崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「韓国民俗学大会」

2015年10月31日 06時13分00秒 | 旅行
昨日水原で開かれた「韓国民俗学大会」で基調発表をした。80年代以来初めて久しぶりに参加したことになる。8学会の連合大会であり、民俗学の質的発展、学会運営の定着、討論のマナーなどを見る良い機会であった。民俗学が廃れていく現象に触れられていているという前提において危機感を感じ、民俗学者たちが政治的に訴える場のような雰囲気であり、私は異様感を持った。民族主義と伝統固有文化を主張してきてグローバル時代に廃れていく日本のことを思っていた。この学会のイントロで政治的に要求するような企画であるように感じた。
 国会議員、道議員が決まった順番を代え、登壇して政治的発言が続き戸惑いながら私は体調不良にも関わらず原稿を配布、パワーポイントを利用して20分の時間を守って発表した。文化財や文化遺産の登録に関する国家間の問題点、学問の客観性を主張した。しかし私の主張内容は理解されずコメンテーターは被害者と加害者の問題を討論する必要がないと言う。私はそのまま壇上に座っている必要性がないと感じたが、日本も原爆被爆を以って「被害者」と主張することを批判するなど私の客観的な見方を説明し、むしろ聴衆は納得する表情であった。終了して下壇して多くの懐かしい人たちに会った。しかし体調不良で早めにソウルのホテルに戻った。写真FBから、윤동환씨撮影

真鍋祐子『烈士の誕生』出版

2015年10月30日 06時41分17秒 | 旅行
 昨日仁川空港に民俗苑社長と朴部長が向かえに出てくださり、韓国式の刺身定食のヘドッパをご馳走になり、その場で東大の真鍋祐子教授『열사의 탄생(烈士の誕生)』の韓国語訳書、金景南氏訳で出来上がったばかりのものを寄贈してくれた。私が民俗苑洪鐘和社長に本書出版を強く推薦し、本書巻頭部に祝辞を書くようにもなった。著訳者たちは「あとがき」でそれぞれその旨感謝の言葉をいただいている。私としては真鍋氏が拙著『한국인의 한(恨の人類学)』を日本語訳してくれたことに対する恩返しをしたいだけではなく、韓国人にこの本を通して民主化闘争の意味を深く理解してほしいこと、さらに日韓の出版会の広がりを望んでいるからであった。
 続いて今日韓英のキャプションで日本でも総版ができるように近代絵葉書に関する刊行書の総監修作業中である。今日は京畿博物館で講演し、明日帰国、明後日は「楽しい韓国文化論」(大久保氏建築文化)を主宰する。多くの読者から私のハードなスケージュルと体調不良を心配してくれているが、帰国後検査をして必要であれば治療をする予定である。

「くすし 【奇し】」

2015年10月29日 05時55分49秒 | 旅行
 韓国のドラマのシンプルな構造、パターン化されているのが交通事故により葛藤が解消される。またソウルの漢江で自殺を図る場面、ショックにより気絶すると気付け薬に清心丸(薬)を飲む。これらの三つは多くのドラマに大体共通のものである。清心丸は子供の時から神秘的な薬と聞いてはいたがわが家ではその神秘的な薬が常備されていたわけではない。いまだに私は清心丸を飲んだことはない。高麗人参などをお土産として多くいただいても神秘的な薬効は体験していない。その神秘性とは何だろうか。
 一昨日病院からもらった薬を昨日講義中に胸が苦しくなり1錠舌下に入れた。ほんの1,2分の間に良くなり、1日を無事に暮らすことができた。同僚たちと談話中、薬は「くすし 【奇し】」からの語源であることを聞いた。早速検索してみるとなるほど「神秘的だ。不思議だ。霊妙な力がある。」と書かれている。私は初めて清心丸(?)に遭った気持であった。そしていただいた高麗人参などが目に入るようになった。病院の待合室では私が一番若い存在のようで自ら違和感があった。しかし、それは自分がすでに後期高齢者でありながらまだまだ若いと意識しているだけであった。

