崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

新年おめでとうございます

2013年12月31日 23時40分52秒 | エッセイ
例年のように大晦日の夜にはNHK紅白歌合戦をみることになっている。昨年までは必ずお客さんと一緒だったが、今晩は疲れもあってゆっくりしたくて初めて我が夫婦とミミだけであった。ちょっと寂しかったが、そろそろ孤独になれていくためとも思われる。なんとなくテレビ映像に目を留めておいた。打ち合わや練習はしたのでしょうが現場には戸惑う場面もあり、生放送の面白さがあって良かった。特に台湾との連携で、台北に80万人が集まってライブを楽しんでいることは印相的であった。日本は台湾を国交を切って中国と国交を結んだが、台湾は反日ではない。
 私は去年を振り返ってみると多くの方々のお陰で無事に過ごし、多少の成果を出したと言える。この年末にはエッセイ集が出たこと、今朝の朝日新聞に報道されたように嬉しいことである。「朝日新聞」(下関)大晦日に大隈崇氏が「日韓を愛し友好の一助」と報道してくれた。以下のようである。

 下関市の東亜大東アジア文化研究所長の崔吉城さん(73)が初の日本語エッセー集「雀様が語る日本」を出版した。韓国で生まれ育ち、日本人と結婚、日韓を往来して40年余になる崔さんが、日常のなかで感じた日本人や日本文化についてつづった。「多様な視点から書いた。日韓の理解や友好について考える助けになれば」と話している。
崔さんは韓国・楊州生まれでソウル大を卒業。文化人類学が専門で、広島大教授などを歴任し、下関に移って8年になる。タイトルは、日本ではあまりなじみのない名字「崔」の字を「雀」と間違われ、「雀様」あての郵便物が届くことがあることからつけた。「飛ぶ雀の目を借り日本文化を俯瞰してみたくなった」という。
 ブログやフェイスブックに、ここ10年ほど書きつづってきた中から反応が良かった記事を選び、加筆・編集した。前半の9項目は日本人のまじめさや儀礼について考察。後半は「文化」として映画や教育、植民地など13項目を記している。「批判も賛美もたくさんした」と崔さん。「日本はもう先進国ではない」という項があれば、「日本はまだ先進国である」という項もある。
 日韓を往来する40年の間、日韓関係は良くなったり悪くなったりを繰り返してきた。だが、「今が最悪だ」と感じている。「日韓両国を愛し、基本的に両国を肯定的にみている。この本が日韓への理解の一助になり、親善につながれば」と願っている。

 多くの読者にこの場を借りて新年のご挨拶を申し上げます。

 謹賀新年
 昨年中はおかげさまで健康に守られ、大学では日本文化論などを講義と東アジア文化研究所の行事、広島大学大学院と九州大学大学院での植民地に関する集中講義、絹代塾と映画祭での映画解説、ドキュメンタリー映画「小山上等兵が撮った日中戦争」の監督、科研の植民地研究会やパラオでの現地調査などで多忙な日々でした。新年もたくさんの方々との交わりを楽しみにしています。そしてお一人お一人の方々のご多幸をお祈りいたします
2014年元旦

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寂しい別れ

2013年12月31日 07時28分51秒 | エッセイ
毎年今頃家族ぐるみで訪ねて来てくれる家族が例外なく昨日訪問してくれた。それが今年が最後になるという。夫は日本人、妻は韓国人であり、我が夫婦とは逆組みではあるが共通点が多い。二人共中国留学で結ばれて日本の下関に住むようになった。私は妻の柳鐘美氏に大学や韓国文化論の講座などの講師として協力していただいていたので大切な人材を失うことになった。夫の浅野氏の東京の名門大学への転勤に伴う家族移動であるのでしょうがないことである。ここで共にした時間の流れは二人の子供の成長を見てわかるように6年、寂しくなる。小学校の低学年の天才少年のようへい君は昆虫に関心が高く、将来ノーベル賞を目指して頑張ろうとしている。それに相応しくDVDに出してあげたレニー氏監督の「Wonder under Water」に写されている数多くの魚の名前と解説をしてくれた(写真)。はるかに私の知識を上回っている。冗談で私は彼の受賞まで100歳まで生きらなければならないと言った。
 新年の前から来年の人事異動の動きが伝わっている。このよに別れに寂しく感ずる人がいる反面、別れて良かったと感ずる人もいる。それは別離、死別などに共通のものである。その点で自分の自己評価に苦しい。妻に、友人に、同僚に、隣人に寂しく別れてもらえるだろか。昨夜のテレビで彫刻家の亡夫を思い夫が好きだったイタリアで生活している人の放映は感動的であった。
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「民団新聞」に寄稿した新年随想「駅馬サル人生」

