レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

アンチ音姫

2011-09-02 08:21:43 | 雑記
羞恥心とは、社会的なものなのか個人的なものなのか? たぶんその両方があるだろう。

 ほかの人から見たら、なんでこんなことが恥ずかしい?ということでも、本人にとってはどうしようもないことはあるだろう。
 時代・地域によって変わってくることもある。人前での授乳の是非とか、混浴とか。洗濯物を外に干すこととか。
 電車内での化粧も、する人にとってはなぜ悪いのか不可解かもしれない。

 大昔のマンガでは、女の子は焼き芋を買うところを見られることを恥ずかしがるものだとされていた。いま思えば、「恥じらい」を押しつけているようでぞわぞわする。

 女子公衆トイレにおける「音消し」の習慣、あれはいったいいつから存在するものだろうか。私の記憶では、30年まえには既にあったはずだ。
 いつのまにか、アレを非常にうっとうしく思うようになった。そりゃ確かに、かっこうのいいものでは決してない。しかし、その場所では当然のことをしているだけなのだ、それをどうしてわざわざエネルギーを消費してまで打ち消すことが必須なのか。
 たぶんこれは、男の介入によるものではなく、女が自分で作ってしまった慣習だろう。これについて男性陣からは口を出しづらいに違いない。
 いま私の出入りする大学二校で、節電のためと称して、ハンドドライヤーを使用中止にしてある。それはかまわない、ハンカチを使えばすむことだ。  では、「音姫」だって使うことあるまい。でも、これだけ停止にはしにくいのかもしれない、それに代わりに水の二度流しをするようになるだけだということだろうか。
 私の考えとしては、こちらも自粛を主張したい。どーしてもイヤだという人たちにまで強制するのは良くないけど、単に周囲に流されてしているだけならば、節電の動きに乗じてやめてしまおうよ、と言いたい。
 いま伝統だと思われていることでも、始めたころには新しかったのだ、とは「歴史家皇帝」クラウディウスの言葉。逆に、あとから始めたことならばまたやめることも可能なはずなのだ。

 ・・・・・・だいたい、あの流水音っていかにも作りものでかえってみっともなくない?

 「音姫」や二度流しはたいしたエネルギーにはならないという意見もあるかもしれないけど、省エネ問題だけでなく、「羞恥心」の圧迫には不当なものもあるということを言いたい。

 「音姫」がしきりに使われている傍らで、洗面台に髪の毛が散っている、これは最悪である。マナーを意識するならばこちらも考えろ。


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