崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「中国には絶対戻らない」

2011年01月31日 05時47分54秒 | エッセイ
 昨日中国延辺大学の金俊博士家族の3人が暴風大雪の中、広島から4時間かけて奥さんの運転する車できた。娘さんは昨年より一回り大きくなっていた。彼女の賢さと成長ぶりに驚いた。中国と日本を一人で往来するという。乗務員に依頼したり、知人に依頼してのことである。中国の入管審査には中国で、日本では日本語、韓国では韓国語で話したりして周囲を驚かせるという。私はこの調子と環境を保つのが理想的だと思った。今彼女は父親と中国に住んでいるが、冬休みなどには日本で母親と暮らしてる。前回我が家に来た時は最初犬が恐くて嫌だったが数時間後には親しくなって帰る時連れて行きたいと言った。今度も同じ状況であった。賢い彼女との対話が中心になり、私がなぜ犬に対する態度が変わったかと質問したら、「人は変わるもの」と答えた。
 中国には絶対戻らないつもりだから宿題はしてない。帰る予定日には起きないという。親は難色を示す。母が働くために面倒を見る時間がないと言うと、自分のことは自分ですると覚悟は強い。なぜ中国が嫌かと聞くと、日本のほうが環境が良いという。彼女にとって教育的に良い環境とは何であろうか。私が日本で5年間留学して韓国に帰国した時不平、不満を強く持ったことを思い出す。日本人が日本を離れたがらないのを理解できる。昨日は小学生が提案した問題に国際討論のような会話がはずんだ。これからの時代性が見えてくるようでもあった。
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スポーツでもそれなりの教育

2011年01月30日 06時38分50秒 | エッセイ
4年生たちの卒業論文発表会に参加して質問やコメントをした(写真)。座長も教員たちが務め、進行も良く、さらに内容の良いものもあってよかった。教員と学生たちの熱心さに私は希望をもちなおした気分であった。この大学に赴任以来「名門化」の方法を考えた。特異な分野で少人数教育、入試よりは卒業に焦点をおくべきだと。地方の多くの大学は今経営難であり、経営方式だけ立て直そうとする。私は基本的に教育は教育方式で立ち直おすべきだという信念を持たなければならないと思う。そこには奇跡が起きるかもしれない。
 早寝をする私が深夜のサッカー・アジアの日本とオーストラリアの決勝戦をみたが、延長戦でオーストラリアを破った李のシュートで優勝が決まったその瞬間に居眠りしてしまったことは残念であった。ある瞬間やチャンスを居眠りで見逃すことは失敗者の本質だと思っている私の失敗であった。韓国と準決勝戦の時、本欄で触れたように私はどちらの方を応援する気持というより関心や興味を持って見るので「日本が勝って…」ということではない。身長など身体的に有利な白人との決勝戦でそれらを克服した意味は大きい。体力、戦術、練習などにより勝利したことである。つまり先天的条件を学習によって破ったことである。私はスポーツでも、なんでもそれなりの教育、学習によって力を引き出すことができることを確信している。


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反政府デモ

2011年01月29日 05時40分41秒 | エッセイ
先日北九州市のコンベンションセンターの人と東アジアと国際会議の未来を構想した。それは物流、人流の有利なポート(空港、港)の福岡と下関を持って考えたものである。しかし地方のポートを持っては難しいことが気になった。昨日韓国の女子中学校の校長が三人の選手の学生を連れて試合に来るということで下関港で3時間弱を待った。私の不満より、韓国からの人々からは不満の声が大きかった。税関が学生の荷物を計算機をもってチェックするなど時間が長くかかって、乗船時間が十数時間の上に税関で3時間もかかるということで辛かったという。先日福岡空港での有名人を別室に連れて行って調査したことなど本欄で度々触れていたが、国境は高い。私はウラジボスドック空港で40人ほどの客の税関通過に数時間もかかったことがあって、今の下関と似ていると感じている。この話にアメリカ云々する人もいるかもしれない。韓国は予備軍を非難する人が多い時、予備軍があるスイスなどの国の例を探して報道するのが常である。国民が政治を変えなければならない。日本では法律や規制を金科玉条とする末端官吏が変わらなければならない。
 政治的な不満はデモで現れる。エジプトなど北アフリカで過去最大の反政府デモが続いている。20年、30年も続く独裁へ国民が怒っている。しかし報道では学生より一般人、政治家が主導するようである。韓国のデモは政治家たちは主導できなかった。当時の学生たちは政治家が入ると政治党派戦のようなイメージになりかねないという強い意見があったからである。最後の段階で小学生や一般人、大学教員などが参加した。李承晩大統領がハワイに逃亡した。今チューニジアの大統領も国外に逃亡した。独裁から民主化へという体制は進むだろう。日本は長い自民党政治からやっと政治的な革命が起きた。北朝鮮、中国、ミャンマーなどはどうなるのだろうか。

