崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『上海より上海へ』

2015年08月31日 05時04分27秒 | 旅行
 秋は「読書三昧」の季節、私の読書後の感想を一つを紹介する。三昧とは仏教で一心不乱、煩悩を捨て去って神秘的な境地に至る精神的な修養を意味する。私は麻生徹男(1910~1989)の『上海より上海へ──兵站病院の産婦人科医』(1993、福岡:石風社)を一単語も漏らさず読了した。読書というよりは麻生氏と長く神秘的霊的中国旅行をしてきたような気分であった。彼は九州帝国大学医学部卒の産婦人科専攻者として1937年11月陸軍衛生部見習士官として上海、南京、九江、漢口、武昌、上海へ移動しながら兵站病院などで勤務した。さらにラバウルへ、1946年4月に応召解除された。彼の生い立ち、学歴、キリスト教などを基礎にして戦場の軍医としての生き方が平易な文章で綴っている。
 この本が広く世界的に注目されるようになったのは何だろう。それは兵站病院で慰安婦たちを診療したこととその写真であろう。私もその資料として読み始めたが民間慰安所の貴重な写真の資料的価値を知ってからであった。しかし私はより他の面において強く魅了されたのである。慰安婦問題を韓国が政治的にしながら彼の戦線女人、慰安婦、慰安所、性病などは一気にメディアなどに注目されたことは十分解る。それらについて彼の次女の天児都氏は「父の資料を無断使用した人達に共通していることは、どの人も民族間の対立をあおるような使い方をしていたことである」と指摘した。彼らは本を読むというよりは物探し捜索的な資料の利用の仕方であったと思われる。私は別の意味で面白いと感じる。高校時代にルソーの『告白』を読んで感動した以来の初めての感動であった。
 

国恥日

2015年08月30日 03時46分48秒 | 旅行
昨日は105年前の1910年8月29日大韓帝国が日本の植民地となったいわば「日韓合併」の記念日であった。韓国は国力がなく日本に主権を奪われた恥ずかしい「国恥日」と言われている。日本に武力で併合されたことが韓国の恥だという。当時政治的に分裂し、国力がなかったことで主権を奪われた恥という。その植民地が先の大戦の連合国の勝利、日本の敗戦の結果朝鮮半島が解放された。独立運動がなかったわけではないがその結果とは言えない。しかし戦前一つの朝鮮半島が戦後38度線が現れ、二分された。政権争いで南北総選挙で統一政権が出来ず南北が別々の国家となり、朝鮮戦争が起きていまだに南北の休戦線で敵対している。これこそ恥ずかしい。38度線は休戦線に変わった。混同してはいけない(写真参照)。
 国恥日に大きな記念行事をしないのかと疑問を提起する人がいる。戦後の南北分断の敵対視は大きい恥である。合わせ二大恥である。恥を記念すべきか。私の個人史の中で、自分に戻って考える。失言や失敗が時々あった、いわば「恥の人生」である。私が自慢話をしても人はその恥をよく記憶しているかもしれない。互いに恥かしかった思いは持っているので、できれば恥は暴かない方がよい。恥を曝すこと、ゆるさないことはそれこそ「存立を全う」することに危機となるからである。恥を共有し、許し合うのが人権の始まりであろう。


趙基牧師

2015年08月29日 04時15分37秒 | エッセイ
一昨夜下関出身映画人の集まりに参加した。私は外国出身であり下関に10年住んでも傍観者か国際人として参加している。以前よりこの映画人会の参加者は大部減っている。人数は少なくても、もっと濃くなればさらによい。東京在住の会長が顧問になり地元の人が会長になった。友人の新会長は「命かけで努力する」と言った。地元のある人は下関には良い人材は多いがまとめ役がよくないと自己批判のように語った。そこに加わって私が言った。地元は生まれ育ち長く住めばよいとは限らない。郷土人としては物足りない、郷土の人との関係、文化をもって生活することが必要だといった。その文化の一つとして映画を例にした。映画館で見るだけではなく、集まって映画をもって語り会うことは楽しいではないか。顧問の平井愛山氏(写真の右)の提案で絹代塾ができ、私が塾長を務めている。
 下関市内にもキリスト教会が20数か所あるという。先日4~5人で礼拝をしている教会の牧師が私が出席する教会にきて10余人もいる教会で説教することに力が沸き、嬉しいと言いながら合併の話をした。教会の牧師たちは「人数が少ない」とか「集まれ」と強く不満、期待しながら他の集会には決して参加しないのが一般的である。キリスト教の「祈り」が仏教的に「空念仏」となっている。世界最大の教会の韓国ヨイド純福音教会の話を月刊朝鮮で読んだ。私は10年ほど前に趙基牧師夫妻にインタビューしたことがあり、懐かしく思っている。趙基牧師の77万人の信徒が今李永勲牧師時代になり33万人になったという。「純福音」とは社会や経済、特に政治的なイデオロギーと深く関連せず聖霊中心の意味があるという。しかしその教会は社会奉仕、奨学金などで広く社会に大きく影響している。信者が減っても質が高くなると期待する私は肯定的に考えている。否、そうすべきである。しかしその質とは何だろう。
 

