崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「国恥日」

2009年10月31日 05時37分41秒 | エッセイ
 昨日遠くから来られた新聞記者により長時間取材を受けた。顔写真も10回以上シャッターされた。資料を提示するとすぐメモしたりフォーロしたりした。長い間の経験から学生や記者などに本を紹介したりした時の反応を見てその関心度と職がらを判断する癖ができた。記者によってはカメラもメモ帳も持たないで歩く。資料を提供しても置いて帰る人もいる。そんな記者には時間を費したことがもったいなかったと感ずることもある。
 昨日の取材時間は楽しかった。来年2010年は日韓合併100周年になるということで特別企画をするために、今多くのマスコミなどがその記念特集を考えているようである。韓国では日韓が合併した8月29日が「国恥日」である。韓国でも歴史をただす企画が必要であろう。昨日のインタビューの最後に私は「偏った評価はしないように」と注文をつけた。大企画が成功的に実行できるように期待をしている。

デンマーク行き断念

2009年10月30日 05時22分13秒 | エッセイ
 デンマークのコペンハーゲン大学で行われる国際会議に発表を要請され、この機会にに東ヨーロッパも調査旅行をしてみようかと思ったが大学院の審査など日程がが重なり、断念せざるを得なかった。また、長時間、飛行機に乗るのも健康上負担であることも断念の理由である。ヨーロッパには5回ほど行っても東欧に、特にポーランドのナチスのユダヤ人集団労働施設は見てなかったので,とても残念でもあた。会議を準備してきた関係者たちには大変迷惑をかけた。
 ここ数年、日程がダブって調整に失敗することが時々ある。たとえばある学会の全国大会を私が主催者であったが、校内の学生の学術発表会に強く参加を強制されて大会オープニング式に参加できなかったことがある。私の日程調整の間違いが大きい失敗ではあるが、対外活動の足を引っ張ろうとした人も問題であった。それは勤務して間もないころであり、勤務期間が長くなった今は理解が得られて楽しく仕事ができている。今回は失敗は二度と繰り返しさないと心に決めても同じ失敗を繰り返していることになった。日程をカレンダーや携帯に記録しても確認を忘れるのは年のせいであろうか。

関門船舶衝突

2009年10月29日 06時15分56秒 | エッセイ
 一昨夜関門航路で日韓の船舶が衝突した。ゴーンという音がかすかに聞こえたような気がしたが韓国のドラマを見ており、気にしなかったが上の階に住む友人からのメールで知り、見たときはほとんど事故処理がすんで、夜海は異常を感じることが出来なかった。仔細な内容は全国ニュースとして知った。朝の海から油の匂いがした。白い油かなにかが布のように海にひろがっていた。(写真)。それをブログに書くには至らなかった。環境問題に関心を持っている鍬野氏から目の前の事故について触れていなかったことに「がっかりした」というメールがきた。
 韓国籍のコンテナ船は関門海峡海上交通センターの指示に従って事故になったという。関門海峡海上交通センターは指示は参考までであり、運航は船長の責任という。私が家内の運転の助手席でよく言う「運転する人が責任をもて」という言葉である。しかし飛行機に管制官が間違った情報を出しても「参考まで」といえるのだろうか、海上のルールはどうなっているか問題になりそうである。
 私は目の前の事故の現場を見れなかったことをとても残念だったと感じているのはなぜであろうか。家内は弾薬庫が爆発したら大変なことになったでしょう。これくらいで済んでよかったというので頷いた。海は穏やかな時は平和と安心感を与えてくれるが荒れる時や海の事故には大変危険であることをあらためて感じた。

留学から通学へ

2009年10月28日 05時50分38秒 | エッセイ
私は日本に留学した者であり、留学生を多く指導した経験をもっている。かつての日本などは先進の文明を学ぶために西欧に留学し、また韓国は日本や西欧に留学する人が多かった。これらの留学生は、自国に戻ってから政治・経済の近代化に大きく貢献したのは事実である。一方では朝鮮、インド、ベトナム、カンボジア等の旧植民地諸国では、宗主国へ留学して帰国した人たちが独立運動を起こしたのも顕著であった。
 現在留学の傾向は変わった。自国の入試競争から漏れた学生や語学研修的な留学が増えている。語学留学の場合、アメリカ、イギリスを中心にした英語留学(その他の国にカナダ、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリア、フィジーなど)や、中国、台湾での中国語習得などを目的としたものが一般的となっている。韓国では英語教育が優先的であり、英語圏に広く留学生が行っているが、中国への留学生も多い。また韓国の大学にもアジアから留学生が多い。韓国も少子化現象があり、アジアからの留学生を多く受け入れて、私立の大学に数百人、千人を超える大学も珍しくない。グローバル化が進むなかで留学は相互交通的、多元的な時代に入っている。
私が在職している東亜大学には留学生は極めて少ない。遅れながら今姉妹校の提携などを進め、留学生を受け入れる体制にしている。韓国とは隣接しており地理的に東京や北海道などに比べて韓国南部からの方が近い。私は留学生から「通学生」への変化を予兆している。東アジア共同体を考える上で大学の役割も大きいことを認識すべきであると思う。


