崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

割礼

2018年12月31日 05時46分26秒 | エッセイ

 昨日寒い朝、ネットで探して教会に出席した人たちも含め30人弱であった。今年最後の礼拝の説教の題は「石で施された割礼」となっている。私の文化人類学の講義では3時間かけて男子割礼、女子割礼などを扱ったが、説教にしては難しい話題だと思って聞いた。
 イスラエルの人々は四十年間、荒野を歩いていて、エジプトから出てきた民であり、心は消え、元気もなくなった。そのすべての男子に火打石の小刀で割礼を行った。傷の直るのを待ってギルガルに宿営し、過越の祭を行った。そしてカナンの地の産物を食べた。
 そこからの金成彦牧師のメッセージはどうなるのか。旧年から新年へ、教会の傷痕を治し、新所、新年に向かってカナンの地へ入る勇気を強く主張した。衒学(げんがく)的な牧師であればユダヤ教では割礼に固執したとか注釈的な知識を並べるだろうと思ったが、このメッセージから私は感動した。 

 


年賀状

2018年12月30日 06時27分41秒 | 日記

 年賀状書きに時間がかかる。まだ多くの方々と数十年間交換している。面倒な形式主義、虚礼儀式だけだと否定的に考え、書いておられない方も多いと思う。しかし私は続けている。自分の人間関係を振り返えって見る。特に1年間の中での感謝の時間である。年賀状の交換とは関係なく、感謝すべき方々も多い。それを含めて感謝の時間である。私の年賀状には突飛なものがある。私の留学時の苦労話は時々触れているが、その当時、研究費の情報提供など、お世話をしてくださった山岡義典氏とはその後50年間、会えないけれども年賀状を交換し続けている。また、音信の途絶えている恩師、恩人もおり、今はただ祈るだけである。お世話になった多くの友人、知人を思い出し、感謝している。

 

 

 

 


역류의 삶

2018年12月29日 06時32分48秒 | エッセイ

 어제 오후 7 경 시모노세키 시내에 나가니 조명도 일루미네숀도 적고 어둡다. 백화점 서점에도 사람이 적다. 일본의 농어산촌 소도시의 지금의 풍경이다. 아내는 "서글프다"고 말했다. 선진국의 고령화 현상이다. 셔터 다운에 한숨, 정부의 "지역 창생 '정책도 효과가 없다. 기업을 창설하려는 국가 주도 기획 경제는 더욱 무리이다.
 지방 사람들은 향토애 마을살리기 운동, 관광화 등 노력을 한다. 그러한 마을 갱생운동은 구조적으로 어렵다.  주민의 의식 개혁 밖에 없다. 폭포가 흐르는 기세를 역으로 거슬러 가는 힘. 주민들은 대도시에서 흘러 내려오는 교통이나 인터넷을 역류시키는 것이다. 즉 지역에서 도시로, 세계로 도전하는 것, 그것 밖에 없다.
 예를 들어 시모노세키에는 5 개의 대학이 있다. 다른 대학에는 유학생이 몇 명 정도이지만 예외적으로 동아대에는 한국 유학생이 100 수십여명이 있다. 미디어 및 행정, 한국 외교 시설 등에 정보를 제공하여도 무반응이다. 지역에서 국제화의 현상이다. 재학생의 거주, 부모, 친척 등 나쁜 한일 관계의 벽을 훨씬 넘고 있다. 그런 노력을 하고 있는 나에게 한국의 어느 신문은 나를 친일파라고 욕을 하였다. 분노를 금할 수 없다.


