崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

続・書評

2015年03月31日 05時38分38秒 | 旅行
三十数名の新入留学生を迎えるため下関港に出た。日韓関係の悪い時に韓国からの平和使節団を迎える気持であった。中には私の愛する教え子の慶南大学校の教授の教え子の学生二人もいる。船着き場ですぐ張竜傑教授に電話で無事に到着したことを知らせ、嬉しく話をした。19世紀末兪吉濬氏は日本留学して韓国の近代化に大きく貢献した。崔南善氏は3.1独立運動宣言書を起草しても親日派と言われた。しかし彼の全集が出るとアメリカ在住の孫学者からの情報が届いた。留学は偉大なことの始まりである。その伝統を引き継いでほしい。韓国の留学生が去年より2倍増えたという。私は彼らにいつも人生の重要な青春時代に留学すること、それが日本でよかったことを経験的に言っている。他の国で異文化の体験も良いが日本での体験は特に良いと言うと安心するような表情を見せてくれる。日韓関係という次元を超えた話である。
 また拙著の話で恐縮であるが、まとまったもう一つの書評を紹介したい。韓国在住の嶺南大学堀まどか氏の宇部日報(3月27日)の紀行文の一部である。

 「大邱の風に:戦争の記憶をたどる(上)」堀まどか
 今年の正月に、文化人類学者・崔吉城(東亜大学教授・広島大学名誉教授)の書いた『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか-「中立派」文化人類学者による告発と弁明』を読んだ。最初に一点不満を述べておくと、このタイトルでは誤解を招きやすいと思った。販売促進の期待から、こんな書名に決めたのかもしれないが、時事問題に近接しすぎて、書名だけ見て敬遠する人もいるだろう。
 いまは従軍慰安婦問題にはウンザリだという人も多いだろうし、朝鮮戦争時に米軍慰安婦が生まれていた云々も、もはや聞かなくて良いと考える人もいるだろう。このタイトルだけを目にした人が、<韓国にも米軍慰安婦が実在したのだから、日本の慰安婦問題にも「非」はない>といった単純な論理で捉えてしまわないか、心配だ。
 しかし、実はこの本は、慰安婦のことだけを語っている本ではなく、戦争や軍隊の普遍的な問題についていろいろと考えさせる一冊である。もし私か編集者だったら、「性とナショナルーアイデンティティー」とか、「少年がみた戦争と性-ある文化人類学者の体験から語る」といった題名を提案しただろう。
 これは1人の少年の歴史である。朝鮮戦争を体験した幼少期の著者の視点で、記憶が語られ始めて、次第に後半になっていくにしたがって、研究者としての中立的で鳥瞰(ちょうかん)的な著者の現在の視点や、調査研究を通しての判断分析が示される。戦争の矛盾に切り込む著者は、タブーも批判も一切恐れず率直で、その身が案じられるほどである。研究者と「学問の自由」への思いを純粋に貫いている著者の姿勢が、少年のままの姿にみえた。
 引き込まれて最後まで一気に読んだ。「これは文学だな、これは証言の文学だな」とずっと思いながら読んだ。幼少期の著者の記憶の語りは素直で美しく、面白い。文学とは、歴史の記述とは少し違い、誰から見ても普遍的事実という方法にはならないかもしれないが、一人の人間か眺めたという点において一つの偽りなき史実で、まぎれもない世界の実態がそこに臨場感をもって描かれる。
 子ども時代の記憶をたどっているという点からして、朝鮮半島からの引き揚げ体験を描いた自伝的小説「竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記」(ヨーコ・カワシマ・ワトキンス著)を思い起こしたが、この崔少年の記憶のほうがはるかに証言性も内容もふかくて、面白い。暗い話題なのに暗さがなくて面白いのだ。それが少年の視点として現実味があった。
 もっとも衝撃的に感じたのは、戦争・紛争のまっただ中にいた少年にとって、「戦争はいけない」といった反戦倫理みたいなものは無くて、ただつらく、いやでたまらなく、怖く、しかし面白い(生死ぎりぎりを生きている高揚感・興奮のような面白さだろう)といった混乱した心理状態だったと書いている点である。お金がなくなれば親族さえも周囲から消えていくさまをまのあたりにした寂しさも素直に描かれている。
 子どもにとって、「平和」も人間性に対する理想も、まだその社会を測るモノサシはない。人間不信とか絶望とかいった才トナの言葉ではなく、子どもの不安感と挫折感が淡々と伝わってくる。さまざまな他国軍の実態と噂(うわさ)のずれ、自国軍の残虐な行動をまのあたりにしたこと、それらを少年時代の記憶として語る様子は、大人の視線で語るものよりもはるかに激しい威力がある。(ほりまどか・宇部市出身・嶺南大学校日本語日本文学科講師・韓国太邱市在住)


