱うことは出来ない。中国で私の中国語訳の拙著において台湾に関する部分などが削除され、うすっぺらなものになっているし、小さい町の同好誌まで国家の方針に従わなければならないことを知っている。
 総理の靖国参拝問題は日本人が憲法の問題を含めて論議することを願っており、私自身は参拝には反対している。