2013年12月31日 05時59分44秒 | エッセイ
「馬文化」
新年は干支で甲午年「馬」の年である。韓国では日常的に馬とは縁がなく、馬文化は定着していない。馬文化とは馬を飼育し、運搬、農耕、乗馬、馬具、食肉、乳製品など総合的に生活に密着していることを意味する。日本では馬を農耕や運搬、競馬などに利用し馬刺しを食べるほど韓国に比べて馬文化が定着している。
私は韓国中部地域の小さい農村で生まれて、父が牛の行商をしていたので我が家には常に牛が何頭かいて、幼い頃から牛には親しみを持っていたが、馬に接する機会はほとんどなかった。したがってもし牛と馬が喧嘩をしたら牛が絶対勝つだろう、馬は蹴飛ばすので足には注意すべきだが、牛は頭に良い武器の角があるので強いのだと牛に味方をしていた。
私がはじめで馬を近くて観察したのは1990年朝鮮日報派遣の学術調査でモンゴルの草原へ行った時である。当時、モンゴルと韓国はまだ国交が結ばれていなかったので、東京で暫く滞在し、読売新聞社などで調査資料を収集してウランバートルへ行った。ナダム祝祭に参加し、草原の遊牧民族の生活を40日間調査した。そこで私は初めて馬に関心を持った。
京城帝国大学の秋葉隆先生の報告書にしばしば出る、村の守り神を祀るオボを山頂で見つけた時はおもわず頭を下げてしまった。オボとは神木なるものの周囲に石を積み上げて天の神を祭るものである。そこには馬の頭蓋骨や馬を描いたヒモリという布が掛けられている。このような神木は韓国のソナンダン、日本の神社や沖縄のウタキにつながる象徴的なものである。
ナダム祝祭は弓、相撲、競馬がメーインの種目であり、少年少女の競馬には如何に遊牧民文化であるかを痛感させられた。あるゲルというテントの家でのことである。若い主婦がインタビュー途中、馬に乗って小山を越えて走って行って、羊の群れを連れてきた。馬はスピードが速い。定住農耕民とは異なるスピーディな行動、距離感もペルシアを隣村のように語るのにびっくりした。ゲルの入口には馬乳で酒を作る桶や革袋があり、馬肉を食べる。そこで馬文化を実感した。
韓国でも今は遊牧民族のように日常的に乳製品を食用とするが遊牧文化の社会ではない。19世紀フランス人宣教師のダレ( Charles Dallet)の『朝鮮教会史』(1874)によればある宣教師が韓国で動きの遅い牛を農耕に利用するのを見て、農夫に早い馬を使って耕すのはいかがかと言ったら貴方の国では犬をもって農業をするのか、と皮肉の言葉が戻ってきたと記している。済州島では農耕に馬を利用したと言われたが、それはモンゴルの影響といえる。