メルティングポット

2015年03月30日 06時26分56秒 | 旅行
昨朝の毎日新聞の広告に拙著も載っていた。出版社が宣伝してくれることに感謝である。拙著の下に「日本図書館協会選定図書」となっている。そこまで目が届く人はあまりいないだろうが、私として一抹の評価と肯定的に受けとめたい。読者の感想などを参考にしながら次著を書いている。今著での批判から活力をいただき次へと飛びたい気持ちである。先日この地域のグループのリーダーの一人が拙著をまとめて20冊購入してくださり、今度4月18日私が「韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか」という題で講演することになった。おそらく読んできている方々の前での話であり、期待は大きい。
 ある韓国人からの否定的な反応が来ている。私の米軍に関する話の拙著に関して日本軍と慰安婦の話を中心に批判していることがわかった。異見があるということを前提にするのが文化の多様性、言論の自由である。また自己主張も強く主張すること、固執することは独裁である。人と議論することは主張と主張の対立だけではない、人の意見を聞いて受け入れることが大事である。意見や主張は変わっても構わない。話し会うことこそメルティングポット Melting Potである。日韓の首脳会談も鉄の男女のぶつかりではなく、メルティングポットであることを期待する。

コーヒーの実

2015年03月29日 05時17分23秒 | 旅行
昨日は急に春になった。ソウルから時々訪ねてくる方と花見をしながら長く楽しく過ごした。春とは穏やかな季節というイメージがある。世界的には春がない国も多い。アラブの春(Arab Spring)の「春」は美しい花が咲く季節を意味するだろう。先日アラブの春で平和的に博物館を観覧していた人たちがテロの犠牲になった。また150人乗せた飛行機惨事も起きた。日本でよく聞く「春一番」韓国で聞く「コッセムチュイ」(花が咲くのを妬む寒さ)がある。この季節は注意すべきである。春には穏やかさと暴挙性があるからである。これから日本は全国的に桜が咲き、花見シーズンに入る。花を鑑賞することは祭り騒ぎではない。季節の変化から起きる自然の美しさを観ることである。
 昨日は園芸センターでコーヒーの実の美くしさに目が留まった。香りと苦さの魅力から愛好され、植民地プランテーションによって普及された歴史が伝わってきた。睡魔と戦いながら勉強したり考えたりする人、ロビーで縁談や商談をする人たちにコーヒーは意味がある。コーヒーはただの食品ではなく、文化である。その木は神秘的な木ではない。スッピンの女性に似てる。苦い顔から親切さと品のある会話がでてきそうな木である。温室の外には華麗な赤い花が目を引く。ああぁ、春だ。
  