安重根銅像除幕式

2009年10月27日 05時24分20秒 | エッセイ
 10月26日は安重根が伊藤博文を旧満州国哈爾濱駅で暗殺した日である。日本では百周忌であり、韓国では「義擧」日として記念している。昨日韓国富川市では異色的な安氏の銅像除幕式が行われた。3年前韓国人が中国哈爾濱にその銅像を建てようとしたが中国側から外国人の銅像を建てることは困ると断わられ、このたびそれを富川市に運搬して建てるようになったようである。この歴史的な事件は日中韓の問題であり、もっと広く国際的に根本的な問題でもある。
 日本植民地に反対して起きた3.1運動は日本側からは暴徒となり、立場を替えて聖戦や義擧などがテロや殺人になる。それは国家・民族の間に限らず個人的にもいえることである。自我と他者の関係がそうなっている。自分は正しい、やさしいなどの自らの評価は、他者からはそうではないことが多い。敵対関係になるとその態度は極端になるのである。他者が自我の枠に入ると敵対関係はなくなる。つまり他者が存在しない世界が理想的な平和な世界であろう。しかし他者や敵は常に存在するのが世の中である。そこにアメリカが核を持っているのは安心であり、北朝鮮が持つのは危険であるという論理の飛躍もある。核をなくす戦略も重要であるが敵対関係をなくす外交政治がもっと優先であろう。(写真は連合通信から)

生け花

2009年10月26日 05時46分23秒 | エッセイ
 妻と犬(ミミちゃん)を連れて朝散歩に出た。私は寝巻の上にマントをはおりカメラと剪定鋏を持って行った。道路に突き伸びた枝や雑草を切ったり秋の花をカメラで撮ったりした。元気よく走るミミちゃんに歩調を合わせるのは難しい。私は野生のつた、朝顔などの花や木の実を切り取って帰ってきて生けて応接間に飾った(写真)。秋の季節感が部屋の中に満ちた。
 教会の礼拝に出席して信仰に生きるという内容の説教を聞き、いろいろな方と挨拶を交わした。中には結婚を祝ってあげたり、また留学相談にも応じた。教会学校のクラスでは「許す心」について話をした。昼はラーメン店でカウンターでラーメンを食べた。
 大丸百貨店で開かれている池坊流の生け花の展示会を観覧した。自作の生け花を勝手に池坊の流派と近いと思いながら、美しい作品を一つ一つ丁寧にみた。自分で生けるのであればどうするかなどと、心に照らしながら鑑賞した。観覧者は多く、混み合っていたが、男はたったの3人だけだった。やはり生け花は女性の独占物のようである。私はそれを崩して男性の趣味にもしたい。幸せな日曜日であった。
 
 

私の文が韓国の中高等学校生の学習に

2009年10月25日 05時24分09秒 | エッセイ
私が1970年代書いた『韓国の巫堂』(福留範昭訳『韓国のシャーマン』)と1980年代に書いた「聖と俗の意味」が韓国の中高等学生の学習に利用されるようになったということで韓国文芸学術著作権協会から原稿料支払いの連絡が来た。嬉しい。ちょうど昨日のブログに書いたように来月21日山口大学時間研究所で発表を予定しているテーマとしている「聖なる時間」の基礎になっている40年ほど前に書いたものである。私にとってそれは古くて新しいテーマであるがそれより発表予定のブログとその著作料の話が偶然一致したこの時点は何を意味するのだろうか。
 生活の中では気分の悪いことが偶然に重なることがあるが、その反対もある。それはただの偶然であろうと説明はつくかもしれない。たまたま私の文に視線が止まって利用するようになり、たまたま研究所のテーマになったものがこの時点で偶然に合ったといえる。しかし私が生まれた日から今日までの生活のいろいろが偶然だとか、何らかの理由をつけて説明は出来るかも知れない。人によっては運命とか宗教的に考えるかも知れない。私は神の意図と考えた方がより合理的だと思う。

温かいバス運転者

2009年10月24日 06時40分03秒 | エッセイ
 バスに乗るには根気が必要である。交通事情により時刻を心配しながらバスを待つのはいらいらする。バスが遅れることを予想してちょっと遅れた時は定刻に通過してしまう。中には定刻より早く通過するバスもある。その時は本当に腹が立つ。昨日もかなり遅れたバスに乗ったが、交差点の道路工事で信号器の調整をしてないのかさらに長く車内で待った。そこを過ぎてバスは急いでいるようであったにも関わらずバスストップを若干過ぎたところで途中で止まった。
 運転手は二つのドアーを開門したまま帽子を脱いでハンドルの上において降りて走って行った。白杖をついている盲目の方の手を取り、言葉をかけてバスに乗るかどうか確認したようである。彼女は他の人を待っていたようであり、運転手が戻って何も言わなかったけれども、遅れたバスの運転手の温かさに感動してバスに乗ってよかったと思った。このような社会が制度にしろ個人の行動にしろ理想的な社会であろう。