逆流の生き方

2018年12月29日 05時32分36秒 | エッセイ

 昨日午後7頃下関市内へ、照明もイルミネーションも少なく暗い。百貨店の書店でも人は少ない。家内は「寂しい」という。日本の農漁山村、小都市の今の風景である。先進国の高齢化の現象である。シャッターダウンに溜め息、「地方創生」政策は効果なし。企業を創らせるか誘致するような国家企画経済では無理である。
 
地方が郷土愛、村おこし、観光化などの努力だけでは廃れた町の更生には構造的に間に合わない。それは住民の意識改革しかない。滝が流れる勢いを逆遡ること。住民個人は大都市から流れてくる交通機関やネットを逆流させること、地域から都市へ世界へと挑戦すること、それしかない。
 一例をあげておきたい。下関には5個の大学がある。他の大学には留学生が数名ほどであるが例外的に東亜大学には韓国からの留学生が百数十名がいる。在学生の居住を核に親、親族などの往来が日韓関係の悪い壁を遥かに超えている。メディアや行政に市民に情報を提供しても無反応、ただ村おこしにしか目が届かない。逆流の生き方を考えて欲しい。


年末回顧

2018年12月28日 06時12分54秒 | 旅行

 年末回顧のプログラムが多い。私が何より気になるのは日韓関係の悪化である。私も一助加えたように反省する。国基研の「日本研究特別賞」を受賞し、韓国東亜大学校からは「名士」から落下させられたこともある。反日者たちの談笑の話題にもなっているようである。嬉悲・善悪に挟まれているような感もする。拙著『慰安婦の真実』を出版して下さったハート出版の社長からコミックな回顧絵が届いた。屋代に座っている三人が昭和のHeart、ハツ、こころ、しんぞうが溢れる酒を飲みながら創業時代からの回想を語るようである。顔がアップされる。そこには犬猫がいる。「平静が終わったら昭和が遠くなって昔になりました」大正、明治が、そして昭和が遠く感ずる。美空ひばりの歌の「過去たち」が悲しくも感じるのはなぜだろう。(ハート出版から届いた絵は私と家内の二人だけで見るのは勿体ないのでここに公開します。承諾を願う。)


「中国は自由な社会である」

2018年12月27日 05時02分17秒 | 講義
日韓関係が最悪といえる目下、「日中関係は良い」と、昨日のワンアジア共同体講義の講師の金俊氏は言った。「紀年」をめぐるナショナリズム神話つくりの話が面白かった。日本は明治、大正、昭和、平成の紀年、年号を使っている。北朝鮮の「主体」、台湾の「民国」、以前韓国では「檀紀」が使われた。儒教は孔子の神格化の話など広く長い。「難しかった」という声が多い。その後研究室では討論があった。権藤博志氏が中国共産党、共産主義、社会主義社会がなぜ市場経済と資本主義を取り入れるのか、その意味は何だろうと質問した。それは当然自由民主主義が伴われるのではないかということであった。
 金氏は多民族国家であるから韓国や日本より「中国は自由な社会である」と強調した。彼自身は中国朝鮮族でありながら中国をカバーするようである。私は彼の発言が学問の姿勢であるのか気になった。学者、研究者たちが民族としてアイデンティティを装って愛国心を語るのではないか。中立的ではなく中国や韓国の味方をする彼の学問の姿勢が心配になった。
 先日私が韓国の東亜大学校の「名士招請特別講演」が取り消された私の屈辱の噂を韓国で楽しんだように伝えた。悪い日韓関係によるものではなく、他の事情であろうとも言った。私は新年3月2日には京都で対談を行う予定である。チラシ案が来ている。崔吉城×小倉紀蔵「『中立派』文化人類学者、日本と朝鮮半島を語る」ゲスト/崔吉城氏(現東亜大学人間科学部教授、広島大学名誉教授)となっている。私は韓国の釜山の東亜大学校の教員ではない。日本の東亜大学の教授である。「中止にならないように」願っている。 

      


SNS

2018年12月26日 05時14分54秒 | 講義

 朝起きてすぐコンピューターを前にする日々が十数年になる。そしてニュースを知り、投稿している。ブログ、Twitter、フェースブックでは政治家や重要人物とも交信する。毎日数万の読者、広く世界に、多様な情報、応対する。新聞からニュースと批評を求め、数個の定期購読をしたが減らし、それも断わろうかと思っている。私は昔から新聞には一方的な読者ではなく情報提供者として関係してきた。今ここでは無関係になった感がする。ネットでは批判・非難があっても反論、関係も改善できる。
 テレビは私の日本語の教師、ビデオボックスのようなものである。英語のリスニングにも有効である。偶然にサウンドオブミュージックを鑑賞した。ヒットラー時代のウィーンを背景にしたミュージカル、修女院、将校の愛、感動した。私にもまだ感動する感情がある。今日は中国から来られる金俊教授がワンアジア財団支援公開講座で講義をする。


