崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

体重が重く

2009年06月30日 05時59分51秒 | エッセイ
 風邪から回復後数日間よく休養を取りながらよく食べてたせいか体重が増えた。著作集の2冊目出版、11日民族学博物館で発表、18日九州大学で講演、翻訳などの準備が一歩も進まず体重と共に心も重くなっている。「三国誌」の名人が馬に乗ってみて体が重くなったと感じて働き足らず不忠実であったと反省したということばを思い出す。最近研究が思うとおりに進まず小説を読んだり古いテープを見るなど好きなことをやっている。
 太るということは「よく食べて良く寝る」生活を象徴的に表すバロメーターともいえる。終戦直後我が村には太った人がいて羨ましく、また権威ある人のように思われていて、私の母は痩せた私に「あの人間のように太らせたい」と言ったことがある。物が豊富な時代に変わって痩せた方が好まれるようになり、絶食や運動が望ましくなっている。それより「よく食べて良く寝る」パターンから「よく食べてよく働いて良く寝る」生活パターンへと生活習慣を変えるべきであろう。

慰めると慰められる

2009年06月29日 05時23分26秒 | エッセイ
 昨年ソウルのホテルで80歳の誕生日を数人で祝ってあげた芳子氏が突然入院して大きい手術を受けた。手術前の不安な時お見舞いに行って、この度は二度目になる。彼女の入院の間に私の誕生日があったがもちろん彼女は来れなかった。彼女の残念という心が伝わってきた。
 昨日の礼拝の時間に彼女の欠席は大きな空席に感じた。声も大きく、教会では讃美歌のオルガン伴奏を担当し、リーダー役を果たせている彼女がいないからである。
 礼拝後、教友6人でお見舞いに行った。彼女は皆の前に歩いて現れた。そして手術の過程と痛みの酷さを堂々と語った。皆、手術の成功を実感できたが、同時に彼女の体の「治る力」に神秘性さえ感じた。執刀者が彼女の腸を切ってつなげておくまでが手術の成功と言える。しかしその腸が繋がるのは彼女の生命力によるものであろう。そしてそれがうまくいったというから感動である。
 医学や医師の技術(仁術)の発展には心から大いに感謝する。しかしそれだけではなく、無限の治る力、生命力に感動を覚える。80歳になっても生き生きとしている彼女の生命力には思わず「神様有難う」と言ってしまうほど神秘性を感じ取ることができた。彼女は顔にその心を表した。同行した山崎氏が心を込めて祈った。
 芳子氏は最後まで私に顔を向けず、横顔だけ見せて去って行った。やつれた女の顔を男の私には見せたくないことを私は彼女の横顔からキャッチして微笑した。
 彼女の回復力に感動と感謝で嬉しくなって我ら慰問客は楽しいコーヒータイムをもった。帰ろうとした時であった。目の前に転んで血を流している女の方がいた。幸いにも病院の入り口の前であり、同行者の2人の看護師(妻と吉岡氏)と坂田氏が救急室に連れていくハプニングがあった。慰めに行ったお見舞いから大いに慰められて帰宅した時は5時近かった。長い時間、貴重な時間であった。*写真は退院した元気な姿

「阿Q正伝」

2009年06月28日 05時00分20秒 | エッセイ
 魯迅の「阿Q正伝」を再読した。私は若いころ古い因習を改革して近代化の精神を魯迅に求めて読んだことがあるが十分読破したとは思えない。再読してみると改めて新鮮味が湧いてきた。主人公の阿Qは小さい村では変人とも思われる人であり、女にプロポーズしたことのハプニングで仕事を失い、彼に対する世論が悪くなって、結局死刑にされる話である。短編小説としての短文で「正伝」を書いているので内容がかなり縮約されていて、調べたりすることや想像すべきことの多い小説である。
 社会主義中国では長い間「世論」を重要視して「人民裁判」をしてきた。それで文化革命の時は多くの人が犠牲になった。つまり多くの人が噂や世論によって、特に変人のような人が苦労し、殺された。昔から「人心は天心」といわれて、支配者は民心に耳を傾けようとした。今の言葉で言うと世論調査である。大学などでは学生に授業評価をさせてそれで優秀賞を出すところもある。しかし噂が「民心が天心」ではないと魯迅はそれで人を殺すようなことを問題にしている。「民心が天心」という言葉の真の意味は朝夕変わる心と誤解してはいけない。
 今世論が「麻生下し」をしている。総理という制度・正座であるからその職に延々として行くところまで「俺がやる」というのも問題であるが、世間の噂のような世論で政治を左右しても困る。「阿Q正伝」を再読した意味がここにある。

