おや、13日の金曜日ではないか。だからというのもナンだけど、「ファム・ファタル」。まえによそに書いたことの焼き直しではあるけど、相変わらず関心のあるテーマなので。
講談社現代新書の『悪女入門 ファム・ファタル恋愛論』鹿島茂は、フランス文学での「ファム・ファタル」を論じ た本である。プロローグにはこの言葉の定義として、権威のあり
そうなフランスの大辞典から引用で、「恋心を感じた男を破滅させるために、運命がおくりとどけてきたかのような魅力をもつ女」と書いてある。「破滅することがわかっていながら男が恋にのめりこんでいかざるをえないような、そんな魔性の魅力をもった女のことをファム・ファタルと呼ぶわけです」 で、そのためにはそれなりの男・それなりの女でなくてはならず、(ダメな男女ではいけなくて)「ある男にとってある女がファム・ファタルとなるためには、まず、男のほうが絶大な権力や高い地位や莫大な財産と いった目に見えるプラスの価値を手にしている働き盛りの壮年であるか、あるいは立派な将来を嘱望された優秀な青年か類まれな美青年であるという条件が必要になります。いっぽう、女のほうも、男が人生を棒に振ってもかまわないと思うほどの妖しい 魔力を秘めた絶世の美女でなければなりません。そして、もう一つ最後に、二人が運命の仕組んだ悪戯としか思えないような偶然によって出会うという要素の不可欠です。」
で、これをローマのメンバーに応用すれば、つまり、カエサルとクレオパラ、アントニウス、オクタヴィアヌスとリウィアの場合はどうかと考えてみたくなる。
カエサルだと、狙うだけの価値は充分すぎるほどあるが、溺れるわけではないのでやはり違う。アントとパトラがいちばんあてはめやすい。もっとも、多くのFF(と略する)と違って、彼女の場合は自らが莫大な富・権力を持ち、おまけにインテリでもあるし、迷惑した度合いはむしろパトラのほうが大きいかもしれん。「傾国の美女」という言葉があるけど、美女に溺れた男の国が傾くことを指すのであって、彼らの場合はエジプトのほうが傾いたのであてはまらない。
オクタの場合、条件の良さは充分。でも「破滅」ってことはない、スキャンダルにはなったけど。「結果として利益」でもあるし。ただし、タキトゥスやグレーブスが描いたような悪女としてリウィアを把握するならばあてはまらないでもない。
では、オクタをFFとして見てみるならばどうか、という視点が当然ながら私にはあり、マッシーばーじょんではアントニウスに対してそんな感じだ、はははは。
ついでに一言: この本には「十八歳の娘の美しさ、これをフランス語では「悪魔の美しさ」と呼んで います。ごく普通の器量の娘でも、十八歳のときには、悪魔の誘惑のような美しさを 放つという意味です」と書いてある。(これに比べれば、日本語の「鬼も十八 番茶も出花」なんて呑気な表現だ) 少年ならどうなんだ。そもそも普通でなかったオクタは。その気になったらキケロだって・・・。--ある種の特殊ジャンルならばそういう描き方も成立する。
講談社現代新書の『悪女入門 ファム・ファタル恋愛論』鹿島茂は、フランス文学での「ファム・ファタル」を論じ た本である。プロローグにはこの言葉の定義として、権威のあり
そうなフランスの大辞典から引用で、「恋心を感じた男を破滅させるために、運命がおくりとどけてきたかのような魅力をもつ女」と書いてある。「破滅することがわかっていながら男が恋にのめりこんでいかざるをえないような、そんな魔性の魅力をもった女のことをファム・ファタルと呼ぶわけです」 で、そのためにはそれなりの男・それなりの女でなくてはならず、(ダメな男女ではいけなくて)「ある男にとってある女がファム・ファタルとなるためには、まず、男のほうが絶大な権力や高い地位や莫大な財産と いった目に見えるプラスの価値を手にしている働き盛りの壮年であるか、あるいは立派な将来を嘱望された優秀な青年か類まれな美青年であるという条件が必要になります。いっぽう、女のほうも、男が人生を棒に振ってもかまわないと思うほどの妖しい 魔力を秘めた絶世の美女でなければなりません。そして、もう一つ最後に、二人が運命の仕組んだ悪戯としか思えないような偶然によって出会うという要素の不可欠です。」
で、これをローマのメンバーに応用すれば、つまり、カエサルとクレオパラ、アントニウス、オクタヴィアヌスとリウィアの場合はどうかと考えてみたくなる。
カエサルだと、狙うだけの価値は充分すぎるほどあるが、溺れるわけではないのでやはり違う。アントとパトラがいちばんあてはめやすい。もっとも、多くのFF(と略する)と違って、彼女の場合は自らが莫大な富・権力を持ち、おまけにインテリでもあるし、迷惑した度合いはむしろパトラのほうが大きいかもしれん。「傾国の美女」という言葉があるけど、美女に溺れた男の国が傾くことを指すのであって、彼らの場合はエジプトのほうが傾いたのであてはまらない。
オクタの場合、条件の良さは充分。でも「破滅」ってことはない、スキャンダルにはなったけど。「結果として利益」でもあるし。ただし、タキトゥスやグレーブスが描いたような悪女としてリウィアを把握するならばあてはまらないでもない。
では、オクタをFFとして見てみるならばどうか、という視点が当然ながら私にはあり、マッシーばーじょんではアントニウスに対してそんな感じだ、はははは。
ついでに一言: この本には「十八歳の娘の美しさ、これをフランス語では「悪魔の美しさ」と呼んで います。ごく普通の器量の娘でも、十八歳のときには、悪魔の誘惑のような美しさを 放つという意味です」と書いてある。(これに比べれば、日本語の「鬼も十八 番茶も出花」なんて呑気な表現だ) 少年ならどうなんだ。そもそも普通でなかったオクタは。その気になったらキケロだって・・・。--ある種の特殊ジャンルならばそういう描き方も成立する。
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