リー・クアンユー(李光耀)氏死去

2015年03月28日 04時59分36秒 | 旅行
先日シンガポールの書店で彼の病気に関する本が並んでいて英雄化されているのを感じた。人の命は天にあり、建国の父と呼ばれるリー・クアンユー(李光耀)氏もこの世を去った。2015年3月23日死去,ご冥福を祈る。「開発独裁者」としても世界的に尊敬されている。私は植民地研究プロジェクト(代表青木保氏)により3回ほどシティツアーをしながら調査をしたのが1996年12月クリスマスの時であった。私はシンガポールで二人の人物を発見した気がした。一人はイギリス植民支配者のラッフルズであり、もう一人は植民地遺産をもって発展させた李光耀である。彼は中国からイギリス植民地シンガポールに移民し、英語教育を受けた。ラッフルズ学院とラッフルズ大学で学んで、イギリスに留学し、ケンブリッジ大で法律学を専攻し弁護士となった。イギリスの植民地支配から完全独立させるのに功績がある。リー氏は「つばを吐いたり、ガムを噛んだり、ハトに餌付けをしたりした300万人のシンガポール市民を罰する」と言ったことで有名であるが、私はそれもラッフルズの影響だと思った。清廉な政治体制を貫かれた。さらにもう一人を指折るなら朴正熙である。
先日は戦前シンガポールに住んでいたある韓国人の調査のために行ってきた。イギリス植民地であった遺産を植民地語である英語で観光案内する国を歩きながら侵略と植民地という歴史を利用していると感じた。矛盾した人生、矛盾した歴史を体感したのである。その矛盾を超えるのは自由と正義、人々の福祉と幸福、平等である。同じ中国人であっても「大国の中国」(中華人民共和国?)と「小国の中国」(シンガポール)の人は大きく対比される。私は韓国のシャーマンの歌の中に「中国は大漢国、我が国は小漢国」という歌詞を思い出す。それは本当に考えるべきことであろうと思っている。

自殺に他殺

2015年03月27日 05時28分26秒 | 旅行
ドイツの羽の意味の飛行機ジャーマンウィングスが山に衝突して悲惨な事故、事件となった。飛行機を多く利用する者の一人であり今日まで無事だったことが改めて感謝である。なぜか自分が乗るものは安全だと思うと言うよりは事故などは想定しない。その信念はどこから出るものであろうか。ボイスレコーダーからこの事件の原因が語られている。副操縦士(28才)が意図的に墜落させたという。つまり彼の自殺に他殺が伴ったものであろうか。このような自殺と他殺の犯罪はイスラムの自爆といわれるジハードである。しかし当局は「テロではない」という。つまりイスラム過激派による犯罪ではないという。
 考えてみるとこのような犯罪型は広くあるものである。日本の伝統的な「心中」も自殺しながら他殺することが多い。私も若い時、何度も自殺を考えたことがあり、自分で死にたくなったときこの世と同時に滅びたい気持ちなったことを覚えている。そして絶望から天地開闢を期待する。聖書の黙示録、二千年王国、鄭監録などの類が世界的には蔓延している。生活の安全、規制や法律だけでは平和を保つことは難しい。積極的に平和を求めるために生命倫理を考えなければならない。一個人の操縦士の問題では終わらない。

私の偏見

2015年03月26日 05時34分08秒 | 旅行
ある学生がソウルのある大学へ語学研修に行くと聞いて、なぜその大学なのか、もっと良い大学へと思った。しかし周りの人たちからその大学の研修はレベルが高いと言われた。私にとっては1960年代からトイレもない大学だというイメージがあった。その後、歳月は半世紀も過ぎているのに私の偏見は変わっていないことに気がつき自ら赤面。つまり自分は変わりながら相手の変化に鈍感であるということである。それはその間の変化過程に接することがなく、知る機会を得ていなかったということである。
 去年高校時代の親しかった同級生たちと夕食会をした。原点が50~60余年前に復元された人間関係であった。懐かしさはあっても互いに変化や発展の話は控えて当時の懐かしい話がいっぱいで楽しかったが、時々嫌な過去も思い出した。原点から考えるとお互いにかなり変わったことを感じた。新聞社社長、まだ言論者の現役の社長、病院長などをする印君、廉君を除いて華麗な現役を終え年金生活者である。居酒屋の雰囲気に合わせられない私が最も変わっていない。彼らにとっては酔っぱらう時間も足りず終わった物足りない邂逅ではなかったか、今反省している。