私の最後の希望

2009年06月27日 05時19分14秒 | エッセイ
 数年ほど前に北朝鮮の金日成大学で教えたいという希望を伝えたことがある。それが本当に当局まで伝わったかどうかは返事がないのでわからない。四度目の訪問を希望したがそれも返事がない。大学を数多く変えながら生きてきた者として、なにかの役職で最後を飾るのは望ましくない。周りや弟子たちの中からは反対されたが機会があれば金日成大学で学生たちに世界事情などを講義して井の中の蛙のような彼らの視野を広げてあげたい気持ちは強い。しかしそれは朝鮮総連や北朝鮮側が応じてくれないので虚言になってしまった。
 イランで激しいデモが起きているのをみて、私はイランの民主化に期待している。中国や北朝鮮ではそのようなデモはありえない現象であるからである。私が訪問した印象としては北朝鮮ではそのような現象は絶対的に不可能であろうと思っている。その国には「初戦撲殺」という標語が多い。反政府の運動は起りそうな種を初期段階で潰すという意味である。それが極端になると人の考え方まで遡って監視し、「撲殺」するのである。安定した独裁政権だから「金氏朝鮮」から「李氏朝鮮」や「徳川幕府」などのような方向へと進むようである。中国の共産党の一党独裁と自民党長期政権とは似て異なる点があるが政権の執権者はみな長い執権に執着するのが普遍的な真理でもある。

明治大学大学院で講演

2009年06月26日 06時52分26秒 | エッセイ
 昨日明治大学大学院で学生と教員のために「私のシャーマニズム研究」という題で講演した。明治大学では以前、公開講座で講演したものが本として出版されたことがあり、また長い間、日向一雅教授が代表として文部省の科学研究費による研究に参加させていただいたり、韓国などに調査に一緒に行ったりしたことがあり、さらに彼とは共編の本も出版したことがあり、この度はとても懐かしく感じた。
 講演ではアメリカ大陸など広くは麻薬性のあるものを服用したり飲んだりして恍惚状態に入り幻想の世界を体験する文化圏があり、それとは異なって広くアジア・アフリカではリズムや踊りによってトランス状態に入り神に掛かり信託を語るのを特徴としている文化圏があることなどを話した。ドラムなどの打楽器を一秒間で4-7回のスピードで叩きながら踊ると人の精神は変わるというメカニズム、それを利用したシャーマニズムの古典地域とも言われるシベリア、モンゴル、満州、朝鮮半島で私自身が撮った映像を流しながら説明をした。明治大学の自慢の23階の展望談話室で質疑の時間を持った。源氏の権威者の日向先生をはじめ平家を専攻とする牧野先生など、さらに博士課程の学生、韓国からの留学生などの参加者で質高く楽しい時間であった。わたしは大いに刺激された。
 私は韓国でシャーマニズムの本山ともいわれる徳物山と紺岳山の近くで母のシャーマニズム信仰によって、生まれ育ったこと、そこは京城帝国大学の秋葉隆氏の調査地でもあり、さらにわたしのソウル大学の恩師の任宰先生に学び、シャーマニズムを研究しはじめ日本に留学した、自分史のような話をした。シャーマニズムに神秘的なパワーを感じたこと、今後はこれらの話を掘り下げてまとめて出版したいという希望も語った。

