崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「差別を生きる」

2007年07月31日 06時39分07秒 | エッセイ
 小倉教会で「在日を生きる」という題で講演した。「在日を生きる」が主に「差別を生きる」のが話題になった。伝統的には弱者障害者、女性、子供などを差をつけて差別する意識構造であること、それがむしろ普遍的であった。インドのカースト制や中国の身分制度、韓国の「八賎」、アメリカなどの黒人差別など普遍的だとも言える。差別が消えにくい点は社会にまったく悪ではないという差による能力主義、いわば格差社会への肯定的な点もあるからである。その意味で在日の差や差別が壁(border, wall)の機能も持っていると考えたのである。つまり差別を外側と内側の両面を考えてみた。しかし反応は賛成だけではなかったと感じた。
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日本民主主義の勝利

2007年07月30日 06時32分14秒 | エッセイ
 昨日私の教会の臨時総会では牧師の突然の辞任を承認した。担任牧師は3年間勤めてみて限界を感じての決断であった。その後私は参議院選挙に投票をして、5時から9時過ぎまで小倉教会で講演と質疑などに参加したので選挙結果を知ったのは夜10時過ぎであった。はじめて選挙投票結果を聞いて日本の民主主義の勝利であると、本当にはじめて日本で民主主義の力を感じた。しかし安倍総理の「続投」の話が放送局毎に繰り返された。続投は政治戦略かもしれないが、安倍氏の人格さえ問われる発言もあった。学者であれば一般の人が誤解しても信念を持って続投すべきであるが、民意そのままが真実である民主主義を認めない続投発言は意外なものである。敗者の勝利というものがあるが、それが敗者の倫理であると思う。敗者は戦略を超えて「自分を捨てる」ことが潔い敗者の勝利である。牧師の人格的辞任表明と安倍氏の続投は天と地の差がある。
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「下関学」シンポ

2007年07月29日 05時50分48秒 | エッセイ
 7月14日予定であったが台風4号の影響で中止になった東亜大学の公開フォーラムが昨日28日「下関学:地域創造」というテーマのシンポで行われた。私は司会と基調講演をかねて地域住民の活性化、つまり下関を積極的に「生きる」ことを勧めた。「生きる」ことは「知ること」「楽しむこと」「協力すること」を提案した。パネラーの一人である武部忠夫氏は下関で「海峡座」という劇団を作って演劇活動をしており、アイランドの伝統演劇への復活運動、原語運動などによって世界化した例を出された。宗近孝憲氏は巌流島、グリーンモールなどをもっと総合的にイベント化することを提案された。特にグリーモールを「韓国語の区域」として宣伝していくことを提案したのが面白い。しかし在日は朝鮮語を話せる人が少ないのが実態であることの問題点を指摘された。イベントなどには大学の役割も重要であるということで出席している学長にマイクを渡し、話を聞いた。
 下関学はまた続くようになるという。
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韓国海外宣教の問題点

2007年07月28日 06時43分02秒 | エッセイ
 アフガンで韓国のクリスチャンたちの人質、牧師が殺害されたことから韓国の海外宣教の問題点が露出しているという世論が高い。韓国の基督教の多くの海外宣教師たちは宣教地への知識もあまり持たず、韓国での宣教の経験から自信をもって韓国式で押し付けるように宣教をする。日本にも韓国から多くの宣教師たちが在日教会を中心に来ている。中にはまじめに日本文化を理解し、日本社会での宣教に取り込む牧師もいる。しかし多くの宣教師はそうではない。彼らは大概日本の習慣や社会を理解しようとはせず、反日感情を扇ぎ、民族主義を叫び、在日韓国人を固めていこうとする。ある牧師はスポーツでも日本に勝つのことが一番嬉しいこと、負けたことが一番悲劇だと続けて説教し、日本人との付き合いもしない。民族を超える宗教でなければ基督教とはいえないことを解って欲しい。
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山田寛人氏の著書への書評

2007年07月27日 06時40分39秒 | エッセイ
 山田寛人氏の著書『植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策朝鮮語を学んだ日本人』(不二出版、2004)への書評がアメリカ、スタンフォード大学の研究所が発行する研究誌the journal of Korean Studiesに掲載されたのを読んだ。彼は長距離トラック運転者から広島大学の私の元へ博士課程に入学して植民地朝鮮における在朝日本人への韓国語教育という特殊な分野について研究し、博士号をとった人である。一方的に日本語「国語」化だけではないということを研究した。それは朝鮮を知ろうとする政策によって1920年代にピークになるという。評者たちはこの奨励政策がどの程度一般に向けられて実行したか質問する。彼は私の科研に参加しているので、その具体的な現状が把握できることを期待している。
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テロの研究を指導