「新年は甲午年」
午年の運数はどうだろう。新年の初めから言うには不適切かもしれないが、運に関しては真剣に考えない方が良い。一般的に午年生まれは結婚運 に関しては、特に女性は気が強く、結婚運 が悪いと言われている。また駅馬煞(サル) の厄運と言われることもある。元々煞(サル)とは「(運)数」ともいわれ、昔はムーダンを呼んでサルプリ・煞(サル)払いを行うことが多かった。紅い高粱で小さい餅を作りそれを弓の矢につけて射,雑鬼を払う儀礼を私は調査したことがある。
私も在日同胞も「駅馬煞(サル)人生」つまり駅馬の運であろう 。駅馬とは文字通りに駅の馬であり、人や物を運搬する馬の運、落ち着かず、あちこち放浪、引っ越しなどが多いことを意味し、悪い運とされている。つまり一定のところに定着せず流れ「放浪する人生」を指す。
私は同胞の1世の方との付き合いが多い。自分の意思で日本に移住してきている私はニューカーマーであり、前から日本に住む同胞のオールドカーマーたちをみると故国離れて他郷暮らしの悲しさや惨めさが伝わって来る。藤沢の民団 でアルバイト、社員旅行に同行し、銀座の地下のバーやキャバレーにも同行させていただいた時、彼らは悲しく李美子の「タヒャンサリ(他郷暮らし)を歌うのをよく目撃した。私は彼らが故国と故郷を離れ、恋しく、懐かしく歌っているのをみて心から深く感動し、同情もした。
日本植民地時代には自他意問わず多くの韓国人が強制、半強制の動員や移住によって故郷を離れて中国、満州、樺太、沿海州、南洋群島、日本などへ移動した。戦後本国への帰還事業が大規模に行われたが多くの同胞は現地に残った。戦前の帝国時代には国際化のような現象が起きたが、終戦とともに戦後冷戦時代、国家のナショナリズムによって国境意識が高まり鎖国時代のようになった。21世紀になってようやくグローバリズムが叫ばれても以前と同様、あるいはより厳しく民族主義や国粋主義が目立つようになっている。しかし今時代は変わっている。
なにより意識の変化である。たとえば客死や放浪が悪く思われる時代では放浪や旅にネガティブであったが、ロマンティクに思われる時代に代わった。韓国では女性の人権が高くなり、女性大統領を出した。自ら「駅馬サルだ」と自称する人さえ現れるようになった。韓半島の外、海外の同胞が国際化の時代には活力あるディアスポラになった。在日同胞は世代を重ねながら日本に適応し、本国との関係の繋がり網として役割を強化してきている。
一方グローバリズムやナショナリズムがいたるところに夢とロマンスを持たせたが、その陰にはナショナリズムと民族主義・国粋主義が固まっていて、新しい問題点として現れた。国家は国土、領土への関心を高め、国家間の関係を悪くしている。それは日韓の両方において同様であり、最近日韓関係が最悪の状態になっている。韓国では反日感情が高まり、日本ではヘートスピーチが行われている。
その根源を探って考えてみると土地と人の関係の感情から出たものといえる。生まれ故郷への愛郷精神、縄張り意識に起因したもの、最近はそれに基づいて村おこしなどを行っている。その考え方を革新すべきであろう。私は川崎の故李仁夏牧師が『寄留の民の叫び』という本で主張した「寄留者精神」を受け入れる必要があると思う。しかし、このことばは在日の方々に届いていないのが残念である。李牧師は日本社会において在日外国人が厳しい差別におかれた「寄留の民」に「抑圧する理不尽な力から解放され、自由になろう」と叫んだ。人はある土地に寄留しているにすぎないという認識である。「寄留とは一時的に身を寄せること」 である。在日同胞だけではなく、「土地の者」の権利を主張している日本人にも言うメッセージである。聖書は「わたしたちはこの地にあっては寄留者、旅人である」と教えている。オールド・カーマーの「在日」もニューカーマーも日本人も「寄留の民」であるということである。
「土地の者」意識を持つ日本人と、「在日」が民族や国家の壁を乗り越えて「寄留の民」として平和に共生を願うのに新年の午年のメッセージは大きい。


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日韓関係が本当に最悪

2013年12月30日 05時31分24秒 | エッセイ
 日韓関係が最悪といわれていても韓国側の詳しい実情を知ることはなかったが、昨日日本通と言われる韓国の世明大学校の教授の金弼東氏からの電話で実感が湧いた。日本の中のへートスピーチがメディアに大きく報道されるなどによって日本離れの傾向が強く、大学での学生募集も難しくなり、全学で募集状況が最悪の状況になっているという。少なくともこの状況は3,4年は続くだろうと展望した。
 1980年代初め頃反日運動が激しい時でも「敵(日本)を知らなければ勝てない」(孫子兵法)といい、大学での日本学などは人気学科であった。「日本は無い」とか反日的な本がベストセーラになったことがあっても人気を維持してきた。日本では韓国映画ドラマなどの「韓流ブーム」が高調し、日韓関係は好調であった。当時、韓国での拙著の『親日と反日:危険な日韓関係』という題は相応しくないといわれるほどであった。しかし東日本大震災の過剰報道、従軍慰安婦像問題などによってさらに「危険な日韓関係」になった。
 私の持論では国際化時代の前までは韓国の反日の「日(日本)」は韓国の国内用の親日を嫌うところが源であったか国際化やグローバル化時代になると日本向けの反日に発展すると見ている。その反日は前者と似て異なるものである。それは日本の嫌韓に対応する「嫌日」に当てたほうが良い。韓国は連合軍によって解放され独立国家となったが「歴史認識」としては日本の植民地時代の連続である。つまり植民地からの被害意識無しでは正常な日韓関係は成り立たない。日本と韓国は植民地から本当の「解放liberation」が先務であろう。奴隷から解放されてもその意識解放には3代もかかると言われている。
(写真は朝鮮総督府庁舎を破壊した空虚な広場)
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お歳暮