不当な出来事は忘れられない

2009年06月25日 04時45分33秒 | エッセイ
ある老年の大学者と談話をした。彼は朝鮮生まれ、敗戦直前に日本に引き上げてから敗戦の日本の状況を語る中で一生忘れられないことを2件をあげた。一つは小学生の時に配属軍事教官の先生から不当に殴られたこと、その人の名前も忘れないという。もう一つは戦後自分では貧しく食べ物が足りずお腹がすいていたその時、持主不明の弁当がぶら下がっていたので食べたのが問題になった時、担任の先生が大きく問題にせず解決してくれたことであり、教員の貧しい人へ配慮(?)に感謝しているという。
 彼の話を聞いていて私も数件あったことに気がついた。大学卒後、田舎で高校の先生に初任したばかりの時であった。ある夜シャーマン儀礼を観察しているのにスパイ容疑で警察に捕まり連行された。高校の教員であると身分を明らかにしても警官たちから長時間尋問を受けた。その担当者の裴という苗字と姿はいまだにはっきり覚えている。いま菅家氏が警察や検察によって訊問され、17年間の刑務所生活をした、そのえん罪が話題になっている。
 最近の私のことである。親しいと思っている人に簡単な委任状一枚を彼も参加する会議の議長に渡すように頼んだが断わられた。彼とは同僚ではなく、敵ではないかと思うほどショックを受けた。これも忘れられなさそうである。このような人とは何十年付き合っても友人にはなれないと思った。日本にはこのような事務的にはまじめな、人間味のない人が意外に多い。イエスが嫌う律法学者類である。
 この話は他人ごとではない。私も意識せず、人にこのように傷をつけているのではないか。考えてみると失言など多くあった。それを彼らが許さず覚えているならどうだろうかと想像すると恐ろしい。人を傷つけないように、特に不当なことをしないように気をつけること。謝ること、許すことを考えている。
 

先生という呼称

2009年06月24日 05時54分44秒 | エッセイ
 私は若い牧師に「先生」といったのに彼は私の職業を知っているのに「さん」と呼んだ。それを聞いて違和感を感じたが、信者平等主義的な呼称だと理解した。私は四〇数年間教員をしていて職場や教会などでは常に「先生」と言われてきて、自分の名前のように慣れ親しんでいて錯覚しているようである。したがってたまに銀行などで「さん」と呼ばれても違和感を感ずる。私にとって「先生」と呼ばれることは長い間の職業にくっついたものである。ドイツやイギリスなどでも自らProfessorをつけている慣習がある。韓国では自ら「崔先生」と言っても良い。韓国では「先生」は敬称ではなく「先生任」が敬称であるからである。世界的には医師などは同僚の間では「〇〇博士」など愛称のように使われる。敬語や挨拶などには社会の仕組みがよく表れる。社会主義国家では万人は平等であるという主義を普及させるために国民の制服化、上下関係を区別せず「同志」などという呼称を使ったりする。北朝鮮は今も金日成や金正日を「同志」と呼ぶ。しかし「偉大な首領、民族的指導者金日成同志」というような長い修飾語が前置になっており、矛盾している。私は今後、肩書きのない「さん」でよばれることに慣れていこうと思う。

私の医療環境

2009年06月23日 05時35分06秒 | エッセイ
 老後の社会福祉を考えて医師が常住するマンションなどを求める人は多い。今私は妻が看護師、その隣の友人が看護師、医師が同棟に住んでいる。幸せな環境といえる。2か月近くなっても咳が止まらず原因が知りたくなった。隣の医師と看護師のお世話で血液や啖や便を検査することにした。また近くに総合病院があって心強い。
 いま私だけの福祉環境に留まっているが、このマンション全体で考えるとどうであろうか。それこそ隣人愛というか、理想的な社会福祉ではないか。女性の平均寿命が86歳、世界最高だという。それを聞くとその歳までまだだとか、平均以上生きられるという自信が湧いてくる。しかし平均とは早死なども含まれていることにも気づくべきである。私には生きることとは働くことを意味する。それができるように今日も頑張りたい。いま最初の著作集出版のために整理している。

キャンドルナイト

2009年06月22日 05時37分15秒 | エッセイ
 昨日北九州中心にキャンドルナイトが行われていることが全国的に報道されてた。エコ運動の一環として電気の無駄使いを自覚させるために行われるとは思うが、マスコミを意識して作られた寸劇のような印象もある。蠟燭は仏壇や誕生日のケーキと共に懐かしく神秘的な雰囲気を出す。韓国ではチョップルチッヘイ(蠟燭集会)というデモが頻繁に行われ人々の視線を引く。数年前に北朝鮮の平壌の高層ビルの上から市内の真っ暗い夜景を見下ろして消灯運動をしているのか、あるいは古い蠟燭時代に戻ったのかという印象が強かった。エコ運動者たちはこのような後進国家にも注目してもよいのではないか。
 昨夜テレビでイカ筆で文字を書くのをみた。全国的にこのようなマスコミ向けの突飛なアイディアの偽作のような行事が多い。必要以上に大きすぎの餅を作ったり巻き寿司を作ったりしてマスコミの注目を集める。マスコミに情報を提供したり発信するのはよいが報道欲にあふれることはよくない。報道側が偽造するすることを問題にしながらも、被報道側からの偽作行事(?)が多いのも問題であろう。マスコミはそれを分別なしで報道するのは報道倫理にも反するものであろう。