2007年07月26日 06時27分28秒 | エッセイ
 専門とはいえなくとも「西アジア文明史」の講義でイスラムとテロについて講義をしているうちに、本当にテロを研究する人が現れ、博士論文を指導してくれといわれて目下読んでいる最中である。イスラム過激派にとっては聖戦であると誇っているが、政治的にも利用されたりする。古くはフランス革命でテロが行われたという。民主主義の象徴的な革命にもテロが関係したという。民衆が革命行動を起し、そしてテロリズムを行なったという内容は実に皮肉にも面白い。テロは絶対悪のように思われても行う当事者からはそうではない。したがってまず外からテロというより当事者の内側からも検討、研究するように方向転換を促した。研究結果が期待される。
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失言・妄言

2007年07月25日 05時45分13秒 | エッセイ
 最近政治家の失言・妄言が話題になっている。障害者、弱者、セックスなどに関する言葉は控えることが必要であるが、一つの言葉、単語一つがマスコミよって繰り返し流されると、その人の全人格や政治政党の政策も一気に飛ばされるような雰囲気になるのは残念である。北朝鮮の金正日氏が拍手しながら高位置から見下ろしている資料画面が数百回、数千回も繰り返し放映され、悪の象徴人物のように見せている。その画像はあくまでも一部分である。たとえばある人のあくびする場面を繰り返して放映すると如何に品格の高い人格者であっても失格するのは当然であろう。人間関係においても同様である。長い間の縁を重要視して小さい言葉で人間関係を切ることはしない方がよい。失言・妄言は当事者が誤ることで許しあってよいだろう。もっと根源的な政策や人格をみて縁を大事にして欲しい。
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乱暴なアフガン宣教

2007年07月24日 06時05分16秒 | エッセイ
 韓国は世界的な宗教の世俗化現象に反して基督教が盛んな国であることは周知の事実である。それは特に20世紀初頭に外国人宣教師たちの熱心な宣教活動の伝統を引いているからである。国内でクリスチャン人口が3割くらい占めるようになり、地の果てまでと海外宣教に熱を上げて、目下外国に宣教師たちが溢れている現象を見せている。場所においては同じ宣教地で教派間の競争が激しいところもある。私が知っているサハリンでは教派ごとに教会を建てて宣教競争活動をしているが目立つ。イスラムの国であるウズベキスタンでは現地の役場より大きい教会を中心地に建てて顰蹙を買うのをみたことがある。いまアフガニスタンで韓国センムル教会の信者たちが人質にされている。乱暴な宣教の結果とも言われている。左手がすることを右手が知らないようにという聖書のことばを想起して欲しい。
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今週末の予定

2007年07月23日 06時32分59秒 | エッセイ
 今週末の予定が二つある。一つは14日予定であった「下関学」が台風で中止になったものが今週の土曜日12時半から行われるようになった。パネラーとして主題を「ノスタルジアの力学」と出して武部忠夫氏と宗近孝憲氏と議論をする。また29日(日曜日)の午後5時からは大韓キリスト小倉教会で「在日朝鮮人」について基調講演をする予定である。前者においては下関の活性化、後者においては在日のアイデンティティの問題を提言したい。良い議論ができることを祈っている。
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対馬の観光化

2007年07月22日 19時29分39秒 | エッセイ
 週末に対馬に出張してきた。対馬は観光化より韓国化されたような気がした。韓国からの観光客が道に溢れている。運転者は韓国人の所為で一気に活気を戻したという。島の代表的な民俗学者を知人から紹介していただき、お会いしたが「ああ宋ですか」と気のない反応に失望したが、韓国人たちの観光グループに入れてもらって彼らの観光の関心を観察することができて幸いであった。バスで中部地域まで行って帰りのバスの中で偶然に会った韓国人は私が調査したことのある蔚山達里から旅行に来た人であって話が盛り上がって、バスの他の客に大変迷惑になったと思う。しかし楽しい時間であった。旅はこのように偶然に会うことがあって楽しい。この島を歩きながら一番感じたことは韓国人向けの観光に成功したということである。下関ではまったく感じられない熱意が強く伝わってきた。
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夕張メロン