中国の「覇権」、アメリカの「奮起」、日本の「覗き」の三角関係

2015年10月28日 05時14分00秒 | 旅行
 米海軍のイージス駆逐艦が南シナ海の南沙諸島の海域内を航行している。中国の大国(帝国)覇権主義にアメリカがブレ-キを掛けている。日本は心から歓迎しながら火の粉を受けないように静かにしている。中国の「覇権」、アメリカの「奮起」、日本の「覗き」の三角関係、この国際事情を個人関係に読みかえてみると嫌な感じがする。海に突出した「岩」を以て領土と領海を主張するというのはどういうことだろう。ただ強いものが勝つという論理。民衆の民主化を抑えるためにはより強くなる強圧。オバマ氏はキリスト教的に人道主義的な姿勢をとっているのを中国は弱腰と錯覚して進出、今緊張状態である。私は明日韓国で文化遺産をめぐる問題点を発表する。下に参考までに「はじめに」を書いておく。

문화재 지정 및 문화유산 등록을 둘러싼 문제

들어가는 말
현재 문화재 문화유산이 중요한 관광 자원으로 주목되어 보호 운동이 여러 곳에서 일어나고 있는 것이 실정이다. 지방 또는 국가 지정의 문화재, 나아가 세계 문화유산으로 등록 등 국제적으로 관심이 되고 있다. 원래 이런 지정 등은 자연 환경이나 문화유산을 보호 보존하려는 것이다. 그런데 그런 취지와는 다르게 국위 선양 관광자원 확보 등 국가적 정치적 목적을 가지고 정책적으로 경쟁 및 국제적 문제를 일으키는 일도 종종 있다. 문화재가 1990년대 이후 국경을 초월하여 이데올로기 장치로서 역할을 하게 되었다 . 최근 일본의 명치유신의 유네스코 세계 문화유산 등록을 둘러싸고 한일이 대치한 적이 하고 있다. 문화재를 비롯한 정칙적인 문제는 한일만에 국한된 것이 아니라 국제적으로도 흔히 있는 것이다.
나는 이전 한국과 일본에서 박물관 문화재 등과 관련된 일을 한 경험도 가지고 있고, 비교적 자주 문화재 보호에 따른 문제점을 생각해 보고는 하였다. 최근에는 영국 식민지이었던 아일랜드, 홍콩, 싱가포르, 말레시아, 미얀마, 스리랑카, 남아프리카를 비롯해 프랑스의 식민지이었던 베트남, 그리고 일본 식민지이었던 대만, 사할린, 구만주, 한국과 북한, 네덜란드의 식민지이었던 인도네시아 등을 돌아 볼 기회를 가졌다.
군사박물관 전쟁박물관 기념관 기념물 등을 조사하면서 특히 식민지 유산에 대해 자주 혼란스러운 생각에 젖고는 하였다. 영국이나 프랑스 등의 서구 식민지권에서는 구 종주국에 대하여 그다지 원념이 강하지 않지만, 일본 식민지권에서는 구 식민지 종주국인 일본에 대해서 반감이 강하다는 것을 느꼈다 . 문화재 문화유산의 등록 보호와 문화 정책 등이 즉 식민지나 전쟁과 연계되어 국가간 문제로 대두되는 경우가 적지 않다 . 그 뿐만 아니라 지역 주민과 정부의 의견이 일치하지 않는 예도 종종 있다. 민속문화재의 가치 평가는 주민 연구자와 행정가 등에 있어서 반드시 일치하는 것만은 아닌 것이다. 나아가 유네스코 등의 국제적인 보호 목적과는 달리 국익을 위한 선전 등으로 빗나가는 예가 종종 있다.
일본 동북 지방의 宮古시는 신탁으로 점을 치는 미코(神子)를 문화재로 지정하기를 원하여 시청 내에 특별위원회를 두고 준비하여 그 시 주최의 심포지엄을 열었다. 그런데 파넬라의 한 사람인 문화청 문화재 담당자는 신앙으로서는 지정하기 곤란하다는 입장을 발표하였다. 지역 주민들이나 연구자들은 지역 주민 가운데 살아 있는 전통문화 신앙으로서 또 종교로서 가치를 부여하고 지정을 원하였으나 문화청으로부터 부정적인 발언에 참석한 시장 등이 놀라는 표정이었다. 문화청의 민속문화 보호 정책은 역사성과 예술성 둥에 의해 보호를 하는 것이라는 것이다. 만일 신앙이나 종교로서 지정하게 된다면 다른 종교들과의 공정성, 나아가 정교분리의 헌법상의 문제를 안게 된다는 것이다 . 본고에서는 그런 법적 문제 이전에 어떤 (민속) 문화가 어떻게 보호되어야 하는가 근본적인 문제를 검토하고자 한다.