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変節か、遍歴か

2011年01月28日 05時47分47秒 | エッセイ
 三顧の礼、日本では初めて聞いた言葉である。私たちの世代の韓国人であればよく口にする故事成語「三顧草廬」である。劉備が諸葛亮を迎えるために三度も草廬にたずねたことに由来する。国会で菅総理が与謝野馨氏を閣僚に起用したことに自民党や野党から非難されたとき三顧の礼という言葉が出た。また与謝野氏が昨夜テレビ生放送に出演して「変節か」といわれて自民党から推薦されて当選したが、当選した以上は国民の代表であり、党の代表ではないと答えた。まるで孔子の遍歴を思わせる言葉のように聞こえた。孔子は魯を去ることを決意、採用してくれる国々を求めて諸国を遍歴した。苦難の連続であったが、強い自信をもって難局を乗り切った話を聞くようであった。孔子は官職に誘われても断って弟子の教育に専念していった。私は中学生時代に「三顧草廬」を学んで座右の銘としてきたが菅と与謝野の話を聞いて日本では異様な雰囲気さえ感じた。
東亜大学の2年生坪根寛樹君が「韓国の開発独裁」について発表をして意外であった。朴正煕大統領は頑固な性格で軍事独裁をして、人権問題を多く出したことは周知であろう。開発と独裁はどういう関係だろうかが問題点であろう。彼は信念を持って日韓国交正常化、高速道路建設など国民から大反対されても進行させた。彼は一番信頼する部下から暗殺さた。今は歴代の大統領の中で一番尊敬される人物になり、彼の娘が大統領になろうとしている。彼は死語高く評価されている.私はi今国会でヤジと拍手をする議員たちの態度とは程遠い孔子語r録を思い出す。マスコミ主導の世論政治には失望している。
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コンピューターの寿命

2011年01月27日 06時12分35秒 | エッセイ
 東京で出版される原稿の執筆には全力を尽く、解放感を感ずる暇もなく次の執筆にとりくもうとしている。しかし、5年以上愛用したパーソナルコンピューターの液晶画面が数日間点滅し、昨夜画像が完全に消えてしまった。老衰して亡くなる臨終を見た感がする。著書、論文、記事、ブログなど数多く、多量の文章を書いたり講義などで映像を見せたり海外に持って歩いたのに寿命とは思うが、とても残念である。他のコンピューターに大部分の資料を保存しても多くのソフトは移動できない。人が死んで残せるものと残せないものがあるようなものである。
 私のコンピューターは脳の一部であることを痛感している。物が身体の一部にもなりうる。メガネなどは体の一部のように感ずる。人によってはかつら、義足、入れ歯、補聴器、ペースメーカーなど物が肉体の一部になっている。生物と無生物、有機物と無機物などを区分しているがそれが調和するようなロボットが活躍する時代になっていくだろう。コンピューターに精神がある。物にも魂があるという信仰を思い出す。韓国には使い慣れている箒などがトケビという幽霊になるという昔話がある。ロボットと幽霊が混同する。
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サッカー日韓戦

2011年01月26日 06時17分51秒 | エッセイ
 サッカーのアジアカップの日韓戦が昨夜カタールで行われた。韓国の連続ドラマからサッカヘチャンネルを変えて2時間近く視聴した。前後半90分間は1-1、日本は延長、PK戦の末に韓国を破り、決勝に進出した。クローズアップされる画像から選手たちの体の激突が嫌になるほど反則が多い。競技場内でイェーロ・カードなどの罰があるので試合の後には選手を悪く思うことはない。
 観戦しながら中継のアナウンサーの声と概説を注意して聞いた。最初の韓国のゴールに歓声を上げたので日本側のゴールかと思われるほどであった。非常に平均感覚のあるアナウンサーだと思った。私も韓国と日本のどちらかを応援するかではなく、ゲームの面白さで観戦した。自分自身が日韓両方を愛していることを自覚した。しかし応援する側を決めないでの観戦は面白さ、緊張や興奮、感動が少ない。ただ練習程度、作戦、ボールを転がす、パスなどの面白さと体力の限界などを観察することができ、私の観戦が深められたと感した。
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植民地学派