2013年12月29日 05時56分10秒 | エッセイ
 極寒といえる寒さの中、宇部から堀研画伯ご夫妻はバラの花とワインを、小倉から大久保裕文氏は自作の野菜を、数日前にあんこう鍋を下さった朴仙容氏とともに来られ楽しい時間を過ごした。大久保氏は新著『雀様が語る日本』の表紙絵を描いた人であり、堀氏はその拙著を5冊も購入してくださった。遠くから来られて楽しく長く放談の「オンドル夜話」的時間であった。その夜話とは寒さと暖かさをハーモニーした状況を融和したものである。話は縦横無尽、李明博大統領の竹島上陸が政治的に困った野田総理に大きいプレゼントであったように、安倍総理の靖国参拝は困っている朴大統領に大きなお歳暮のようなプレゼントになったのではないかなどなど。掘氏ご夫妻は今大邱に住んでいる娘のまどかさんと孫を訪ねて、韓国の食べ物の美味しさと野菜の豊富さなど文化体験、スケッチもしてきたという。野菜の豊富な話には我が夫婦のパラオでの野菜と果物の貧弱さの話が加わった。皆本欄のブログやフェースブックを読んでいるので私が積極的に語ることはほぼなく、主に聞き手になった。下関に住んで8年、先住(?)の人の縄張りの壁を意識していたが我が夫婦も下関人になったようで縄張りを広げていっても良いほどになった気がする。この地域の新聞などでは「下関出身探し顕彰」傾向がいまだに強い。それはどんな価値観であろうか。たぶん住み心地の良いところという誇りであろうと思う。
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『雀様が語る日本』の書評1

2013年12月28日 04時51分10秒 | エッセイ
一年間の新聞からスクラップをしようと整理したら長周新聞の竹下一氏の記事が一番多い。下関に来て多くの新聞記者と出会っているがほとんど転勤などで付き合いが短いし、離れてしまうと数人を除いては消息が消える。しかし地元の新聞記者とは付き合いが長い。その一人が竹下氏である。昨日彼が最新の拙著『雀様が語る日本』の書評「人間愛に根ざす日本文化論:自ら得た真理真実で綴る」を書いてくれたのでここに紹介したい。
 
 (前略)本書のタイトルにある「スズメさま」は、著者の姓である「崔」が日本ではなじみのない漢字であることから、たびたび「雀様」と誤って書かれることに由来している。著者は同じ漢字文化圏である日本と韓国の間のこうした微妙な相違を超越して、「スズメの目」で日本文化を鳥瞰する狙いを明らかにしている。
 本書に収められている各エッセイは著者が日本の年中行事やスポーツ、さらいは国会論議にいたるまで、日常体験し感じたことや批評を含み隠すことなく自由に綴ったものである。それは日本語から始まり日本人の生活習慣、流儀、作法など、日本人としては普段あまり気にせず問題にしないことがらを著者特有の感受性でとらえ、多分野にわたる幅広い交友、世界各地を訪れた体験と重ねて比較観察したもので、本や映画、テレビ番組などの批評も含んだ文化論となっていう。
 そこには、韓国で生まれ文学を志して青年期を送り、日本に留学してに日本人女性と結婚し、植民地研究の道に進み、日韓両国の間を行き来する過程で形成された著者の人生観、世界観が、ユーモアや風刺を交えて人間味豊かに表出されている。
 本書全体を含んでいるのは、著者の人間愛、ヒューマニズムである。それは、花を愛でる著者が寒さのもとで身を縮めるつぼみに心を寄せ、人生には開花を遅延させる「寒さ」「辛さ」があるからこそ、花は一層美しく咲くとの思いをつのらせるように、発展的で健康的なものである。そうした観点は社会的な問題にも敷衍(ふえん)されて論じられる。
 <大震災や福島事故に関して>
 たとえば、東日本大震災や福島原発事故などと関連して、日本においては「マニュアル、規制、規則、法などが社会を安定させている」と見る一方で、「それを越えて行動することに関しては極めて制約されている」「マニュアルから外れることはタブー視されている」との思いを記している。そのような著者の視座には、「愛や尊敬などはマニュアルに則っているとは限らない。安定的なシステムと同時に、それを越える決断や行動も必要である」という現実の動きのなかで、生きた人間としての判断を尊ぶ精神かおる。
 そのことは麻生太郎が「高齢者が老後のために貯蓄?」と、「死ぬ時に貯金が残っていることがハッピーという考え方」を批判した問題でも、老人が「消極的な浪費あるいは享楽的な消費者でいるのではなく、創造的なことに楽しみながら携わり、社会に少しでも貢献できる」ような社会環境を築くことこそ重要だとの見解を対置していることにも示されている。
 <日韓両国の友好を願い探求>
 著者は、だれにも気兼ねや遠慮をすることなく日本文化、風俗習慣についての疑問を率直に表現しているところから、「日本の読者には日本を批判非難するように読まれるかもしれない」との思いを吐露している。だが、それは、これまで韓国で植民地時代を研究することで、「親日派」と侮蔑されてきたことと表裏一体の関係のものである。その意味で、文学的なゆるやかな色合いを含む文章ではあるが、そこには研究者としての良心を貫くうえでの避けがたい政治的抑圧との緊張関係をはらませている。
 著者は基本的に日本文化、韓国文化を肯定的にとらえており、日韓両国の友好を強く願っている。だが、それは表面的になぞること、一面的、表面的にとらえることでは実現できず、あくまで分析的に掘り下げて探究することで寄与できるとの観点からである。
 従軍慰安婦の問題など研究者にタブー視されている分野に果敢に踏み込んで研究を深め、発言する姿勢はそのことを端的に示すものだといえるだろう。著者は、この問題が「慰安婦という女性の証言と、メディアによって扇動されているようにも見える」と同時に、「それ自体に触れることが社会運動家によって批判されるので客観的な研究はなかなか進まない」ことを明らかにしている。
 著者はこの問題と関連して、かつて米軍や韓国軍の性暴行や売春を追究し論じたことが非難されたことをも引きあいに出して、「しかし、タブー視されている問題を避けて研究せず、ただ社会運動家とマスメディアに任せることは危険である」と指摘。みずから探究して得た真理真実をもとに発言するという、学者として当然の社会的な使命を貫く意義を強調している。
 こうした事例は、植民地朝鮮で製作された映画の研究の過程で、芸術とプロパガンダ(政治宣伝)の関係を注視してきたことから、今騒がれている中国や北朝鮮のテレビ番組などのプロパガンダ性についても、韓国や日本も「その点においてはそれほど差がない」との指摘にも見てとることができる。
 本書に収められた文章が文学作品としても印象深く映る一つの要因は、著者が不断に現実の動きを追い、居住地の下関の知識人、文化人との交流を大切にするなど、他者との関係を広げその意見に耳を傾け、認識を発展させる柔軟な思考にあるだろう。
 同時にそれを歴史科学、社会的構造との連関において骨格的な強さをそなえたものへと発展させられることで、より深い感動を共有しあえるように思われる。(新典礼発行、B6判・280ページ、2100円十税)