Merry Christmas

2018年12月25日 06時15分47秒 | 日記

 Merry Christmas to all my readers. I just begin to write the new book on Shamanism which my mother's belief and my Christianity. That's just look like DongRee Kim's Moonyodo(Picture of Shaman) story,1936.
 Many readers do not know what I am studying.It maybe seems that it is written in various ways.Some think that it is shamanism researcher, others some colonist researcher.I also touches many themes related to Japan and Korea. You may think by pro-Japanese or anti-Japanese,like or dislike. But I don't care about that.
 Anyway I am looking for the happiness.God bless you. 
 
 
私が何を研究しているか知らない人は多い。多岐に亘って書いているからであろう。ある人はシャーマニズム研究者と思う、またある人は植民地研究者とも思われる。また日韓に関するテーマにも多く触れている。韓国か日本か、親日と反日で問われることがある。新しくシャーマニズムについて書きたい。

*Munche,Germany ©Choi Kilsung


シンガポールからのメール

2018年12月24日 06時42分42秒 | 日記

 明日がクリスマス、今日はイヴ、昨日クリスマス礼拝が行われた。日本では一般人はクリスマスの日を12月25日と知っているが、基督教会では教団によってほぼ日曜日にクリスマス礼拝をしている。東正教会では1月6日になっており、私は2回サハリンでクリスマス礼拝に出席したことがある。10年ほど前ソウル大学で有名なイギリスの文化人類学者の「クリスマスビジネス」という講演を聞いたことがある。クリスマスツリー、サンタクロースなどほぼ商魂によって、例えばKFCの宣伝看板などで創られ、世界化されたという。昨日の説教では異教徒と異なるイエス誕生の本当の意味を説教とされた。

 今朝私にはもう一つ良いクリスマスプレゼントが届いた。それはシンガポールからのメールである。拙著『慰安婦の真実』のテーマになっている慰安所帳場人の日記、それを書いた場所、シンガポールの旧慰安所に関する詳しい情報である。沖縄で講演の時に会った在日韓国人の金さんがその家を訪問し、家の中でその家人とお話ができたというメールである。

私も崔先生の著書を読んでいないので詳しいことは伝えられませんでしたが、売春に関連することもしていたことを伝えざるを得ませんでした。また、そのような史実に嫌悪感を持つ、というようなタイプの家族ではありませんでした。とても興味を持ったらしく、「できれば、もっと知りたい」とのことでした。

 今後私も時間を見つけて、訪ねて行って詳しいお話を聞きたい。 
 

山路勝弘先生からコメント

2018年12月23日 05時43分10秒 | 日記

 廃紙などリサイクルへ、田辺よし子市議員の働きぶりにリフレッシュされる。新種リンゴをいただいた。美しい、美味しい。明屋書店に寄った。最新拙著2種『慰安婦の真実』『米軍慰安婦の真実』が横開きされていて、「よく売れていますよ」と店員さんの言葉に励まされた。帰宅すると、まだ発売されていない本『植民地朝鮮:映像が語る』に山路勝弘先生からコメントが届いた。引用する。

 日本統治時代、これほど大量に映画が製作されていたことを学び、たいへん興味深かったです。とりかけ、「志願兵」「愛と誓ひ」など、確かに「政治的プロパガンダ」以上のもの、イデオロギーを越えた製作者の精神性が読めるようで、機会があったら、自分も看てみたいと思いました。

また固定コラムの東洋経済日報(2018.12.21)への寄稿文「冥界婚の映画」掲載紙が届いた。

「冥界婚」の映画今は結婚をしない独身者が多くなっているが、韓国のシャーマンによる死後に結婚させる冥界婚とはどういうことだろうと思う人も多い。どこに死者に結婚させる意味があるのか。私の友人の映画監督の北村皆雄氏が韓国の東海岸、慶尚南道清河で1999年に撮影した、「冥界婚」の映画が出来上がった。人間文化財・金石出氏グループの貴重な記録である。死後結婚が何故行われるか、この映画を観て欲しい。
 