余恨

2015年10月27日 05時47分27秒 | 旅行
 昨日体調不良のことを書き、多くの方からご心配のチェクが入っている。申し訳ないと思っている。いつも通う内科で血液検査、肺の機能を調査した結果を見た主治医から肺年齢は100歳、限界だといわれた。そして吸入薬を処方して下さった。心臓ではないことで安心しながらも命は確かに短いと感じている。座っての仕事は問題がない。明後日韓国へ、講演をすませることができるかも心配である。日本文化人類学会からインタビューが予定されている。また東京での2回の講演の予定がある。人からは良く言われる。それらがストレスだと。しかし私はそう思えない。楽しいと思うからである。
 出版社に送っている3つの原稿が出るまでは大丈夫だろうかと思うこともある。シューベルトの未完成交響曲の第4楽章はあの世で完成する意味だろう。娘が焼き「殺された」のが「殺した」と、冤罪で20年間刑務所で暮らした人がカメラの前で喜び、恨み、怒り、虚しくて泣く場面をみながら人生いろいろだと考えた。それが恨みである。しかし人はそれぞれ冤罪性のある経験を持っているはずである。韓国語の諺のように「死んでも余恨がない죽어도 여한이 없다」人はいないだろう。*写真は毎日新聞

「海と空」

2015年10月26日 05時13分25秒 | 旅行
 体調が望ましくないと言うと皆がゆっくり休みなさい言う。しかし休む方法を知らない感がある。ゆっくり休むとは多くは横になったり、眠ったりすることが主であろうが私は睡眠時間もよくとっており、テレビをやジオを見たり聞いたりする。また本を読んだり文章を書いたりするのも私の休み方である。休むと言っても実際は働いていることが多々ある。私にとって本の読み、書きは受験勉強ではないのでただ楽しい日常生活に過ぎない。
 わがマンションの隣に介護つき高級住宅があり、デイサービスも行っている。時々関門海峡の海に向かって椅子に座って何時間も海を見ている人をみて休み方を教えていただく気持ちになる。その建物の入り口の案内表示板に「海と空」と書かれている。海と空という自然環境を売り物としていると思い、通り過ぎようとし、気になった併記の英語「Sea and Empty」という言葉が目にとまった。Emptyとは空(くう)、虚、自己を忘れる、ヨガなどまでさまざまな行動を意味する。ただ海に向かって心開いて,己を忘れているように数時間座っている人の姿は菩提樹の下で座っているブッダのように見えてくるような気がした。

風水(自然)によって生かされている

2015年10月25日 05時32分04秒 | 旅行
昨日は韓国文化論講座「韓国の風水」の講師を務めた。日本で風水研究者自身による講演ははじめであろう。私は市民などにはよいプレゼントになると思い、また私を愛して下さる人々との嬉しい付き合いの時であった。農産物を持ってこられた方などもおられ、30人以上定員オーバーの参加に感謝したい。以前からのリピター、民団からの役員、市役所の公務員、中国からの留学生、友人や知人など一人一人にする挨拶が粗末になって心が残る。
 朝から大学へ行き、講義内容の準備、プロジェクトのセッティング、椅子のキャスターを直し、研究室の模様変えなどしてお客さんや受講の人を迎える時まで体調は良かったが、講義直前に胸が苦しくなり若干安静にして座ったまま2時間講義した。風水の自然環境の原理、地脈からその脈に乗って生きている人への善し悪しの影響、風水信仰の影響を遮断するために日本植民地政府がその地脈を切るために朝鮮総督府庁舎を立てたので壊したのも風水信仰による暴力であっと語り、質問に応じながら説明をした。
 私が村山智順の『朝鮮の風水』を韓国語訳、研究を発表したのは1990年、その後日本での風水ブームが起きた。韓国は墓風水の信仰、日本では住宅風水から環境論的な違いが明らかになった。風水は親孝行や祖先崇拝としてはあまり機能しないということで李朝の大学者の朴斎家は悪い信仰であると言った。つまり親不孝であっても墓の良い場所であれば子孫が繁栄するという信仰であるからである。
 私の信仰はシャーマニズム、キリスト教、風水信仰などが混合しているとは思うが墓風水信仰も一部は確かに信仰している。人は自然を開発しながら生きるが、風水(自然)によって生かされているからである。来週の講座は「韓国の住宅」を大久保氏が担当、そこに風水がつながるかもしれない。期待したい。
 *写真は林楽青氏撮影
 