 短時間で読んで深く広く整理しながらコメントをしてくださった最高の書評だと思う。
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日中韓対立は喧嘩の論理

2013年12月27日 05時42分50秒 | エッセイ
昨夜韓国のKBS9時のヘッドニュース15分は安倍総理の靖国神社参拝に関するものであった(写真)。最悪の日韓関係をもっと悪くしたので何と表現したら良いのか。「最々悪」「極悪」…というのがろうか。韓国の聯合通信はその最悪を「メガトン級」と言っている。喧嘩や戦争に近い状況であると言えるが、安倍氏は「積極的平和主義」と言っているので戦争にはならないだろと安心した。平和主義、すなわちパシズムPacismには暴力と戦争は含まれていないからである。日本と隣国の関係が危険であることは植民地と被植民地の歴史認識の対立に因んだものであると言われる。しかし私はそれを認めない。日本の植民地であった台湾、パラオ、サハリン、北朝鮮とその他占領地との関係などは一様ではないからである。今の現象はただの競争と葛藤の日中関係、日韓関係によるものであろう。歴史認識とは名分に過ぎない。それと同様神社参拝も宗教儀礼だけとはいえない。政治的な行為ともいえる。
 私は『恨の人類学』(平川出版)で怨霊や悪霊を祀ることを分析した。また祖先祭祀の研究では如何に道徳的に悪い人でも家族や親族は死者を祖先として祀ることを明らかにした。犯人の死霊を祀るのは異様なことではない。このようなことは宗教学や文化人類学では常識であるが、靖国神社の問題はこの分野をはるかに超えた国際政治の問題である。
 日本、中国、韓国それぞれ正しいと主張する言い分がある。「国のために尊い命をささげられた方々に尊崇の念を示すことは大切だ」と「戦犯を祀る歴史認識の誤り」と対立している。その対立は喧嘩の論理である。安倍総理が日韓関係を意識していなかったとは思えない。むしろそれを意識して慰安婦像を立てても我慢をし発言を控え、腰を低くしても日韓、日中関係は悪く、さらに国境問題などで迫られる一方ではこれ以上我慢する必要性はないと思っているようであるという解釈もある。喧嘩するときはなんでも非難攻撃するようになる。喧嘩や政治は裁判ではない。解決を求めようとするとき裁判が必要である。
 最近自民党と野党の対立を見ていると韓国側は日本の共産党と似ていると感じる。幸いなことは日本では自民党に反対する野党が健全であることである。中国のような独裁政権とは質を異にする。日本や中韓が「靖国参拝」を政治問題としないことを願う。
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反日と嫌韓