在日文筆家の朴仙容氏のFBでの感想

2015年03月25日 06時06分11秒 | 旅行
出版社が多く広く広告してくださっているが本の売れ行きが気になる。多くの読者から本の題や帯から敬遠するような意見も寄せられている。その中で在日文筆家の朴仙容氏のFBの感想がでた。彼は「帯の謳い文句が気に入らなくて、なかなか読破できなかった、東亜大学の崔 吉城教授の本」といいながらやっと読み終えたと次のように書いている。

 中身は日韓紛争の具になる本ではない。良識ある人に敬遠されるからだ。何とかこの帯の差し替えができないものだろうか。読み終えてそれを悔やんでいる。この書籍は慰安婦問題が入口で「戦争とは何か」の問題提議である。韓国の性倫理を取り上げているが、著者の言わんとしていることは韓国に限ることではない。著者は戦争による異常な社会で、ことの善悪を問うのは、それほど意味はないと言う。同感だ。終りの項で読者と約束をするかのように、著者がポツリと漏らした言葉がある。「戦争の意味をもう一度深く考えなければならない。私に残ったもう一つの大きな問題である」……崔 吉城教授の次なる本の期待が高まる。私も帯に囚われず、「韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか」を読み直し、戦争についてしっかり考えてみたい。いや、みる必要がある、と思っている。


 先日のある週刊誌には私が「強姦村出身大学教授」とも書かれた。それで発信力を期待する側と敬遠する側があるのだろう。名称と中身は関係があり、ない、二面がある。ある人が自分の娘の名前を「悪魔」と名付けて話題になったことがある。私は「日本海」という名前も本質とは関係がないと書いたことがある。私は名前や名称やタイトルはある程度関心をもって作りだすものと考える。名作の「風と共に去りぬ」がなにを意味するか分からず読んだ。その題は暗示に過ぎない。

山田寛人君に会った

2015年03月24日 05時07分32秒 | 旅行
久しぶりに下関港で広島大学時代の院生の一人だった山田寛人に会った。彼は博士号を取得しても学歴にこだわらず大学非常勤講師や運送の仕事などをしながら明るく生きている。彼は弟と一緒だといい弟さんを紹介してくれた。偶然に会ったという。彼は有名な歌手坂本冬美コンサートの伴奏楽団員として全国巡回中だった。二人共18切符をもっており、ゆっくり電車と船旅行を楽しむという話を聞いた。山田君は先日本欄で紹介したように『正論』に植民時代に韓国語を学んだ日本人と日本語を学んだ韓国人について寄稿した。彼は客観的に書いても「なぜ『正論』に?」と言われるだろう。私の一句「世論の正論に合わせることは正論ではない」。
 人事異動の中の一人、下関韓国教育院長として新しく来られた朴熙氏に会った。私が下関に住んでから4人目の院長である。民団は在日の組織であり、韓国から公的に派遣された唯一なる役職であり、外交官として活動を願い、東亜大学の櫛田学長、鵜沢副学長をはじめ同僚に紹介し、東アジア文化研究所も案内した。やすもり焼肉店で下関発祥のトンチャン鍋で昼食を一緒にとった。彼は在日対象の韓国語クラスを構想しているという意見に賛同した。韓国人のイメージと「在日」のイメージは異なっている。在日の文化活動が低調であると思っているので私も積極的に協力すると言った。在日のアイデンティティで東大教授、そして聖学院大学の学長の姜尙中氏の突然の辞任ニュースが入って驚いている。

