レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ユリ・クラの系図をながめて思う

2008-12-14 08:03:55 | ローマ
 歴史ものに対する感想は難しい。綿密な考えなく話していれば、純粋にその作品についてだけ語るのではなく、自分の勝手な想像力が入りこんだり、ほかの作品との比較になったり、当然史実との比較も出てくる。作者当人へ書き送るとなると特に肩が凝る。(史実ではこうだ、という話さえ嫌がる書き手までいるし)

 『小説 ティベリウス』の感想追加を少々。
・リウィアやアントニアのセリフが、年齢によって変化していないことは良かった。『この私、クラウディウス』の邦訳について、年寄りの言葉遣いがステレオタイプだという批判をネット上で目にしたけど、それをもしかして意識しているのだろうか。若いころに「女ことば」で話している人ならば、若くなくなったからといって激変するものでもないだろう、とは私は常々ヘンに思っていることだ。
・アウさんがドルスス(ティベ弟)について、感情・愛情表現が素直だということを「大きな尻尾が見えた」と言っている。ワンコな比喩が可愛い。ティベも、もし動物に例えるとすれば犬だろう、ノーブルで重々しい感じの。
・せめて、グルマニクスの死が(その父のように)謀殺の疑いなど出てこないものであれば、そしてアグリッピナが被害妄想に凝り固まらずにすんでいたら、あんなに悲惨な事態にはならずにすんでいたかもしれない、ひいてはカリグラがヘンになることも、小アグリッピナが野心にはしって「暴君」を生み出すこともあるいは?とせんないことがいろいろと浮かんでしまう。
 「キザなせりふをさらりと言う」ゲルマニクスのキャラクターは、確かにカエサルの血をひいているなーと思わせる。軽率な部分はアントニウスのせいにしてしまいたがる私は不公平かも。 こういう凛々しい息子に賛美され甘えられるアントニアは母親冥利だったに違いない。母の嘆きの場面は意外なほど心に響いた。

 ユリウス・クラウディウス朝の系図を眺めていると、末期ほど悲惨なことを感じる。不幸な死に方した人に印つけていくと、平和な人があまり残らない。
 ティベリウスの直系は(少なくともユリクラ内部に限れば)、孫のティベリウス・ゲメルスのところで途絶えてしまっているのか。3代目・4代目・5代目皇帝と血縁はあるとはいえ。
 その点、最後のネロのところまで、アウグストゥスの、オクタヴィアの、リウィアの、アグリッパの直系はつながっているのだ、しかしアントニウスのも一緒に、しかも史上最も悪名高い「暴君」の中で! 皮肉なものである。
 アグリッパ・ポストゥムスはなぜグレたのだろう。父親の死後生まれたなんて境遇だと不憫がられそうなものだけど。兄たちほど可愛がられてなかったのか? 心がけ次第でいくらでも幸せになれる身の上だったろうに。(時代が下ると、身内ほど危ないという事態になるけどこのころはまだそんなでもなかったはず)
 アウグストゥスが、自らと身内のために望んでいた「安らかな死」は、本人以外にはあまりかなえられていなかったな~としみじみ思う。
 だから私はせめて庶子妄想設定で幸せな夢を見たくなるのだ。
 ティベリウスはロドスでアウさん庶子(父似)との間に子をなしているとか、彼女はユリアとユルスの子もひきとって育てているとか。
 アグリッパ・ポストゥムスは流刑地で子をもうけていて(曽祖父似)、長じて奴隷に売られたこの子はやがてカプリのティベのもとへ来るとか、
 もうキリなし。ガイウスやルキウスに隠し子がいてもおかしくないな。
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2 コメント

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Unknown (サラ)
2008-12-14 18:58:19
>歴史ものに対する感想は難しい。綿密な考えなく話していれば、純粋にその作品についてだけ語るのではなく、自分の勝手な想像力が入りこんだり、ほかの作品との比較になったり、当然史実との比較も出てくる。


>歴史ものに対する感想は難しい。

そうですね。悪感情は抱いていなくても、自分の想像を述べたり、他作品や史実と比較したりしただけで、その作品を否定したかのように受け留められるケースもありますものね。

>作者当人へ書き送るとなると特に肩が凝る。(史実ではこうだ、という話さえ嫌がる書き手までいるし)

読者からの好意的ばかりでない反応に対して、「大人の対応」をしていたと思いだすのは、里中満智子さんです。(新書版「天上の虹」14巻あとがき参照)

「読者に間違った知識を与えるので、公式の史実以外は書かないで欲しい」、「○○がこんないい人のはずはない」、「●●先生の小説とは違う。●●先生はとても偉い人だから、あなたは間違えている」等、わたしだったら、ぶちきれそうな反応に対して、実に誠実に穏当に応じておられました。

>その点、最後のネロのところまで、アウグストゥスの、オクタヴィアの、リウィアの、アグリッパの直系はつながっているのだ、

直系を男系に限らなければ、ユリ・クラ朝って、見事にリウィアの直系で占めているんですよね。
息子→ひ孫→孫→玄孫。
つまり、ローマ史の中でさほど活躍しないまま、いち早く退場したクラウディウス・ネロの血が脈々と受け継がれたということで。
これまた、なにげに皮肉と思います。
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若桑みどり『皇后の肖像』では (レーヌス)
2008-12-15 16:32:53
本全体からすればわずかですが、リウィアにけっこうページ裂いていて、ユリ・クラを「リウィアの王朝」とまで言ってましたよね。
 いちはやく退場したけどその実脈々と・・・といえば連想するのは、永井路子さんによるお江(2代目秀忠正室)の章です、浅井の血が徳川の中に、という。さらには都にまで。
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