2013年12月26日 04時34分26秒 | エッセイ
二日間インタネット不通でPCを使えずスマ-トフォンで書き、不便であったが昨日、業者に来てもらって復活できた。インタネットによる電子情報がいかに大切であるかを痛感した。その最中、韓国の東一電子情報高等学校の理事長と校長をはじめ教員とビューティ学科の36名の女子学生が2日間の予定でオープンキャンパスに来てくれた。私は電子情報の教育について話を聞きたい。朝早く港で迎え(写真上)、教室で挨拶をした。日本語を学んでいて日本語にも明るく反応があってよかった。日韓関係の沈滞とは対照的であり、私は日本に住んでおり海外に住むことも悪くないと話をした。港から大学へ向かっていく車内で鵜沢先生から聞いた話が耳に強く残っている。日本人の在日差別とは言っても公になったことがなかったが最近マスコミでは露骨的に嫌韓を表している。それは朴槿恵大統領の露骨的な反日政策に因んだものではなかろうか。午後拙宅で朝日新聞の記者の大隈氏と長時間日韓関係について放談した時に掘り下げようとした。彼はこの反日状況の中でも家族連れで韓国旅行を直前にしてる。私は「心配なし」と宣言した。また、私は最近の北朝鮮の動きに恐ろしさを感じているが、昨日のニュースでは北朝鮮が発表した英雄化のために発表した歌の中には戦前の有名な洪蘭波作曲の童謡「キテギ(背比べ)」が含まれていたことに触れた。洪氏は韓国では「親日」とされているからである。反日に関しても南北は異なる。
 その直後先週末絹代塾での映画「ヨーロッパ・ヨーロッパ」を上映しながら山本達夫准教授が解説したことの記事が乗っている長周新聞が届いた。参加者も聞き取り難いところまで補ってよい内容で詳細に報じられた。山本氏がナチスのユダヤ人差別の歴史を以て語り、映画に見る被害者の心理的な葛藤を日本に照らし合わせて考えたという私のコメントも克明に記事とされている(写真下)。竹下一記者に感謝する。
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お詫び

2013年12月25日 12時26分30秒 | エッセイ
 NTTからの「プロバイダーを変え」と誘いの頻繁な電話に断れず応じてしまい、普通になったので数日間このブログに書けなかった。読者には大変なご迷惑をかけた。お詫びしたい。
 今日はクリスマス、まずメリークリスマス!
 インターネットが不通になってしまって暇を感じている。如何にインターネットに依存していたかを痛感しているところである。ただFBが繋がっていて感謝である。ブログやFB、メールなどの読者にはご迷惑を掛けている。  
 日韓関係が最悪の中軍事協力のようなニュースが気になって、昨夜韓国テレビニュースを見たが南スーダンに関するニュースでも日本の銃弾支援には触れられていなかった。しかし新聞には日本の支援を受けることは恥だと書かれている。「最悪」はいつ終わるのだろうか。
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怠け者の楽園

2013年12月23日 05時23分41秒 | エッセイ
クリスマス礼拝の後昼食会でパラオ教会での礼拝について語った。3500キロほどの南、太平洋のミクロネシアの島、旧日本の植民地であった楽園島として話した。先日も本欄で触れたが、その島が楽園であるというのは常夏の気候、暖かく果物、花、魚などが豊富であり食べものに心配なく労働、仕事、苦労はしなくて良いという。原住民が楽園と思っているかどうかは解らないが、彼らはこの寒々とした殺風景な冬景色を見ただけで地獄を想像するだろう。そこから東のほうに位置するポリネシアには世界的に体重の多い人種の島々がある。自然の食べ物があり、働かなくても生きる世界が楽園であることは創世記に書かれてあり、仏教の天国とも似ている。つまり近代的な価値観では怠け者と言われるかもしれない。
 この「楽園」の島々の人々に「働かざるもの食うべからず」というキリスト教をスペイン、ドイツ、アメリカなどによって宣教され、植民地化されたのである。パラオは1994年に独立しても全国民がほぼ国家公務員になってアメリカの援助40億ドルで楽に生活する。楽園の生活は続いている。数年前北朝鮮を訪れた時、私に「祖国(北朝鮮)は楽園だ」と言った人を思い出す。寒くて食料が不足しても楽園だということはどういうことだろうか。多くの人々からは地獄のように思われているが、自らは楽園だと思っているのはなぜだろうか。
(写真は商店街のクリスマス飾り)
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「嫌われる」