生け花展

2015年03月23日 05時17分20秒 | 旅行
下関大丸で行っている池坊中心の生け花展を見た。ほぼ会員展であり、わが夫婦のようにチケットを買って入場する人は少ない。さらに私のような男性は少ない。写真で見るように男性は私だけである。先日見たイギリスガーデン展では男性観覧客が多少いたのと異なって、特に生け花は女性の趣味になっているようである。専業主婦の余暇趣味のようである。先日本欄でガーデン展の感想を書いたようにイギリスガーデンは「種の設計」、生け花は「花の設計」のように対比して、構造や感覚が異なると書いた。生け花展は華やかな花盛りや枝の美の展示である。ガーデンは自然に近いのに比して生け花は絵や写真に近い。
 日本文化として生け花が世界化している。韓国や中国、東南アジアの国々でも日本式の生け花が広がっている。韓国では生け花がなかったが日本からの影響で盛んになっている。しかし日本の影響とは言えないタブーがある。李王朝の屏風などの花の絵を集めて伝統的にあったという起源論が始まる。それは私も知っているが終戦後まもなくは韓国では生け花展などは見たことがない。ある韓国人がお茶の入れ方を説明しているのを聞いて日本の茶道を語っていると感じた。韓国でも茶、花の起源論的話は一般的であるが事実を説明する必要はない。日本から来たものだと言うと即ち親日派と言われるのは決まりである。
 私の恩師は日本人の人工的な松(剪定)の美に比べて、そのまま見て楽しむ朝鮮の赤松の自然美を称賛した。S字の日本松に、I字の朝鮮の松の美は対照的に言う。松の「曲線美」、赤松の「直線美」の日韓の対照は面白い。これから桜が咲く。戦後韓国の過激派愛国者が桜の木を切る「花テロ」が起きたことを苦笑。「愛」国の「憎」しみは怖い。あくまでも「花は花」である。今「花燃ゆ」も楽しく見ている。

厳粛な卒業式

2015年03月22日 04時33分09秒 | 旅行
朝,下関港へ韓国から来られる二人のお客さんをお迎えのため行った。数年前送ってくれた留学生たちの卒業式に参加するのために来られた方々であり、一日を共にした。翰林高等学校の校長の林氏は「静かな厳粛な卒業式だった」といっておられた。林校長は50代前後(写真左)であり、経営と教育の両面において広く深い知識と信念を持っておられ、先生たちと留学生をまじえて一日さまざまな行動を一緒にしながら有益な時間を過ごした。私は学校教育を含めた広く社会化のために幼児教育の「躾」という言葉を紹介した。林氏は学父兄の教育の重要性を語った。PTAなどとの関係が難しいという。お祖父さんが設立者であり、学校経営の歩みが蓄積されていることを感じた。訪ねて行ってみたい。案内役韓国側の入試処長の崔氏(写真右)によって私の訪問が実現できるかもしれない。
 帰宅後、ハート出版からぶ厚い荷物を受け取った。拙著らの広告掲載新聞資料である。北海道から沖縄まで読売新聞、産経新聞など全国紙や地方紙など40紙以上に載ったものである。それはただの宣伝だけはない。情報発信である。私は出版社の温かい支援だと感じている。著者である私が「中立派人類学者」とされているように、私はそれを以て対置対立している日韓関係を和らげることを期待する。また、私が経験した朝鮮戦争の悲惨さの思い出話ではなく、そこから平和を読み取ってほしい。私は今、ドナルド・キーン氏の『日本人の戦争』を照らし合わせて読書三昧中である。

ヒジキ

2015年03月21日 05時13分00秒 | 旅行
ファーストレディ昭恵夫人がアメリカのオバマ大統領夫人をおもてなしされた話の中で私の耳に残ったのがヒジキである。昭恵夫人の地元・山口県の食材の料理である庶民的なひじきの煮ものをご馳走したという。私の家内も食卓によく出すものであるが、私の箸はいくことが全くない、いわば家内の占食である。韓国ではナムンジェ나문재とかトッ톳といわれるものであるが一般的に知られてはいない。知っている人は日本食の影響かもしれない。
 私は農村出身であり、このような海藻とは全く縁のない食材で暮らした。しかし朝鮮戦争の時避難していったところが海辺であり、そこの住民たちは一般的にヒジキを食べていた。山菜と海苔しか知らなかった私は海草と知って、食べたことがある。山菜文化から海菜文化との混合であった。しかし当時の私は戦争による貧困であり我慢しなければならない辛い時期であった。朝鮮戦争後再びひじきを食べることはなかった。日本での生活で家内が料理したヒジキが食卓に上がったのを見て戦争中のつらさを思い出し、とても食べる気にはなれなかった。先日の総理夫人が大統領夫人にヒジキでもてなしになっているということを聞いて私は彼女らより贅沢な人間(?)のように感じた。