「亡命政府説は實にあった」

2015年08月28日 05時29分28秒 | 旅行

朴クネ大統領が中国抗日戦争勝利記念式に参加ることは政治そのものであるがその参加理由が気になっている。抗日の歴史に賛同すること、朝鮮戦争は該当しないという説明がある。ただ近い歴史の朝鮮戦争の時、「敵」(中国の北朝鮮への支援軍)であった歴史を無視してその前の抗日運動だけを切り取って過去を説明する歴史認識は如何なものであろうか。本当に近い歴史、65年前の敵と70年前の同士を区別して歴史認識ということには常識を脱した勝手なものといわざるをえない。
 KBSニュースで朝鮮戦争当時李承晩政府が日本に亡命を要請したことに関して昨日の読書会では倉光誠氏が『月刊朝鮮』8月号、『山口県史』を持ち込み、読み合わせた。趙甲済・趙成豪の両氏は深層取材文では「6月27日」と日付を入れたということに焦点を合わせ「KBSのねつ造」と非難しているが、「李承晩大統領の日本に亡命政府説」は事実であることが分かった。韓国の反日感情の世論から考えると独立運動者として反日感情の強い李承晩大統領が日本に亡命を要求したということはあり得ないことであり、そのニュースを聞いた人は大きく失望したのである。当時日本はまだ主権国家ではない、米軍に占領された状況であったこと、戦争という緊迫した状況を勘案すると理解できることであろう。日本の植民地に戻るのではかという滑稽な話題にもなったのである。


 参考のために下に『山口県史』から「亡命政府説は實にあった」ということを引用しておく。

 田中龍夫:一日前にダレスさんが朝鮮を視察して、『米軍の士気旺盛である。装備も充実しておる。決して心配ない』と言って帰ったばかりだ。まだ三日しか経っていないじゃあないか。知事なんかが、頼みもしないのによけいなことをして、何だ」というわけなんだ。怒られちやってね。
 すごすごとして汽車に乗って帰ったら、その翌々日、三八度線の突破があってね。さあ、そこで今度は、あんた、こっちはね、田中というのは朝鮮通だから閣議に来て報告しろとか何とか言ってね、今度はね。それで、あんた、やったところが、どんどん、どんどん、負けるじやないですか。それでもう、あんた、釜山の北のね、洛東江の川の所まで北朝鮮軍が来てね。それで、このまま行ったならば、釜山は第二のダンケルクになると。そういった時にどうするかという問題ですが、外務省の方から電報が入ってね、韓国政府は六万人の亡命政権を山口県に作るということを希望しとると。
 今言ったように、県民の数だけでも、ざっと半月以上、米の配給を欠配している。そこへもってきて、復員だ、引揚げだ。それが仙崎から入って来る、下関から入って来る。そこに、あんた、六万人もの朝鮮仮政府をね、山口県に作ると言っても、とんでもない話だ。もう、そうしたらもう、山口県人なんかどこかへ出てくれなければね。なんぽうなんでも、どこかに行けやしないね、そういう問題で。
 それでまた久原さんにお願いして、総司令部の方へ行って、それでマッカーサーに会ってもらって、それでマッカーサーの方から西海岸の方の仁川にね、占領軍を敵前上陸してもらって、それでようやく初めて洛東江まで攻め込んで来られた状態が逆にのっぴきならなくなって、そこから撤退して行ったんだねえ。 (山口県史、資料編 現代2、1993:25)