ヒラリー・クリントン

2015年10月24日 05時53分06秒 | 旅行
アメリカ大統領選にはいつも関心がある。前回私は黒人か女性かに注目したが、オバマ氏が大統領になった。韓国で女性の大統領が出たことに期待は大きかった。男尊女卑社会への挑戦としてであったが、今は非常に失望している。日本に住んでいて主に日韓関係や外交だけを見ているが、関係改善をしないのは大きい失敗だと思う。アメリカの大統領有力候補ヒラリー・クリントン氏は学歴や経歴などはもちろんであるが、彼女の知性に注目してみている。昨日は長時間米議会の公聴会、共和党議員たちの質問に対する答え、弁論を視聴した。辞書を引き知らない単語は調べながら、視聴というよりは仕事のようだった。
 主な背景は彼女が国務長官だった3年前、リビア・ベンガジで起きた米領事館被撃事件に関するものである。アメリカ政策のイスラム侮辱映画と言われたことと関連して悪魔独裁者のカダフィ政権がベンガジを爆撃することを事前に知っていながら措置をしなかったのではないかと疑われている。検事のような共和党7人の攻撃性ある怒りの質問に被告のような立場の彼女は途中で咳をしたことの他に落ち着いて静かにカームcalm微笑をして当時の対応に誤りはなかったとの認識を示し、「責任を取り、悲劇を起こさぬよう改革に着手した」とも語った。最善を尽くし、反論し、約11時間に及ぶ公聴会を乗り切った。私であれば我慢できず怒り、すべてを放棄宣言してしまうのではないかと思った。最近人をいじめるような発言をした人を叱ったことを思い出す。韓国では家長、老人は怒る権威があるかのように叱るべきことは叱らなければならない。しかし日本ではそれは敗北宣言に類するものであろう。クリントン氏に賛美を送りたい。

老人天国は障碍者天国

2015年10月23日 04時44分17秒 | 旅行
 昨日の観光人類学の講義では観光資源のない遠野市が柳田国男の昔話の調査地であったことを種に花を咲かせた例を以て行った。昔の教え子である山田寛人氏と大学院生3人も参加してパーワーポイント、映像などを使って東北弁による語り部、暇な元気なおばあちゃんたちの活躍ぶりをみて日本語で読み、聞き、話す、書くという授業ができた。面白さをもって観光化に成功させたキーパーソン、アイディアマンによって社会は変化するというメッセージを読み取った。皆がおもしろかったと言っていた。
 続いて中国人民大学から1年間東アジア文化研究所に研究員として滞在した金炳徹氏の発表があった。彼は障害者研究者であり西洋先進国の定義によると西洋では25%と多く、自分自身も日本語ができない言語障碍者に含まれるが東アジアでは5,6%と基準や範囲が狭いという。障碍者に高齢者が多く、老人天国といわれる日本が障碍者の国になってしまうのか。講義が終わり学長も来られ記念写真をとり、金氏にこれからは日中関係の懸け橋になってくださいというお言葉があった。

「殺される」ほど美味しい죽인다 쥑인다

2015年10月22日 05時00分21秒 | 旅行
韓国民俗学者連合大会での基調講演・発表原稿の締め切りを守った。締め切りを英語でデットライン(dead line)という。特に新聞社などでは「死線」デッドラインという。「死守」「死生決断」など「死」が一般的に使われている。特に韓国では「死にそう」「死にたい」など自動詞、より激しく他動詞で「殺す」「殺される」という言葉、とても美味しいということを「殺される죽인다」と表現する。高齢者や患者などにとっては残酷な表現と感ずる。最近胸が時々苦しく、昨日は校舎の柱に貼ってあるAEDのマークが目に入った。韓国教え子が担当する学生30人が来校、私に高級な高麗人参キャプスルが届いて感謝し、飲み気になった。
 東京のある出版社からベテランの営業マンが来て話を聞き、営業の秘訣とは、「人間関係」だという。全国的なネットワークを作ろうとして歩くという。私の人間関係はどうであろう。下関市内のある社会運動家からヘイトスピーチ反対運動に誘う電話もあった。学会でのシニアへのインタビューの対象人物になったという電話、光栄であり、嬉しい話である。昨日は講義をしてから研究所の講演会の打ち合わせ会も長くした。講義をし本当にたくさんの人と会い、話をし、電話対応などして忙しく過ごして、訪ねてこられた記者の車に便乗して帰宅した。昨日はまさに忙しさで實に「死にそう」な日であった。