2011年01月25日 00時08分49秒 | エッセイ
昨日が締め切りの原稿の執筆で杜門不出、寒さも知らない。ようやく原稿が仕上げる段階になっている。最近は出版社などの編集が簡略になって相対的に筆者の責任が重い。その最中にある知人から電話がきて編集などで大変だというと、なぜそんなに苦労するのかという。なぜ書かなければならないのか。
興奮状態で長い文章が出来上がった。旧宗主国である日本では日本の植民地を研究するには躊躇しがちであった。悪く言われながらも私はタブーを破り、韓国で植民地研究をした。それは日本にまで影響したことを書き下ろした。いちはやく読書会などで植民地研究を呼び掛けて植民地学派など作りたかったが、当時の韓国の啓明大学の学生たちは植民地研究をすることによって私のように親日派と悪口されるかと思い、植民地研究をしなかった。しかし広島大学の学生からはその研究者が多く出た。年月が過ぎて植民地研究が盛んになった今にとって見ると韓国での植民地研究者を育てることに失敗したと思う。
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ちょっと昔の下関展

2011年01月24日 06時24分49秒 | エッセイ
 下関のにししんギャラリーで開いている北條秀一氏所蔵展「ちょっと昔の下関展」をみた。北條秀一氏(61)は三菱工業に勤めながら明治~昭和の資料400点を約40年をかけて収集したという。現在菊川町民俗資料収集保存委員会の委員をしている方である。旧山陽ホテルや鉄道の写真、関釜連絡船などの多くの写真が展示されている。明治~昭和の下関の歴史が身近に感じられる。私にとって面白いことは骨董品的に貴重なものではなく、絵葉書や新聞記事など参考資料が多く、学者の資料収集のような点である。千人針の実物を初めて見た。それについて北條氏に収集動機を聞いた。出版なども考えているようである。戦前運航されていた下関と麗水間の関麗連絡船の開通に関するものなど私が植民地調査でよく耳にしたものもあった。麗水EXPOが開かれる予定都市の古い長閑な風景写真は発展の嬉しさより寂しさを感じた。
 解体される旧山陽ホテルの写真が多かった。近代的歴史を持っている建築であり、保存も考えたようであるが解体破壊されることになった。国鉄からJRの所有になって、下関にとって意味のある文化財である。文化財を破壊して新しく建てて利用するか、保存して利用するかは長期間のスパンから考えて欲しかった。私は馬が餌を多く食べるので食肉用にするか、乗馬や運搬などに利用するかのどちらかを選ぶか、マービン・ハリスの論文を思い出す。(写真は北條氏)
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「産学」

2011年01月23日 05時58分33秒 | エッセイ
先日韓国の大学では「産・学・研」に重点をおいていると聞いた。つまり産業と大学が共同するという趣旨であることはわかる。教員も兼任教授、客員教授、名誉教授、碩学教授、特任教授などなどがあって、本物の教授はどれかと思われるほどである。大学によっては会社や工場が大学キャンパスの中に入っているところもある。もちろんインターンなどで学生が産業界に出ることもある。大学がアカデミズムの象牙の塔la tour d'ivoireのイメージはなくなっている。産学を主張する大学に研究協力を提案すると静かになり答えが来ない。
 このような現象は日本でも似ている。マスコミに名を知られた人や財政関係の人など言論人、企業家、銀行マンなどが大学へ転職している人も多い。現場がより近く感じられ、大学が経営的にも自立するなど利点もあるだろうが大学の存在の意味が問われるような時代になっている。大学は授業時間だけが勤務時間ではない。研究者は24時間勤務に近い生活をしなければならない。しかし、大学はアカデミズムから遠くなっている感がある。学問と教育の質は低下している。大学Universityは普遍的なUniversaなl姿で発展して欲しい。
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「笑点」

2011年01月22日 06時27分59秒 | エッセイ
私は長寿番組の「笑点」をよく見ている。司会者の歌丸氏を禿頭や頭骸骨などで笑う時が多い。時々政治政党や政治家を笑材にすることもある。昨年12月BBCが放映した人気お笑いクイズ番組で、日本の被爆者が笑いのタネにされ、在英日本大使館が抗議していたという。広島と長崎で二重に被爆した人を運の悪い人としてネタにしたことはとても残念とは思うが、お笑い番組であることで流してもよいだろう。世界で行われるコメディに怒って抗議するのはどうであろうか。
 日本は冗談が少ない国であると感じている。昔私は冗談で言ったつもりが日本人の相手がまじめに対応して困った時が多く今はしないようなった。イギリスの有名な人類学者のラドクリッフブラウンは冗談関係と回避関係を以って社会関係を分析した。冗談関係は親しい関係であるという。これは常識になっている。イギリスがコメディに日本のことをネタにしたことは親しい関係であるという意味がないわけではない。聞き流す「ジェントルな日本人」を前提にしていると思って欲しい。
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「編集」が「偏集」になってはいけない