研究会報告

2009年06月21日 06時00分34秒 | エッセイ
昨日東亜大学で開かれた研究会で画像と映像に関して議論ができた。角南聡一郎氏の「画像記録の発展と意味-台湾を中心として-」について礒永和貴氏は地図を書く歴史地理学からコメントをした。発表者はスケッチ、図鑑、写真へというような発展の傾向を学説的に整理して説明した。それをまとめると1)スケッチから写真への発展過程を示すもの、2)スケッチ、図鑑、写真などが並行してしているもの、3)写真をみてスケッチするような逆転現象のものがある。動映像とスチル写真への逆現象もあるので私も興味が湧く。
 竹本正壽氏の 「生まれた国:大木信夫氏と柳福萬氏のインタビュー映像記録」は京都で生まれ育った人の事例の映像を見せてくれた。鈴木文子氏の発表ではドキュメンタリーの撮影方法、つまり何をどう撮るかが問われた。権藤氏は撮影の目的、技術の問題点を指摘した。研究者が映像作家にもならなければならない時代が到来していることを感じた。
 座長を務めた木村健二氏は下関市立大学の学部長になったという話を聞いて、私は「祝うことはできない」といい、研究を続けるためには辞めるか仕事を人に分担させることなど無理な注文をした。われわれ研究グループにおいて大いに成果を続けて出してくれるように頼んだ。 

脳死とは

2009年06月20日 05時12分20秒 | エッセイ
 日本では、脳死後の移植が欧米や韓国に比べて少ない。移植を希望する方が多くそれができるような法律が国会で通過した。それについて慎重派も多い。私もその一人である。私が広島大学で指導したことがある中村八重博士によると韓国の方が日本より多く、それが法律、キリスト教の隣人愛などによるものだという。
 そこには重要な問題点がある。まず脳死した身体は命であるかが考察されなければならない。また脳死という部分死をもって完全死と認めても死の尊厳をどうするのか。死体は「物体」であるという認識はどうなのであろうか。臓器移植は物体という認識でなければできるものではない。脳死が完全死でないという認識からは命の分け持ちになる。生体移植として腎臓などは提供、収受することは医療行為として認めているが、脳死が死であれば死の尊厳、それが生きている命と思えば身体の尊厳などにかかわるであろう。「死の尊厳が命の尊厳である」ことを認識しなければならない。

「僕は君に惚れた」

2009年06月19日 05時14分43秒 | エッセイ
 「僕は君に惚れた」という韓国ドラマをKBSTVワールドで長い間視聴していたが昨夜で最終幕を閉じた。このドラマには浮気して家出した妻に恨みを持って意固地になった金持ちの頑固な父、意地悪で不良っぽい嫁など極悪な人物像が視聴率を上げていると思いながらもそれなりに楽しんできた。しかし最終時間になると急ピッチでコメディのように、悪役が善人化し、すべて解決されてハッピーエンドになる。今まで見てきたのが恥ずかしくなるほど幼稚な作品になったという不満を持った。なぜこのようにハッピーエンディングで終わらなければならないのか。韓国ドラマの質とレベルが疑わしく思う。しかしこれが大衆芸術のレベルであり、韓国人の意識構造を表すものであろう。
 李朝時代の名作と言われる「春香伝」には悪役の官吏に主人公の春香が困惑される時に暗行御使の李道領が現れて救われ、悪人が罰され、ハッピーエンディングになっている。(日本でも水戸横門のようなものがあるように普遍的かもしれない。)韓国人の意識構造は李朝時代とそれほど変わっていないということであろう。ドラマの最後に幸せになりたい願望は普遍的ではあっても、人生の最後はハッピーエンディングになるのは難しい。その文学的な面ではリアルリティのないのが韓国ドラマであろうが、逆に現在の韓国人の意識構造を表していると思うと良いドラマであるともいえる。

