レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

「顔じゃない」証明になっていない言葉

2015-06-08 10:22:30 |   ことばや名前
 先月、mixiで紹介されていたコラムに「世界中の男よ・・・聞け!「女は顔じゃない」を証明する日本語5つ」と題する文章があった。引用元は「メンジョイ!」。
 その5つというのは、
①美女は生を断つ斧
②孔雀は羽ゆえに人に獲らる
③傾国
④佳人薄命
⑤ あばたもえくぼ
であった。
 このうち①と②は初めて知った。
 ①は、美女の色香に溺れると(精力使い果たして)寿命を縮めるということだそうだ。②は、説明しなくてもわかる、美貌や才能で目立つとかえって不幸にもなりかねないということ。
 ①と③は、出典の意図するところはともかく、美女とはそれほど、危険なまでに魅惑の存在だということを強く感じさせる言葉である。
 ②と④は、美女にもそれなりの苦しさがあるのだからと、むしろ非・美人を慰めるほうに使うのではないだろうか。
 ⑤は、「惚れた欲目」の類語であるが、ここで持ち出すのはあまりにも、文字通りに解釈しすぎでこじつけがましい気がする。
 くだんの記事は、「口下手な女性も、これらの言葉を使うだけでOK。男性はぐうの音も出ませんよ。」などと書いているが、どういう場面で使えと言うのだろうか。
 美女にメロメロ状態の男に対して警告する際に①や③を持ち出すのはまあありうる。しかし③なんか該当するのはよほど地位や権力のある男だけだろう。それに、相手にされてもいない状態ならば①もあてはまらない。
 「孔雀は~」だの「佳人薄命」だのと言ってやったところで熱をさます効果なんてありそうもない、かえって同情してしまいそうだ。
 「女は顔じゃない」ならば、容姿以外の美徳を説く言葉をひっぱってくるほうがいいのではなかろうか。
 ほとんどまったく「証明」などしていないうえに、ここで出たもの半数以上が中国原産だ、タイトルの「日本語」はやめておいて「言葉」でよかったのに。



コメント
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