2007年07月21日 06時17分44秒 | エッセイ
 数年前サハリン炭鉱との関連上,北海道から長崎までの数箇所の炭鉱地を現地調査をしたことがあった。ある日北海道の夕張に行った。私は行くまで夕張がメロンでも有名なことを知らなかった。韓国の甘瓜が好物な私は嬉しく歓呼した。同行した弟子と1箱買って数時間で全部食べた。最近夕張市の問題が報じられるたびに夕張での炭鉱調査とともに夕張メロンが思い出された。それをキャッチしたようにその弟子からメロンが届いた。夕張は炭鉱の記念館などのイメージとともにメロンで再生できるのではないかと期待している。
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師弟関係の回復

2007年07月20日 06時07分02秒 | エッセイ
昨日書いたように1968年の私の論文を剽窃したことを知らず書いた韓国の弟子の一人である筆者から謝罪のメールが数回届いた。それは主に恩師の業績を知らずに書いたことを反省する内容である。この度彼自身だけではなく学界にも刺激になったようである。彼が剽窃しようとしたわけではなく、オリジナリティのある最初の論文を参考にしていなかったことが問題であるが、彼がもっと発展するように指導した気がする。こうして師弟関係は回復した。この文章を読む日本人はおそらくこの人間関係は壊れたと思うであろう。しかし一般的に言ってこの点が日本人と韓国人は異なる。日本人の間であれば表面的には直っても実際の人間関係は壊れることであろう。それは世界的にみても日本的な特徴とも言える。
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私の論文が剽窃された

2007年07月19日 05時38分28秒 | エッセイ
 昨日受け取った韓国からの学会誌に1968年陸軍士官学校の論文集に書いた私の論文「李朝の仮農作…」とほぼ同様な題目と内容の論文が掲載されたとのを読んでみると私の論文が引用されず故金宅圭氏の論文が最初の独創的な論文のように引用されていた。そのテーマは今は古くても当時私は李朝実録から資料を集めて整理した、まったく新しい発想の論文であった。当時この論文の話を金氏にしたら面白いので送ってくれというので送った。そして1年か後に出た金氏の論文には私の論文の引用ではなく剽窃したことがわかった。人間関係を重要視し抗議することをせず、不満を彼に言ったら「残念ながら君のものを引用せず自分で調べた内容が同様であった」といわれたが、後に誰かが両方を比較して読めばどちらが先か明確にわかるだろうと思っていた。しかし昨日もらった論文の筆者は学生時代教えたことのある人であり、その剽窃(?)の論文だけを引用して小生の論文は引用していない。そこで私は学問の風土の問題であるので筆者はもちろん学会誌などのレフリーに責任を取ってもらいたいという趣旨の文章を送った。夜遅く筆者からメールが届いた。私の論文を確認したので新しく作成、学術振興会に報告するという返事を受けたので私は承知した。
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アイロン

2007年07月18日 05時45分41秒 | エッセイ
 私は時々自分のワイシャツにアイロンをかけながら過去を思い出す。朝鮮戦争後私の転校にともない我が家は田舎からソウルに引越した。姉が現在ロッテホテルの向かい側の百貨店のコーナーでドライクリーニング屋をやった。私は学校帰りにアイロンがけを手伝った。母の仕事を手伝ったこともあって抵抗はなかった。ある日紳士服をアイロンで焦がしてしまったことがあった。賠償しなければならないことで大変なことを覚悟したが、姉が弟の中学生が手伝って失敗したと謝った。客は名門の中学校の名前を聞いて許してくれたという。その服を編み縫いして直したようであった。その編み縫い直しは時間がかかる細かい仕事であるが、一時私も習ったことがある。それを職にした女性はいまだに姉の一番の友人である。今私はその時覚えて、得意のアイロンをかけなければならない。
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光化門を壊す

2007年07月17日 05時54分17秒 | エッセイ
 韓国で光化門を壊すと報じられている。1995年朝鮮総督府の庁舎を壊したついでにその正門である光化門を今になって壊すのは政治的な思惑があるのではないかという話もある。李朝の光化門は朝鮮総督府を建てるとき横に移されたが朝鮮戦争で焼失した。それを元の位置に復元するということで朴大統領が書かれたハングル入りのコンクリートで建てたのである。それが壊れるわけである。朝鮮総督府の庁舎が70年史、光化門も30年の歴史を持つ。それを壊して数百年前に復元しようとする。しかし歴史は復元できない。それは捏造である。復元するならアスファルトとも剥して私が中学生の時代に歩いた石歩道にして欲しい。歴史の復元は蝋燭やランプの文化を懐かしむノスタルジアであり、それに戻るということを意味するものではない。慎重に考えて欲しい。
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