有難うございました

2009年06月18日 08時10分45秒 | エッセイ
 誕生日を記憶して祝ってくれた皆様に感謝します。一番早く韓国世明大学校の日本語教師の中村八重氏からテーブル用の生け花が届いて祝賀パーティのケーキと並びテーブルを飾った。たくさんのくだものをあしらった大きな生クリームケーキは教会の村岡氏をはじめ10人弱の方々からの贈り物で内心恥ずかしい気分だったけどとてもうれしかった。ソウルの親戚、中国から留学生であった許春蘭氏の電話、今東京大学にいる池映任氏の贈り物、小川牧師夫婦からのカード、下関の鍬野氏、宮崎の坂口氏、ソウルの李永松氏、愛知教育大学の上田氏などからの祝賀メッセージなどが届き嬉しかった。有難うございました。
 
 拙宅での宴は昼食と夕食2回になった。夕は愛犬ミミの友達のモコちゃん、彼女のママとパパにおいでいただいた。モコちゃんのパパは医師であり、若い時代の読書遍歴のような対話でフロイト、サルトル、パーキンソン、ヒポクラテス、島崎藤村などをめぐる医師として幅広い教養、知識を面白いレトリックで話をされる。それに応対しながら楽しんだ。彼は若い時には人の前では恥ずかしく、一切物を言わなかったという。なぜそれが変わったかという質問には笑うだけであった。彼は若い時教員になりたかったという。先生になれば質問されたら適当に答えることもできるからだという。たとえばアジという魚をなぜアジというかと聞かれたらアジは北から沖縄に来てアツイといったその発音がなまってアジと命名されたと答えれば良いのではないかと思うなど。教員への皮肉も入っているが教員への戒めの意味も深い。彼の医師として患者の観察と診断の過程の話は面白い。私は社会学でも問題点を探して解決することとも共通すると言った。彼は今でも内向的だといいながらたのしいが意味の深いおはなしをされる。生まれ故郷の沖縄へは錦を飾るまで帰れないので40年以上帰郷してないなどの冗談を交え、下関以外の所にはいかないという所信(?)の持ち主である彼が韓国行きのパスポートを作ると言ったことが何よりうれしかった。

誕生日ハプニング

2009年06月17日 05時33分05秒 | エッセイ
 今日は私の誕生日であり、ソウルから姉が祝うために毎年来る。しかし昨日迎えに出たのに下関港で姉の姿はなかった。姉は釜山まで来て乗船の直前旅券の有効期間が過ぎていることが分かり渡航を断念せざるをえず、帰宅したという。たくさんの荷物を持ってきた甥はこの日のために一年間待ちながら私の好物のピーナツや野菜などを作って持ってくるのが唯一の楽しみの母のことをとても残念だと話した。彼は留守の間のことや犬の世話などを隣、近所の家にことこまかに頼んできたのにそのまま帰宅して恥ずかしいだろうとも話していた。
 1950年代に私の友人の兄は英語が達者な方で塾でも教えていたがアメリカ留学のために一年間以上の身元調査を終えて送別会を盛大に受け、餞別金も多くもらったのに何らかの理由で不許可になりアメリカ行きを断念せざるを得なかった。彼はお寺に隠れていたが数年後に死亡した。姉のことは軽いハプニングではあっても本人にとってはとてもショックであっただろうと心が痛い。

都会と地方

2009年06月16日 05時36分18秒 | エッセイ
 現在日本では都会と地方はそれほど差がない。文化施設や生活文化など平均化されている。その先端の象徴的なものがコンビニ、セブンイレブンやローソンなどである。それらは交通の不便な農山魚村まで浸透していて、まるで帝国主義の手先のように広がって全国を統一していく。
 世界的に旅行して感じたことは地方都市の港や空港には行きたくない。地方の入管や税関などにかぎって人や制度が厳しく、融通がきかないからである。地方の行政や小規模の大学などの機関の事務員たちは規制ばかり厳しくして仕事の効率などには鈍感な人が多い。韓国や中国は長い歴史の中で中央集権のシステムが定着したので末端の官僚は権力を振り回して住民を抑圧してきた。
 今地方に住みながらも中央を把握し、中央を変えるような民主主義が必要な時代になっている。今後選挙が多く行われる。地方の人、若者が中央政治を変える時代である。本当の民主主義が定着してほしい。