李承晩日本に亡命を要請

2015年08月27日 04時33分48秒 | 旅行
昨日携帯電話にソウルから日本語で電話が入った。彼の自己紹介によると陸軍士官学校の卒業生の李鍾判氏(写真)だという。後に彼について検索したところ著名な軍事評論家であることを知った。彼は漢陽大学アジア太平洋地域研究センターの研究委員であることと軍事評論家である。彼はすでに私に関する情報は調べての電話であった。私が退官した後のことであっても陸軍士官学校をキーワードでイントロ、彼は日本の陸軍大学校で2年間勉強したことがあり、朝鮮戦争と日本の関係について調査をしたいという。特に李承晩大統領が日本に亡命政府設置を要求したということに関して調べたいという。
 去る6月24日KBS9時のニュースで朝鮮戦争当時李承晩政府が日本に亡命を要請したと報道されて、韓国の一般人の反日感情からこのニュースはショッキングであった。特に李承晩記念事業会が公式記録ではないと反発した。そのニュース源になったのは日本の『防衛研究所紀要』に紹介された元山口県知事の田中龍夫氏の生前の記録であるが、それ以外の証言や記録は韓国では探すことができなかったと言う。、彼は軍事専門家として有事、危機の時に日本に退避するのは当然であり、その真実に迫って調査研究をしたいというのである。彼はその真実を日本で探したいという。応援したい。

台風15号に直撃

2015年08月26日 04時57分59秒 | 旅行
 海辺の高層マンションに住んでいることに幸せを感じていたのに昨日25日(火)は非常に強い台風15号に直撃された。下関は地震など自然災害も少なく、景観を楽しんで生活ができていた。しかし、十年間一度も直撃されたことがなかったので今度も大丈夫であろうと思ったが期待は大きくはずれ怖かった。ベランダの下水口が吹き飛ばされた植木の葉っぱで塞がれ氾濫、鉢物が倒れ乱れて、暴雨に曝されながらも処置しなければならなかった。一時停電、その最中の朝の暴風の中、大学の櫛田学長から海岸のマンションを心配して電話があった。大学はわが家とは反対の山域であって無事であると短い安否だけを確認をした。安否のメール、フェースブック、電話などに感謝している。そんな中、教え子の用件のみのメールに物足りなさを感じた。関門大橋は通行禁止であったが、今は台風は北上してしまい、台風後の静かな朝を迎えている。年輪10年の櫻の鉢物の葉が全滅し生き返るか心配である、台風は周辺に猛威をはっきり残している。
 防災訓練などに関心を持たなかったことに反省した。多くの人が避難したという。しかし私は鉢物を全部は部屋に入れずに置いたので、台風の中ではその作業はできずただ眺めることしかできなかった。ちょっと大きめ鉢物が飛ばされて窓ガラスを壊すのではないか心配した。台風の猛威はわが家だけではなく、より広く沖縄、台湾、フィリピンなど頻繁に直撃されるところもあることを知らなければならない。平和宣言や戦争反対する平和主義を訴えることも重要であるが、日常的に平和の心を養うことが大事である。

長い寸劇

2015年08月25日 05時30分53秒 | 旅行
 昨日国会審議で共産党の山下議員が安倍総理の戦後70年談話について主語がなく、総理自らの言葉として語られていないと繰り返し説明を求め、非難した。主語がない云々はそのまま韓国や中国へ伝わっている。皮肉なことに、日本の左翼の意見が韓国や中国の右翼に利用されるパラダイムが定着していると感ずる。新聞も日本の左翼新聞の報道が韓国や中国で右翼新聞の報道によって日本に戻ってくるのである。日本の与野党が、東アジアの与野党のようにみえる。
 朝鮮半島の南北の緊張関係が収まった。全面戦争「血の海」などの緊張感は終わった。長い寸劇のようなものであった。韓国は謝罪(謝過)を強く求め、抑止力が効いたといえる。偶発の挑発、戦争にいたらず終わったのは本当によかった。これを契機に、本当の統一への長い劇(?)が見たい。結果的には韓国は北に「謝罪」を強く求め「遺憾」を獲得することができた。「北側は最近軍事分界線の南側の地域で発生した地雷爆発で南側軍人たちが負傷されたことに遺憾である(북측은 최근 군사분계선 DMZ 남측 지역에서 발생한 지뢰폭발로 남측 군인들이 부상을 당한 것에 대해 유감을 표명했다)」と合意した。「地雷爆発」の「主語がない」。北朝鮮が地雷を設置したかには言及されていない。ただ名目、面子文化の茶番劇であった。
 