先日大阪淀川区にある第七芸術劇場でその映画を鑑賞した後に登壇して北村監督と対談した。ムーダンたちによる巫俗クッの映画を再度視ながら私が20代に調査した時を回想し、考えさせられた。34歳の韓国人男性が遠洋漁業で行方不明になった。彼と失恋自殺をした27歳の女性の位牌を迎え、人形による死後結婚式が行われた。海に落ちた事故なのか、それとも事件なのか?疑わしいことを占うことの思惑で親・兄妹たちはムーダンに占ってもらう、願いの強い儀礼であった。シャーマンたちはそれを重々知って儀礼を行った。
 
海辺の仮設テントで泣き声から始まって哭きで終わった。涙、泣き、哭が続く中でシャーマンが口寄せをする時は緊張感が走った。なぜなら殺されたと占いが出ると、刑事事件となる恐れがあるからである。死者と生者の感情が交錯し、哭の恨のめくるめく世界が現出する。深夜には大勢の人が集まった。神降ろしと巫女の祈りによってクッは和解のムードを作り出し、無事であった。
 
私も自分のカメラで同じクッを撮った。その映画を観ながら私の映像とはどう違うのか気になった。私は古くからムービカメラを現地調査で使ってきている。それらの映像には価値がないのか。プロは大型カメラで撮り、編集し、上映する。彼はこの映画について彼自身もよく撮れていると言っておられた。
 
私のものはハンディなカメラで編集用ではない。私はアマチュアで彼はプロ、研究者と映画監督など対照的である。彼はプロ、私はアマ、その対談であった。私が撮った映像は哭き、泣きが中心であり、何故泣くのか?ただのカタルシスではない。涙と悲しさは、また嬉しさとは,問題点を絞っているが、北村氏は巫俗の霊魂観に劇性に広げている。
 
技術的には編集とノーカットが対照的かも知れないが、もっと根本的な差がある。私の調査ノート作成には映像が必要な基礎資料である。私が平壌のキリスト教会で撮った映像にはゴスペルソングの失敗部分が含まれてリアル感が強い。有名な巫俗研究者のアメリカのケンダル氏はシャーマン儀礼を撮り、そのままドキューメンタリーにした。プロによる編集では消されるはずのものがそのままであり、より重要な資料的価値がある。
 
監督は私に「ムーダンたちとの触れあいを通して、彼らの生き方、芸がわかれば、素晴らしい!トークを広げて頂くだけでもう一冊の本になる」と執筆を誘ってくれた。アマとプロはただの対照ではない。別々なものであり、相互補完的に存在する。



 


Ghosn

2018年12月22日 06時21分57秒 | 日記

 政治や宗教などには禁忌や自粛がある。ゴーン氏に関することだけではなく韓国の徴用工と関連して憂いがあり触れたくなる。それだけではなく、私の体験から脅迫さえ感じている。民主主義国家では法は国民によって創られる。国民とは民俗、風習、習慣、慣習、文化によって制度と法律が創られる。その運用は厳格、かつ正しくすることは言うまでもない。司法運用が民衆に向かって丁寧に謙遜に行われなければならない。今韓国と日本の司法の運営は異様な感がしてならない。
 私は1980年代韓国の啓明大学で教授として在職していた時、日本人の妻を連れて何度も出入国管理局に行って「この人が私の妻である」というと官吏は「妻であることをどう証明するのか」といわれた。謄本と実物で証明のために往来、クレームを言った。その後家内に当時3.500.000ウォンの罰金の通知が届いた主婦に日本語を教えたことが違反だという罰金であった。法律的には正しい運用だっだろう。入管長様の「けしからん」の運用であったことは明確であった。また仲裁する人が現われ夕食会を開き、もてなさなければならなかった。それでも罰金を払った。日本の今の再逮捕件をみて、それを思い出す。