2011年01月21日 06時05分10秒 | エッセイ
先日韓国でテレビで日本のニュースを見た。大雪で新幹線が遅れたのかと思ったが、コンピューターシステムの故障のためであった。以前にもあったことを思う中、韓国側のコメントが気になった。それはコンピューターのシステムの故障は日本の技術の低下、さらに海外の鉄道産業への限界であるように述べていた。短いニュースとはいっても日本の先進的な新幹線技術をもって海外へ進出するのは無理であるようなコメントであった。同行中の鵜沢氏と話をした。彼は日本では山陽、東北など2、000キロ以上の新幹線、そして地方線との複雑な鉄道網を営む日本にたった400キロの単線の韓国(写真)がそのようにコメントするのはおかしいという。地震の多い国として新幹線の無事故の歴史は貴重なものであることは私も同感である。
 日本の新幹線が長い間、ほぼ無事故に近い歴史をもって、海外へ進出しようとするとき故障は大変な問題であることは事実として認めるが、韓国がそれを海外進出の競争相手の弱点として利用しようとする意思があってはいけない。私がマスコミのこのような点を懸念する。情報をキャッチして客観的に理解納得して伝えることは難しい。読書も同様であり、作者の意図を正しく掴み、理解することが大切である。先日も触れたようにテレビの編集を嫌がる政治家たちがネットを使用して発言したことがある。「編集」が「偏集」になってはいけない。
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日韓親善連合会

2011年01月20日 05時29分41秒 | エッセイ
 日韓親善会は全国地方毎にあるが山口県親善連合会と長崎親善会が一番早く組織されて下関はその発祥の地であり、今年12月には50周年を迎える。昨夜その最初の実行委員会が開かれ、その冒頭で私が「特別顧問」として委嘱状をいただいた(写真は同会の常任理事の友松弘之氏から)。若いとき韓国政府の文化財委員会に諮問する「専門委員」になって以来、学会の創立委員、巫俗学会の顧問、高等試験の委員、日本では広島大学名誉教授など数々歴任してきた。しかし日韓親善会は日本と韓国の関係にあるので日韓の橋掛けに生きる、往来している私にとってふさわしく、大変光栄だと思い、大事にしていきたい。
 50周年記念行事を大きくしたいという委員たちの意欲はあっても予算は全くない状況である。ただボランティアの親睦団体のようなものであり、両国親善会の協力、そして多くの関連団体の連携を図って行事をするのが当面の課題であろう。日韓関係が悪い時にも親善に努力してきた歴史があり、今のように日韓の関係の良い時代には楽しくやっていけると思う。むしろこれからは日中、日朝の親善会の活躍が活発になって欲しい。日韓親善から東アジアへと広がっていくであろう。今、青年のように未来に向けて設計しているのは何故であろうか、自問自答している。
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春海保健大学

2011年01月19日 06時11分21秒 | エッセイ
釜山から蔚山市蔚州郡熊村にある春海保健大学に着いたのは11時、入り口で企画処長らが迎え、歓迎の花束をいただいた。エレベーターの前に金煕珍総長(写真中央)と鄭副総長(総長の隣)の二人の女性が立って迎えてくれた。総長室で自己紹介を終えて、役員などが集まっている歓迎式場へ行った。総長の歓迎挨拶に対して東亜大学の鵜沢副学長が応えるご挨拶、日本語の通訳者がいなかったので、私が通訳した。続いて私の挨拶とこれから時代を先に行く東アジアで大学の連携について話をした。春海保健大学は就職率100%、総学生数2、300人で看護学科の学生が1000人、それも入試競争率が10対1であり、全国的に有名、国家の支援も毎年30億ウォンをうけるという。女子学生が8割、教員60人の中7割が女性であるという。研究より実習が中心であるという如く、病院に準する施設を見て廻り最後に設立者の記念館「春海歴史観」で大学の歴史がわかるように展示してあるものを見た。設立者は日本の名古屋大学で医学博士号をとった方であり、その息子嫁の現在の金学長はソウル大学校医科大学出身である。
 展示館を出ると金学長が車側で立って待っておられるその車に乗り、同席して山の中の朝鮮式家屋の食堂チャマシル(차마실)に行って伝統的な韓国料理で本当に「対話のある食文化」を満喫した。20年後輩に当る女性の学長が私の脇を支えて階段を下りた。学長以下金美淑看護学科長らに暖かくされて男性の学長とは違った細かさが強く感じた。大邱から私を空港まで送ってくれる車に乗って無事帰国することができた。謙遜に私の鞄持ち役をしてくれた鵜沢副学長、同行してくれた石本社長、韓国入試処崔鐘星院長などに感謝している。このように大学間交流に力をいれていることに2年生の本山君が励ましの言葉を送ってくれた。