 

教え子の前で

2015年08月24日 05時42分53秒 | 旅行
 広島大学大学院での教え子の孫蓮花さんが下関にきて昨日昼食を一緒にとった。彼女が結婚して以来初めての再会だったので、結婚のお祝いを渡した。彼女の夫も同席。共働きの夫婦、安定したよき協力者になっていると感じた。私は二人で共同研究者として共著などを出すように期待を込めて話をした。孫さんから中国通遼に案内通訳してもらったのは20年ほど前のこと、昨日孫さんを前にして彼女の成長や変化、そして結婚し成熟し、一方的な内助者というより同等な協力者を得た強さを感じた。これからさらに安定した夫婦になっていくと思っている。良き家族、よき研究者として協力し、何よりも幸せであってほしい。
 二人の関係はすべての人間関係の基礎となっている。人間関係を上手く表現したのが又吉直樹氏の「火花」である。漫才は基本的に二人で笑わせる。二つのグループの漫才師同士の二人の徳永と神谷の付き合いの話である。彼らは舞台だけではなく、生活および人生に関わっていることが描かれている。二人は人生を問い、学び、互いに変化し、成長している。笑いというネタはその人生を常に肯定的している。不和の生活者が舞台では一緒に立って笑わせる韓国のムーダンを思い出す。しかし彼らも愛で結ばれていることを私は後に知った。われわれが笑うのは自然の生活から出たものか、不和を装った笑いをするのか。「火花」は人間関係をポジティブに生きるモデルを見せている。

「チビチリガマ」

2015年08月23日 06時00分05秒 | 旅行
 絹代塾の映画会が行われた。終戦直前の1945年4月初めの沖縄で洞窟に避難していた民間人83 人が集団自決したことをテーマに、権藤博志氏製作の「チビチリガマ」(30分、河波茅子氏のナレーション)である。沖縄が戦場になったことや差別されるということで在日フォークシンガーの李陽雨氏がチビチリガマを訪ね鎮魂のために歌う。沖縄が戦争の現場になって多くの人々が犠牲になったことや差別に抗議する運動で日の丸焼却事件以後追悼式も90年代半ばまで出来ず彫刻や作詞などで表現していた。沖縄は戦争の犠牲や戦後の米軍基地などで差別されているという図式になっている。そして沖縄の本島への反感が政治的にも常に問題になっている。
 なぜ沖縄が戦場になったのか。それはアメリカと日本の南進から始まったことである。アメリカはグァム島などを早くから植民地としてきたが日本の南洋群島への南進政策とぶつかったことから理解できる。そこからの戦争が結局長崎、広島へ原爆投下、東京空襲などへ広がり本島へ進行する中終戦を迎えたのである。特に沖縄が上陸戦、交戦地域となったのは差別の問題ではない。この映像は民間人の犠牲、それも集団自決をした沖縄の悲劇を象徴的に表現しており、礒永和貴氏が鋭く指摘したように民間人自決に注目すべきである。軍人と民間人の自決とはどう違うのか、より詳しく分析すべきである。10人足らずの参加者全員が戦争を語る充実した時間であった。