2013年12月22日 04時41分07秒 | エッセイ
 昨日西日本で最低気温吹雪や雨の時、絹代塾で10人で同僚の山本達夫准教授の解説による映画「ヨーロッパ・ヨーロッパ」の上映があった。第二次世界大戦下で主人公のサリーは生まれてすぐユダヤ教によって神との契約である割礼をされた。それはユダヤ人の印として彼にとって大きく障害になってしまう。ナチスの迫害を逃れるためにポーランドへ行き、そこでも一家はバラバラになり、彼は敵国のソ連の施設に入り、ソ連軍、ドイツ軍の兵になり、敵・味方、それぞれの両国の間で悩む。ドイツのヒトラーユーゲントに入り、レニという少女に出会い、恋をするがユダヤ人という正体の割礼がバレてしまう恐れから性行為ができなかった。彼の恋人は他クラスメートとできて妊娠した。それを知って絶望する。実話でありながらフィクション以上のフィクションのような事実、ユダヤ人の悲劇が圧縮された映画である。山本氏は上映の前後にユダヤ人の差別の歴史について語った。
 私は日本社会の差別に照らして考えた。主人公のサリーにとって割礼を隠す、それはキリシタンにおける踏絵のようなものである。サリーにとって割礼は信仰の印、その意識はあらわすことができない。ただユダヤ教を背景にして他のキリスト教信者と対面して信仰を隠している場面はクリスチャンである私にとってつらい場面であった。しかしユダヤ人差別は宗教差別というより人種差別になっている。白人同士で人種的な差別はあいまいな差別になり、隠すことができる。それがもっとも辛い、この映画の見どころであった。日本における在日差別の問題を考えさせられる。人種的に区別もつかない印(戸籍など)を探して民族差別という点で差別の構造は同様である。もう一つこの映画で重要な点はなぜ嫌われるのかである。特に主義、主張、信念、個性、創意力などを持つことは人間らしいとされて、好かれることでありながらそれがまた人に「嫌われる」という要因にもなっていることである。「好かれる」と「嫌われる」のは裏表である。
 
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新典社との縁

2013年12月21日 05時31分48秒 | エッセイ
エッセイ集『雀様が語る日本』が届いた。この出版社の新典社とは数年前京都造形芸術大学で学習院大学の名誉教授の諏訪春雄氏、法政大学教授の田中優子氏らと講演し、その内容を『京都のくるわ』として出版していただいた縁によるものである。その出版社は主に古典文学を出すので拙著のような出版には私は常にオーディションを受ける新人のような心持であった。本を見てまず日本語試験に合格したような嬉しさを感じた。ほぼ1年をかけて家内の幸子と出版社の幸子氏の校正など大変な協力を得て出すことができた。しかし一年は長く感じた。まだ数年かかっても出版社で動いているもの、検討中のものもあり来年中には出るように努力したい。出版社の人は本を作るまでは個人でも誰でもできるが販売が難しい本業であるといった。本書の製作においても今まで家内工業のように進行してきたものである。
 私が日常的に日本で住みながら見て、聞いて感じて、考えて、対話したもの、私の人生の体験と知識、識見、思考を心込めて書いたもの、それを校正と編集、装丁、印刷の過程を経て完成できたものである。出した以上多くの人に読んでもらいたい。愛読されたい。講義「日本文化論」のテキストとして使うことを考えている。韓国語ではすでに『雀様の人生と学問』を出したが今度の本書は日本学科の学生たちも読者にしたい。学生はもちろん一般の方々に読んでいただきたい。また講演などで参考資料にもしたい。アマゾンにも登録されている。一読のほどよろしく。
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「冬は寒い」

2013年12月20日 05時50分35秒 | エッセイ
 昨日今年の最後の4年生の授業「日本思想」では「好かれる人」がテーマになった。日本が「好かれる」「嫌われる」国と地域を話題にした。諸君は人に好かれるか、嫌われるか。外見、能力、趣味などを並べながら考えさせた。伝統的には躾や礼儀作法で好まれていた。しかし実用主義と能力主義によってそれも大きく失なわれた。むしろ好かれるために工夫することはよいことではないといい、それは自然さに任せるようにしている。好かれるための教育は必要であろうか。必要である。フロームは「愛の芸」の教育の必要性を述べている。合理性や能力主義だけでは社会は発展しても幸せな社会にはならないと私は考える。今クリスマスの雰囲気が溢れ、盛り上がっている。美しく、楽しい雰囲気の飾り、好かれる時期となっている。こんな時、人類の愛と平和を訴えながら歩き、十字架に付けられて死んだ愛の先生のイエスを思って欲しい。
 数日前、熱帯地域のパラダイスで模型の雪とサンタクロスを見てから、今日本の寒さ、雪、みぞれ、強風の中クリスマスを迎える。「冬は寒い」のは当たり前、昔は冬が寒くないと伝染病が流行ると寒さを受け止めた。気管支の弱い私は主治医から「冬は注意せよ」と警告されている。もう少しでエスキモーの姿でクリスマスを迎えることは幸せである。海龍の朴仙容氏からいただいたアンコウ鍋は寒い冬にピッタリ。(写真は12月17日のグアム空港内で)
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「即日処刑」