問診

2015年10月21日 04時44分56秒 | 旅行
 先日私がフィリピンに調査旅行に行くとき健康に配慮してくれた韓国の崔所長が急病で予定通りに下関に来れないと連絡を受けた。早速彼に電話をした。心配である。私も最近は体調がよくなく、常に持病の気管支が弱っていると感じている。家内は私の健康を気にして観察し、医師と相談して対処しているので安心している。心電図やX線ではそれほどの変化はなく、まずは食生活に注意することにしている。家内の意見で昨日は病院に行った。来週ソウルへ行くに当たり韓国でマースが再発生したというニュースを聞いてインフルエンザの予防注射を受けて行くほうがいいのではないかと相談に行ったのである。しかし、有効期間などを考慮していただき、帰ってからにすることにし、肺の機能に注意する話ともうひとつ気になっていた血液検査をした。結果は帰ってからである
 そもそも私は自分自身で「呼吸困難だ」と症状を訴えたが間違えたのではないかと思う。「胸が痛い、苦しい」というべきであったと悔やむ気分になった。どうしても自覚症状の表現が間違いのようである。「胸が痛い、苦しい」ということは心が苦しい、あるいは文学的な表現であり、病気の症状を表現する言葉ではないという先入観を持っていた。私の自覚症状の表現が適切ではなくても医師は客観的な資料に基づいて診断してくれると信じている。しかし医師は家内の話や意見を聞き、家内は私の言葉を信じて医師に話しているようである。家内いわく診断は問診が一番重要であると。占い師は客の言葉によらず生年月日などをもって占うのが名師と言われる。私は医師を占い師と混同してしまっていたようである。

片得意意識

2015年10月20日 05時09分46秒 | エッセイ
世界中を移り住み回っている国際人がフェースブックに書いたものを読んだ。彼はいつも周辺的人物にしかなれない人生であったと振り返っている。国際人とは何かと気が付いた。地元の人が主役、異邦人は周辺人だという物語りは聖書のユダヤ人とバリサイ人との関係がよく表わしている。私は日本に留学、定住するようになってから25年になった。最初学生から「朝鮮へ帰れ」というヘイトスピーチのような投書もあったがそれほど気にせず「先生は辛いものだ」という韓国の諺を以て我慢した。日本に、下関に来て地域の人とは良く付き合っており周辺的な人だという意識はあまりない。それは日本人の家内の役割が大きいのではないかと思っている。
 昨日地域のある言論人を招いて昼食することになって若干早めて行って、関門橋が見える景色の良い個室を確保してメニュ見ながら待っていた。定刻にお客さんが来られ早速注文して大部時間が経っても食事は来ない。何の音信もない。家内が聞いて見たら注文を受けた人がオーダーを伝えたが伝わっていなかったという。私は彼が紳士的で文章力も優れた人でお話も有効で楽しく耳を傾けていたので、時間が経ったことは気にならなかった。我が家にお客さんが来た時しばしば利用してもお得意さんにはなっていない。かってに自分で片得意意識があるだけである。先日は「来られるお客様のお名前を教えていただければお部屋にお客様を案内しますので、お部屋でお待ちください」と言われ、そのように頼んだがそのままでお客さんはロビーで待っておられ、大変失礼なことになってしまったことを思い出した。景色のよいレストランとして施設はよくても従業員の質が問われそうである。しかし謝罪の言葉とサーヴィスのデザートとコーヒーがあり、「いいえ、またこんなことがあっても構いません」と笑いながら悪い冗談を言ってしまった。実は自ら得意先として関係は堅いと思ったからである。