「two Korea」

2015年08月22日 05時23分17秒 | 旅行
北朝鮮軍が休戦線南に地雷を設置し、それが爆発。韓国側が拡声機で(北朝鮮を非難する)宣伝放送をしたことに北朝鮮が怒り発砲、韓国軍の反撃が起きたというニュースが流れている。前線部隊が準戦時態勢に入ったと両側が報じた。金正恩氏が準戦時態勢をとるよう命令したという。それについて韓国の朴槿恵大統領は北朝鮮への警戒態勢を維持し、挑発行為があったら対抗措置をとるよう指示したという。そこに近いところを生まれ故郷としている私にはショッキングなニュースである。私は軍人時代に北朝鮮の宣伝放送を聞いたことがある。悪口の言い放題であると感じで、失望したことがある。それは正規の放送でも「血の海」などと言っている周知のようなものである。拡声機での(北朝鮮を非難する)宣伝放送をやめなければ軍事行動を開始するとし、北朝鮮軍が軍事境界線の韓国側に砲撃し、韓国側も応戦した。北側は「(韓国が)ありもしない北の砲弾発射事件を作り上げた」と関与を否定している。韓国側の住民たちは北朝鮮の砲声を聞いていないとの報道もある。
 このニュースをCNNやBBCなどでは二つの国two Koreaの軍事行動を繰り返し報道している。私の歴史認識としては植民地史と戦後南北分断史に関しては恥と思う。連合国から38度線が引かれても統合してひとつの国家を作れたと思われるが韓国・朝鮮の指導者によってそれができなかったことである。今でも統一は可能になっている。金大中大統領によってその可能性が見えたが、朴氏政権によってまた南北対置になっていることはとても残念である。分断の恥はさておき、反日問題で日韓の平和な関係を壊している。韓国よ、今「反日」云々する時ではない。中国の大国化、韓国の分断は対照的であり、恥ずかしい。敵対主義と平和主義の対立も目立つ。多くの日本人が韓国語を学んでおり嬉しいが、その拡声機での(北朝鮮を非難する)宣伝放送(写真)の韓国語は聞かせたくない。在日の標語one Korea、敵対から友好へ努力すべきである。

慰安所写真集

2015年08月21日 06時04分32秒 | 旅行
昨日は日韓親善協会の友松会長と「楽しい韓国文化論」の最終的なチェックをし、長く放談した。彼は長く下関市議員を経た人であり、シベリア鉄道で旅行した話や多くの国での楽しかったことを話をしてくださった。特に歴史に関心が高く、中国の西安にはもう一度行ってみたいという。そこは私は行っていない。私は歴史の遺跡などにはそれほど関心がなかったことを自覚した。
 読書会では中国江湾鎮の慰安所写真の読み取りをした。この写真により慰安所の存在が確かなものとなり、韓国が言う性奴隷という「従軍慰安婦」の源泉ともいえる。写真をキチンと検証すべきだと思って広島大学大学院集中講義でも議論したがそれを踏まえて読書会で再び検証した。まず写真の右の半分黒の斜線は何か。階段か、フィルムか、などの結果明暗の調べにより日陰であると判断した。紅白垂れ幕と「大和撫子」の関係に迫っていく最中に中国大連理工大学の孫蓮花教授一行が到着した。看護学院の村田氏が福岡空港から一緒にきたと言う。
 夜、読書会の主メンバーの一人の倉光誠氏から電話があり、読み取りを試みた慰安所写真集があると言う。麻生徹男『上海より上海へ』(石風社、1993)家内に運転してもらい私はミミを抱いて夜道を走り、それを借用してきた。軍医によって撮られた鮮明な写真が載っており、昼の写真で想像したものがより確信できた。その具体的な分析は後に発表することとした。今戦争はテロに変わりつつあり、悲惨なことは絶えていない。

甲子園

2015年08月20日 05時55分02秒 | 旅行
 まずTVを消して、資料などを読みながら書くのが日常ルーチンワークであるが、昨日は珍しく甲子園高校野球中継にはまり、仕事から脱線してしまった。普段私は野球中継を見ることはほとんどない。しかし昨日は偶然に見始めたのが準決勝(写真朝日新聞)。終わるまで楽しんだ。どのチームにも縁があるわけではなく応援するわけでもなくただ楽しんだのが不思議であった。
 中学校時代に野球のボールで眼鏡を飛ばされて以来、縁のないスポーツだったが、きのうその面白さを発見したのである。一人のバッターに全員が守備になって審判たち、監督からの指示、補助など本当に「全員野球」である。ルールを守り、ゲームの中に罰則があり、厳しい条件の中に例外的なホームラン、ファーボール、緊張が連続するかとすれば動きが停止、スピードと休止の調和がある。実力と運の調和などの総和のゲームに目を離し難い魅力を発見した。日本では野球が盛んであり、ファンも多い。日本文化が理解できた気持ちになった。