2013年12月19日 05時22分57秒 | エッセイ
 調査旅行から帰宅して、北朝鮮で大きい粛清が起きたというショッキングなニュースを読んだ。金日成の娘の夫の張成沢が公開処刑されたということである。裁判と処刑まで「即日処刑」という恐ろしい国であることが痛感させられた。「初戦撲殺」と「将軍様」の国の北朝鮮であることが実感させられるニュースである。ネット上多くの噂話が流れている。王朝や幕府などの歴史物語りのように「大逆罪」と処刑を劇化したものが楽しまれるということはどういうことだろうか。現在においてもホラー映画の素材を韓国と北朝鮮は多く出している。金大中氏拉致、朴正煕大統領の暗殺、こん度の処刑などは残虐なものでありながら面白さを持ってストリーが作られやすい。政治の世界では珍しくないこと、そして戦争になっていく。平和はただ来るものではない。守らなければならない。
 ここでお知らせを書く。ナチス時代の実話をもって平和を考える時間を持ちたい。
 2013年12月21日(土)2時から東亜大学で行う。田中絹代メモリアル協会・絹代塾主催で映画『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』(写真)を上映しながら山本達夫氏(東亜大学准教授)が解説する。ユダヤ人である主人公・ソロモンはナチスに追われ一家でドイツからポーランドへ疎開する。姉は殺害される。家族がバラバラ、彼はコムソモール(共産主義教育舎)に逃げ込む。スターリン賛美と宗教批判教育を受けた。ナチスに捕えられて、兵士と通訳者としてドイツ軍で働く、ヒトラーユーゲント育成学校へと送られていく。少女と恋。ストーリーは実話。1990年制作のドイツ・フランス・ポーランド合作映画である。参加費500円、たくさんの方々と映画を見て語り合いたい。


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太平洋戦争Pacific War

2013年12月18日 05時18分32秒 | エッセイ
深夜ミクロネシアの島の国パラオ空港まで送ってくれた日本人女性は原住民と区別がつきにくいほど日焼けしていて、「住みやすい、楽しい…」「ここの人びと、大統領まで親日的だよ」と日本からの援助金でパラオでは初めての花火大会があったこと、東日本の災害とパラオの台風の災難に助け合った話を聞きながらたった15分で空港に着いた。深夜零時過ぎて空港で2時間待った。出国出続きは簡単であったがある真夏の服装のままの青年が丸い壇の上に立たされて両手万歳の姿で探索のような検査、また搭乗前にも特別二度目の検査をされたが理由はわからない。飛行機の安全のためにお客がテロリスト(?)として疑われることは許されるのだろうか。黙って検査に応じる青年に同情の視線をはずすことができなかった。グアムでの乗り継ぎは出国と入国の手続き、厳しいアメリカの検査を受けなければならない不便な空港である。この度パスポートにはアメリカに2回出入国したことになった。そして3時間強の太平洋Pacific Oceanの上空を太平にpacifically飛行をした。
この旅行で持ち歩きながら参考にしたものは二つ、一つはアメリカ日本史研究の大家であるマークピーティのミクロネシア戦争史に関するNanyo、もう一つは飯田伸五氏の数篇の論文であった。機内で開いたピーティ氏の本で日本のミクロネシアの植民地を南国へのロマンティズムと夢と書いたところに目が止まった。そして著者は日本との戦争を太平洋戦争Pacific Warと述べている。空から見下ろせる太平洋は文字通りに「太平」であるなか小さい島々で「戦争」をして多くの人命をなくした「戦争と平和」というトルストイの名作の名題は矛盾であり、真理のように思った。今度現地で出会った多くの人はダイビングや水泳を楽しみに来ている。その中で私は戦争と植民地の歴史を調べたのである。それも戦争と平和的に思い、多様な生き方を感じた。軍事訓練されたような愛国心だけではない「太平の心」を持ちたいと思った。
 行く時の座席が一番後ろ、入国審査で一番後になって不愉快であったが、帰りの席は前、一番早く入国手続きをして出た。そこで重要なことを考えた。なぜ最後になったことが不愉快にだったのか、ということである。常に優先、優遇されていたことに気付かず、深い感謝を忘れていたことへの大きい反省であった。 写真は久米信行氏が旧日本軍の戦車とトチカを説明する場面。


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