「聖戦」に「正戦」

2015年03月20日 05時47分19秒 | 旅行
 「アラブの春」の国チュニジアで「一滴の雨」と言う言葉もある。「春」から「雨」になった。最初の民主化運動で安定していくかと思ったら不安な状況になった。CNNや民放が放送してから遅れてNHKも報道したが観光名所の博物館(写真)でテロ攻撃事件が起きて日本人3人を含む19人が死亡した事件である。イスラム過激派組織「イスラム国」の「戦士」たちによるものとされている。テレビにはアラブ専門家たちが総動員され(?)、テロの怖さを語っている。私は彼らの評論や議論を聞きながら物足りなさを強く感ずる。
 テロは従来の戦争とは異なる。まず宗教によるナショナリズムを背景して不特定な無辜な市民を攻撃の対象とするということである。病菌による病気のようなものである。治療の「治」が必要である。戦争の論理の敵ではない無辜な人を攻撃する。テロへの戦術とともに「聖戦の戦士」の分析が必要である。「聖戦」に対する「正戦」が必要である。

下川正晴教授のこと

2015年03月19日 05時33分15秒 | 旅行
ネット上で拙著の紹介がなされているのを見つけた。大分短大の下川正晴教授のホームページである。私が朝鮮戦争の体験者であることに初めて知ったということである。下川氏は毎日新聞のソウル駐在記者などを経て大学教授になった方である。彼は韓国映画を授業に取り入れながら一般にも紹介するなど広く文化活動を行ってきている。九州大学での植民地映画の公開シンポジウムに私を呼んでくださり議論したことがある。また門司で合宿研究会を一緒に行ったこともある。その後ご無沙汰していたがホームページでご厚意を知ることができた。昨日は下川先生のFBに次のような写真とともに下記の文が掲載されていたので恐縮している。そのまま引用、紹介する。承諾を得ていないが上述の信頼関係から大丈夫だと思う。

崔吉城先生(写真左)、秦郁彦先生(同右)に学べ!!
きょう、崔吉城先生(東亜大学教授、広島大学名誉教授)とFB友達になった。先生とは以前、九州大学で韓国映画史のワークショップを一緒にやった。最近では、先生の著書「韓国の米軍慰安婦はどうして生まれたか」を読み、FBで紹介したこともある。
崔先生のFBログをたどって驚いた。一昨年、韓国で発掘された慰安所管理人(朝鮮人)の日記を丹念に読み込み、さらに、日記の舞台になった東南アジア現地に出掛けて、日記に記載された事ごとの検証作業をされている事に気がついたからだ。これはスゴイと思う。本当は、ジャーナリストがすべき仕事なのかもしれない。
朝日新聞記者が騙された吉田清治氏(故人)の証言を不審に思い、韓国済州島まで出掛けて、吉田氏のウソを暴いたのは、昭和史研究家の秦郁彦先生(日本大学名誉教授)である。当時、僕は毎日新聞ソウル特派員だったが、秦先生のような「歴史学的フィールドワークの世界」があるのを気がつかなかった。秦先生は僕が「記者の目」(93年9月9日)で、慰安婦支援運動への違和感を書いたのを読み、帰国した僕を呼び出して事情聴取もされた。
崔先生といい、秦先生といい、先駆的な実証史学の道を堂々と歩いておられると思う。僕は昨日、広島・厳島神社で原田環先生(県立広島大学名誉教授)のお話を伺いながら、歴史研究の要諦が「裏を取る」「コツコツやる」「記録する」の3原則であるという教訓を得た。原田先生は「実証主義に基づかない朝鮮史研究」を実例をあげて、説明してくださった。これは僕が新聞記者時代から感じていたことでもあった。
秦先生、崔先生、そして原田先生のおかげで、今後、僕がやるべき課題が見えてきた。いま65歳。これまでは冗談まぎれに「暴走老人になると迷惑をかける。75歳くらいで死ぬ予定だ」と話して来たが、新たな自己課題が登場して来たので、まだまだ生きようと思う。(笑)陽気もよくなってきたので、あすからは、早朝の散歩に励みたい。