売春合法化

2015年08月19日 05時42分51秒 | 旅行
 猛暑中の道路工事の現場を見ていると工事のトラックなどの誘導員に目が届いた。制服の労働服を着て炸熱の日差しの中に立っている。それに似てる辛い労働現場は多くある。労働が資本であるという資本主義によって強制されている。微笑み、笑いなども資本化されている。セックスも資本化されている。昨日の毎日新聞(時事通信)によればアイルランドのダブリンで11日に開かれたアムネスティの総会で70カ国から約400人の代表者が出席し、売買春のほか、売春あっせん、売春宿の経営を含む「合意の下での性労働に関わる行為」について、全面的に合法化すべきだとする決議を賛成多数で採択したという。このようなアムネスティに対して人権団体や女性団体からは非難されている。特に貞操を重要視するキリスト教文化圏と女性の貞操を要求する儒教文化圏としては違和感のある衝撃的な話題である。慰安婦が強制された人権問題とされているがその底には女性の貞操観文化に基づいた儒教的ナショナリズムが存在している。
 売春、慰安婦の合法の話題を聞いて疑問となるのは性愛はどうするかである。恋愛、結婚、家族などという伝統的な家族観は壊れるのではないか。性は夫婦だけの専有ではない、また性は特有ではない共有であるという問題に至るのである。セックスレス夫婦が多く、また夫婦外のセックスもあるという時代になっている。家族の定義も子供も性愛中心としては難しくなっている。性欲を抑制する貞操観念も薄くなり、それ以上強調すると人類生存に関わる人権問題になっていく。今慰安婦問題を政治的カードに使うようであるが、より深刻な問題、性の強制的な抑制なども考える契機になってほしい。*写真は読書中の本である。

「火花」

2015年08月18日 04時56分56秒 | 旅行
ショッピングに行ってある印刷社の社長と偶然久しぶりに出合った。挨拶は最近文字印刷物が少なくなったことに触れ、大変なことだと話を交わした。シャットダウンの商店街を通るといつも気が萎む感がある。最近そんな中に新しくオープンしたCAFEという店が目立つ。洒落たガラスばりのコーヒーショップは常に満員、外側で待つ客もいるほど盛業している。中には新しいアイディアで盛業するところも多い。本が売れないという世間話の中で爆発的に売れる本がある。又吉直樹氏の本がその例である。受賞作の「火花」を読んでいる。辞書にもないような大阪弁で綴られていて私には負担のある小説ではあるが売れるような書き方を知るための猛暑中の勉強用の読書である。
 私は今多くの作業を前にしている。コンピューターには日本語の出版の原稿と合わせ3,4の原稿を並行して作業中である。韓国の出版社から私の著作集2種の原稿が届いた。真鍋祐子氏の韓国語翻訳書の推薦文を含め全体の校正チェック、総監修の「絵はがき」シリーズ文のチェック作業、青野正明氏の著書『帝国神道の形成』と松田利彦氏の著書『東亜連盟運動と朝鮮・朝鮮人』舘野訳『韓国出版発展史』もいただいて読んでいており感謝と生き甲斐の嬉しさを感じている。時間の流れが早い。夏が早く流れる。気力も廃れ流れるのではないかと少し気になるところもある。

エンブレム

2015年08月17日 06時30分26秒 | 旅行
戦争…終戦…の繰り返しの毎日に飽きて話題を変えたい。猛暑の峠を越えて朝夕は秋を感ずる。戦争記念企画のメディアも中止してほしい。安保の話も中止してほしい。「今日は何の日」を開くと「パイナップルの日」という。戦争の話より新鮮な感がする。
 オリンピック向けに話題を変えると設計、工事、エンブレムなどの問題が浮かぶ。エンブレムをみてすぐ盗作、模倣などの話題が広がり、より疑惑説が膨らんでいる。日本の日の丸と似ている太極旗、パラオの国旗をはじめ、星や線や色など似ている万国旗には似ているものが多い。肖像権、著作権が厳しく引用さえ難しくなっているなかエンブレムのこの程度はよいだろうといい、騒ぎになっている。
 オロナミンとアリナミン、セイロガン正露丸とジョンロファン正露丸など数々偽物、似物が溢れている。私の論文も多く引用されてうれしいが、中には私のオリジナリティを無視して剽窃のようなものも多い。他の人がそれを剽窃したものも多い。その引用と剽窃の区分は原作者の創意を認めるか否にある。このエンブレムにおいても原作者の創意創作を参考にしたと記しておけば良かったと思われるが、本当に全くの偶然に似たようなものができたのかもしれない。今インタネット時代では流れる情報、創作の本所が分からないものが多く、作家などは注意しなければならない。この度の騒ぎは創意尊重のために議論すべきこととして受け止めたい。