「朝鮮の風水」

2015年10月19日 06時31分17秒 | 旅行
 今週の土曜日午後2時からの「楽しい韓国文化論」講座の『韓国の風水」を私が担当する。風水には陽宅(住宅)風水、陰宅(墓)風水に分けられるが韓国は後者、日本は前者であり、今生きている信仰として迫ってみる。今でも広く中国、韓国、日本、香港、東南アジアに信仰として生き続いている。風水信仰は広く信じられており、今でも家や墓の立地は風水に基づいて決められることはよくある。死者の力が生きている人にダイナミックに影響するという墓信仰がある。風水説はただの信仰ではなく、日韓関係にも関わっている。日本植民地政府による断脈説つまり龍脈(名堂)を断ち切るといわれたことがある。多くの学者やメディアが、特に金泳三大統領が風水信仰によって世論を造成して朝鮮総督府庁舎を破壊したことはとても残念な最近史である。
 風水ナショナリズムに怒りを感じるが、講座名が「楽しい…」となっているので控えながら進行したい。大連理工大学から来た林楽青氏も風水に関心があり、彼の話も聞きながら受講者からの意見と合わせて楽しい時間にしたい。講座は10月24日(土)崔吉城「韓国の風水」、11月1日(日)大久保裕文「韓国の住居」、11月7日(土)和仁皓明「食文化」、11月15日(日)礒永和貴「麗水と下関」、11月21日(土)吉田笑子「日韓の衣装」に順次行われる予定である。

日本は「聖戦」(?)に復帰

2015年10月18日 05時16分04秒 | 旅行
 沖縄と政府の対立が高まっている。沖縄が米軍基地反対、外交や国防に正面から衝突している。地方分権主義をどこまで認めるかはそれこそ国家存立の危機であろう。昨夜水陸機動団の映像を見ている内に佐世保市民たちが軍港化を歓迎する垂れ幕や市民の声を聞いて驚いた。私の生まれ故郷の韓国東豆川で基地が他の所に移転することを反対した村人を思い出す。佐世保は戦争を契機に活力を増して軍港都市が発展したが今は衰退している中で新たに軍港化を歓迎し、観光化にもつながっていくようである。びっくりするのは中国からの豪華船が停泊していることである。まさに軍港の観光化である。
 水陸機動団の映像を見ていると韓国の海兵隊にそっくりであると感じる。私の軍隊の体験中にも「鬼を殺す海兵隊」と言われ訓練の激しさを自慢する。集団的人間教育もよくできているという評判で海兵隊出身者は就職率は今でも高いと言われている。KRYの竹村昌浩氏から彼の父親の自分史『海軍予備士官の記録』が送られてきて読んでいるが、韓国の軍隊の訓練などは日本の軍隊そのまま、あるいはその残滓であると分かる。ただ日本軍における「温習」などの衛生管理、上下関係の愛情などは韓国軍には欠けているとも感じた。私が受けた陸軍歩兵の訓練はただ厳しく辛かったことを思い出す。それは著者の竹村正氏と私の感じ方による差であろうか、両軍の差であるかは解らない。日本軍の遺産は今韓国や北朝鮮に生き続いている。昨夜の映像を見て、日本は「聖戦」(?)に復帰するような時期にきているのだろうかとも感じた。

堀まどか氏が韓国から帰国

2015年10月17日 04時14分38秒 | 日記
堀まどか氏が韓国嶺南大学校を退職し、大阪市立大学に着任したことは知っていたが、昨日正式な挨拶状が届いた。2年間半、彼女の子供とともに母娘の成長や経験などを時々知らせていただき、心にとどめながら良い経歴を積んでいると心から嬉しく期待していた。彼女は日本女子大学、ロンドン大学SOAS、国際日本文化研究センターなどで学び、研究し、韓国の大学で教えた経験がプラスしてその経歴と実力は十分整っている。
 韓国の大学に勤めている人々から聞いていることによれば異文化体験でめいっぱいで、研究にまで心を向けるにはかなり努力が必要だという。また業績中心の契約制が厳しく、安定した研究が難しいとも言われている。韓国や中国も業績が強く求められて多くの人がネット上の情報をカット、コピー、張り付け、ペスト、バクリなどで分厚い著書が多産されながら本当の研究が難しいという。日本に帰国するということは本国や祖国への帰国の意味だけではない、研究環境の良いところに戻ったということになるかもしれない。日本でも研究状況は厳しくなっていると言われているが、まだ頑張れると思うので、帰国を歓迎し期待する。
 *写真は堀氏が撮った楽安邑城民俗村