銭湯文化

2018年12月21日 05時14分59秒 | 講義

  昨日の観光人類学では「温泉旅行」をテーマにした。まず留学生たちに日本での温泉感想を求めた。意外にほぼ日本の温泉に行ったことがないという。中国の大連からの留学生のチョウさんは日本式の銭湯、サウナがあって知っている。ベトナムからのルーティさんは自分の国では銭湯などはないという。熱帯、亜熱帯地域では温泉や銭湯文化はない。私の調査では中国、モンゴル、サハリンなどでは温泉は病気、療養目的が主であり、裸で入る大衆風呂は日本特異の文化と言える。
 温泉文化が日本特異な伝統文化と日本人は自慢げに言う人が多い。お風呂、銭湯、足湯、慰安旅行、芸者、どんちゃん騒ぎなどが複合的である。それも廃れ、単純化していく。今ではむしろ風呂文化が稀であった韓国で盛んになり、日本人が韓国へ垢すりやエステ(化粧、マッサージ)旅行に行く。伝統文化の「伝統」の意味が希薄になっている。


雪辱

2018年12月20日 04時26分27秒 | 講義

 数回触れたが私が韓国のある地方の私立大学から「登らせ梯を外された」という同僚の慰めの言葉があった直後それを「雪辱」(恥をそそぐ)するようなソウルの国立大学から講演依頼が来た。快諾した。このように相反することはどこでもありそうな話である。
 韓国から留学を希望する学生が増えている。私に日本人からのネット投稿では韓国で反日を教育された学生たちが日本で就職をすることに反対する意見が多い。私は反日と親日を超えた教育に努めたい。昨日の講義のディスカッションでメディアの問題を指摘した学生の意見があった。私はポピュリズムなど民主主義の問題点が多いと応対した。共産主義、社会主義でも悪くはないとも言った。民主主義とは人類史の中では短い最近のことであり、王朝や専制主義の歴史が長い。民主主義の出発地であったそのフランスから乱暴なデモと暴力の映像(写真)が流れた。民主主義を超越する新しい何々「主義」が創られることを期待する。


「恨プリ」

2018年12月19日 05時30分48秒 | エッセイ

 いつの間にか12月、一年を回想する時である。韓国のこと気になる。韓国のメディアと学生・大学からバッシングされた私には「恨」があるのか自省する。東大の眞鍋祐子教授が「メディアとは何か」(映画「共犯者たち」)という短文で「恨プリ」恨みを払らすを読んだ。外枠から韓国を眺めると批判的になりがちである。それが嫌に映るようである。今は故人となった友人の禹君に私が失礼、失敗したことがあった。しかし彼は私に何にも言わなかった。失敗とお詫びはなくてもプリになった。私が日本に来る時、韓国に残した全財産を彼に任した。それは同窓会で美談となった。私はその自分の美談に感謝している。
 
韓国の海外同胞は故国が懐かしく、同情すると思うかもしれないが、何かの理由で祖国、母国を離れた人たちは基本的には祖国に対して批判的である。いまも韓国は混乱が続く。それは一時期のことではなく、韓国社会の常態そのものである。キリスト教の信、望、愛はただの念願であって実現できない。


朝鮮の国策映画

2018年12月18日 06時14分11秒 | 講義

 下川正晴氏は毎日新聞社を退職しても肩書は元毎日新聞論説委員とし、山口や小倉で記者生活を懐かしく思って語った。また下関から福岡や小倉に転出している二人の現役の人からもよろしくというメールが届いた。下関支局には距離を置いた。彼は言う。彼は韓国もよく知って、私に日本では現役と退職の間では溝や疎遠、距離を持っているという。私は広島大学の「名誉教授」というタイトルもあり、その大学には関心をもっているが、それは片思いだということになる。突然日本人とは、職場とはという思いを抱いた。職場はただ働く場以上の何ものでもないのか。職場愛というものがあると私は思ってきたが彼の言葉は意外だった。学生のコメントの中にネパールに関する言及が少ないというコメントがあったことに触れ、下川氏はネパールの学生たちに向けて冗談を交えて語ったり、朝鮮の国策映画、日本語と朝鮮語などに触れた。