「時間」国際シンポジウム

2009年10月23日 05時01分33秒 | エッセイ
 山口大学時間学研究所からポスターが届いた。1年ほど前に山口大学時間学研究所長辻正二教授が研究室に来られて相談したのがついこの間のように感じていたのにである。「時間学国際シンポジウム~東アジアの暦と近代化」。「暦」にスポットをあてた、東アジア四カ国の研究者によるシンポジウムである。時間研究者を推薦してくれと言われ、自薦したのが大変なことになった感がする。韓国で時間に関する論文は20年ほど前、文化面に書いた小生のものだけだったので自薦したのである。私は時間を社会文化生活上のリズムとして扱った発表をするつもりである。しかし他の発表者たちはテクノロジーや機械時計使用に関するものが中心になり、私とはあまりに距離が遠くて、話し合えるとことろがあるか心配である。時間とは存在するものなのだろうか。発表まで待つ時間は「早く」なるだろう。

日時:2009年11月21日(土)午後1時から
場所:山口大学会館(吉田キャンパス) 入場無料
基調講演:辻正二(山口大学時間学研究所長)「近代社会と時間:いまなぜ東アジアの暦か?」
パネラー:
〈日本〉中村士(平成帝京大学現代ライフ学部教授)「1820年代~幕末期の機械時計使用と時刻制度」
〈中国〉張聞玉(貴州大学教授)「四分術の推算と応用」
〈台湾〉陳瑞貴(淡江大学未来研究所長)「今、テクノロジーが動態の時間意識を構築している~ひとつの未来への探索」
〈韓国〉崔吉城(東亜大学人間社会学部教授)「韓国における聖なる時間の世俗化」

香は外見より品格

2009年10月22日 05時50分05秒 | エッセイ
 今は秋、キンモクセイの香がする(写真は東亜大学正門のところ)。どこから来るのか周辺では見当たらない。遠くから来るようである。韓国語ではあまり知られていないが、千里香(천리향)に当てている、千里とはずいぶん誇張してつけた名前である。韓国や中国では千里香とか金木犀とかは名前も実物もあまり知られていない。金木犀は中国南部が原産地であり丹桂というが、韓国語の千里香は一般的に知られていない。それほど香に関心がなかったようである。日本では全国的にポピュラーな花の香になっている。トイレ用の芳香剤ともなったほどである。
 日本では主に庭木として観賞用に植えられているが、以前にも言及したように春日井市で住んだ我が家の庭の金木犀の香が長く濃いので枝を大部剪定したことがある。この木は秋になると小さいオレンジ色の花を無数に咲かせ、芳香を放つ。花よりは香である。花に香がないのはただの花の絵のようであり、美女が化粧をして香水をつけていないのと同じように実感がうすい。香を通して美を実感する部分も大きい。また線香の香によって仏も来訪すると言われている。香は外見より品格を表すものである。日本の香りの文化は格調が高いといえる。
 
 

JALの再生

2009年10月21日 05時44分05秒 | エッセイ
 日本航空JALの再生が抜本的に検討されると報じられている。私は時々韓国へ往来しながら日韓の飛行機のサービスを受けながらJALの経営不振を皮膚で感じてきた。韓国の飛行機に比べて機内食のサービスは粗末であると多くの人から聞いており、韓国の飛行機を選好するという話を聞いた。これが大きい理由とは思わないが、私なりに経営診断(?)をしてみる。機内食のことで経営云々というのは躊躇するが、それは経営の象徴的なものかもしれない。
 接待においては日本人の競争意識が全く見えない。安全、清潔、礼儀正しさ、親切なども競争の中身になろうと思うが相手のある競争構造の中でそれだけでは不十分であろう。質素勤倹、真面目さで内需で成功して輸出してきた日本の企業の強さから日本の商品が外国で高評されてきた。しかし時代は変わった。内需と輸出という区分のない国際線の飛行機は初めから国際競争そのものであることからも考え直すべきであろう。今現在世界旅行をする多くの人は韓国仁川空港を利用するようになった。それは安くて良いサービスが得られるからである。この国際化時代に「競争力」を高める教育もしなければならないと思う。