 本日のブログ「韓国へ」を見ました。国際交流が盛んになる中に日本の地方の大学は、特に私立大学の場合、学生獲得に大変な事と私も承知しております。ブログによると学生の交流や学術協力について会談されたようで、昌信大学の方の対応が難しいようであると書かれています。私は、まだ学生で、このような交渉の場の様子はわかりませんが、将来、日本、韓国、中国はアジアにおいても重要な関係になると思います。学術協力や学生の募集では様々な課題があると思いますが、下関を学術の国際交流都市にするためにも是非頑張って頂きたいと思います。本山大智
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韓国へ

2011年01月18日 06時06分02秒 | エッセイ
 韓国へ行く目的で福岡に行くために行く新下関駅で下関市長に偶然会って立ち話をした。それから私は最低気温零下12度、90年ぶりの寒さという中、馬山に到着。昌信大学の総長らと大学間交流を討論した。この集まりは石本弘之氏の仲介で行われた。私はボーダーレス時代に東アジアの文化共同体への構想を話した。この発想は青木保氏(前文化庁長官)の構想に私が再構想したものである。共同で講義、学点を取得するなど10年、20年先の計画を要請したものである。またより広く、ネット上の共同授業も提案した。言語の壁をどうするか、議論になった。東亜大の鵜沢副学長からはより具体的な交流の案が提示された。その後場所を大学総長室に移り、話は続いた。学術や研究協力は韓国側が対応が難しいようであり、学生募集についても話題になった。
 夜は蔚山の春海大学の教員たちの歓迎を受けて海雲台のイェイジェという宮廷料理店でオンドルの部屋で高級な伝統料理をご馳走になった。ここは夏は有名な海水浴場、十月は花火大会でにぎやかなグァンアンリであり、寒い冬の海岸でも、ネオンが燦爛、食堂街は活気がありそうではあるが、一歩も外に出ることなく、ホテルの中にいた。
 最近食べながら会議を行うことが多いが、食事が中心になるような場合が多い。私は話題が中心で食事は楽しむが食べることは副次的になるような、ジェントルな食文化を望んでいる。私は後者が品格のある、楽しい食文化だと思っているからである。一緒に食べ、一緒に飲むだけが接待ではない。する側、される側が食事を副次にすべきであろう。
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高杉晋作

2011年01月17日 04時42分42秒 | エッセイ
 下関に住むようになってから歴史的な人物としてよく耳にする人が高杉晋作である。最初聞いた時には小さい町が村おこしのために宣伝用のシンボルとしている人、そのような人物であれば大都会であれば数千人もいるはずと軽視した。大きい都市では有名な芸人、政治家などを探し出して記念するならきりがないはずである。しかし高杉晋作は違う。全国的にも例外的な人物である。彼は幕末の動乱の時代に、山口県萩市(長州藩)で生まれ、幕末期に奇兵隊を創設して革命を起こし、倒幕した人である。今の日本の明治維新のきっかけをつくり、近代国家の基礎を作った人でもある。
 高杉晋作の存在は吉田松陰に触れなければならない。松下村塾門下生として吉田の大きな影響を受けたのである。その教育は海外への開放、西洋化への関心であった。韓国では朝鮮王朝が各地に地方の郷土教育機関として「郷校」を多く創ったが基本的には儒教や漢字を主に教える伝統的な塾であった。「天地玄黄色」などの千字文を教えていた。異国への開放は考えていなかったようである。結局日本の植民地によって組織的に西洋化、近代化への道のりになった。異文化の認識、近代的教育に国家の運命がかかっていることを痛感した。海外からのお客さんを案内するとき常に感じることであるが、このたびも韓国からのお客さんを案内しながら私は異文化について考えた。よい勉強になった。

 
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