「研究生活」とは

2015年03月18日 05時11分39秒 | 旅行
 今慰安所日記に関して執筆中である。その所蔵者呉氏から慰安婦問題の研究家、故文玉珠氏にインタービューして出した『文玉珠 ビルマ戦線盾師団の「慰安婦」だった私、教科書に書かれなかった戦争 (Part 22)』(梨の木舎1996年)の著者の森川 万智子氏(68歳)を紹介していただいた。さっそく電話で長く話を交わした。文氏は1942年7月10日釜山港を出てミャンマーとシンガポールなどで慰安婦だったという人であり、いま執筆中の慰安所帳場人の朴氏と同船でいかれたので日程など一致するところが多く研究者同士の対話になった。来る5月には文氏の故郷である大邱で記念館がオプーンするという。森川氏はそこに追跡旅行で撮った写真やビデオなどの資料を寄贈したという。その主催が女性会であり、生存中無料で治療を行った郭病院が支援するという。郭病院の理事長は私の親しい友人であり、オープニングには参加することとした。文氏の情報が初めて日本語で紹介されたのは1992年明石書店から金文淑氏著『朝鮮人軍隊慰安婦』である。森川氏はそれは知らず1996年に上掲書を出している。
 私はその金文淑氏を知って本欄でも紹介したことがあり、所蔵者、二人の著者、支援者などがつながりあっての出版になることを嬉しく思っている。私はこのような研究生活を楽しんでいる。昔の研究者は図書室や実験室の中、あるいはアカデミックの象牙の塔の中で研究をする人が多かった。しかし、現在は多くの学問は現地調査をし、現地や人とふれあい、出会って情報を得る。帰宅してからも人間関係を続けることがある。このように営むのが研究生活である。孔子は「行い余裕があれば学ぶ(行有余力、則以学文)」といったが、研究生活は余裕ではなく、研究を核心におかなければならない。

韓国の家庭内暴力の被害者の4割は男性

2015年03月17日 05時47分29秒 | 旅行
 韓国のドラマなどで女性が怒って男性の顔にコップの水をひっかける場面が多い。逆に男性が女性にすることはない。昔は男性が女性の顔に唾を吐くような侮辱的な場面があった。フェミニズム運動が盛んになり女性が危険物(?)とされ男性の暴力場面はなくなり、女性から「痴漢だ」と叫ばれる男性の防衛は全無に近くなった。韓国のある統計によれば家庭暴力の被害者の4割は男性だという。伝統的に女性を弱者扱い、保護しようとする礼儀や法律を武器化する女性が多くなった。男女平等というか、普通の人間であることの思想が足りない。
 いまセクハラが怖く満員電車を避けるという青年もいるという。女性専用の車両も登場する。一方女性は過剰な女性らしさのファッションで男性の視線を引こうとする。性と美は別とはいえ、「性美」の女らしさが社会を美しく幸せにするのはよい。しかし日常の生活の上で男性の性欲を刺激するようなことはよくない。男女とも華麗な服装やファッションはよいが、性欲まで刺激するのは控えるべきであろう。男が性的露出に鈍感化していくには歳や長い年月がかかる。東南アジアでは水をかけることが祝福だというが美女からでも顔に水かけられる侮辱はドラマでも自制すべきである。