研究会のお知らせ

2009年10月20日 06時07分51秒 | エッセイ
 私が代表として文部科学省(日本学術振興会)の補助金による朝鮮半島南部地方の日本村調査研究は3年間の調査研究を終えようとする。8人の研究メンバーと多くの協力者によって行ってきた。12月26、27日には台湾で第2回の国際シンポジウムを行う予定である。私の調査は韓国数回、中国2回、イギリス、アイルランド、南アフリカなどで行った。『映像が語る植民地朝鮮』を出し、DVDを20種製作した。ニュースレターを6号まで出した。これからも成果を出したい。
 11月7日には在日朝鮮人の引き上げと今和次郎の植民地朝鮮の民家に関する発表を持って討論しようとしている。   
時:11月7日の土曜日午後1時ー5時
場:東亜大学(下関)13号館7階
*島村恭則(関西学院大学社会学部)「在日と引揚者の民俗学」 
 コメンテーター:姜海守氏
*崔錫栄(檀国大学校研究員)「今和次郎の朝鮮民家」
 コメンテーター:亀松靖弘氏
関心ある方の参加を歓迎します。


北九州地方の韓国語弁論大会

2009年10月19日 06時22分29秒 | エッセイ
 北九州地方の韓国語弁論大会の審査のために一日費やした。我がマンションの向い側ではあるが海底トンネルが工事中であるので高速関門橋を通らないといけないし、韓国から来て数か月しかたっていない人がカーナビで行くので私が知っている道とは反対に走り、必要ではない都市高速に入り余計な料金を払ってやっとたどり着いた会場は今年から別の所に変わっているという。帰り道はカーナビを無視して警察に聞いて順調に帰ったがそれでも遅くなった。韓国人が警察に道を聞くのをみて、一昔前に私は韓国に帰国した時日本でのように警察に道を聞いて怒られたことを思い出して話をしたら韓国の警察は変わったということである。韓国の民主化の急進と感じた。
 今度障害を持っている人が韓国ドラマが生甲斐であることや、癌患者が病気と闘う事情を語るなど弁士と内容なども様々であった。言葉を習う方法がカラオケ、飲屋などさまざまであることを好評した。朝鮮半島と特に隣接した地域での韓国との関係ではあるがなかなか超えられない言語の壁を越えようと努力する姿を励ますのも私の審査委員長としての役目と思っている。再来週行われる下関韓国語弁論大会の審査も楽しみにしている。

植民地を生きた人の研究

2009年10月18日 07時06分30秒 | エッセイ
 昨日大阪の国立民族学博物館で行われた研究会に参加した。朝早くから遅くまでの日程であった。この研究会は3年間続いており、終りに近くなっている。しかし来年まで延長になった。日本人類学史を検討するテーマで私は植民地朝鮮を担当している。昨日は朝鮮総督府の嘱託として多くの調査資料を韓国に残した鳥居龍蔵の南米においての1937年調査に関する発表(関雄二)があった。戦前の日本の国際的なパワーなのか、帝国植民地のパワーといえるものなのだろうか。
 彼に関しては「植民地主義者」と「学者」としての評価が分かれている。日本でも彼の研究を全く無視する学者や重視する学者がいる。私は学問の成果をそのまま評価するのは良いことであり、当然であろうが、時代や世間の思潮によって植民地時代と戦後の今とが異なるような評価は正しくないとコメントをした。張赫宙などが朝鮮人として日本語で文学活動をしたということは言及されることがなかったが時代が変わったということで、新しく評価される。私はそのような文学の思潮は高く評価しない。時代や世間の風潮にとらわれずに評価できる人への評価の評価を強調したい。

連発するコンピュタートラブル

2009年10月17日 05時32分00秒 | エッセイ
 機械が精密高級化していくにつれて使い方も注意深く丁寧にすべきである。しかし私は機械扱いが荒く不注意のようである。昨日帰宅の時に電源のアダプターを職場に忘れてきたので古いコードの中からコンピュター用のもの探し出してそれを差し込んだとたん重要な文章を作成途中なのに異常音と同時に電源がきれた。先日に続いて連発するコンピュタートラブルで絶望状況となって反省している。小さい失敗が大きい失敗につながっている。それは命もそうなるかもしれない不安の予兆でもあるように感じている。
 私はヒューズが飛んだ小さい故障と思ったが数か所のレスキューセンターに問い合わせたところ修理代が5万円かかり、そして修理は一週間後の予定になるという。あまりも高額であり、時間もかかるので止めていたが方法がない。韓国では即時派遣レスキューがあり、値段も日本の1割程度である。数か所に聞いても韓国の技術が日本より上であり、信頼性が高いという。最終的に韓国に送るしかない。しかしそれも簡単なことではない。職場においてきたアダプターを取りに向かった。気が重い。祈る気持ちで元の電源コードをつけたらどうでしょう。奇蹟的にランプがついて立ち上がったのである。私は飛び上るほど嬉しかった。機械にも不思議な精神があるような感じである。今その神秘的なコンピュターでブログを書いている。